LOGIN「君なのか……?……今日はどうしてそんな格好をしているんだ?」その時、暁は声を途中で詰まらせて、琉花の体をまじまじと見つめた。スモークブルーのワンピースから化粧をした美しい顔へと視線を移し、無意識にゴクリと唾を飲み込んだ。そして、そんな彼女の変化に困惑したような目つきをしていたが、驚きのほうが大きいようだった。琉花はゆっくりとまるで咲き誇るブルーローズのようにスカートをゆらゆら優雅に揺らし、彼に近づいていった。「似合わないかな?」朝の光が窓を通して目の前にいる彼女を照らし、まるで幻想の光のようだった。恍惚としている中、暁は7年前、白いスカートを着て彼の方へ駆け寄って来る女性の姿を見た気がした。そして彼は昨日の夜、家にいる時に言った言葉を思い出し、彼女がその通りにしてくれたのだろうかと考えていた。まさか琉花は今日、わざわざ自分のためにスカートを履いて、このような方法で譲歩したのか?こうやって仲直りを求めてきているのだろうか?彼女はやはり自分から一歩下がったのだ。琉花が自分の前で意地を張らずに仲直りを求めてきたのだと勘違いした彼は、気分が幾分も良くなるのを感じていた。そしてあの裏に隠した征服欲が再び湧いてきて、酒気帯び運転で捕まった件の怒りがおおかた消え去ってしまった。「似合ってる、もちろん良く似合っているよ。もっと前からこういう格好をしていればよかったんだ」暁はいつの間にか落ち着いた口調になっており、いつものあの偽りの笑みで琉花を見つめていた。彼は琉花が毎回、彼の前で一歩下がりおとなしく言うことを聞くのが好きだった。まるでよく訓練されて飼い主の話を聞く猫のように感じ、自分の支配に置いて逃がさないようにできるようだった。暁「昨日の夜は……俺の言い方があまり良くなかったよ。気にしないでくれ」彼はわざと声のトーンを落とした。「だけどね、琉花、分かってほしいんだ。何があっても俺は君を愛しているよ。全部俺たちの将来のため……」中身の空っぽな吐き気のするその言葉を聞くと、質の悪い毒蛇に再びしつこく絡みつかれたかのように感じた。暁の今の様子なら、彼女はよく知っている。毎回彼が琉花を完全にコントロールできていると思っている時は、いつだってこのように優しく穏やかな眼差しで彼女を見つめるのだ。彼の中では、これを寛大な
しかし、電話の相手はいつまで経っても出なかった。…… すでに暁とは関係を断ち切ると決めたのだから、大崎家に留まり続ける必要などないのだ。琉花はオフィスに戻ると、会社内部のサイトにアクセスして退職の申請を行った。彼女はこの5年間、暁が仕事上で確かに非常に信頼を寄せてくれていたことが分かっていた。携帯やメールボックスのパスワード、会社のアカウントのパスワード、それら全てを彼女に共有してくれていたのだ。ここ数年、必ず暁の許可が必要な手続きも、ほぼ彼女に任されていた。もし、あの日彼の携帯に「表」と「裏」があったのだと気づいていなかったら、彼女は恐らく、今でもまだあの虚構の「信頼」という夢の中にいたのだろう。琉花は冷たく笑い、直接大崎暁のアカウントにログインして、さっきの退職申請を許可した。そして会長の同意が得られてからは、あっという間に残りの手続きが完了した。そしてパソコンに「申請承認」という文字が浮かび上がると、琉花はほっと胸をなでおろした。ようやく、終わる。そして今、最後に退職届に大崎暁本人のサインをもらうのみだ。彼女は時間を確認し、視線をガラスパーティションへ向けた。大崎暁もそろそろ到着する頃だ。そしてすぐ、どっしりと思い足音が廊下のほうから聞こえてきた。暁が暗い顔で社長室に入ってきた。普段のあの陰険な内側を隠して厳格な顔をした様子とは打って変わり、今日は全身から辛気臭いオーラを放っていた。目の下にはうっすらと黒いクマができていて、ネクタイも曲がっている。スーツにも細かく皺が寄っていた。そして彼を見た瞬間に、凪咲が待ってましたと彼に駆け寄り、しおらしい態度を見せ何かを話そうとしていたが、暁に一言「出て行け」と怒鳴られて後ずさりした。琉花はそれが愉快でニヤリと薄ら笑いを浮かべると、視線を戻した。昨夜の警察への通報が功を奏したらしい。思っていた以上の効果だ!昨夜、暁はあまり酒を飲んではいなかったが、それでも飲酒運転に変わりない。それに、彼は世間に知られている人間だ。もし、世間が北見原の短期間で成功を収めた大崎社長が飲酒運転で捕まったと知れば、会社には絶大な影響を及ぼしてしまう。それで彼は、絶対に今回の失態をどうにかして押さえ込む必要があったのだ。30分後には海外のある会社と提携をするオンラ
その言葉を出した時、凪咲は心の中でかなり得意になっていた。暁が琉花との関係を公にすることなど絶対にないと、彼女は誰よりもよく分かっているからだ。東雲琉花が恥をかくのを楽しみにしているだけだ!そう言い終わると、琉花が何も返してこないので、凪咲はいい気になって肩を揺らしながらわざとらしく、しまったと口を手で押さえた。「東雲さん、さっきは何も考えずに言葉が出ちゃって、もし言いたくないなら、言う必要なんてないですよ」彼女がそう言うと、その場にいた社員たちは何か面白いものでも見られるのではないかという期待のこもった表情に変わった。まさかあの噂通りなのだろうか?東雲琉花の婚約者は50過ぎのハゲなのか?そうじゃなければ、どうして彼女は誰にも紹介しようとしないのだ?この時、みんな好奇心旺盛で、知りたくてウズウズしていたのだ。「別にいいですよ。言いたくないわけじゃないですから」琉花のよく通る、切れの良い声が響いた。凪咲はまさか琉花がそのように返してくるとは思っておらず、ふいを突かれてさっきまでの笑顔が瞬時にこわばってしまった。「え?……東雲さん、そんなこと自分で勝手に決めていいんですか?婚約者さんはみんなに教えてもいいって言ってました?」凪咲はうっかり口を滑らせてそう尋ねてしまった。言った後にさっきの言葉はまずかったと後から気づいていた。まるで彼女はこの件について何か知っているかのような口ぶりだったからだ。琉花は何か思ったのか「あら」と声を出した。「望月さん、私のプライベートのことにかなり関心があるみたいですね?だけど、そんなことに気を配るくらいなら、仕事に集中したほうがいいんじゃないですか。ただの契約書を三回もやり直すなんて、今後はあんなミス見たくないですね」この瞬間、その場の空気は一気にピンと張りつめた。傍にいた同僚たちは、空気を読んでその場を和ませようとした。「凪咲もただ思ったことをうっかりそのまま言っただけで、別に何か悪気があって言ったわけじゃないですよ」「そうです、そうですよ!」そしてインターンに来てまだ時間の経っていない内田彩夏(うちだ あやか)は以前からある噂話など聞いたことがないので、琉花が婚約者が誰なのか公表しようとする意に興味を示した。それに、周りが空気を和ませようとしている雰囲気を感じ取って
夜に雨が止んだ。翌日の朝、琉花が会社へ行くと、彼女は多くの人の注目を集めた。エレベーターにある鏡が彼女の今日の姿を映し出した。鏡に映る自分を見つめ、なんだか別人を見ているような気分になった。この日、過去5年の中で、初めてあの真っ黒で重苦しいスーツを脱ぎ捨てたのだ。ピンッ。エレベーターのドアが開いた。ハイヒールの音を高らかに響かせ、秘書のオフィスを通り過ぎた。琉花は少しその足を止めた。この時、凪咲が数人の同僚に囲まれていた。綺麗にメイクしたその顔を隠すことなく得意げにし、手にはモカフェローズの花束を抱えていた。アプリコット色の花弁にはまだ水滴が残っていて、朝早くに送られてきたものだと分かる。あの見たことのある包装、よく知った花束。大崎暁、あんたはそんなに彼女のことを愛しているのか?警察署からも不倫相手に花束を届けるのを忘れないくらいに?「凪咲、あなたの彼氏めっちゃイケてるじゃん。いつだって花束が届くんだもん!」「ホント、ホント。それに比べて、私の彼氏がくれる花束って綺麗じゃないのよね」凪咲は周りからおだてられるのに満足しながら、キラキラと輝く顔で花束を抱えていた。「だけどね、実は彼氏が初めてくれた花は私の好きな花じゃなかったのよ。後から私がモカフェローズが好きだって教えてから、ようやく彼も分かったのよ」彼女は甘ったるい声を出していたが、琉花の耳にはその甘さに毒が混ざって聞こえていた。そうか、あの男は分からないわけじゃなかったのだ。記憶力が悪いわけでもなかった。真実を知って、全ての言い訳が虚しく色あせていった。暁は一度も彼女の考えを大事にしてくれたことはなかったのだ。彼女の好みは、彼の前では真面目に取り合う価値のないものだった。淡い薔薇の香りは、この時鼻を刺す毒薬のように感じられた。琉花はソファの背もたれをぎゅっと掴み、なんとかよろけずに立っていられた。「凪咲、あなたの彼氏って本当に素敵ね!このネックレスってAショップの新作でしょ」ある同僚が近づいて驚いた様子で感嘆を漏らした。「最低でも100万はするのよ!しかも、3か月前には予約しないといけないんだから!」凪咲は口を押さえてクスリと笑った。そしてサラッとそのピンクゴールドのハート形のネックレスに触れた。「まあまあでしょ。彼が一昨
長々と自分の主張を全て吐き出すと、暁はだいぶ落ち着いてきたようだった。彼はシャツのボタンを外し、グラスを手に取りガッと勢いよく酒を飲んだ。「琉花、そんな強情に俺を疑ってくるわけか。そんなんじゃ、俺は本当に息が詰まりそうだよ」その瞬間、部屋は恐ろしいほど静まり返った。暁はタバコを取り出すと、火をつけた。その煙が辺りに漂い、彼の顔をぼんやりとさせた。彼女が7年間愛した彼は、この瞬間に煙のように消えていった。7年に渡る愛は、さっきの言葉で完全に粉々に砕けていった……この時、琉花は静かにベッドの端に腰かけていて、彼のこの「訴え」を聞きながら、目の前に繰り広げられる滑稽なシーンを見つめていた。ただまるで意識が自分の体から離れていき、他人事のように周りから見ている感覚だ。暁はこのように考えていたわけだ。そして、このような状況になると認めざるを得ない。この大崎暁という男は……人間のクズだ!ただ、こいつが最初からこのように最低な人間だったのか、それとも時間の経過とともにそうなっていったのかは分からない。タバコ一本吸い終わり、暁は琉花に近寄ると、上から見下すかのようにベッドに座る彼女を見つめた。すると、さっきの言葉を吐いた人物とはまた別人のようになり、彼は偽りの優しさを纏い、彼女の顔に触れた。それは一匹の猫を可愛がるかのようだった。「琉花、もう二度と俺をがっかりさせないでくれ。気持ちを落ち着かせてさっき俺が言った言葉をよく考えてみてくれな。じゃ、俺は出かけてくるよ」そう言い終わると、彼はベッドの上のスーツを手に取り、寝室を出て行った。ドアが閉まる音を聞いて、琉花はこれ以上耐えきれず、へたりと床に座り込んでしまった。暁、3年前にプロポーズしてきたのはあなただということを、覚えていないのか!あんただ!片膝をつき、指輪を手にしてこの私に結婚してくれと願っただろう!あの時、私に結婚してほしいと懇願してきた。お前が「琉花、俺と結婚してくれ。一生を君に捧げたいんだ!」と言ったのだ。でも、それも忘れてしまったのか……世の男という生き物はみんなこのようなのだろうか。誓った言葉をきれいさっぱり忘れてしまう。そして自分の過ちを認めようと絶対にしない。口だけは達者で、その責任を全て女性に押し付けるのだ。あいつら
暁はドアの外で待たされて、少し苛立っていた。彼はベランダでタバコを吸っていて、一本吸い終わるところだった。夜風が微かに吹いていた。彼は苛立ちを抑えきれない様子だった。その時、携帯のメッセージ通知音が鳴り、彼はメッセージを開くと、チャットに凪咲が送ってきた写真をまじまじと見つめた。そこには黒のストッキングを纏ったスラリと長い足が映っていた。すると彼はイライラしながらタバコの火を消した。なぜだか分からないが、彼は今凪咲に対して満足できなくなっていた。午後、ドレスショップで見た琉花の露わになった腰に、見え隠れするホクロが脳裏に焼きついてどうにも振り払えないのだ。もしくは、手に入れることのできないものに対する渇望なのか?しかし、凪咲は今待っている……暫く沈黙してから、彼は素早く文字を打って返事をした。【待ってて、少し遅れる】とりあえず凪咲を確保しておいてから、彼はすぐに頭の中を切り替えた。今夜、もうすぐ琉花を手に入れることができると考えると、彼は得も言われぬ悦に満たされた。暁は時間を確認し、すでに10分ほど経つというのに琉花がまだトイレから出てこないので、彼は眉間に皺を寄せて、トイレのほうへ向かいドアをノックした。「琉花、もういいか。もう待たせないでくれよ……」その中は静かで物音ひとつしなかった。しかし、暁はなんだか得体の知れない悪寒が全身を這ってくるのを感じた。再び彼がノックした時、ドアノブがカチャッと軽く音を立て、琉花が出てきて後ろ手でドアを閉めた。すると暁はすぐに優しい笑みを作り、彼女の手をとった。「どうしてこんなに長かったんだよ。心配したんだぞ」琉花は気持ち悪さで手をすぐに引っ込めたい衝動を抑え込み、されるがままに彼に寝室へと連れていかれた。しかし、彼女は如何なる反応も示さなかった。暁も彼女の心が自分から完全に離れてしまっていることなど気づきもしなかった。「酒でもちょっと飲む?それか、映画見るとか?俺たちさ、かなり長い間……」彼の声は低く、その手で彼女の腕をさすり、わざとらしく彼女を誘うような雰囲気を出していた。琉花は彼が寝室に入りドアを閉めたのを見て、彼女が心血を注いで仕上げた部屋の中をまじまじと見つめていた。この時、心が完全に冷め、ただ嫌悪しか感じなかった。暁は彼女の様子に気づき







