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第7話

Auteur: 水無瀬汐音
琢也は嬉しそうに外へ駆け出していった。

私は警戒心を隠さず、謙一を見据えた。この男はいつだって、余裕の笑みを浮かべている。

腹の底まで冷えきったような人間──心は冷酷で、手口も汚い。私は彼が次に何を仕掛けてくるのか、永遠に予測できない。

謙一は花屋の中を見回しながら言った。「この店、あまり儲かっていないようだな。本当の収入源は絵の方か?」

私は沈黙した。

彼もそれ以上は何も言わず、ただ傍らの赤いバラを指先で弄んでいた。

一本のバラを手に取ると、彼は根気よく一つひとつ棘を摘み取っていく。

その指は手入れが行き届き、白く細く、まるで彫刻のように美しい。──なのに、なぜか私はぞっとした。

最後に残った茎は無惨に傷だらけになっていたが、彼は何事もないようにそれを軽く握りしめた。

その瞬間、私はまるで彼の手の中で痛めつけられる一本のバラになったような錯覚を覚えた。

彼は微笑んだ。

「恵里、俺がその気になれば、お前の絵なんて簡単に世から消せる。画家の作風は変わらない。だから俺が一言言えば、お前はもうどこにも発表できなくなる。

お前の貯金はあとどれくらいある?どれだけ持つと思
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