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第4話

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琉花は全身を硬直させた。

寒気が足下から一気に頭までのぼり、体を巡る血液の流れや感覚が、瞬時にその働きを失ってしまったかのようだった。

大崎暁……さっき何を言った?

琉花はゆっくりを顔をあげて、至近距離にある7年もの間愛していた男の顔を見つめた。

このよく見慣れたはずの顔が、この瞬間、当たり前だと言わんばかりの微笑みを浮かべ、見るにも露骨な眼差しで彼女をじっと見つめていた。まるで彼女に「審美眼改革」でもおこなっているかのようだった。

落胆。

この果てしない虚しさ。

今後はもうあのダサいリクルートスーツを身につけるなと?

綺麗なスカートを履け?

彼の目を楽しませるために?

彼の口から吐き出される言葉の一つ一つが、まるで毒を塗った鋭いナイフのように、彼女の胸に容赦なく突き刺さった。

琉花は口を開いたが、何かが胸につっかえたように一言も発することができなかった。

彼女はただ心の奥底で声も出せずに叫ぶしかなかった。

まさかこいつの口から出た「ダサい」スーツを好んで着ていたとでも?

綺麗なスカートは好きじゃないとでも思っていたのか?

大崎暁……忘れてしまったのか!

過去5年の中で、私は何度もハイヒールにスーツ姿で夜遅くまで接待に付き合い、その時よく言われていたのは、「琉花は本当にすごいよ。まるで女王様みたいにあの人たちを圧倒していたじゃないか!」だ。

それが今は……

私の気持ちも考えず軽い口調で、施しをするような態度。ダサい服を着ていると、私が綺麗じゃないとチクチクと嫌味を言い、さらにはスカートでも履いてお前を喜ばせろだと!

これはこの世で最も残酷で、滑稽な笑い話だろう!

大崎暁、あんたは人としての心を持っているのか!

琉花は彼の顔に浮かんだ嘘くさい微笑みを見つめ、ただただ気分が悪くてたまらなかった。

普段の彼であれば、このような琉花のいつもと違う様子には素早く気づくのだが、この時彼の頭の中はさっきのドレスショップの光景ばかりで、他のことは考えられなかった。

彼は琉花の顎をクイッと上にあげて顔を近づけてきた。「琉花、君が欲しい……」

琉花は全身がゾクッと震えた。彼の噴き出す息が、まるで毒のように自分の体に侵入してくる。

彼女は素早く顔をそむけ、花束を彼の胸元に叩きつけた。突然衝撃を受けて、暁は足下をふらつかせた。

「トイレに行ってくる」

暁は彼女のこのような反応に呆然としてしまった。男なら誰でもこのようにいい雰囲気を壊されてしまえば気分を害するだろう。彼は明らかにその怒りを顔に出していたが、すぐに寛容な笑みへと変えた。

彼は琉花の肩を触り、「分かった、寝室で待ってるから」と言った。

琉花はほぼ逃げるようにトイレに駆け込むと、ドアに鍵をかけて両手を洗面台につき、大きく乱れた呼吸をしていた。

彼女は蛇口をひねり、勢いよく流れ出る水に両手を突っ込み、力を込めてゴシゴシと手を何度もこすってみたが、さっき暁が触ったあの感触がどうしても洗い落とせなかった。

彼の息遣い、感触、欺瞞に満ちた態度……

鏡には真っ青になった顔が映っていた。いつのまにか噛みしめてしまったのか、唇からツーッと一筋の血が伝ってきた。

どうすればいい?

この時、琉花の視界の隅に、鏡台の下からはみ出ている黒い何かが映った。

その瞬間、嫌な予感が胸をよぎった。

彼女は無意識に呼吸を止め、震える手でゆっくりと鏡台の扉を開いた。

その扉の向こうには、適当に丸められて塊になった黒のストッキングがあった。

その太ももにあたる部分に裂け目があった。それは見るも明らかな欲望の痕だった。

その瞬間、琉花は大きな衝撃を受け、頭の中は真っ白になってしまった。

それは自分のものではない。

一度もこのようなものを履いたことなどなかった。

しかし、この結婚後住むために購入した家は、彼女以外にもう一人しか鍵を持っていない。

琉花はその黒のストッキングを握りしめ、大きく呼吸をし、胸が激しく上下していた。心臓が何かによってズタズタにされたような感覚だった。

大崎暁が望月凪咲をここに連れて来たのだ!

「琉花、これから先、この家は唯一君だけのものだ!」3年前、暁が片膝をついてこの家の鍵を渡してきたあの光景が、はっきりと頭に浮かんだ。

しかし今、昔の彼の誓いは、瞬時にこの世で最も毒のある呪いの言葉に変わったのだ。

大崎暁は、二人の愛を裏切り、さらに彼女の尊厳を踏みにじった。

あの男は他の女を連れてこの家に入れたのだ!

心を込めてレイアウトをし、少しずつ作り上げていったこの家に!

あいつらは一体どこで行為に及んだのだ?

リビングにある厳選したウールのカーペットの上か?そこは暁が私を抱きしめて、これから先ずっと一緒に映画を見ようと言った場所。

それともキッチンにある大理石のテーブルの上か?それは彼が昔私のために、不慣れながらも誕生日にパスタを作ってくれた場所。

もしくは……二人が一緒に選んだベッドの上?

そのベッドで将来二人抱き合い一緒に眠る光景を何度も思い浮かべ、子供ができたらいいなと思っていた場所だ。

この時、胃の中が騒ぎ始め、琉花はこれ以上気持ち悪さを抑えることができず洗面台に覆いかぶさり、えずいた。

しかし、胃酸以外には何も出てこない……

そのせいで喉が焼けるようにヒリヒリした。

穢れている!

この家は汚い!

空気でさえも淀んでいる!

あいつらが触れたものは汚れてしまった。

ここにある全てが汚れてしまったのだ!

琉花は火傷した時のように素早い反応であの黒いストッキングを投げ捨てた。

体はコントロールを失ったかのように、ふらふらと後ろによろけ、ドアに全体重をかけて背中からぶつかった。

あの、彼と望月凪咲が車の中で及んだ行為……

あの欲にまみれた無視できない黒ストッキング……

多くのシーンが、目の前に次々と飛び込んできた。

琉花は空虚な瞳をしていた。尽きることのない嫌悪感と屈辱が彼女をがっちりと掴み離さなかった。

そして視線が、床に落ちたストッキングに移った時、彼女はよろけながら鏡台の前に行き、引き出しの中からハサミを取り出した。

そして一切の迷いなくハサミを掴み、もう一度あの吐き気を催す黒のストッキングを持ち上げると、両手を激しく震わせた。

次の瞬間、ハサミを容赦なく振り下ろし、耳を刺す鋭い音を立て始めた。

何度も何度も、琉花はその手の動きを止めることはなかった。

ただこうすることでしか、彼らの家に残る物を消し去ることができないかのようだった。

彼女は涙が溢れ出し、絶望と苦しみに苛まれていた。

そして何かに当たり散らすように、彼女はハサミとストッキングを一緒に床に叩きつけた。

その瞬間、激痛が指先に走った。

左手の人差し指に傷ができていて、真っ赤な血がダラダラと流れ出し、真っ白な床にポタポタとこぼれ落ちた。

その痛みと真っ赤な血を見て、彼女は落ち着きを取り戻した。しかし、冷え切った心は温かさを取り戻すことはなかった。

この時、ドアをノックする音が聞こえてきた。

暁のわざとらしく優しくした声が一枚隔てたドアの向こうから聞こえてきた。その声には幾分か苛立ちと欲望の焦りが混ざっていた。「琉花、もういいか?あまり長く待たせないでくれよ……」

その声を聞くと、まるで拷問でも受けているかのようだった。

このようなセリフ、このようなシーン、過去の日々の中で一体何万回経験してきたことだろう。

すっかり騙されて本当に馬鹿だった!

その瞬間、全ての苦痛、絶望、怒りが込み上げてきた。

これが婚約者……

これが7年もの間愛していた男……

これが「唯一無二」だと思っていたもの……

これからどうすればいい?

7年間の青春、人生で最も輝くはずの7年間、誰がそれを取り戻してくれるというのだ?

誰が救ってくれるというのか……

琉花は近くの床に転がったハサミをじっと見つめ、ゆっくりとそれに近づいていった。そして腰を屈めてそれをもう一度手に握った。

手に触れるハサミの金属の冷たさが、不思議と彼女を慰めていた。

彼女は立ち上がると、一歩一歩、あの虚偽と戯言を隔ててくれている扉へと近づいていった。

その扉を挟んでも、琉花は外にいる男の偽りの笑顔を想像することができた。

ハサミの切っ先はすでに扉に向かっていた。その位置はちょうど暁の心臓のある高さだ。

ハサミを握るその手にはどんどん血の気がなくなっていった。そして恐ろしい考えが彼女の脳裏に浮かび、悪魔の囁きが煩く頭に響いてくる。

このハサミで、深く暁の心臓を貫くのだ!

そしてあの男の心が一体どのような色をしているのか見てやろうじゃないか!

その心は、すでに嘘と裏切りに腐食されて、闇のように真っ黒になっているのだろう!

その場の静けさが異常なまでに恐ろしかった。そこにはただ彼女の激しくも抑圧された息遣いの音しかなかった。そして、外にいる男が叩くノック音が再び響いた。

暫く経って、琉花はゆっくりとドアノブを握りしめた……
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