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結婚して七年、夫は息子を連れて再婚した
結婚して七年、夫は息子を連れて再婚した
作者: ダチョウ

第1話

作者: ダチョウ
神崎蒼介(かんざき そうすけ)との「秘密の結婚」は、もう七年になった。

蒼介は、ようやく盛大な結婚式を開いてくれると言った。

だが、会場に入った瞬間、目の前にいるのは特注のウエディングドレスに身を包んだ白石千紗(しらいし ちさ)と、彼女を熱く抱き寄せて唇を重ねる蒼介の姿だ。

五歳になる息子の神崎蓮(かんざき れん)が隣で「ママ」と叫んでいた。

私を見つけると、千紗は急に目を赤くしてその場にひざまずいた。

「やっと蒼介さんに辿り着けたの。お姉ちゃん、お願い、私たちを引き裂かないで!」

反論しようとする間もなく、蒼介の言葉が私の体を凍らせた。

「俺と千紗の結婚式だぞ。どこの馬の骨とも知れない女が、勝手に入ってきていい場所じゃない!

誰か、あの女を外に出せ!」

皮肉な笑みを浮かべながら会場の外に立ち尽くし、七年の愛も結婚も、結局は茶番だと悟った。

その瞬間、蒼介から電話がかかってきた。声は苛立ちに満ちている。

「千紗はお前のせいで散々苦しんだんだ。正式な妻の座は、どうしても彼女に渡す。

離婚したくないなら、これからもおとなしく俺の『愛人』でいろ」

私は冷笑して通話を切った。

いいだろう。見せてもらおうじゃない。あの男がどれほどの顔をして、国内有数の資産家の娘を愛人にできるのか。

――そのとき、会場の中で結婚行進曲が鳴り始めた。

通りすがりの人たちの嘲りの笑いが耳に刺さり、頬が焼けるように熱くなった。胸の奥が酸っぱく痛んだ。

結婚したとき、私たちが交わしたのはただ一つの指輪だけだった。蒼介は婚姻が公になる時に、世界で一番豪華な挙式をしてやると約束してくれた。だが今日、新婦として立っているのは、私から十八年の人生を奪った「偽りのお嬢様」だ。

悔しさと憎しみが込み上げ、視界が涙で滲んだ。

歩き出そうとしたところ、蒼介が追いかけてきた。

説明に来たのではなく、厚かましくも脅しに来るのだ。

「もう見たんだろう。なら、はっきり言う。あのときお前が白石家に戻ってこなければ、俺が正式に結婚していたのは千紗だった。

だが、子どもを産んでくれた恩もある。おとなしく言うことを聞いて、千紗に真実を気づかせなければ、これからも俺の『愛人』としてそばに置いてやる」

七年という年月が、男にとってはただの「愛人を囲う時間」に過ぎなかったと知り、胸が鈍く裂けるように痛みをこらえながら、言葉を一つずつ噛みしめて、私は答えた。

「いいわ。なら、あなたたちの望みどおりにしてあげる。明日の朝八時、役所で待ち合わせよ。そこで決着をつけましょう」

蒼介は、私が一切ためらわずに離婚の話を切り出したことに、驚いたように目を見開いた。

言葉を発するより早く、会場の奥から実の両親が駆け出してきた。

二人は、私と蒼介が「秘密の結婚」をしていたことを知っているはずなのに、まるでそれを否定するように怒鳴りつけた。

「恥知らずめ、蒼介を誘惑するなんて!」

その声が響くと、あっという間に周りがざわめき出した。

嘲りと軽蔑が入り混じった視線が一斉に私に突き刺さり、息が苦しくなった。

掌を強く握りしめ、痛みで気持ちを落ち着かせようとした。

そこへ駆けつけた親友の小野美羽(おの みう)が、私の親を指さして怒鳴った。

「ふざけないで!どっちが誰を奪ったっていうの?蒼介はもともと楓(かえで)の婚約者だったでしょう!」

その一言で、空気が一変した。

「そういえば、楓が白石家に戻って間もない頃に、蒼介と婚約してたよな」

「あの子、千紗より楓に似てない?」

――そうだ。息子が生まれたあのとき、私は蒼介との結婚を公表しようとした。

「私生児」だなんて言われたくなかったから。

でも蒼介は、「今のままでいい」と言って拒んだ。

ようやく分かった。彼が隠した理由は、みんなに「子どもは千紗の子」だと思わせるためだったのだ。

もし養父母――篠宮(しのみや)夫妻に知られたら?

唯一の外孫が「他人の子」にされたと知れば、神崎家を地獄に落とすだろう。

両親が言葉を失ったその瞬間、蓮の声が響いた。

「この人が僕の本当のママだ。あの女なんて知らない」

その冷たい声が、棘のある刃のように胸に突き刺さる。

彼は千紗の手を引き、私を見る目は氷のようだ。

千紗はそのまま蒼介の隣に立ち、穏やかに、けれどはっきりと口を開いた。

「お姉ちゃん、今は私が蒼介の妻よ。たとえお姉ちゃんでも、子どもと夫のために戦う」

――彼女の「子どもと夫」?

思わず、喉の奥で笑いが漏れそうになった。

三人が手をつなぎ並ぶ姿は、まるで絵に描いた家族のようで、その眩しさが、目を刺すほど痛かった。

蒼介は知っている。私がどれほど、彼と子どもと三人で胸を張って街を歩くことを夢見ていたかを。

そして今、その幻想を彼自身の手で粉々にしたのだ。

涙が一筋、頬を伝った。

もう誰にも見下されたくなくて、美羽と共に背を向け、会場を出った。

外に出て、震える指でスマートフォンを取り出すと、執事からのメッセージが目に飛び込んだ。

【お嬢様、調査が完了しました。あの「結婚」はやはり偽装されたものでした。現在、旦那様と奥様も事実を把握し、戻られる途中です】

――愛だけじゃない。

結婚そのものまで、全部が偽りだったのだ。
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