Mag-log in紫音は急いで社長室を飛び出し、騒ぎが起きているオフィスフロアへと向かった。案の定、そこにはツンと顎を跳ね上げた結衣が、蘭を威圧するように睨みつけている姿があった。蘭が何か言い返すよりも早く、紫音は足早に二人の間に割って入り、蘭を背中に庇うようにして結衣の前に立ち塞がった。「結衣。ここは会社よ。何か文句があるなら座って話し合うべきじゃないかしら?他人のオフィスに乗り込んで騒ぎ立てるなんて、少し非常識にも程があるわ」冷ややかに言い放つ紫音の瞳には、一切の容赦がない。「それに、これだけははっきりと教えてあげる。あの二人を引き離すことなんて誰にもできない。私にも、そして……もちろん、あなたにもね」まさか名門の令嬢である彼女が、直接会社にまで乗り込んできて修羅場を演じるとは思わなかった。結衣がここまで周囲の目を気にせず、堂々と強気に出られるのは、浩一の母親である貴子が完全に彼女の後ろ盾となっているからに他ならない。「私が絶対に浩一くんの隣に立つ」という絶対的な自信――いや、貴子からそう吹き込まれているからこそ、結衣はこんなにも傲慢に振る舞えるのだろう。「紫音ちゃん。彼女があなたのお気に入りだってことは知ってるわ。最初から二人がくっつくように世話を焼いたのも、あなたなんでしょう?」結衣はふんっと鼻を鳴らすと、紫音に向かって不満げに口を尖らせた。「あのね、私たちが昔からの幼馴染だってこと、忘れたわけじゃないでしょ?子どもの頃に私が引っ越して離れ離れになっちゃったけど、それでも私たち、昔はあんなに仲良しだったじゃない!」幼い頃の繋がりを盾にして、結衣は一気にまくし立てる。「私、わざわざ浩一くんのことであなたに相談しに行ったのよ?それなのに、紫音ちゃんったら、彼の彼女が自分の部下だなんて一言も教えてくれなかったじゃない。ずっと知ってて隠してたなんて、ひどくない?」彼女の言い分は、まるで自分が裏切られた被害者であるかのような口ぶりだった。「最初から『自分のアシスタントと付き合ってるのよ』って教えてくれていれば、私だって紫音ちゃんの顔を立てて、少しは考えてあげたかもしれないのに。あなたの方から私を仲間外れにしたんじゃない!」結衣は鋭い視線で、紫音の背後に隠れる蘭をキッと睨みつけた。「だからね、今日私がここに乗り込んで
絹のように滑らかな響きでありながら、有無を言わさない独占欲を孕んだその声に、紫音は思わず顔を赤らめ、小さく頷いた。律はただ、愛する彼女の盾となり、彼女が心から安心できる唯一の避難場所でありたいと願っている。自立心が強く、自分に何も求めてこない彼女だからこそ、彼の方からありったけの愛情を与え、溺愛し尽くしたくてたまらないのだ。最高級のレストランでの穏やかなディナーを終え、二人は律の邸宅へと帰宅した。広々としたリビングのソファに腰を下ろすと、紫音はふうっと心地よい溜め息を吐いた。ここ最近、社長としての重圧や蘭たちの問題で張り詰めていた心が、嘘のように軽く、穏やかになっている。律と一緒にいると……本当に、心から安心できるわ。彼が淹れてくれた温かいハーブティーの香りに包まれながら、紫音は隣に座る律の横顔をそっと見つめた。彼と二人でなら、この先どんな嵐が来ようとも絶対に乗り越えられる。互いを深く信頼し、愛し合うことで得られるこの絶対的な安心感は、紫音の心をどこまでも温かく、強く満たしていた。翌朝。出社した紫音が社長室のドアを開けると、そこにはすでに蘭の姿があった。その表情はパッと花が咲いたように明るく、足取りまでどこか弾んでいるように見える。昨夜の浩一との話し合いを経て、二人はしっかりと絆を深めることができたようだ。これまでの蘭の苦悩を知っているだけに、彼女がこんなにも幸せそうに笑っている姿を見られるのは、紫音にとってもこの上ない喜びだった。身分違いの恋に悩み、一度は彼の手を振り払おうとした彼女が、再び運命に立ち向かうまでにどれほどの勇気を振り絞ったことか。そこに至るまでの道のりが決して平坦ではなかったと分かっているからこそ、胸の奥がじんわりと温かくなる。何より、蘭自身が完全に吹っ切れたように、前向きなオーラを取り戻してくれたことが一番の収穫だ。この明るさと強さがあれば、浩一の母親からの冷酷なプレッシャーにも、二人で毅然と立ち向かっていけるに違いない。「紫音さん、おはようございます!朝ごはん、買ってきましたよ。どうせ今朝も何も食べてないんでしょう?」蘭はいつものように人懐っこい笑顔を浮かべながら、テイクアウトした温かいコーヒーとホットサンドをデスクに並べてくれた。本当に、この子は昔から気が利く
紫音は律の顔を見上げ、密かに胸を打たれていた。世間の人間は、拝島律という男を「冷血で計算高い冷酷な権力者」だと恐れている。確かに、彼がビジネスや政敵に向ける顔は氷のように冷たく、近寄りがたいオーラを放っている。しかし、紫音は知っているのだ。その冷酷さは、彼が傷つかないために身に纏ったただの「鎧」に過ぎないということを。本当の律は、誰よりも責任感が強く、身内の罪まで背負い込もうとするほど義理堅い。誰のことも裏切らず、己の信念を誠実に貫き通してきた、どこまでも不器用で優しい男なのだ。私が、この人の本当の優しさを守らなきゃ……紫音は、自分だけに向けてくれる彼の温かい愛情に心から感謝し、彼と共にどんな未来でも歩んでいく覚悟を、改めて胸に刻み込んだ。「……もう、こんな不愉快な連中の話はやめにしましょう」紫音はわざと明るい声を出して、彼の腕の中で小さく伸びをした。「実は今日、仕事が立て込んでいて少し疲れちゃったの。せっかくあなたがこうして迎えに来てくれたんだから、今夜は二人で美味しいものでも食べて、ゆっくり羽を伸ばしたいな」ここ最近は互いに多忙で、こうして二人きりでゆっくりとディナーを楽しむ時間すら取れていなかった。せっかくの甘い時間に、拝島の強欲な親族たちのことなど考えて心をすり減らすのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。今はただ、目の前にいる愛する人との静かで満たされた時間を、心ゆくまで味わいたかった。紫音の提案に、律はふっと目元を和らげた。「ああ、もちろん。もう君の好きなレストランを予約してあるよ」そう言って、律は紫音をエスコートするように車のドアを開けた。紫音がシートに滑り込むと、彼もまた隣に乗り込み、運転手に静かに発進の合図を出した。車窓を流れる夜の街のネオンが、車内を淡く照らし出す。律は紫音の手をそっと取り、自分の膝の上で大切そうに包み込んだ。「……紫音。君には、本当に申し訳ないと思っているんだ」不意に落とされたその声は、どこまでも深く、真摯だった。「君とこうして心を通い合わせることができたというのに、私の家の醜い争いに君を巻き込み、悲しい思いばかりさせてしまった。恋人らしい、ごく当たり前の甘い時間を過ごすことすら、まともにできていなかったね」律の大きな手が、紫音の指先を愛おしそうに撫で
律……彼のその言葉を聞いて、紫音の胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていった。拝島グループという巨大な帝国を背負う彼が、毎日冷酷な親族たちとの駆け引きに疲弊し、眉間に皺を寄せる姿を見るのは、紫音にとっても辛いことだった。だからこそ、彼が拝島の柵に囚われすぎず、「自分たちの幸せ」を最優先に考えてくれていることが、何よりも嬉しかったのだ。彼が孤独な戦いの中で傷ついている時、自分には何ができるだろうと思い悩むこともあった。だが今はわかる。自分ができるのは、こうして彼の側に寄り添い、彼が安心して帰れる「温かい居場所」であり続けることなのだと。何より紫音を安心させたのは、律が「志津様の死」という深い絶望と悲しみから、少しずつ前を向き始めていることだった。拝島志津。律の祖母であり、冷酷な拝島家の中で唯一、彼に無償の愛を与え続けてくれた最大の庇護者。彼女がこの世を去ったことは、律にとってはもちろん、紫音にとっても胸をえぐられるような大きな打撃だった。紫音自身も、志津様を心から慕っていた。自分の実の両親以外で、あんなにも紫音を優しく受け入れ、慈愛に満ちた眼差しを向けてくれた人は初めてだったからだ。あんなにも温かく、威厳に満ち、そして誰よりも親しみやすいおばあ様だったのに。志津様……どうか空から、律のことを見守っていてくださいね。私が絶対に、彼を幸せにしますから。紫音は心の中でそっと祈りながら、自分を抱きしめる律の背中に腕を回し、その温もりを分かち合うようにぎゅっと抱きしめ返した。「……拝島家について、私の中ではとうの昔に答えは出ているんだ」律は静かに息を吐き出すと、ぽつりと語り始めた。「彼らに育ててもらった恩は確かにある。何より、祖母が私に注いでくれた愛情への恩返しとして、連中のくだらない小競り合いにはなるべく目を瞑り、寛容でいようと努めてきたつもりだ」だが、と律の眼差しがふっと冷たく、鋭いものに変わった。「連中の浅ましさには、もう本当に心の底から失望したよ。自分たちの欲望のためなら、実の母親にさえ平気で牙を剥くんだ。ましてや、彼らからすれば邪魔者でしかないこの私に、情など湧くはずもない。だから私が彼らを切り捨てたとしても、誰にも責められる筋合いはないはずだ」普段の律は、己の内に渦巻く身内への嫌悪
「蘭……ありがとう」浩一はたまらず、蘭を引き寄せてその細い肩をきつく抱きしめた。「お前がそうやって俺のことを思いやってくれるほど、俺は自分の不甲斐なさに腹が立って、申し訳なさで胸が張り裂けそうになる。俺の家のくだらない柵のせいで、お前にどれだけ辛い思いをさせたか……」浩一の声は、悔しさと愛おしさで微かに震えていた。「口先だけじゃない。これからの俺のすべての行動で、必ず証明してみせる。俺は何があってもお前を守り抜き、一生お前だけを愛し抜くって……絶対にだ!」オフィスの静寂の中、浩一の力強い誓いが響き渡る。蘭は浩一の腕の中で幸せそうに目を閉じ、そっと彼の背中に腕を回した。オフィスの片隅で静かに抱きしめ合う二人を見つめながら、紫音は深い感動と安堵に包まれていた。親友同士がこうして結ばれたことが嬉しいのはもちろんのこと、何より紫音は、蘭が口にした言葉にひどく感銘を受けていたのだ。貴子おば様にあれほど残酷な言葉で罵られ、傷つけられたのに……それでも彼のために、ご両親を大切にしてほしいと願えるなんて。蘭の純粋で底なしの優しさに、紫音は密かに舌を巻いた。もし自分だったらどうだろうか。自分を理不尽に迫害するような相手に対して、ここまで寛容になれる自信は到底ない。売り言葉に買い言葉で、徹底的に相手を論破して関係を断ち切ってしまうかもしれない。蘭は決して弱い女性ではない。誰よりも愛する人を思いやり、包み込むという、女性として最も強靭で美しい強さを持っているのだと、紫音は改めて思い知らされた。「はいはい、お熱いところ悪いけれど。もうすっかりいい時間よ」紫音はわざとらしくパンッと手を叩いて、二人の甘い空気を断ち切った。「私はもうお邪魔虫だから帰るわ。二人でゆっくり美味しいディナーでも食べてきなさい。……問題が早く解決して、二人で心から笑い合える日が来ることを祈っているからね」ハッと我に返って赤面する蘭と、照れくさそうに頭を掻く浩一。その二人の姿を見送りながら、紫音の唇には自然と柔らかな笑みが浮かんでいた。心から愛し合い、互いを思いやれる相手と結ばれることが、どれほど奇跡的で尊いことか。かつて信じていた相手に裏切られ、絶望の淵を歩いたことのある紫音だからこそ、その重みが痛いほどよくわかる。だからこそ、紫音
浩一の言葉には、退路を断った男特有の鋭利な覚悟が満ちていた。もう誰にも、自分と蘭の絆を引き裂かせるつもりはない。その揺るぎない意志を感じ取り、紫音も一つ深く頷いた。だが、だからこそ友人として、少しだけ冷静な視点からアドバイスをしておく必要があった。「あなたのその覚悟は十分に伝わったわ。でもね、浩一さん。……お父様、征爾(せいじ)おじ様のことは、もう少し慎重に考えた方がいいかもしれない」紫音は腕を組み、少しだけ声をトーンダウンさせた。「征爾おじ様は、貴子おば様とは違って本来はとても筋を通す理知的な方よ。一族のビジネスを守るために厳格に振る舞っているだけで、決して話が通じない相手ではないはず。頭ごなしに反発するのではなく、まずは一度、冷静に話し合う場を設けるべきよ」紫音は、愛する蘭を守るために家族と完全に縁を切ろうとしている浩一の焦りを理解しつつも、それが最善の策ではないと考えていた。「親が子供の結婚に口を出すのが間違っている、というのは正論よ。でもね、あなたたちが本当に結ばれた後のことを想像してみて。いつか二人が結婚したとして、蘭に一生、あなたの家族から逃げ隠れするような窮屈な思いをさせるつもり?そんなの、彼女にとっても幸せな形とは言えないわ」愛し合えればそれでいい、というのは若さゆえの綺麗事だ。結婚となれば、どうしても家と家との繋がりがつきまとう。特に浩一のような名家であればなおさらだ。母親の貴子はともかく、せめて当主である父親の征爾にだけでも二人の関係を認めさせることができれば、蘭の背負う重圧は劇的に軽くなるはずだ。紫音の現実的な指摘に、浩一は眉間を揉みほぐしながら深く息を吐き出した。「お前の言いたいことは痛いほどわかる。蘭に、一生俺の親族から後ろ指を指されるような惨めな思いはさせたくない……でも、あの父さんだぞ?『愛しているから結婚させてくれ』なんて感情論、まともに取り合ってくれるわけがない。温厚に話し合って解決できるなら、俺だってこんなにこじらせてないさ」浩一の顔に、濃い疲労の色が滲む。「だからこそ、俺が行動で示すしかないんだ。言葉で説得できないなら、力でねじ伏せる。例え父さんたちが相手だろうと、俺の人生の舵取りは誰にも渡さないと、徹底的に思い知らせてやる必要がある」浩一の







