ログイン電話の向こうから、宏が怒りで息を荒げる音が聞こえた。「なんだと?お前、一体何を考えている!おれがお前を本家へ送り込んだのは、おれに逆らって説教させるためじゃないぞ!自分が誰の息子か忘れたのか!」宏の激しい怒声が響く。「この件はもう決まったことだ。ガキが口出しする余地はない。少しばかり会社に馴染んだからといって、一人前になったつもりか!」宏の意志は頑なだった。どんな手を使ってでも息子を従わせ、自分の計画を遂行させるつもりだった。彼にとって、拝島グループは血の繋がった「自分たち一族」のものなのだ。よそ者の血が流れる律が実権を握り続けることなど、断じて認めるわけにはいかない。兄である正人には、渡すべき持ち株の分は一銭たりとも減らさずにきっちり渡してやるつもりだ。だが、それはあくまで「彼が手にするべき正当な分」に限る。正人がそれ以上に欲をかいて、会社の実権まで牛耳ろうと大口を叩くようなら、絶対に許すつもりはない――それが宏の考えだった。とはいえ今は、その正人と内輪揉めをしている場合ではない。まずは腹の探り合いを一旦横に置き、一致団結して一刻も早くあの忌々しい拝島律をこの家から完全に追い出すことが最優先なのだと、宏は固く心に定めていた。「大人たちが裏で何を企もうと勝手だけど、これ以上僕を巻き込まないでくれ!」颯馬は激しい憤りを堪えきれず、受話器越しに声を荒げた。「本当にうんざりだ。どうして父さんたちは、そうやっておばあちゃんの財産にばかり執着して、すべてを自分たちのものにしようとするんだ?確かにおばあちゃんは父さんの母親かもしれない。でも、これまで父さんたちは親孝行らしいことなんて何一つしてこなかったじゃないか。それなのにおばあちゃんから会社を奪い取って、少しも良心が咎めないのか!?」颯馬には、父親たちの強欲さが到底理解できなかった。これほど醜い骨肉の争いを前にして、颯馬の心にあるのは底知れぬ虚しさと、長年たった一人で耐え忍んできた祖母に対する深い同情だけだった。「もう僕に構わないでくれ。自分たちで勝手に決めたことなら、勝手にやればいい。これ以上、僕を利用するのはやめてくれ。……僕は、おばあちゃんを苦しませたくないんだ。あんなに高齢のおばあちゃんを、よってたかって追い詰めるなんて異常だよ」電話の向こうの重い沈黙に向かって
颯馬は少しも怯まなかった。自分の言葉が過ぎるとは微塵も思っていなかったからだ。度を越して厚かましいのは、どう考えても父親の方だ。何年もの間、ただの一度も自ら志津のもとへ足を運んで寄り添うこともなく、親孝行らしい真似など何一つしてこなかった。志津が体調を崩した時も、会社が危機に瀕した時も、宏はどこ吹く風で遠い異国から一切関与しようとしなかったではないか。それなのに、自分の都合の良い時だけひょっこりと帰国し、「自分の妻と息子を認めろ」「会社を寄越せ」と強要する。そんな身勝手な論理が罷り通るわけがない。あまりにも目に余る両親の振る舞いを見過ごせず、颯馬はこうして電話をかけたのだ。だが、宏はそんな息子の思いなど意に介さなかった。「お前はおれの息子だろう!自分がどこの側なのか忘れるな!」宏の声は苛立ちと焦りに満ちていた。「いいか、おれがここまでして志保を母さんに認めさせようとしているのも、すべてはお前のためなんだぞ。母さんがお前たち母子を受け入れるということは、私たち『家族』を正当だと認めるということだ。そうなれば、ゆくゆくお前が会社を継ぐための道筋もスムーズになる」宏の語気はさらに強まった。「おれは母さんの実の息子だ。そもそも、この会社はおれが継ぐべきなんだ!正人の兄貴がどんな器か、お前もよく分かっているだろう。毎日ふらふらと遊び歩いているような男に、拝島グループの重荷が背負えるわけがないんだよ」「だからこそ、おれたちがここで動くしかない。母さんに志保を認めさせ、おれたちの権利を確固たるものにしなければ、会社を手に入れるチャンスは巡ってこないんだ!」電話の向こうからまくし立てる父親の言葉に、颯馬は胸が悪くなるのを感じた。すべてに私欲が絡んでいる。父親の口から出る「家族の絆」など、権力を奪うための大義名分にすぎないのだ。父親はこれらの緻密な計画を最初から練り上げていたにもかかわらず、本家へ送り込む直前まで颯馬にだけは隠していた。それは決して「重荷を背負わせたくなかった」からではなく、単に自分の手駒として都合よく動かしたかっただけなのだ。「おれがこうして奔走しているのは、全部お前の明るい未来のためなんだぞ。おれだっていい歳だ。お前には最高の環境を用意してやりたいんだ!お前の能力が律に劣っているなんて、おれはこれ
その言葉の裏にある真意を、颯馬はしっかりと受け止めていた。それは、父が連れてくる母・志保を「拝島家の女」としては絶対に受け入れないという断固たる拒絶であり、同時に「たとえ親たちがどう足掻こうと、宏に会社を渡すことは決してありえない」という最終宣告だった。志津の中で、後継者は律ただ一人。周りがどれだけ騒ぎ立て、策を弄しようとも、律以外の人間が拝島グループのトップに立つことなど天地がひっくり返ってもあり得ないのだ。聡明な颯馬は、祖母の胸の内を完全に理解していた。そして颯馬自身も、祖母を追い詰めてまで父親たちに権力を握らせたいなどとは、最初から微塵も思っていなかった。結局のところ、ここへ来る前から彼の中では答えが出ていたのだ。両親の身勝手な振る舞いに挟まれて思い悩むこと自体、とうに意味のないことだったと、颯馬は静かに悟った。「颯馬、お前は本当に真っ直ぐでいい子だ」志津は目を細め、深く頷いた。「おばあちゃんは、お前にずっとその純粋な心を持ち続けてほしいと思っているよ。その初心を忘れない限り、お前の未来は必ず素晴らしいものになるだろう。いつか、律を超える日が来るかもしれない。もしそうして兄弟で強く手を結ぶことができれば、この会社はもっともっと良くなるはずだ」志津は穏やかな声のまま、少しだけ言葉に熱を込めた。「あるいは、この会社に縛られず、別の分野で自分の道を切り拓きたいと思うならそれもいい。お前ならどこで何をしても、きっと立派にやり遂げるはずだ。ただ一つだけ……どこへ行っても、決して欲に呑まれてはいけないよ」そして、諭すように付け加える。「お前のものは、いつまでもお前のものだ。だけど、自分のものではないものを無理に奪おうとしても、決して手には入らない。……お前の伯父の正人のようにね」志津はもう長く生きている分、あらゆる物事を達観して受け止めていた。すべてを見越したうえで颯馬にここまで語ったのは、彼が本当に心根の優しい孫だと分かっていたからこそ、彼にだけは真っ当な人間になってほしいと願ったからだ。「おばあちゃん……大切なことを話してくれて、ありがとうございます」颯馬は真摯な面持ちで答えた。「おばあちゃんがこれまで一人でこの拝島家を背負い、どれほど苦労してきたか……痛いほど分かります。会社を誰に任せるか決めるのは、お
それは、志津の心の奥底から絞り出された切実な願いだった。彼女のなかで、すでに息子との情やしがらみはとうの昔に消え失せている。自分の年齢を考えれば、今さら過去の諍いに腹を立てるのも無意味なことだった。だからこそ志津がただ一つ願うのは、孫の颯馬が父親の身勝手さに毒されることなく、律と共に心から拝島グループの未来を支えていくことだった。「……おばあちゃん、僕も同じ気持ちです」颯馬は真摯なまなざしで頷いた。「僕が国内に残ると決めたのも、律兄さんのそばで色々なことを学びたいと思ったからなんです。兄さんは、僕がこれまで出会った誰よりも凄い人です。どんな状況でもブレない芯があって、明確なビジョンを持っている」颯馬の言葉には一点の曇りもなかった。「僕がこの会社にいられるのも兄さんのおかげですし、心から尊敬しています。だから安心してください。僕は兄さんの下で、これからもしっかり勉強します。いま、こうしておばあちゃんのそばにいるのも……裏で何かを企んでいるからじゃありません」そう口にしながら、颯馬は胸の奥が少し痛むのを感じた。確かに以前は、別の思惑があった。本家に乗り込んだのは父親や伯父の正人に同調し、彼らの手駒として立ち回るためだったからだ。だが、実際に律や志津のそばで過ごし、彼らの本質に触れるうちに、父親たちが吹き込んできた悪意ある憶測が全くの嘘だと気づいたのだ。「お前自身の口からその言葉が聞けて、安心したよ」志津は温かく微笑みかけた。「私が会社を律に任せると決めたのには、もちろん大きな理由があるんだ。あの子はこの拝島家のために、どれだけ多くのものを犠牲にして尽くしてくれたか……いまの拝島グループがあるのはね、紛れもなくあの子一人の血の滲むような努力の賜物なんだよ」志津の口調には、律に対する深い信頼と愛情が滲み出ていた。「私のなかではね、とっくの昔に律は実の孫さ。本当の家族なんだ。だから、周りがどれだけ騒ぎ立てようと、私がこの考えを変えることは絶対にない。他の欲深い連中に会社を渡すつもりなんて、毛頭ないんだよ」そこで志津はふと口調を和らげ、愛おしそうに颯馬を見つめた。「ただね……もしお前が幼い頃から、海外ではなくずっと私のそばで育っていたなら。その時は、律とお前を公平に競わせて、ふさわしい方に会社を譲ろうと考えたか
その言葉を聞き、志津の目はわずかに見開かれた。さすがの彼女も、息子が外で作った女を堂々と本家へ連れてくるとは予想していなかったようだ。だが、驚きの表情はすぐに消え、静かなため息へと変わる。「……いいかい、颯馬。お父さんと律の母親はね、まだ離婚していないんだ。名目上は今でも夫婦のままだよ」志津は言い聞かせるように、穏やかな声で語り始めた。「お父さんは何年も海外に居着いたままだろう。いっそ綺麗に別れさせて、お互いに自由になった方がいいんじゃないかと考えたこともあったよ」「でも、律の母親は決して首を縦に振らない。拝島のような大きな家となると、色々と複雑なしがらみもあるしね……お父さんと律の母親が、これまでどんなふうに仮面夫婦を続けてきたか、お前もよく知っているだろう?」志津は軽く目を伏せると、すべてを見透かしたような冷ややかな笑みを浮かべた。「本当のことを言えばね、私が二人の関係を認めるかどうかなど、宏やお母さんにとっては実はどうでもいいことなんだ。わざわざ私のところへ乗り込んでくるのは、別の狙いがあるからさ。私に『正式な妻』として認めさせることで、宏は会社を完全に自分の支配下に置き、ゆくゆくはお前へ継がせたい――ただそれだけのことさ」「でもね、そうはいかないよ」志津の口調は淡々としていたが、そこには決して揺るがない絶対的な意志が宿っていた。「拝島グループの全権は、すでに律に譲ると決めているんだ。彼が今後、このグループを率いていく。この决定は絶対だよ。誰がどう足掻こうと、私の考えを変えることはできない」彼女は背筋を伸ばし、迷いのない眼差しで告げた。「だから、宏が来たらこう伝えなさい。『私が二人の関係を認めたところで、一体何になるのか』と。あの子たちが誰と離婚して誰と結婚しようが、私の知ったことじゃない。長年、家族を放り出して好き勝手してきた挙句、年老いた母親を心から気遣ったことすらない。そんな親不孝者の勝手な振る舞いなど、今さらどうでもいいんだ」颯馬はただ、声もなく祖母を見つめるしかなかった。てっきりショックで倒れてしまうのではないかと案じていたが、志津の態度は拍子抜けするほど静かだった。一族の身勝手な思惑など、とっくの昔に見抜いていたのだ。確固たる決意を持った祖母の姿に、颯馬は察した。ここまで志津が腹を
万が一、母の件でおばあちゃんの具合が再び悪化するようなことがあれば、颯馬は一生自分を許せなくなる。しかし、当の両親にはそんな祖母の体を気遣う様子など微塵もない。「自分たちを認めさせたい」というエゴだけで突き進んでいる。それがどうして今なのか。父は伯父たちと何を企んでいるのか。父や伯父たちの腹の底には、底知れない黒い算段が渦巻いている。だが、誰一人としてそれを明確に口にしようとはしないのだ。その薄気味悪さと身勝手さに、颯馬は内心で深い嫌悪と徒労感を抱いていた。父親が何を企んでいるのか、今となっては颯馬に本音を明かそうともしない。都合のいい道具として扱われていることは明白だった。それでも、何があろうと長年苦労を重ねてきた祖母だけは絶対に傷つけたくない。「颯馬、何かおばあちゃんに言いたいことがあるんじゃないかい?」志津の穏やかな声が響いた。彼女は、孫が部屋に入ってきた時からその態度に違和感を抱いていたのだ。言葉の端々に、何かを暗示し、予防線を張るような気配を感じ取っていた。「そんなに遠回しに言わなくてもいい。遠慮せずに何でも真っ直ぐ言ってみなさい。おばあちゃんはね、これまでいろんな修羅場をくぐり抜けてきたんだ。お前が思っているほど、やわじゃないよ」志津は優しく微笑み、颯馬を包み込むような視線を向けた。「何があっても、おばあちゃんが一緒に解決してやる。あのろくでもない父親に放っておかれて、お前も一人でさぞ苦労しただろう。本当に不憫でならない時があるよ。だけどね、今お前がこうして私のそばにいてくれることを、私は心から嬉しく思っているんだ」志津はしわの刻まれた手で、颯馬の手を軽く叩いた。「だから、一人で抱え込まずに全部話しなさい。まだ若いんだ、自分だけで解決できないことがあって当然なんだよ。迷惑をかけるんじゃないかって、馬鹿な心配はしなくていい」その深い慈愛に触れ、颯馬は観念したように小さく息を吐いた。「……おばあちゃんにはかないませんね」どのみち、両親がここへ乗り込んでくれば全て知れることだ。それなら、唐突に突きつけられるよりも、前もって打ち明けて心の準備をしてもらったほうが、いくらかショックも和らぐはずだ。「ここへ来る前に言っておきます。実は……父さんが、母さんを連れてこちらに戻ってきているんです」颯馬は言