Mag-log in燃え盛る炎に焼かれ、ハンカチは見るも無惨な姿に変わっていく。 灰皿の中で真っ黒い灰に変わったハンカチを見て、桔梗は少しばかり溜飲を下げた。 「まったく。私と胡桃がいるっていうのに……。こんな物をいつまでも残しているなんて。信じられないわ」 桔梗は灰皿の中身を、部屋にあるゴミ箱に入れ、忠の書斎を後にした。 ◇ 場所は変わって、髙野辺の家──。 もみじの話を聞いた髙野辺は、信じられないと自分の口元を押さえた。 だが──。 「……もみじさんと、ご両親の関係……。特に、お父上からのもみじさんに対する態度は、その話を聞くと納得できる部分がありますね」 もみじは、自分の娘じゃない。 それなら妹の胡桃ばかりを可愛がるのは納得出来る。 もみじは、遠い昔を思い出すように顔を虚空へ向け、答えた。 「……父も、昔は確かに優しかったと思うんです。まだ、母も健在で、私も幼くて……。仕事から帰ると、父は真っ先に私に会いに来てくれて……」 自分を抱き上げて、笑顔でただいま。と言ってくれた。 断片的な記憶ではあるが、もみじの記憶には確かに笑顔の父の記憶がある。 どこにでもあるような、幸せな家族。 幼い頃は、そんな日常だった。 「……だけど」 そこで、ふともみじの表情が曇り、視線を落とす。 「母が亡くなる前から、少しずつ……父の様子がおかしくなったと思います……母の悲しそうな顔が、忘れられないんです……」 「もみじさん……」 「そして、母が亡くなって……。まだ母が亡くなったと言う事も分からなくて……そうこうしている内に、私は祖父母の家に預けられて……」 まだ、物心がつく幼い頃だ。 そんな時に母親が亡くなり、どれだけショックだっただろうか。 しかも、もみじは父から酷い扱いを受けているのだ。 それも、恐らく子供の頃から──。 髙野辺はたまらず、もみじを抱きしめた。 「──た、髙野辺さんっ!?」 驚くもみじを、髙野辺は強く抱きしめる。 「わ、私なら……大丈夫ですよ。父の冷たい態度は昔からで、慣れてしまっているので……」 「……子供の頃から、父親は冷たい態度で……?」 腕の中にいるもみじが、こくりと頷く。 もみじは、自分の腕をそっと髙野辺の背に回した。 「……何だか、それがもう当たり前になっていて……。冷たい父親と、義母が普通、で……。だ
髙野辺は手際良く朝食を用意してくれた。 スープに、サラダ。 そしてクロックムッシュを手早く作ってくれた髙野辺が、それらをプレートに載せてリビングに戻ってくる。 まずは朝食を食べましょう。 そう笑顔で告げる髙野辺に頷いたもみじは、髙野辺と他愛ない話をしつつ、朝食をぺろりとたいらげた。 食後のコーヒーを飲んで、一息ついた頃。 髙野辺がカップを置いて切り出した。 「──もみじさん。昨夜、妹が来た、と言っていましたね。……以前から、もみじさんと嶋久志家の関係はあまり良くないと分かっていましたが……昨夜、何があったんですか?妹に、どんな酷い事を……?」 心配そうに表情を曇らせ、労うように頬を撫でてくれる髙野辺に、もみじも自分のカップを置いた。 「……俺は、もみじさんが好きです。ずっと一緒に過ごしたい。その気持ちは、きっと一生変わらない。……だけど、この先ももみじさんが妹に執拗に恨まれ、煩わされる日々が続いたら……。それが心配なんです」 「髙野辺、さん……」 「どうしてもみじさんの妹が、こんなに酷い事をするのか……理由を知れば、一緒に解決出来るかもしれないでしょう?……俺と一緒に、解決しませんか、もみじさん?」 少しばかり不安そうに、そう告げる髙野辺。 もみじは、自分の手を握る髙野辺の手に視線を向けた。 大きくて、安心する髙野辺の手。 温かくて、いつも寄り添ってくれる髙野辺。 これから先も、髙野辺とずっと一緒にいるためなら。 昨夜、胡桃から言われた事についても髙野辺に話しておかないといけない。 もみじは1度目を閉じ、覚悟を決めた。 自分1人だけの問題ではないのだ。 好きな人がいる。 そして、好きな人も自分を好きになってくれた。 なら、嶋久志と自分の歪な関係を、髙野辺に話さないといけない。 もし、こんな歪な関係に嫌気がさして、髙野辺がやっぱり仕事上でのパートナーでいたい、と言ってもそれを受け入れる──。 もみじは髙野辺の目を真っ直ぐ見つめ、自分の家に関わる事。 そして、昨夜胡桃から言われた信じられない事実を伝えた。 ◇ 嶋久志家、書斎。 胡桃の母親、嶋久志 桔梗は自分の夫である忠の書斎で探し物をしていた。 「……あの人、どこにしまっているのかしら。あの土地の権利書……。胡桃に相続させたいんだけど……」 書斎のデスクを
翌朝。 退院するもみじに、髙野辺は付き添った。 昨日、胡桃が訪ねて来た直後のもみじの様子は動揺し、戸惑っていた。 だが、一晩経てばもみじの様子は落ち着きを取り戻しており、普段と変わらないように見えた。 だが、時折暗い顔をしているのが分かり、髙野辺はそれには触れずもみじを自宅に連れ帰った。 昨日、もみじが胡桃に何を言われたのか。 それは終ぞ知る事はできなかった。 だが、もみじの青ざめた表情を見れば、どれだけ酷い事を言われたのか想像にかたくない。 その証拠に、昨夜もみじはあまりよく眠れなかったのだろう。 病院から自宅に向かう道すがら、車に乗り込んだもみじはすぐに寝入ってしまった。 自分に体を預け、安心しきったような表情で眠るもみじを見て、髙野辺は眉を寄せた。 (もみじさんの家が……複雑な事は分かっていたが……) これは、家の事情が複雑、と簡単に済ませられないのではないか、と髙野辺は考える。 (もみじさんの妹が、彼女に抱く執着心や恨みは尋常じゃない。……あまり家の事情を根掘り葉掘り聞きたくはなかったが……。今後、俺ともみじさんが一緒にいるには、彼女の事情もある程度は知っておく必要がある。……そうじゃなきゃ、もみじさんを守れない) そう考えていた髙野辺のジャケットに入れていたスマホが、着信を知らせる。 ポケットからスタホを取り出した髙野辺は、表示された名前を見て「タイミングが良いのか悪いのか……」苦笑いを浮かべ、呟いた。 そして、もみじを起こしてしまわないよう、声のトーンを落として電話に出た。 「もしもし、お爺様ですか──」 ◇ ふわふわ、と水に揺蕩うような感覚。 だけど不快感を全く感じる事はなく、もみじは小さく声を漏らしながらすぐ側にある熱に体を寄せた。 「──っ、もみじさん?」 髙野辺の声が、すぐ近くから落ちる。 ふわ、とどこかに自分の体が横たえられたような感覚に、もみじは微睡みからゆっくりと目を開けた。 「……髙野辺さん?」 「ああ、良かった。目が覚めましたか?」 「……あれ」 もみじはぱちぱち、と目を瞬かせる。 周囲をよくよく見てみれば、見覚えがある髙野辺の自宅だ。 寝起きのぼんやりとしていた思考を、もみじは慌てて振り払い勢い良く体を起こした。 「──すっ、すみません私、寝て……っ!」 自分が横になっ
背後で扉の閉まる音が聞こえる。 扉に背を向けたまま、胡桃は邪悪な笑みを浮かべた。 「──ふっ、ふふっ。とことんまで苦しめてやるんだから。一難去ってまた一難にしてあげる。まさか自分の母親が不倫女だった、なんて言われたら……いい子ぶりっ子してるあの女は普通に暮らせないもんね」 ローヒールの靴音を響かせ、胡桃は廊下を歩いて行く。 談話室の方向へは向かわず、反対方向から病院の出入口に向かう。 「……仕事に忙殺されて、体調も芳しくない今、親友だって言うゴミ女の会社が不正に関わっていたでしょ……?それに、母親の不倫話を聞いて……精神的にまいるはず……。あとはどうしようかな……仕事を根こそぎ奪ってやる……?」 胡桃は自分の唇に指先を当てて考える。 「うーん……だけど、もみじは今TK株式会社のデザイナーだし……あの大企業からは中々仕事を奪えないわよね……。どうしようかな……。徳居はあまり使えなかったし……他の女を髙野辺さんに接近させる……?」 少しでももみじが不安に思えばいい。 疑心暗鬼に陥らせて、誰も信用出来ない、信じられないようにさせてやりたい。 そして、1人孤独に苛まれればいいのに。 「私のお母さんが味わった屈辱を、あの女の娘が味わえばいいのよ……!」 胡桃は唇を噛み締め、ギッともみじの病室に鋭い視線を向ける。 だが、背後で談話室から出てくる物音と、髙野辺の声が聞こえた事に気がついた胡桃は急いでその場から離れた。 ◇ 「──では、話はこれで。……もみじさんの病室を覗きますか、一ノ瀬社長」 「いえ。もみじに顔向けできません。……ちゃんと全て終わらせてから。それから、もみじに会います」 「分かりました。見送りはできませんが──」 「ええ、ここで結構です。では、髙野辺社長。また」 「お気をつけて」 頭を下げ、廊下を去っていく蘭を髙野辺は見送った。 廊下の角を曲がり、蘭の姿が見えなくなってから髙野辺は田島と一緒にもみじの病室に向かった。 扉をノックして、声をかける。 「もみじさん、戻りました」 もみじが寝ていたら起こしてしまう。 気を使い、小声で声をかけたのだが、髙野辺は部屋を見て表情を緩ませた。 「──もみじさん、目が覚めたんですね」 もみじの意識が戻っていた。 ベッドに起き上がっていたもみじが、こちらを見ている。 扉を
髙野辺が戻って来たのだろうか──。 そう考えたもみじは、病室の入口に顔を向けた。 笑みを浮かべていたもみじの表情が、ぴしりと固まる。 どうしてここに──。 言葉にしなくても、もみじの表情はそう告げていた。 そんなもみじの表情を見た女──胡桃は、にんまりと口元を笑みの形に歪めた。 「やーっぱりお姉ちゃんだった♡」 もみじが何も言葉を返していないと言うのに、胡桃は堂々と部屋に入ってきて、病室に備え付けられているソファに座った。 「ふーん。随分良い個室を用意してもらったのねぇ、お姉ちゃん」 「……胡桃、一体何の用?」 胡桃の考えが分からず、もみじは警戒するように問う。 シーツをぎゅっと握り、早く髙野辺が戻って来て、と必死に願う。 この病室を出てしまいたいが、まだ頭はくらくらするし、体に上手く力が入らないのだ。 せめて毅然とした態度を崩さないようにしているが、胡桃が自分の目の前にいるという事実だけで頭が痛くなってくる。 そんなもみじには構わず、胡桃は自分の指先を彩るネイルを見ながら答えた。 「検診に来たのよ。そうしたら、見覚えのある顔を見つけたから尾けてみたの。本当、お姉ちゃんって男に取り入るのが上手よねぇ。死んだ母親みたい!」 「──胡桃!」 まさか自分の実母を馬鹿にされるとは思っていなかったもみじは、怒りに目を吊り上げる。 だが、そんなもみじを見ても胡桃は「きゃあ、怖い!」とちっとも思っていなさそうな態度で笑う。 「どうして怒るのよ?──ああ、もしかしてお姉ちゃんは知らなかったの?あんたの母親が不倫してたって。何処の馬の骨とも分からない男の子供をお父さんは育てさせられてたのよ?」 「──は、」 何だ、それは。 くつくつと笑う目の前の胡桃を、もみじは唖然と見つめる。 「お父さんが私を可愛がって、あんたを冷遇する理由……。ずっと不思議だったでしょう?どうしてお父さんに嫌われているか、ずっと疑問に思っていたんでしょ?」 「……なに……、そんなの、嘘よ……」 「ううん、本当よ。お姉ちゃんが誠司と離婚したし、不倫女の姓を名乗ってるし、もううちとの関わりを絶とうとしているから、だからちゃんと教えてあげないとな、と思って!」 にこやかに告げる胡桃。 胡桃の言葉は分かるのに、脳が理解するのを拒絶している。 もみじが唖然としてい
◇ 「睡眠不足と、過労ですね。しっかり休養を取れば大丈夫ですよ。念の為、今日1日入院してください」 「ありがとうございます」 もみじの病室。 様々な検査を終え、医師からそう告げられた髙野辺は、安堵の表情を浮かべた。 お礼を伝えると、医師はそのまま病室から出ていく。 髙野辺はもみじの眠るベッドの横に座り、深く息を吐き出した。 「──良かった。……いや、もみじさんに無理をさせたのは良くないが、しっかり休めば大丈夫なのは良かった」 取り返しのつかない事にならないで本当に良かった。 腰を折り、膝に乗せた手で自分の顔を覆っていた髙野辺の耳に、近付いてくる慌ただしい足音が聞こえてきた。 「──もみじ!」 もみじの病室の扉が、勢い良く開く。 そして焦燥感に濡れた声が聞こえた。 辛そうに表情を歪め、病室に入ってきたのは一ノ瀬 蘭──。 もみじの親友であり、蘭デザインの社長だ。 彼女の背後には田島がいる。 田島は蘭を止めようとしていたようだが、彼女を止める事は出来なかったのだろう。 あわあわと慌てふためいているのが見え、髙野辺はため息を吐き出してから椅子から立ち上がった。 「──一ノ瀬さん。もみじさんは休養が必要です、お静かに」 「髙野辺、社長……」 休養が必要だ、と髙野辺に言われた蘭は、ハッとして自分の口を手で押さえる。 申し訳なさそうに足を進め、病室に入ってくる蘭。 彼女は肩を落とし、ベッドで眠るもみじに目を向けた。 顔色が悪いもみじを見て、蘭はくしゃりと顔を歪めた。 すぐに髙野辺に体ごと向き直ると、深々と頭を下げた。 「──この度は、弊社社員の重大な過失により、御社に多大なるご迷惑をお掛けいたしました。この度の損害は社長である私が責任を──」 「ちょっと待ってください。その話は、もみじさんがいない場所で」 髙野辺は咄嗟に蘭を止め、部屋を変えよう、と提案する。 「そ、それもそうですね……。私ったら、もみじが眠っているのに……こんな所で話す内容じゃなかったです」 「ええ……もみじさんは今眠っているので……別室に移動しましょう」 髙野辺はベッドで眠るもみじに視線を向け、そっと頬を撫でる。 その様子を黙って見守っていた蘭は、もみじを想う髙野辺の表情にそっと目を伏せた。 ◇ 談話室の一角。 談話室には電話用の個室があ







