INICIAR SESIÓNセレナ
私はゆっくりと顔を上げた。 運がいいのか悪いのか、そこにいたのはオレンジ色の髪をしたキツネ族の男だった。 彼は私の顔を見るなり、腰に回していた手を離した。そのせいで、私は地面に倒れ込んだ。 「ああっ!」 私は悲鳴を上げた。 まだ朝なのに、どうしてこんなに痛い目に遭わなきゃいけないの? あなたたち、わからないの? 私、こんな仕打ちを受けるようなことしてないんだけど! 【ええと、宿主様。私が謝るべきだったのでしょうか? いいえ、謝罪は未来の自分のために取っておきます。でも宿主様、あなたは別です。盗みを働いたのですから、自業自得ですよ】 「いつか絶対に殺してやる……」 【そんなことより、まずはご自身の命を守ってください、宿主様】 システムの耳障りな笑い声が再び頭の中に響いたかと思うと、完全に消えてしまった。 「レインお兄ちゃん、あの意地悪なトラのお姉ちゃんが、ウサギ族のエララをいじめようとしてるの!」 小さな女の子が泣きながら訴えた。 「……私?」 私は目を見開き、自分自身を指さした。 オレンジ色の髪の男は私をにらみつけたあと、小さな女の子の頭を優しくなでて安心させた。 「レイン様、どうか妹さんをきちんと見ていてください。私たちのような罪のない村人を傷つけるために、あのように暴れ回るべきではありません」 女性は恭しく頭を下げると、そそくさとその場を去っていった。 女性が立ち去った途端、彼の冷たい視線が私に向けられた。 私は反射的に一歩後ずさった。 その眼差しは、身も凍るほど冷たかった。 この兄弟たち、いったいどこかで冷酷さの特訓でもしているの? 私は突然、何事もなかったかのような顔をして一歩下がり、女の子が教えてくれた方向へ歩き始めた。私の小屋があるのは、そちららしい。 前へ進めたのは、わずか五歩だった。 「セレナ」 彼が私の名前を呼んだ。 私は聞こえなかったふりをして、歩き続けた。むしろ、足を速めた。 彼はもう一度呼び止めたりしなかった。 けれど、私は彼の岩のように硬い胸に正面からぶつかった。 私は後ずさり、額をさすった。 「いったぁ……。いったい何なの? 胸に何か仕込んでるの?」 私は指で彼の胸を何度もつつき、何か隠していないか確かめようとした。 しかし、指先に伝わってきたのは、岩のように硬い腹筋と、彼の服の滑らかな生地だけだった。 レインは私を見つめた。 一度。 二度。 三度。 彼は瞬きさえしなかった。 眉をひそめることもなかった。 身じろぎ一つしなかった。 「……システム」 【はい?】 「……彼、頭の中で何を考えてるの?」 【宿主様の人生における選択を評価しています。かなり失望しているようですね】 彼は私の指をつかみ、ゆっくりとひねった。 「宿主様は、いつも自分から面倒事に首を突っ込むんですね?」 【ピコン!】 【新規ミッション発動:レインを口説く】 【新たな攻略対象が解放されました:レイン・ゴールドメイン】 【相性度:1%】 【信頼度:0%】 【憎悪度:90%】 【好感度:0%】 【関係:義兄妹】 【ミッション報酬:10SP+彼を赤面させるたびに好感度+1】 これは、十分に受け入れられる条件だ。 少なくとも、ほかの兄弟たちとは違う。 私は安堵のため息をつき、彼の手から無理やり指を引き抜いた。そして一歩近づき、彼のパーソナルスペースに踏み込んだ。 彼は冷ややかに私を見つめた。 その視線に、私は思わず身震いした。 「どうして今まで独身なの?」 彼は一瞬、私をにらみつけた。それから、ようやく唇を動かした。 「……それは」 「女の人を怖がらせるから?」 「……正解だ」 彼は笑いもせず、ニヤリとすることもなく、淡々と答えた。 むしろ、そのほうがよっぽど居心地が悪かった。 『システム、何かヒントをちょうだい』 私は心の中で必死に頼んだ。 【宿主様、ご自分で何とかしてください】 「レインお兄様、今まで誰かに、ものすごくハンサムだって言われたことはある?」 「……ある」 彼は冷たく答えた。 私は顔をしかめた。 私の笑顔が固まった。 「……あ、そう」 彼が否定することを期待していたのに。 照れるかもしれない。 顔を赤らめるかもしれない。 お礼を言ってくれるかもしれない。 何でもよかった。 ところが、彼はその褒め言葉を何千回も聞いてきた人間のような自信を持って、あっさり肯定したのだ。 「……あなたのその傲慢さは不快だ」 「そういう答えを期待してたわけじゃないんだけど……」 私はつぶやき、ほかに何かいい口説き文句がないか必死に頭を働かせた。 顔を上げたときには、彼はすでに何も言わずに歩き去っていた。 村人たちは歩みを緩めた。 ある女性は、危うく籠を落としかけた。 二人の狩人は、口をぽかんと開けて見つめていた。 「……セレナお嬢様が……口説いてる?」 「……レイン様を?」 「……ついに頭がおかしくなったのか?」 「……とうとう自分から殺されに行ってるんだな」 私が巻き起こした騒動を見ながら、彼らはひそひそとささやき合った。 『システム、ミッションは達成できた?』 私はパニックになりながら尋ねた。 【あまりにも情けない口説き方ですね、宿主様。衰えつつあるIQを総動員して、さっさと終わらせてください】 私はレインのあとを追いかけた。 「髪がきれいね!」 「……知っている」 「……いちいち同意しないでよ!」 私は苛立ち、うめいた。 これじゃ、まったく進展しないじゃない! 彼はそのまま歩き続けた。 ちょうどそのとき、蜂蜜蝋で作ったお菓子を持った男の子が通りかかった。 私はそのお菓子をひったくり、レインを追いかけ続けた。 男の子は数秒間、呆然と立ち尽くしていたが、やがて泣きながら女性のもとへ走っていった。 私は気にも留めなかった。 そして、レインの前に立ちはだかり、お菓子を握った手を差し出した。 「作ってみたの。味見してみて」 「俺は……」 彼が何か言おうと口を開いた瞬間、私はお菓子を一つ、彼の口に押し込んだ。 「ほら、すごく甘いでしょう?」 私は首をかしげた。 「まあ、毒入りなんだけどね」 彼はすぐさまお菓子を吐き出し、目を見開いて私を見つめた。 その瞬間、私は大声で笑い出した。 指をさし、肩を震わせながら、笑いを止められなかった。 【宿主様! あなたは彼を口説くはずだったでしょう! 自分が楽しむためにやっているのではありません! それに、暗殺を試みろなんて一言も言っていません!】 システムの声には、怒りがにじんでいた。 私は慌てて笑いを引っ込めた。 「えっと、ごめん。ちょっとふざけただけ。本当に毒なんて入ってないから」 そうつぶやきながら、私は彼に一歩近づいた。 「ねえ、レイン。あなたが笑っているところは一度も見たことがないけど、それでも私の好みなのよね。あの柔らかそうで、ふっくらした唇に、エメラルド色の瞳……」 私は無意識によだれを垂らしそうになっていた。 【宿主様!】 システムが疲れ切ったような声で警告した。 「もし将来、妻が必要になったら……」 「……」 「私、立候補します!」 「……」 彼は一瞬だけ、言葉を止めた。 たった一秒。 本当に、それだけだった。 「待って。今の、頭の中で言ったときはもっとよかったのに……」 「……恥知らずだな」 彼はそうつぶやき、立ち去っていった。 【宿主様!】 【現在の口説きスコア:2/100】 【おめでとうございます。あなたは見事に周囲の空気をさらに冷え込ませました】 どうしてこの世界のイケメンたちは、そろいもそろって感情表現が壊滅的なの? 笑うことは法律で禁止されているの? 獣人たちは大人になると、顔の筋肉を失うとでもいうの? 私は諦めず、もう一度彼を追いかけようとした。 しかし、左腕をつかまれて引き止められ、手に持っていたお菓子をひったくられた。 振り返る前に、私はその相手を百回くらい呪っていた。 ところが、そこにいたのは、先ほどお菓子を奪った男の子と、その母親らしき女性だった。 「この恥知らずな女!」 女性は歯を食いしばり、私をにらみつけた。 今にも私の顔を台無しにしてやりそうな勢いだったが、かろうじて理性の糸一本で踏みとどまっているようだった。 「まず、私の息子のお菓子を盗んで……」 「そのうえ、レイン様にまでつきまとって!」 「恥というものを知らないの!?」 再び、村人たちが集まり始めた。 私は彼女のことなど気にしていられなかった。 なぜなら―― 【ピコン!】 【ミッション失敗】 【ペナルティを計算中……】 【5%、15%、40%】 【ペナルティを選択中……】 「……なんで処理が止まってるの?」 「システム?」 「システム!?」小屋の入り口が開いた瞬間、私は慌てて紙を放り投げた。愚かな判断だった。自分でもわかっている。レインがドアの陰から顔をのぞかせた。「ずいぶん外を楽しんでいるようだな」彼は意味ありげにそう言って、くすくすと笑った。私は苛立ちに顔をしかめた。「だったら、あなたも一緒に楽しんだらどう?」私はドアをさらに押し開け、小屋の中へ入った。何時間も立ったりしゃがんだりしていたせいで背中が痛んだが、それでもなんとか木製のベッドによじ登った。体重がかかると、ベッドが小さくきしんだ。「この子、かわいいと思わない?」「全然。意地悪で失礼な子よ」子供の声が、明らかに不満そうに響いた。私はゆっくりと目を覚まし、体を起こして目をこすった。両手を頭上に伸ばして大きく伸びをする。顎の力が抜け、口が自然と開いた。その瞬間、一匹のハエが勢いよく口の中へ飛び込んできた。私は激しく咳き込んで吐き出そうとしたが、ハエは喉の奥に引っかかってしまった。まぶたをぎゅっと閉じ、ためらいながらも、私は虫を飲み込んだ。隣からくすくすと笑う声が聞こえた。私は顔を横に向けた。地面に座り、小さな女の子を腕に抱いていたのはエララだった。女の子は私を見ると鼻で笑い、顔をそむけた。目には軽蔑が浮かび、鼻にはしわが寄っている。「おはよう、お姉ちゃん」エララは微笑みながら、そっと頭を下げた。それから、女の子にも同じように挨拶するよう促した。「おはよう、虎のセレナ」女の子は言った。その声には、必死に抑え込んだ怒りがにじんでいた。私は首を傾げた。こんな朝早くから、二人は私の部屋で何をしているのだろう?誰かの存在を思い出したかのように、私は突然顔を上げた。
「……今、一体何が起きたの?」私はつぶやきながら、立ち上がった。「セレナ、大丈夫か?」レインが慌てて駆け寄り、私の肩をつかんだ。まるで怪我がないか確かめるように、あっちへ向けたり、こっちへ向けたりする。「ちょっと! やめてよ、目が回るでしょ!」私はうめきながら、彼の手を払いのけた。レインは咳払いをして一歩下がり、ローブをいじった。私は目をぐるりと回し、また元に戻した。「どうしてあんなことをした?」彼は落ち着いた、揺るぎない声で尋ねた。私は首の後ろを指でこすりながら、彼と目を合わせないように視線をさまよわせた。「知らないわよ……」私は小さくつぶやいた。「お願い……信じてよ」一歩前に進んだが、彼は後ろに下がった。喉が締めつけられた。胸の奥に、何か重たいものが沈んでいく。涙が目の奥に込み上げ、今にもこぼれ落ちそうだった。どうして……レインに信じてもらえないことが、こんなにもつらいの?「レイン……」私の声が震えた。けれど、彼はさらに一歩後ずさった。今度は足元までふらついた。それでも、自分の無実を訴えることを諦めるつもりはなかった。そのとき、私の視線が手首に留まった。そこには、何事もなかったかのようにブレスレットが収まっていた。覚えているのは、これを身につけて、そのまま意識を失ったことだけ。私は向きを変え、誰にも何も言わずにその場を立ち去った。足元の砂は柔らかく、ほんのりと温かかった。私はひたすら前へ歩き続けた。やがて水が足を覆うと、その場に腰を下ろし、水の中に体を沈めた。地面からは、淡く光る草が生えていた。本当に美しい場所だった。心が穏やかになるような場所。か
まぶたが異様に重く感じた。頭がズキズキと痛んだ。目を覚まして最初に気づいたのは、部屋ではなかった。薬草と新鮮な粘土、そして焦げた木の匂いだった。「……私の部屋じゃない」もう一度目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。周囲から突き刺さるような視線が向けられている。私は弱々しい体を無理やり起こし、辺りを見回した。エララが慌てて私のそばに駆け寄り、しゃがみ込む。そして、私の手を両手で包み込んだ。「お姉ちゃん、大丈夫?」心配そうな声で尋ねてきた。「ええ、大丈夫よ」私は彼女の手を振り払った。エララは後ろによろめき、すぐにリヴェンが前に出て彼女を受け止めた。「気をつけて」彼は小さくそうつぶやいてから、いつもの冷たい目で私を見上げた。私は目を回しながら立ち上がった。「何なの、あの子。紙でできてるわけ? ちょっと押しただけで吹っ飛ぶなんて」鼻で笑ってやった。エララは手首をさすった。それなのに、怒るどころか……彼女は微笑んだ。「……でも、お姉ちゃんが目を覚ましてくれて、本当によかった」私は顔を上げた。レインが私を見つめていた。その顔には、ありありと失望が浮かんでいる。「何よ? 誰かを殺したわけでもないのに」一歩踏み出した瞬間、再び映像が脳裏にあふれた。私のものではない記憶。それなのに、確かに私の記憶でもあった。私は川辺に座り、楽しそうに粘土を器に詰めていた。ところが、誰かに触れられた途端、動きを止めた。そして、かっとなって、その人物を川へ突き落とした。ほんの一瞬の断片。私が生きたことのない人生の記憶……いや、元のセレナが生きた人生の記憶だった。「システム」呼びかけたが、返事はなかった。
【ペナルティ選択:感電】私は空を見上げ、雷が落ちてくる気配がないか探した。何もない。私は眉をひそめ、一歩前に踏み出した。それから、もう一歩。ゆっくりと歩き始め、足取りを数えながら、その場を離れようとした。その瞬間、電撃が全身を貫いた。私はその場に凍りつき、体を激しく震わせた。電流が全身の筋肉を駆け巡る。指が硬直した。歯がガチガチと鳴った。視界さえも真っ白になった。それは永遠とも思えるほど長く続いた。脳がショートしたようだった。顔から血の気が引いていく。遠くから、かすかにシステムがカウントダウンする声が聞こえた。【3、2、1】そして……。すべてが静止した。ようやく電撃が止まると、私は勢いよく体を起こした。髪はボサボサに逆立ち、肌は青白くなっていた。私は左を見て、それから右を見た。幸い、こんな姿を目撃した人はいなかった。私は地面に崩れ落ち、大げさに泣きわめいた。「私がいったい何をしたっていうの!? 私はただ、何不自由なく暮らしていた金欠の女子大生だったのに!」私はすすり泣いた。そのとき、足音が聞こえた。一歩、二歩、それからもう一歩。目の前に一組の足が現れた。私はゆっくりと視線を上げた。そこに立っていたのは、エララだった。昇り始めた赤い太陽を背に、彼女のウサギの耳は垂れ下がっていた。エララは息をのんだ。垂れていた耳がピンと立ち上がり、それから再び力なく垂れた。彼女は慌てて私のそばへ駆け寄った。「お、お姉ちゃん……」今にも泣き出しそうな顔だった。「……誰がこんなことを?」
セレナ私はゆっくりと顔を上げた。運がいいのか悪いのか、そこにいたのはオレンジ色の髪をしたキツネ族の男だった。彼は私の顔を見るなり、腰に回していた手を離した。そのせいで、私は地面に倒れ込んだ。「ああっ!」私は悲鳴を上げた。まだ朝なのに、どうしてこんなに痛い目に遭わなきゃいけないの? あなたたち、わからないの? 私、こんな仕打ちを受けるようなことしてないんだけど!【ええと、宿主様。私が謝るべきだったのでしょうか? いいえ、謝罪は未来の自分のために取っておきます。でも宿主様、あなたは別です。盗みを働いたのですから、自業自得ですよ】「いつか絶対に殺してやる……」【そんなことより、まずはご自身の命を守ってください、宿主様】システムの耳障りな笑い声が再び頭の中に響いたかと思うと、完全に消えてしまった。「レインお兄ちゃん、あの意地悪なトラのお姉ちゃんが、ウサギ族のエララをいじめようとしてるの!」小さな女の子が泣きながら訴えた。「……私?」私は目を見開き、自分自身を指さした。オレンジ色の髪の男は私をにらみつけたあと、小さな女の子の頭を優しくなでて安心させた。「レイン様、どうか妹さんをきちんと見ていてください。私たちのような罪のない村人を傷つけるために、あのように暴れ回るべきではありません」女性は恭しく頭を下げると、そそくさとその場を去っていった。女性が立ち去った途端、彼の冷たい視線が私に向けられた。私は反射的に一歩後ずさった。その眼差しは、身も凍るほど冷たかった。この兄弟たち、いったいどこかで冷酷さの特訓でもしているの?私は突然、何事もなかったかのような顔をして一歩下がり、女の子が教えてくれた方向へ歩き始めた。私の小屋があるのは、そちららしい。前へ進めたのは、わずか五歩だった。「セレナ」
【システム、彼の隣でひざまずいているだけでも、一緒に一晩過ごしたことになるよね?】【はい、宿主様。まったく、ネリエンは本当に残酷ですね】私は目を回し、彼の木製ベッドの横にひざまずいた。数分後、彼は何も言わずにベッドへ上がった。私は彼を見ないように、視線をあちこちへ向けた。空中を漂う、ほんの小さな埃の粒までじっと見つめていた。この部屋には時計が一つもなかった。もしかすると、この世界全体に時計というものが存在しないのかもしれない。だから、どれほど時間が経ったのかも、あとどれくらいひざまずいていなければならないのかも、まったくわからなかった。ただ、一つだけ確かなことがあった。私の膝は腫れ始めていた。そして、凍えるほど冷たい木の床にひざまずき続けるのは、耐え難くなっていた。一秒ごとに、針を皮膚へ突き刺されているような痛みが走る。それでも、私は眠ることを拒んだ。もし意識を失ったら、この赤毛の男が何をするかわかったものではない。だから、重くなったまぶたを無理やり開けていた。疲労のせいで、体は時折ふらりと揺れた。眠気で目が焼けるように痛かったが、目を閉じる勇気はなかった。突然、ネリエンが寝返りを打った。彼の顔が、私の顔からほんの数センチのところで止まった。息が喉に詰まった。近くで見ると……。彼はとんでもなくハンサムだった。深紅の眉の下には、赤みを帯びた琥珀色の瞳が輝いていた。長いまつげが、普段の冷たい表情をわずかに和らげている。透き通るような白い肌には欠点一つなく、そして、あの一見柔らかそうな唇……。彼の規則正しい呼吸が私の顔に触れた。温かな息に、背筋がぞくりと震えた。どうして、こんなにも恐ろしい人が、こんなに美しくなければならないの?不公平すぎる。私は思わず、あの冷たい唇がどんな感触なのか想像してしまった。