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03:昼下がりの事件

last update Last Updated: 2025-08-18 08:50:01

「エリン。今日の予定は何だったかな?」

「サフィおばさんの家で集まって、女性たちみなで編み物をしてきます」

 朝食後、片付けをしながら、エリンは司祭の問いに答える。

 司祭は微笑んだ。

「そうだったね。エリンはずいぶん編み物が上達したと、サフィから聞いている」

 ――この子の身元さえ確かであれば、良い花嫁になれただろうに――

 肉体の声と精神の声が同時に聞こえて、エリンは思わず目を伏せた。

 時々、こういうことがある。望んでいないにも関わらず、その人の本音が聞こえてしまうのだ。

「エリンおねえちゃん、どうしたの?」

 片付けを手伝っていたティララが、心配そうに覗き込んできた。

 エリンは笑顔を作って誤魔化した。心を切り離して笑ってみせるのは、エリンの得意とすることだった。

「なんでもないよ。編み物頑張ろうって思っただけ」

「うん」

 ティララの肩をぽんぽんと叩いてやると、幼子はようやく安心したようだった。

「おれたちは今日、ソリ遊びをするよ!」

 フェイリムが言った。

「スキーをしたいのに、もっと大きくならないと駄目だって言われた」

 もう一人の子、アルバは不満そうにほおをふくらませている。

 エリンはくすくす笑いながら答える。

「スキーは道具がいるし、山の方まで行かないといけないもの。もう少し大きくなってからね」

 その点、ソリならばどこでもできる。

 なにせ積雪がすごくて、建物の一階部分は雪に埋まってしまうくらいなのだ。二階建ての民家の屋根は、ソリ遊びにちょうどいい斜面になるのだった。

「それでは、今日という日をまた無事に過ごせますように。主神オーディンの加護を祈りましょう」

 すっかり片付いた食卓にもう一度集まって、オーディンの名を唱えながらお祈りをする。

 そうして一日が始まった。

 サフィの家には村の女性たちが集まっている。

 エリンも持参した毛糸と編み針を持って、部屋の隅の床に座った。

 椅子やソファはもう人でいっぱいだったし、絨毯が敷かれた場所にも他の人がいる。

 むき出しの床に座ったエリンを見ても、誰も場所を譲ってはくれない。お茶を出してもらうこともない。

 いつものことなので、エリンは気にしていなかった。

 むしろ嫌味を言われて追い出されないだけ、ほっとしていた。

 そうして午前中をサフィの家で編み物に費やし、昼に差し掛かった時のことだった。

 突然――地響きとともに地面が揺れた。

「え? 何?」

「地震かしら。それともまさか、雪崩?」

 集まって編み物をしていた女たちが、ざわざわとざわめいた。

 地響きは二度、三度と繰り返し、収まるどころかより勢いを増していく。

 オォォォオオォ――!!

 地響きの合間、意外なほどの近さで獣の咆哮が響いた。

 ぞっとするような憎しみの籠もった叫びだった。誰もが凍りついたように身をこわばらせる。

 ――なんだ、あれ! 獣!?

 ――猪?

 ――猪なわけないだろ! でかすぎる!

 エリンの頭の中に声が響く。ここはにいない、でも聞き慣れた声。ティララたちの声だ。

 すぐ近くにいる女たちのざわめきが遠くなり、子どもたちの声が近くなる。

 ――こっちに来る! 逃げろ!

 ――アルバ、早く!

 ――雪に足が、はまっちゃったよぉ!

 ――くそ、分かった、今助けるから! ティララは先に逃げてろ!

 同時に脳裏に映像<ヴィジョン>が浮かぶ。

 雪にはまって泣いているアルバ、なんとか助けようとしているフェイリムとティララ。打ち捨てられてひっくり返ったソリ。

 そして、彼らに迫る大きな影……。

「ティララ! フェイリム、アルバ!」

 エリンは叫んだ。

 奇異の目で見る女たちを気にする余裕すらなく、家を飛び出した。

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