第14話

「断ってもいい。でもそうしたら、今夜、泉沢が担架で運ばれていくのを見届けることになるぞ」

冷然と言い放ち、蓮は手にしていたシガーを押し消すと、立ち上がって部屋を出ようとした。

「蓮……！」彼女は慌てて立ち塞がった。「あの物件は、私にとって本当に大事なの。母が去年、突然亡くなって……あそこは、母と十年暮らした思い出の場所なのよ。あの部屋だけは、母が私に残してくれたもの。それくらい、あなたも知ってるでしょう？」

蓮はすでに立ち上がっていた。高い体躯が圧を放ち、美夜を冷たく見下ろした。

「知ってるさ。でも、俺には関係ない」

そう言い捨てて、彼は再び歩き出した。

「蓮！」

蓮の背に向かって、美夜は思わず声を上げ、そしてその場に膝をついた。

「お願い、蓮……どうすれば、どうすればあなたの怒りはおさまるの？私たち家族を放っておいてくれるの？私が死ねば、それで気が済むの？」

美夜はこれまで、誰の前にも跪いて頼んだことがなかった。

だが、もう限界だった。今日を凌いだとしても、家を手放したとしても、彼が次に何を仕掛けてくるか、まるでわからない。

まるで、常に首の上に刃を突きつけられているようで、恐怖に苛まれていた。

せめて、終わりにしたかった。

骨肉腫と診断され、どうせ先も長くはない。抗がん剤の副作用に耐えて、髪も眉も抜け落ちる自分を鏡で見るよりは、いっそ死んでしまった方がマシかもしれない。

せめて、それで家族が救われるなら……

蓮はその場で足を止めた。すらりとした背が、彼女に背を向けたまま立ち尽くした。

そして、振り返ることなく淡々と言った。

「泉家の名が地に堕ち、すべてを失って、人間以下の惨めな姿で俺の前に這い蹲ったとき。そのときなら、気も済むかもな」

そう言い終えるや否や、彼は再び無言で出口へと向かった。

その瞬間、階下のホールからもざわめきが響いた。

美夜はすぐさまガラスのカーテンウォール越しに下を見た。

広場では、泥まみれの沢が闘牛に吹き飛ばされ、地面に転がっていた。どうにか体を翻して走り出し、かろうじて致命的な一撃を避けているが……

このままでは、たとえ十分間耐えきったとしても、命に関わらずとも、身体はきっと壊されてしまう。

迷っている暇はなかった。彼女は膝をついたまま、上を向き、冷ややかな背中に呼びかけた。

「家、あげるわ。だから、試合を今すぐ止めて」

もう覚悟は決めていた。だから一気に条件を出した。

「部屋はあげる。でも、あなたの部下が私を連れに来たとき、言ったわよね。二千万円を渡すって。その二千万円、私に頂戴。今夜中に不動産譲渡契約にサインするから」

「はっ」

蓮の低い嗤いが、個室に響いた。ゆっくりと顔を傾け、跪く彼女を振り返った。

「やっぱり、お前ら泉家の血は金にしか反応しないんだな」

皮肉だった。先ほどまで、彼女はあの金は受け取らないと言っていたのに。

今になって、欲しいと言い出した。

だが、美夜は反論しなかった。

金は、必要だ。家を失えば、新たに身を置く場所を借りなければならない。長兄の治療費も、まだ必要だ。

「いいだろう。金は渡す。譲渡契約の準備もする」

そう告げると、蓮はもう一度、彼女に背を向け、出て行った。

蓮が外で何を言ったのか、美夜にはわからない。ただ、彼が去った後、彼女が地面から立ち上がる頃には、階下の闘牛ショーは、すでに中止されていた。

彼女の視線の先では、スタンガンから青白い火花が散り、牛が地面に倒れ込むのが見えた。ボロボロになった兄は、誰かに両腕を抱えられながら運び出されていた。

美夜が服のしわを整えていると、いつの間にか浩司が背後に立っていた。いつものように、ふざけたような、不遜な笑みを浮かべながら言った。

「馬鹿だな、美夜。なんでアイツに頼んだ？俺に頼めばよかったのに」

「本気で助ける気があったなら、今まで黙ってなんかいなかったわ」

浩司とは、幼い頃から一緒に育った仲だ。彼が自分に本気で惚れているわけではないことくらい、彼女にはよく分かっている。

彼が欲しているのは、彼女への征服だけ。

彼女はもう、三年前のあの頃の、何も知らない美夜ではない。

蓮は、彼女の運命の人ではない。そして、浩司もまた、違う。