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02:冬の朝2

last update Last Updated: 2025-08-18 08:49:36

 エリンは孤児だ。

 幼い頃、この教会の前で座り込んでいたところを、司祭が見つけて保護してくれた。

 その時の年頃は四歳か五歳。物心はついていたはずなのに、エリンはそれ以前の一切を覚えていない。

 辺境の地の小さい村で、エリンはずっと異質な子だった。

 ティララや他の孤児たちは、この村の縁者である。親が事故や病で死んでしまって、引き取られた子ばかりだ。

 けれどもエリンは、親の出自どころか、どこから来たのかすら分からない。

 幼児が一人で外から来るわけもない。この村は山奥にあって、隣町は徒歩で何日もかかる距離にある。誰か大人に連れられてきたのは間違いないが、誰も親の姿を見ていないのだ。

 小さな村だから、来訪者があればすぐに分かるはずなのに。

 エリンは自分を部外者だと理解していた。だから十三歳になる今日まで、必死で周囲に溶け込もうとしてきた。

 しかし彼女の異質さは、出自が不明なだけではなかった。

 ふとした時に発動される、人ならぬ力。

 彼女の無意識の願いに応えるように、それらは発揮された。

 先程のような炎。

 手を滑らせて食器を落とした時、何故か手元に戻ってくる。

 高い木の枝に実る木の実を見上げていたら、ぱらぱらと落ちてくる。

 ナイフで指を切ってしまったのに、翌日には傷が消えている。

 それらの力の発現を、エリンは可能な限り隠した。

 異質で気味の悪い子だと、周囲から思われていると知っていた。はっきりと他人の心の声が聞こえた時もあった。

 彼女は率先して働き、小さな子の面倒をよく見て、役に立つ自分をアピールしてきた。

 そうでなければ、「また」捨てられそうで怖かった。ひとりぼっちになってしまいそうで、恐ろしかった。

 幸い、ティララや他の年下の子たちはエリンに懐いている。「お姉ちゃん」と呼んで、エリンを必要としてくれている。

 だから彼女は、子どもたちを目一杯可愛がった。

 そうしていれば、子どもたちは慕ってくれて。

 大人たちも、働き者で面倒見の良い子だと思ってくれるから。

 そうしていればきっと、置いていかれることはないから。

 そう信じて、エリンは今日も一日を始める。

 何も変わらない日。

 けれども実は、誰も気づかないうちに変化はすぐそこまで来ていたのだ。

 彼女はすぐに、それを思い知ることとなる。

 暖炉に火が入ったので、エリンはスープの鍋をかけた。

 食卓に人数分の食器を出して、整える。

 パンかごから堅パンを取り出して、薄く切ってお皿に乗せた。

 火が強まり、部屋が徐々に暖まってくる頃、食堂のドアが開いた。

「おはようございます、司祭様」

「おはよう、エリン。今日も早いね」

 司祭は微笑んで挨拶を返した。今年で五十歳になる司祭は温厚な性格で、エリンに心を配ってくれる。村人たちからの信頼も厚い人だ。

 けれどもエリンは知っていた。

 彼はエリンの『力』に薄々気づいている。気づかないふりをしながら、どう扱っていいものか判断できないでいる。迷いながら、心のどこかで恐れ嫌悪している……。

 だから、エリンと司祭の間には距離があった。決して埋まらない距離が。

「ティララと、男の子たちを起こしてきますね」

 エリンは言って、食堂を出た。彼と二人きりでいたくなかった。

 女子部屋でティララを起こして、次に男子部屋へ。二人の男の子はやんちゃ盛りで、寝相もめちゃくちゃだ。枕はベッドから落ちかけて、足と頭の位置が逆になっている。

「ほら、起きて! 朝だよ」

 カーテンを開けて声掛けをすれば、男の子二人分、フェイリムとアルバの寝ぼけまなこが見えた。

 年上のフェイリムは七歳。アルバは五歳である。

「ねむーいー。もうちょっとだけ」

「だめ。もう司祭様も起きてるらっしゃるんだから。早く起きて、食堂まで来なさい!」

「むにゃ……」

 もう、とエリンはため息をつくが、その表情は明るい。

 手のかかる子たちだけれど、エリンは彼らが好きだった。もちろんティララもだ。

「早くしないと、朝ごはんがなくなっちゃうよ。二人の分まで私が食べちゃうよ?」

「エリンねえちゃんは、そんなことしないもん」

「ねー」

「いいから起きる!」

 毛布を引き剥がすと、男の子たちは寒さにくしゃみをした。

 少し目が覚めたところで手を引っ張って起こす。

「エリンおねえちゃん、アルバとフェイリム、まだ起きないの? ねぼすけだね」

 一足先に起きて身支度をしたティララが、戸口に顔を出した。

「今、起きたとこ!」

「ねぼすけじゃねーし」

 彼らは口々に抗議をした。年上のエリンに甘えるのはいいが、同年代のティララに馬鹿にされるのは嫌であるらしい。

 冬の寒さを吹き飛ばすような騒々しさの中で、エリンは今日という日常の始まりを感じていた。

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