Mag-log in組員たちに頭を下げ、詫びの言葉を述べてから、中嶋がやっと和彦の傍らに立つ。
「先生――」 「とにかく、座ってくれ。目立つから」 頷いた中嶋が、加藤の隣に腰掛ける。次の瞬間、テーブルに額を擦りつけるようにして頭を下げられた。 「うちの隊の若いのが、本当にご迷惑をおかけしました。つい最近まで、組織同士のルールも関係なく好き勝手に生きてきた奴なので、と言い訳するつもりもありません。こいつの不始末は、面倒を見ていた俺の不始末です。長嶺組が求める処罰を、一緒に受けるつもりです」 いつもの中嶋らしくない硬い口調に、今の事態は自分が考えている以上に大事なのだと和彦は実感する。 どうしたものかと、困惑するしかなかった。和彦としては事を荒立てるつもりはなく、次からはせめて事前に連絡をしてくれという注意で済む類のトラブルだと思っている。しかし、この場にいる組員や中嶋の様子を見ていると、事はそう簡単ではないようだ。 「処罰については、ぼくはよくわからないから、組に任せることになると思う。だけど、君がぼくの目の前に現れなくなる** 久しぶりにクリニックの入るビルを見上げ、ほっと息を吐き出す。感慨深さから出たものだが、何度目かとなる、自分の日常に戻ってこられたのだという実感を噛み締めていた。 和彦がいない間に済ませたという改装部分を、クリニックの再開前に自分の目で確認しておきたかったのだ。定期的に機器のメンテナンスや、清掃業者も入れていたということで、ずいぶん気を配っていたもらっていたようだ。いつ戻ってくるかどうかわからない和彦を待ちながら、クリニックを維持するのは、賢吾にとってずいぶん負担だっただろう。 室内に足を踏み入れると、電気をつけてざっと見て回る。一番気になっていた仮眠室にも入ってみたが、ドアと窓ガラスが明らかに厚みが増しており、鍵も厳重になっているが、変化はそれぐらいだともいえ、ひとまず安心した。もっとも、見えないところで防犯システムのレベルを上げていたとしても、和彦にはわからないのだが。 なんとなくベッドの下を覗き込むと、見覚えのないゴルフクラブが転がっていた。ずいぶん前に千尋とゴルフレッスンを受けに行こうと話に出ていたが、慌ただしさからすっかり流れてしまった。改めて誘うつもりなのだろうかと、首を捻る。 非常階段に通じるドアも同様に頑丈なものになっていたが、他人から見て奇異に映るほどではない。あくまでここは、どこにでもある美容外科クリニックだ。 清掃が行き届いているのはもちろんのこと、受付カウンターなどに飾られていた小物もさりげなく季節に合わせたものとなっている。「ぼくの出番はなしだなー……」 特に注文をつけたいこともなく、和彦は待合室に戻ってソファに腰掛け天井を仰ぎ見る。組員を駐車場に待たせているため、あまりのんびりもできないのだが、クリニックを再開したときのことをあれこれと考えていると、スマートフォンが鳴った。『――子犬にじゃれつかれたそうだな』 開口一番の賢吾の言葉に、なんのことかと眉をひそめたあと、顔を綻ばせる。仕事熱心な組員は、和彦が車を降りてすぐに賢吾に連絡を取ったようだ。「あんたにかかると、若い子はみんな子犬なんだろうな」『子犬は子犬でも、闘犬として育つか、猟犬として
「俺たちは佐伯先生の視界になるべく入らないよう、気をつけます。あくまで護衛見習いということで、仮にトラブルがあっても、俺たちのことは捨て置いてください。佐伯先生が逃げる間の壁代わりぐらいにはなりますから」 そんなものが必要になる事態は考えにくいと、和彦はもごもごと小声で反論してみるが、当然のように受け流された。「はあ……。どうせぼくに決定権はないだろうし、詳細は総和会と長嶺組で詰めてくれ。研修というなら、いつかは終了するんだろうし……」「先生、迂闊なことを言うと、本格的に派遣される事態になりますよ」 組員から苦言を呈された。 厄介な話はすべて賢吾に丸投げすることにして、用は済んだと席を立ちかけた和彦は、ふと気になって二人に尋ねた。「そういえば君たちは、〈寮〉に入ったのか?」「……俺だけです」 片手を挙げたのは小野寺だ。なんとなく納得できたのは、守光の側には南郷がいて、その南郷の側に、小野寺ならついていそうな印象があったからだ。加藤に視線を向けると、和彦が言いたいことを察したのか、頷いて返される。「俺は、本部の外で寝起きしているほうが都合がいいので。ただ、南郷隊長に呼ばれて、寮の庭の整備を手伝っています」 そういう名目で、南郷は若い隊員も堂々と本部に出入りさせられるわけだ。 挨拶が済んだということで四人は席を立ったものの、行き先は同じで、一階に降りるエレベーターだ。一応、和彦の護衛という意気込みの表れか、両隣を歩く加藤と小野寺に、なんとも落ち着かない。 エレベーターに乗り込んだ和彦は、傍らに立つ加藤をうかがう。中嶋との関係は続いているのだろうかと、性質のよろしくない好奇心がわずかに疼く。一応、中嶋本人とはメッセージのやり取りはしたが、無事に戻ってきたことを報告するのに頭がいっぱいで、探りを入れようなどと思いつきもしなかった。「あっ」 加藤と小野寺に見守られながら、駐車場で待機していた車に乗り込もうとしたところで、和彦は声を洩らす。和彦の側に立っていた組員が、パッとこちらを見た。ついでに、運転席の組員も。
加藤は表情をぴくりとも動かさなかったが、一方の小野寺はわずかな不快感を目元に漂わせた。「五十音順じゃないんですか」 何かと思えば、名を呼んだ順番のことらしい。そこにこだわるのかと、和彦が苦笑を洩らした隣で、組員は剣呑とした視線を小野寺に向けている。 南郷率いる第二遊撃隊の隊員である加藤と小野寺を、もちろん和彦は覚えている。南郷自ら紹介してきたということもあるが、加藤は特に印象深い。野暮ったいスーツのせいで、精悍な体つきも黒々とした影のような左腕のタトゥーも隠れてはいるものの、加藤の個性を損なうには至っていない。切れ長の目と高い位置にある頬骨の、人によっては惹きつけられそうな顔立ちは、以前会ったときに比べてさらに大人びてきている。荒んだ雰囲気が落ち着いたようにも見え、少なくとも隊員となったあとも南郷の下でひどい扱いは受けていないようだ。 加藤と再会してどうしても脳裏を過るのは、中嶋の顔だ。いまだ関係は続いているのだろうかと余計なことを考え、慌てて思考の外に追い払い、視線を加藤の隣に移す。 小野寺は、華のある甘い顔立ちも、美容室で手入れしていそうなおしゃれな若者らしい髪型も変わっていないが、前に会ったときにはなかった銀色のアクセサリーを右耳にしている。一瞬ピアスかと思ったが、凝った彫金が施されたイヤーカフだ。遊び慣れた学生のような風情だが、それでも軽んじる気持ちを抱かせないのは、油断ならない目つきのせいだ。計算高さと冷静さが同居している。「……それで、挨拶って?」 和彦から水を向けると、加藤と小野寺が互いに軽く目配せし合う。口を開いたのは小野寺だった。「佐伯先生の護衛を任されることになりました」「はあっ?」 声を上げたのは、隣の組員だ。一拍遅れて和彦も、えっ、と小さく声を洩らす。「そんな話、聞いてないんだけど……」「南郷さんは、前に佐伯先生に話してあると言ってましたけど」 やけに小野寺の言葉は刺々しい。どうやら嫌われているようだと薄々感じながら、和彦は頭の中で、過去の南郷との会話を思い返し、口元に手をやっていた。二人を南郷から紹介されたとき、護衛云々とさ
「いつもより開催が遅くなったせいで、大変なことに、とかですか……?」「それはまったく関係ありません。花見会などの大きな行事のときは、総本部はこういう感じなんですよ。必要なものをここから運び出したりもしますから、普段は出入りできない組の若い子らも、物見遊山で手伝いに来ています。別の階では今頃、当日会場に入る者に、立ち居振る舞いについてレクチャーも行われているはずですよ」「そうなんですか。ぼくは滅多に総本部には足を運ばないものですから、事情がよくわからなくて」「文書室は、挨拶状などの手配で早い時期に慌ただしくなりますが、今はご覧の通りです。一方で、警備部や遊撃隊の方たちは大忙しですね。当日だけではなく、何日も前から会場に入って警備の準備をしますから。南郷隊長は何か言ってませんでしたか?」 思いがけず出た南郷の名に、内心で激しく動揺する。なぜ自分に南郷のことを問うのかと戸惑ったが、なんのことはない。南郷は、総和会での和彦の後見人だからだ。数日前に本人から念を押されたばかりではないかと、和彦は自分に呆れる。いまいちまだ、ピンときていないのだ。「……花見会のことについては、特に……」「あの人も、普段は総本部には寄り付かない人なんですが、最近はよく見かけますよ。第二遊撃隊が格上げされるという話もありますから、いろいろと準備があるのかもしれませんね」 隊の格上げの話は初耳だが、まっさきに和彦が気にしたのは、御堂が隊長を務める第一遊撃隊の存在だ。今でも微妙な立場なようだが、第二との明確な差をつけられることで、どんな変化が起こるのか。守光が何も考えずに決断を下すはずがない。 化け狐の尾に頬を撫でられたような怖気に襲われ、大きく身震いをする。藤倉が首を傾げた。「どうかしましたか?」「寒暖差にやられたのか、少し寒気がして……。大したことじゃないです」 今日の用事は済んだからと、真剣に心配してくれた藤倉に促され、和彦は応接室を出る。エレベーターホールまで見送ってくれた藤倉と別れて、一人でエレベーターに乗り込む。 総本部のロビーは二階
**** 総和会内で文書室筆頭という肩書きを持つ藤倉は、久しぶりに顔を合わせた和彦に対して、相変わらず折り目正しいビジネスマンのような物腰だった。 やはり久しぶりである総本部を訪れた和彦は、応接室に通されてすぐに、藤倉に頭を下げつつ手土産を差し出す。「いろいろとご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。これはつまらないものですが――」 藤倉の好物だという佃煮の詰め合わせだ。もちろん情報元は賢吾だ。とりあえず藤倉がニコニコとして受け取ってくれたことにほっとする。「――大変だったようですね」 ソファに腰掛け、お茶が運ばれてきてからさっそく藤倉が口火を切る。和彦は微苦笑を洩らしつつ、どこまで説明すべきかと迷ったが、藤倉は軽く片手をあげてこう言った。「佐伯先生の個人的な事情に立ち入ることになりますから、説明はけっこうです。わたしとしては、長嶺会長が決定されたことに沿って、事務処理をさせていただくだけです」「……ぼくは今日は何をすればいいのでしょうか? とにかく行けばいいとしか言われなかったものですから」 今の和彦は予定などあってないようなものなので、常に長嶺の男たちの都合に振り回される。今日も、朝になって突然賢吾に呼ばれて本宅に出向いたところで、さきほど藤倉に渡した手土産を押し付けられたのだ。「そう構えないでください、佐伯先生。今わたしが言ったように、事務処理の一環です」 言いながら藤倉は、書類ケースから書類の束を取り出す。「これは……」「総和会が主導する病院経営について、前に佐伯先生にご署名いただいたものです。計画が中止となりましたので、これらは廃棄ということになります」 その確認のためにわざわざ呼んだのかと、きょとんとした和彦だが、本題はここからだった。 和彦が不在の間、クリニックは休診となり、当然患者を受け入れていなかったのだが、そこは長嶺組という組織が実質的に切り盛りしているクリニックだ。診ていない患者を診たことになっていたり、処方箋も出ている。さらには新たな機材や備品・薬品も購入
** 夕食は、外に食べに行くかという賢吾の誘いを断って、おとなしく過ごすことにした。なんなら賢吾一人で出かけてもらってもよかったのだが、俺がそんなに薄情な男に見えるかと言われては、仲良く二人で過ごすしかない。 材料は最低限は揃っているので、山暮らしでレベルアップした手料理を振る舞おうかと思っているうちに、賢吾はさっさと組員に連絡をして、デパートで花見弁当を買って来させた。「――余裕があれば、去年みたいに一泊して桜見物に出かけられるんだがな」 弁当と一緒に買ってきてもらったインスタントの味噌汁を掻き混ぜながら、渋い顔で賢吾が洩らす。和彦は、自分の前にも置かれた弁当をまじまじと見つめる。春の陽射しの下で見たなら、さぞかし映えるであろう華やかさだ。今のこの状況だと少々わびしさを感じなくもないが、だからといって味が変わるわけではない。 煮物の小芋をまず食べてみたが、ダシの風味がしっかりと効いて美味しい。ご飯は二種類あり、錦糸卵がたっぷりのったちらし寿司に、たけのこご飯だ。たけのこの触感を楽しんでいると、また賢吾がぼやく。「花見会の予定がズレたせいで、どこもかしこもてんやわんやだ。知らん顔したいところだが、どこぞの父子が揉めたせいでこうなったと噂されているせいで、そうもいかん」 その父子の片方が、和彦の目の前にいるというわけだ。「……ささやかな雑用なら手伝えるけど、ぼくができる程度の仕事なら、組員のほうが機転が利いて使いやすいか」「お前はお前の仕事がある。クリニック再開の準備もあるからな。猫の手も借りたくなるほどに忙しくなったら、頼るかもしれん」「素直に、お前の手は必要ないと言ってもらったほうがいいんだが……」 上機嫌で笑った賢吾は、桜の花の形のかまぼこを口に放り込む。「ただまあ、どんなに忙しくても、お前が何をしているかわかる距離にいるのはいい。何かあれば、本宅の奥に匿っちまえばいいからな。当の本人は、嫌がるだろうが」 一人になりたくてマンションに戻ってきた和彦に対する当て擦りなのだろうが、知らないところで奔走してくれた賢吾には言う権利がある