LOGIN大手商社の最年少部長・松井田伊織(28)は、誰もが認める完璧なエリートだった。一流大学卒、仕事は完璧、容姿端麗で誰に対しても丁寧――しかし、彼には誰にも言えない秘密があった。 「女性を抱けない」 恋人とは、最後の段階で身体が反応せず破局。 破局から三日後、一人でバーへ。隣の席に座った美女「ちか」に、生まれて初めて身体が激しく反応した。 運命的な一夜を過ごす。何度も絶頂を迎え、28歳にして初めて童貞を捨てた――。 しかし翌朝、シャワーから出てきたのは義弟の千景だった。 「兄さんが女を抱けるようになるまで、僕が治してあげる」 女装した義弟の甘い誘惑に、伊織は抗えない。不完全な愛に溺れていく。
View More会議室に拍手が響き渡り、大型契約が成立した瞬間の高揚感が胸を満たしていった。相手企業の部長が満面の笑みで握手を求めてきて、俺は完璧な笑顔を作りながら応じた。
「松井田部長、お疲れ様でした! さすがです!」
会議室を出ると、営業部の後輩たちが興奮した様子で駆け寄ってきて、俺の肩を叩きながら祝福の言葉を投げかけてくる。契約書類を抱えた女性社員が頬を上気させながら「部長、今夜は飲みに行きましょう! 私、もう予約しちゃいました」と甘えた声で誘ってきて、周囲の同僚たちも「そうですよ、たまには付き合ってくださいよ」と囃し立てた。
俺は柔らかな笑顔を浮かべ、丁寧に首を横に振った。
「すみません、明日も早いので今日は失礼します。皆さんで楽しんでください」
笑顔を保ちながら、俺は彼らに背を向けて会社を後にする。周囲の期待していた表情が失望に変わるのを見ないように、足早にエレベーターへと向かう。
夜の街に出ると、冷たい空気が頬を撫でていった。ネクタイを緩め、深く息を吐き出す。誰もいない道を歩きながら、胸の奥に溜まった重苦しさがじわりと広がっていった。
気づけば、いつものバーの前に立っていた。看板の明かりが暗い路地を照らし出し、扉の向こうから低い音楽が漏れ聞こえてくる。俺は扉を押し開け、カウンター席の隅に座った。
「いつものをお願いします」
マスターが無言で頷き、琥珀色の液体がグラスに注がれていく。氷がカラリと音を立て、グラスを傾けると喉を焼くような熱さが胸に染み込んでいった。
仕事はうまくいった――でも。
(どうして抱けないんだ)
三日前に恋人に振られた傷が疼き、仕事で成功を収めても飲む気になれなかった。
過去に付き合った女性たち全てに、振られてきた。理由は一つ――セックスができないから。
三日前に別れたばかりの元カノ、白石綾との破局が一番辛かった。同じ会社の経理部で働く彼女は、一年も俺と付き合ってくれたのに、最後まで俺は彼女を抱くことができなかった。
「もう無理です――耐えられない」
あの日、ホテルのベッドの上で、裸の綾が涙を流しながら言われた光景が脳裏に焼き付いている。俺は何も答えられず、ただ謝ることしかできなくて、彼女は静かに服を着て部屋を出て行った。
医者には「器質的な問題はない。心因性勃起障害だろう」と診断されたが、原因は分からないままだった。女性の裸体を見ても、キスをしても、愛撫をしても、熱は多少反応するのに、肝心な時に萎えてしまう。
二杯目のグラスを空けた頃、隣の席に誰かが座る気配がした。ふと視線を向けると、息を呑むほど美しい女性が座っていて、長い黒髪が肩から背中へと艶やかに流れ落ちている。
洗練された黒のワンピースを着ているが、胸元が深く開いていて白く滑らかな肌が覗き、太腿まで伸びたスリットから細く美しい脚のラインが露わになっていた。心臓が不意に大きく跳ね、視線を逸らすべきとわかっているのに目が離せなくなる。女性の横顔は整っていて、長い睫毛が頬に影を落とし、薄い唇が妖艶に光っていた。
「お一人ですか?」
女性が微笑みながら声をかけてきて、低くハスキーな声が妙に色っぽく耳の奥まで響いてきた。顔立ちをよく見ると、どこか義弟の千景に似ているような気がして、視線が自然と吸い寄せられていく。大きな瞳が俺を見つめ、唇の端が僅かに上がっていた。
「ええ、まあ」
俺は素っ気なく答えたが、女性は気にした様子もなく細い指でグラスを持ち上げ、ゆっくりと傾けた。喉が動く様子が妙に艶めかしく見えて、目を逸らすことができない。
「お名前は?」
「ちか、です」
(名前まで義弟と似ている)
名乗られた名前が妙に耳に馴染んで、俺は少し躊躇いながら自分の名前を告げた。
「伊織です」
会話が始まると、不思議なほど話しやすかった。ちかの話し方は柔らかく、時折見せる笑顔が胸の奥まで染み込んでくる。
質問の仕方が押し付けがましくなく、ただ静かに俺の話を聞いてくれて、相槌を打つ声が優しく耳に届いた。グラスが空になるたびにマスターが無言で新しい酒を注ぎ、酔いが回るにつれて心のガードが緩んでいく。
「実は、三日前に彼女と別れまして」
俺が呟くと、ちかは少し驚いたような表情を見せて首を傾げた。
「そうなんですか。お辛かったでしょう」
同情ではなく、ただ静かに寄り添うような声に、胸の奥が熱くなる。
「どうして別れたんです?」
問いかけられて、俺は躊躇った。普段なら絶対に言わない弱みが、酔いと彼女の優しい雰囲気に促されて言葉になって口から出ていた。
「勃たないんです」
自分でも信じられないほど素直に告白してしまい、ちかの反応を伺うように視線を向ける。彼女は驚いた様子もなく、眉一つ動かさずに、ただ静かに俺の言葉を受け止めていた。
「今までできた恋人には、全てセックスが原因で別れました」
言葉が次々と溢れ出し、もう止められなくなる。医者に何度も通ったこと、診断結果が心因性だったこと、原因が分からないまま過ごしてきた孤独な日々。全てをちかに吐き出してしまい、グラスを傾けて残った酒を一気に飲み干した。
ちかは俺の手を優しく握りしめ、温かい手のひらが震える俺の手を包み込んだ。細くて柔らかい指が俺の手に絡み、親指が手の甲を撫でていく。
「試してみます?」
囁くような声で誘われて、心臓が激しく鼓動を打ち始めた。ちかの手が俺の手を離れ、カウンターのテーブルの下へと潜り込んでいく。太腿の上に柔らかい手のひらが置かれ、ゆっくりと内側を撫で上げられて、股間へと移動していった。
スラックスの上から俺の熱を包み込むように握られ、指が形を確かめるように動いていく。今まで歴代の彼女たちが触れても微塵も反応しなかった熱が、信じられないほど大きく滾っていて、スラックスの中で窮屈に脈打っている。
ちかの指がゆっくりと上下に動き、布越しに愛撫されるたびに、熱がさらに硬さを増していった。
「つらそう」
ちかが耳元で囁き、吐息が耳朶にかかって身体が震える。俺の手を引いて立ち上がらせ、抵抗する気力もなく、彼女に導かれるまま店の奥にある個室トイレへと向かった。
カウンターを離れる時、マスターと目が合ったが、彼は何も言わずにグラスを磨き続けていた。
扉が閉まると同時に鍵がかけられ、狭い空間に二人きりになった。ちかが俺の前にしゃがみ込み、細い指が器用にベルトのバックルを外していく。ゆっくりとスラックスが下ろされ、下着の上から熱を包み込まれた。
「こんなに大きくなって」
ちかが満足そうに呟き、下着も一緒に下ろしていく。露わになった熱を見て、彼女は唇を舐めて艶めかしい笑みを浮かべた。
「すごく、大きい」
低い声で呟かれ、頬が熱くなる。ちかの唇が先端に触れ、温かく柔らかい感触に思わず腰が震えた。舌先が尿道口を舐め、甘く刺激されるたびに腰が跳ねそうになる。
舌が先端を何度も舐め、唾液で濡れていく。ちかの口が大きく開き、熱がゆっくりと口の中に含まれていった。温かく、柔らかく、濡れた感触が全体を包み込み、今まで感じたことのない快感が全身を駆け抜けていく。膝が笑いそうになり、壁に手をついて身体を支えた。
ちかの舌が熱に巻きつき、口の中で上下に動いていく。頬の内側に押し付けられ、吸い上げられ、舌で転がされる。唾液の水音が狭いトイレに響き、恥ずかしさと興奮が同時に押し寄せてきた。
上から見える彼女の胸の谷間に視線が吸い寄せられ、白く柔らかそうな膨らみが呼吸に合わせて揺れている。さらに興奮が高まり、熱がちかの口の中で脈打った。俺は震える手を伸ばし、ちかの胸元に手を滑り込ませて柔らかい膨らみを探っていく。ブラジャーの上から乳房を掴み、親指で乳首の位置を探って軽く擦った。
「んっ、ん」
くぐもった甘い声が喉の奥から漏れ聞こえ、その声を聞いた瞬間に熱がさらに硬さを増していった。ちかの舌がより激しく動き、口の中で深く扱かれる。先端が喉の奥に当たり、絞り上げられるような快感に視界が白く染まった。
今まで誰にも与えられなかった快楽を、ちかは簡単に引き出してくる。呼吸が乱れ、腰が自然と動いてしまい、ちかの口の中で浅く腰を振ってしまう。
「いれていい?」
掠れた声で尋ねると、ちかは口を離してゆっくりと顔を上げた。唾液で濡れた唇が艶めかしく光り、糸を引いている様子に息が荒くなっていく。ちかは唇を舐めて艶を足し、俺を見上げながら微笑んだ。
「動かないでね。私から入れたいの」
ちかが立ち上がり、便座の蓋を閉めて俺をそこに座らせた。膝の上に跨るように重なってきて、スカートの中に手を入れて下着を脱いでいく。黒いレースの下着が床に落ち、ちかの手が俺の肩に置かれた。
もう片方の手が下へと伸び、俺の熱を掴んで自分の秘部に押し当てる。熱い吐息が顔にかかり、ちかの瞳が近くで俺を見つめていた。長い睫毛が揺れ、薄い唇が僅かに開いている。
「入れるね」
囁かれた瞬間、ちかがゆっくりと腰を下ろし始めた。先端が熱く濡れた場所に触れ、押し広げられながら侵入していく。今まで味わったことのない感覚に、息が止まりそうになった。
「ん……あっ、ああ」
ちかの甘い声が耳に届き、さらに深く入り込んでいく。熱く、狭く、濡れた場所が俺の熱を締め付け、内壁が蠢くように動いていた。半分ほど入ったところで、ちかは動きを止めて呼吸を整えている。
「気持ちいい……」
ちかが囁き、再び腰を下ろし始めた。さらに深く、奥へと進んでいき、全てが飲み込まれていく。今まで味わったことのない快感に頭が真っ白になり、一気に限界へと上り詰めた。
「待っ……もう……」
声を絞り出そうとしたが、奥まで入り切る前に絶頂が訪れてしまった。
「っ……!」
声にならない呻きが漏れ、腰が跳ね、ちかの腰を掴んで強く引き寄せてしまった。熱いものが体内の奥深くまで注がれていき、絶頂の快感が全身を支配していく。視界が真っ白に染まり、耳が遠くなり、ただ快楽だけが身体を満たした。
波が何度も押し寄せ、そのたびに身体が震え続ける。ちかの中で脈打ち、まだ出し続けていて、止まらない快感に身体が溶けていきそうだ。
(気持ちいい――)
自慰で感じてきた快感とは比べ物にならないほど強烈で、身体の芯から湧き上がってくる熱に溺れていく。ちかが俺の首に腕を回し、身体を密着させてきて、温かい吐息が首筋にかかった。
「すごい、たくさん出てる」
ちかが耳元で囁き、まだ繋がったまま腰を僅かに動かす。敏感になった熱が刺激され、また腰が跳ねた。
やがて絶頂の波が引いていき、全身の力が抜けていく。ぐったりと便座に沈み込み、荒い呼吸を繰り返した。ちかが優しく俺の頬に手を添え、額を合わせてくる。
我に返った時、俺は中出しする形になってしまったことに気づいて血の気が引いた。
「すみません、避妊を……」
「大丈夫、ピル飲んでるから」
ちかが優しく微笑み、俺の頬に手を添えた。まだ繋がったままの状態で、彼女の温もりが俺を包み込んでいる。
「もっと、ちかと一緒にいたい」
自分でも驚くほど素直な言葉が口をついて出て、ちかは嬉しそうに目を細めた。
「ホテルいく?」
誘われるまま、俺は頷いた。二人で身なりを整え、トイレから出てバーを後にする。夜の街を並んで歩きながら、ちかの手を握りしめた。柔らかく温かい手が、俺の震える手を優しく握り返してくれた。
日曜日の朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込んでいた。 隣で眠る千景の寝顔を、頬杖をつきながら眺める。枕に広がった黒髪の間から覗く白い耳、規則正しく上下する薄い肩。朝の柔らかな光を受けて、指輪の表面に淡い虹が走っていた。 バーで「ちか」と出会ったあの夜から、もう五年になる。カウンターの隣に座った美しい女性が実は義弟で、男で、六年間も想い続けてくれていた人間だったと知ったときの衝撃は、今でも鮮明に覚えている。あの頃の俺は、仕事がどれだけ順調でも、どこか不完全な人間のように感じていた。営業成績も昇進も同僚からの信頼も、全てが砂上の楼閣のように脆く思えて、「女を抱けない」という一点が、積み上げてきたものの土台を静かに蝕んでいた。 千景が、全てを変えてくれた。 千景の睫毛が震えて、ゆっくりと瞼が持ち上がった。焦点の合わない瞳が天井を彷徨ってから、俺の顔を見つけて柔らかく細められる。二十八歳になった千景の寝起きの顔は、出会った頃よりも少しだけ大人びていて、目元に浮かぶ穏やかさが増していた。「おはよう」「おはよう、伊織」 軽く唇を重ねると、千景の温かい吐息が鼻先に触れる。優しい朝のキスは、一日の始まりを告げる大切な儀式のようなものだ。 先にベッドを出て、キッチンに立った。手際よく朝食の準備をしていく。 背中に温もりが触れた。千景が後ろから抱きついてきて、俺のシャツの背中に頬を押しつけている。細い腕が腰に回されて、寝起きの体温がじんわりと伝わってきた。「今日、どうする?」「午後から店に行く予定だよ。環さんから話があるって」「環さん? もう帰ってきてるの?」「うん。先週帰国したって」 フライパンの上でベーコンが弾ける音を聞きながら、千景の腕を軽く叩いて離してもらう。卵を割り入れると、白身がじゅうっと音を立てて広がった。「会いたいな」「一緒に来る?」「俺が行っていいの?」「環さんも会いたがってたから。喜ぶと思うよ」 千景が嬉しそうに頷いて、トースターにパンを入れた。二人で並んでキッチンに立つ日曜の朝は、五年間で当たり前の風景になっている。当たり前であることが、どれほど贅沢なのかを噛み締めながら、俺は目玉焼きを皿に移した。 向かい合ってダイニングテーブルに着き、トーストにバターを塗りながら千景が口を開いた。「玲司と一ツ橋さん、来月から同棲
黒地に赤い椿が散りばめられた着物の帯を締め直しながら、僕はカウンターの端に置かれた姿見で全身を確認した。華やかな帯揚げが胸元できちんと整っているのを確かめてから、袂を軽く払う。和服を着るようになって一年が経つけれど、帯の締め加減にはまだ神経を使う。きつすぎると呼吸が苦しくなり、緩すぎると着崩れてしまうから、毎回、微妙な加減を探りながら調整していた。「ママ、今夜も綺麗ですねえ」 カウンター席に腰かけた常連客が、グラスを掲げながら声をかけてくる。僕は口元に微笑みを浮かべて「ありがとうございます」と軽く頭を下げると、客のグラスに手を伸ばして水割りを作り始めた。氷がグラスの中でからからと回る音が、フロアに流れるジャズのピアノと重なっていく。 Queen's Nightの店内は、三年前と大きくは変わっていなかった。カウンターの木目も、壁に飾られた常連からの色紙も、奥のテーブル席に灯る間接照明の色合いも、環さんがいた頃のままだ。変わったのは、環さんの定位置だった場所に今は僕が立っていることだろう。バーテンダーの玲司はいつも通りシェイカーを振っている。 一年前、環さんは長年の夢だった世界旅行へと旅立った。「あなたたちに任せるわ」と笑って店の鍵を玲司に預けた環さんの後ろ姿を見送ったのが、つい昨日のことのように思い出される。新オーナーとなった玲司が経営面を担い、僕はバイトから正社員になって、ママ代理として店を切り盛りしていた。 かつての源氏名「ちか」は、いつの間にか「ちかママ」に変わり、新人キャストたちからも常連客からも、自然とそう呼ばれるようになっている。 新人キャストの一人がフロアから戻ってきて、「ママ、三番テーブルのお客様がお会計です」と耳元で囁いた。僕が頷いてレジへ向かおうとしたとき、入り口のドアが勢いよく開く音が店内に響いた。「こんばんはー!」 聞き覚えのある元気な声とともに飛び込んできたのは、短く刈り込んだ髪にがっしりとした肩幅、スポーツマン体型の男性だった。スーツの上着を小脇に抱えて、ネクタイを緩めた姿で息を弾ませている。「一ツ橋さん! 玲司、恋人が来たよ」 カウンターに向かって声をかけると、グラスを磨いていた玲司が顔をあげた。切れ長の目が一瞬だけ柔らかく細められて、「ああ」と短く応える声に微かな喜びが滲んでいる。交際を始めて一年半が経つ二人の間
窓の向こうに広がる夜景が、宝石を散りばめたように瞬いていた。 高層階のレストランは、フロア全体が落ち着いた間接照明に包まれていて、テーブルの上に灯された蝋燭の炎がゆらゆらと揺れるたびに、千景の横顔に柔らかな陰影を作り出している。純白のテーブルクロスの上には、フレンチのコース料理が一皿ずつ運ばれてきて、銀のカトラリーが静かに触れ合う音と、グラスを傾ける微かな水音だけが、二人の間に漂っていた。「今日は特別な日だから」 向かい合って座る千景にそう告げると、千景が少しだけ恥ずかしそうに目を伏せて、口元を綻ばせた。卒業証書を受け取った瞬間の誇らしげな横顔を思い出して、俺の胸にも温かいものが込み上げてくる。「卒業おめでとう」 グラスを掲げると、千景も赤ワインの入ったグラスを持ち上げて、澄んだ音を立てて合わせてくれた。蝋燭の光がワインの深紅を透かして、千景の白い指を赤く染めている。「ありがとう、伊織」 名前を呼ぶ声が柔らかく響いて、胸の奥がじんわりと熱くなった。呼び方が「兄さん」から「伊織」に変わってから、名前を口にされるたびに鼓動が跳ねる感覚は、何度経験しても慣れることがなかった。「あの日、バーで出会ってから……いろいろあったな」 ワインを一口含むと、芳醇な香りが喉を滑り落ちていく。あの夜、カウンターの隣に座った「ちか」の姿が脳裏をよぎった。長い黒髪、洗練されたワンピース、低くてハスキーな声。酔いに任せて弱みを曝け出した夜から、想像もしなかった場所まで二人で歩いてきたのだと思うと、感慨深い。「うん。伊織と付き合えて、僕はすごく幸せだよ」 千景がナプキンの端を指先で弄びながら、照れくさそうに微笑んだ。蝋燭の炎を映した瞳が潤んでいて、薄い唇が僅かに震えている。言葉にするのが気恥ずかしいのだろう、視線をワインのグラスに落としながらも、頬は仄かに紅潮していた。「俺も」 短く答えて微笑むと、千景がようやく顔を上げて目を合わせてくれた。視線が交わった瞬間に、千景の瞳に宿る光がふわりと柔らかくなって、レストランの喧騒が遠のいていくような錯覚に陥る。 デザートのクレームブリュレを食べ終えて、エスプレッソを飲みながら千景の話に耳を傾けていた。卒業式での友人との別れ、ゼミの教授からかけられた言葉、卒業論文を提出したときの達成感。一つ一つを嬉しそうに語る千景の表情を眺
玄関のドアを閉めた途端、千景の唇が重なってきた。 靴を脱ぐ間もなく、薄暗い玄関先で互いの体温を求め合うように抱き寄せると、千景の腕が首に絡みついてくる。ウィッグの黒髪が肩口に流れ落ち、微かに残る店の香りと千景自身の匂いが鼻腔をくすぐった。 唇を離しては重ね、離してはまた吸い上げる口づけを何度も繰り返すうちに、呼吸が荒くなり、互いの吐息だけが狭い空間に響いていく。 舌先が千景の上唇をなぞると、小さく身体を震わせて口を開いてくれた。差し込んだ舌が千景の舌と絡み合い、唾液が溢れて口の端から零れそうになる。飲み込む音が静かな玄関に響いて、千景の耳が薄く赤く染まっていくのが、廊下から漏れる常夜灯の灯りで見て取れた。 キスをしたまま、手のひらをワンピースの裾から滑り込ませると、太腿の柔らかな肌に触れた。指先を内側へと這わせながら上へ辿っていくと、スカートの布地を押し上げるように硬くなった千景の熱が手のひらに当たる。薄い布越しに包み込むように触れた瞬間、千景の喉からくぐもった甘い声が漏れて、膝ががくりと揺れた。「あっ……んっ、あ」「玄関だから、静かにね」 耳元で囁くと、千景が潤んだ瞳で睨むように見上げてきた。「兄さんが触るから……」 責めるような口調なのに、腰は俺の手に擦り寄せるように動いている。頬が紅潮し、長い睫毛の下で瞳が蕩けかけていた。唇が微かに震えて、次の言葉を待っているのがわかった。「兄さんじゃなくて、そろそろ俺のこと『伊織』って呼んでほしいな」 千景の顎に指を添えて顔を上げさせると、大きな瞳がさらに見開かれた。常夜灯の淡い光を受けて、アーモンド型の瞳が濡れたように輝いている。「いっ……いおり」 小さく、掠れた声だった。名前を口にしただけで千景の耳まで真っ赤に染まっていくのが愛おしくて、頬を両手で包み込むと額に唇を落とした。「うん。これからは、ずっとそう呼んで」 柔らかく唇を重ねると、千景の力が抜けたように身体が預けられてくる。甘く、蕩けるような口づけだった。舌を絡ませるのではなく、唇だけで触れ合う優しいキスに、胸の奥がじんわりと熱くなる。「伊織、久しぶりに……したい」 唇が離れた隙間から、千景の切ない声が零れた。「もちろん。俺も我慢できない」 千景の腰を引き寄せて深いキスをすると、玄関で靴を脱ぐ音がばたばたと重なった。互いの唇