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第3話

Author: 白い森の王
激しい感情の波がその夜、再び私を危篤に追い込んだ。呼吸は荒くなり、血中酸素はどんどん下がっていく。

人工呼吸器を使う寸前だった。

ずっと私を看てくれていた看護師長の佐藤(さとう)は涙ぐみながら薬を打ち、背中を優しく叩いてくれた。

「桜、しっかりして。頑張るのよ。神山教授はもう成功したんでしょう?昨日ニュースで見たの、あの新薬が奇跡を起こしたって……」

そう言いながら、彼女の声は震えた。

「覚えてる?あんたが倒れたばかりの頃、神山教授がどれだけ大事にしてたか。夜通しベッドのそばにいて、『桜、怖がるな。俺が必ず助ける』って手を握ってたのよ……ようやく成功したんだから、もうすぐ楽になるはずよ」

私はその言葉を聞きながら、唇の端をわずかに歪めた。

少し落ち着いたあと、佐藤が湯を汲みに出ていった。病室には私ひとりだけが残された。

そのとき、扉の向こうに玲奈の姿が現れた。

手には小さな薬箱を持ち、眩しいほどの笑みを浮かべていた。

「桜さん、見て?これ、先生が開発した新薬よ」

彼女はわざと薬箱を私の目の前で揺らし、すぐに引っ込めた。

「でもね……この薬、とても高いの。一本1000万円もするのよ。桜さん、今は入院費も払えてないんでしょ?たぶん、使えないわね」

私は息を整え、かすれ声で言った。

「……両親が残した医療基金がある」

「あの二億円のこと?」

玲奈はふっと笑った。

「桜さん、まだ知らないんだ?」

彼女はベッドに近づき、見下ろすように私を見つめた。

「そのお金、もうとっくに先生が使い切っちゃったの」

「嘘よ!」

私は上体を起こそうとして、身体が震えた。

「嘘?」

彼女はスマホを取り出し、一枚の写真を私の前に投げた。

財務報告書の画像——資金の出所と使途がはっきり記されていた。

「見て。先生はそのお金で研究室を建てて、川沿いの別荘を買って、高級車を乗り回してるの」

「それからね……」と彼女は笑って指差した。「この生活費の欄、私のよ。全部で二千万円以上になってるわ」

全身の血の気が引いた。震える指先でその報告書をなぞる。

——私に使われた医療費の欄はあまりにも少なかった。

「ねえ、どうして桜さんの病気がこの十年間、少しも良くならずに、むしろ悪化していったか……分かる?」

玲奈は顔を近づけ、一言ずつ区切るように囁いた。

「先生が飲ませてたのは——治療薬なんかじゃないの。

対照群用のプラセボよ。

ただのビタミン剤」

頭の中が真っ白になった。音がすべて遠のいていく。

「あんたは自分を先生の婚約者だと思ってた?」

彼女の声がまるで別の世界から聞こえてくる。

「あんたはね、彼の実験の対照群——生きたサンプルにすぎなかったのよ。

先生は新薬の効果を証明するために、あんたみたいな対照が必要だった。本物の治療を与えず、病状を自然に進行させることでしか、データが取れなかったの。

この十年、先生に救われていると思ってたんでしょう?

でも先生はね——あんたが少しずつ死に近づいていく様子を、ただ記録していただけ。

それに、親御さんが遺した治療のためのお金、先生は全部自分の栄光のために使ったのよ」

口を開こうとしても、声が出なかった。

モニターの数値が激しく跳ね上がる。

玲奈はその反応を見て、満足げに微笑んだ。

「今じゃ新薬は成功して、学会でも天才だって騒がれてる。でもね、誰も知らないの。この薬、本当は——最初からあんたを救えたってことを」

彼女は私の耳元に唇を寄せて、低く囁いた。

「だって、あんたが生きてるほうが——死ぬより価値があったからよ。

先生がこの半年、あんたに会いに来なくなった理由、知ってる?

もうデータは揃ったの。だから、もう用済みなの。

だから今——死んでもいいのよ」

胸が締めつけられ、呼吸がどんどん浅くなる。

警告音が鳴り響く。

玲奈はゆっくりと立ち上がり、服の皺を整えた。苦しむ私を見下ろしながら、その瞳には一片の憐れみもなかった。

「桜さん、恨まないでね。悪いのはあんたが愚かすぎたこと」

そう言って、扉を強く閉めた。

佐藤が飛び込んできたとき、私はすでに唇が紫に変わっていた。

「桜!桜、頑張って!」

彼女は酸素マスクを直し、緊急ボタンを押した。

医師たちが駆け込み、必死の蘇生が続いた。やっとのことで、私のバイタルが安定した。

「佐藤さん、佐久間さんの情緒が大きく揺れています。このままでは危険です。できるだけ安静を保たせてください。さもないと……」

医師は言葉を濁した。

——このままだと、私は死ぬ。

玲奈の言った通り、静かに死ぬ。

でも、私は——死にたくなかった。

「桜、怖がらないで。神山教授に話してくる。きっと何とかしてくれるわ」

佐藤は涙を拭いながら言った。

「いいえ」

私はかすれた声で口を開いた。

彼女が驚いたように私を見る。

「佐藤さん、私を信じてくれますか?」

「当たり前でしょ、信じるに決まってる」

「じゃあ……お願いがあります」

私は枕の下から一枚の紙を取り出した。

「これを持って、調べてほしいんです。この十年間、私が飲んできた薬が——一体なんだったのか」

紙にはすべての薬名が書かれていた。

佐藤はそれを受け取り、震える声で言った。

「桜……まさか、何か気づいたの?」

私は答えず、ただ目を閉じた。

——証拠が欲しかった。

確かな証拠が。

三日後、佐藤はひそかに検査結果を持って戻ってきた。

報告書を見た瞬間、彼女の目から涙が止まらなくなった。

「桜……これ、全部ただのビタミン剤よ。そしてブドウ糖の注射液……どうして、こんな……あんた、いったい何を飲まされてたの……」

私は報告書を受け取り、冷たい数値に指を滑らせた。

ビタミンB群、ビタミンC、それにブドウ糖。

——どれひとつとして、私の病気を治す薬ではなかった。

玲奈は嘘をついていなかった。

時矢は、本当に私を——対照群として扱っていた。

生きたサンプルとして。

「佐藤さん」

私は顔を上げた。涙はもう出なかった。代わりに、静かな声がこぼれた。「お願いがあります」

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