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第543話

Author: 藤原 白乃介
彼女はもう智哉の決断を察していた。

でなければ、ここで彼女を見守らずにいないはずだ。

佳奈は苦しそうに目を閉じた。

涙がこぼれ、枕を濡らしていく。

手放したくない。離れたくない。

もし自分まで智哉から離れてしまったら、彼は一人きりになってしまう……

「諦められない」

彼女は首を振り、震える声で言った。

「彼が私と別れるなんて、信じられない。この感情を捨てられるなんて、信じられないわ。知里、彼に会いたい」

知里はティッシュを取り出し、佳奈の涙を拭いながら言った。

「M国に行ってるの。数日したら戻るって、私に付き添うように言われたわ」

「この間、他に何かあった?教えて」

「まあ、ほとんどがビジネス上の争いね。高橋家は晴臣に掌握され、智哉は勢いを失った。橘家と遠山家のビジネスも下降線のままよ」

「斗真は本当に頼もしかったわ。クラブを売って、白川家の本拠をB市に移したの。彼は白川家の当主の座も引き継いだ」

「あの子、随分成長したわ。佳奈、あなたのおかげよ」

「あなたが良くなったら、一緒にレースに行こうって言ってたわ」

知里の話を聞きながら、佳奈は少しずつ冷静を取り戻していった。

みんなが必死で努力している。この絶望的な状況から抜け出そうとしている。

彼女と智哉だって、きっとできる。

一週間後、智哉がM国から帰ってきた。

明らかに痩せこけ、鋭い輪郭がより際立っていた。

上着を脱ぎ、佳奈の前に立つ。

深い眼差しでじっと彼女を見つめる。

二人は十数日ぶりの再会だったが、誰も口を開けなかった。

お互い、相手が何を言おうとしているかわかっていたからだ。

どれくらい経っただろうか。

智哉は嗄れた声で言った。

「佳奈、調子はどうだ?」

佳奈は淡く頷いた。

「だいぶ良くなったわ。そっちは?」

「楽観できる状況じゃない。でも姉は警察から出られて、M国の家にいる。出国禁止で帰国できないけど、事件が終わるまで待つしかない」

「証拠は?見つけるのが難しいの?」

「機密に関わるから詳しくは言えない。だが、全力で交渉する。一日も早く姉を連れ戻せるように」

「……そう。奈津子おばさんとおじいさんも、早く連れ帰っ
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