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北川とも
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Novels by 北川とも

血と束縛と

血と束縛と

美容外科医の佐伯和彦は、十歳年下の青年・千尋と享楽的な関係を楽しんでいたが、ある日、何者かに拉致されて辱めを受ける。その指示を出したのが、千尋の父親であり、長嶺組組長である賢吾だった。 このことをきっかけに、裏の世界へと引きずり込まれた和彦は、長嶺父子の〈オンナ〉として扱われながらも、さまざまな男たちと出会うことで淫奔な性質をあらわにし、次々と関係を持っていく――。
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Chapter: 第45話(12)
 総子や正時には迷惑をかけたくないし、失望もされたくなかった。和彦が今願うのは、その一点だ。 顔を強張らせる和彦に対して、総子は相変わらず笑みを向けてくる。「この先を生き抜くための武器を、あなたに与えると言っているのです。どう使うかは、あなた自身が決めなさい。あなたの負担にならないよう、いろいろと手立ては講じてあります。心配しなくても大丈夫ですよ」 目の前にいるのは、一見穏やかな高齢の女性なのだが、伴侶と共にずっと、和泉家を切り盛りしてきた人物でもある。ここまで話を聞いただけでも、平穏とは言い難い人生を送ってきたとわかる。 女傑、という言葉が、ふっと和彦の脳裏を過った。「少し話しすぎましたね。続きはまた明日にしましょう」 頭を整理したいと思っていた和彦に異論はない。頷くと、夕食をとるよう勧められる。 こんなときでも腹は空くのだなと、ちらりと苦笑いをした和彦は、総子とともに食堂に向かった。** 食事の味はよくわからなかった。ただ、自分のために準備してくれたのだなとわかる献立は、素直に嬉しかった。 和彦は総子と二人で夕食をとったあと、一気に押し寄せた疲労感を堪えつつ入浴を済ませた。新幹線に乗る前に買っておいたスウェットスーツを着込んだ上から、わざわざ用意してくれた半纏にありがたく袖を通す。大きい家だけあって、人がいる部屋以外は暖房が効いておらず、廊下などは冷え込むのだ。 和彦が使うよう言われた部屋は、庭に面していた。ただ日が落ちてからしっかりと雨戸が閉められたため、外の景色を見ることは叶わない。長い廊下に人影は見えないが、家のどこかで誰かが移動している気配がして、微かに話し声も聞こえてくる。 なんとなく長嶺の本宅の様子を思い出し、少しだけ胸が苦しくなった。 部屋に入ると、すでに布団が敷かれていた。ヒーターも入れてもらっており、室内は十分に暖まっている。スーツもしっかりハンガーにかけられているのを見て、和彦は口元を緩める。 ずいぶん気をつかってもらっているなと思いながら、ボストンバッグに近づこうとして、声を上げる。室内に自分以外のものの気配を感じたのだ。見ると、ほっそりとした体
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第45話(11)
「小屋に泊まっている間、紗香はあなたに水も食料も与えてなかったようです。悪意があってのことではなく、頭になかったと思いたいですが、結果として、あなたを殺しかけたことは事実です。自分の子をやっと手元に置いて、笑いかけて、言葉をかけて、抱き締めて……。それで母親に戻れると、あのときの紗香は信じたのでしょう」 ふいに、体に巻き付く生あたたかな感触があった。総毛立った和彦は、誰もいないとわかっているはずなのに、背後を振り返る。 本能的に、子供の頃、紗香に抱き締められたときの記憶だと思った。ムッとするような熱気と、室内のカビ臭さ、窓から見えた鬱蒼と生い茂った雑草と木々。堰を切ったように次々と蘇る記憶に、和彦は動揺する。「和彦さん?」 我に返り、勢い込んで総子に尋ねる。「……母さ……、紗香さんは、ぼくが保護されたあと、どうしたんですか?」「俊哉さんからの知らせを受けて、家の者たちが行ったときには……。あなたをまた奪われたと思って、それでなくても脆くなっていた精神がもたなかったのでしょう。自ら命を絶っていました」 深いため息をついた総子は、湯呑みの縁を指先でなぞりながら呟いた。「……紗香の人生の大きな岐路には、俊哉さんが立ち会う運命だったのでしょうね」 それは言い換えれば、俊哉の人生の大きな岐路に、紗香が立ち会う運命だったともいえる。「ぼくは、佐伯家から疎まれている存在なのだとばかり思っていました。父はぼくに興味がなく、母はぼくを忌々しく感じていて……。だから正直、家を出たあとは、姿を消してしまおうと考えてもいました。でも、久しぶりに家族と関わってみて、そうすることがいいのか迷っています。おばあ様の話を聞いて、まだ考えるべきことはあるんじゃないかと」 和彦はようやくこう切り出す。「――ぼくも、人生の大きな岐路に立っている最中なんです」「話は聞いていますし、悪いとは思いましたが、調べもしました」 目を見開いた和彦に、安心させるように総子が笑いかけ
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第45話(10)
「今回、ぼくを呼べたということは、相手方と和解なりできたということですか?」 いいえ、と告げた総子の声と表情は、冷然としていた。その様子が、和彦の中で綾香と重なる。「――断絶しました。事業が行き詰まってから、あっという間でしたよ。皆、見ているものですね。和泉家に対する仕打ちが広まって、誰も手を差し伸べなかったようです。失意と絶望は、簡単に人を弱らせる。その家にはもう誰も……」 何もかもが因果応報なのだと、総子は続ける。和泉家も、名を大事にした結果、本来であれば将来家を支えるはずだった紗香を失い、その紗香が生んだ和彦を手放すことになった。「あなたを和泉家には戻さないと、俊哉さんなりの決意の表れなのですよ。〈和彦〉という名前は」「ぼくの名前……?」「和泉家から受けた恩と、かけてしまった迷惑を忘れない。だが、この子を和泉家に戻すことはないと。その証として、〈和〉という字を名前に入れたようです」 自分の名の由来など、和彦は告げられたことはなかった。兄である英俊には俊哉の一文字が入っており、跡取りとそうでない次男との間に、明確な線引きをされているのだと、そう感じていただけだった。「家名と家族を守ることに必死だったわたしたちは、紗香の気持ちを顧みていませんでした。産んですぐに子から引き離されて、母親が平気でいるはずがない。そんな当然のことに気づかなかった……。いえ、気づかないふりをしていた」 紗香が精神的に不安定だったという理由は、話を聞いただけの和彦でも推測できる。俊哉や〈先生〉、家族との関係。妊娠・出産を経る間に、さまざまな軋轢にも立ち向かわなければならなかったはずだ。自業自得という言葉では済まないつらさを伴っていただろう。「何もかもが落ち着いたと思っていたある日、紗香の療養先から、紗香の姿が見えなくなったと連絡が入りました。同じ日に、今度は綾香から、四歳のあなたが連れ去られたと半狂乱になって連絡が。すぐに紗香の仕業だとわかりましたが、警察に連絡もできず、わたしたちは心当たりを探すしかできませんでした」「母が、半狂乱……」
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第45話(9)
「紗香と俊哉さん、それに先生との間で何があったのか、わたしにはわかりません。紗香は頑なに口を閉ざしたまま逝ってしまったし、俊哉さんは曲者。先生は……、何も知らされていなかったのかもしれません」「紗香さんは、その先生が好きだったんですね。一方の父にも、妻子がいた。そんな二人が、どうして……」「一度紗香が、まだ学生だった先生と結婚したいから、婚約をなかったことにしたいと言ってきたことがあります。わたしと主人が猛反対したら、それはもう、絶望したような顔をしていました。それからしばらくして、あなたを身籠っていると告白してきました。しかもその場に伴ってきたのは、よりによって自分の姉の夫。あのときの二人は、道ならぬ恋に浮かれているとか、過ちを犯してうろたえているとか、一切そんな素振りはなく、むしろ毅然としていましたよ」 総子は口元に淡い笑みを浮かべる。娘に激しい感情を抱く時期は過ぎて、どうしようもない空しさを噛み締めているような、そんな表情に見えた。和彦は胸苦しさに耐えきれず、温くなったお茶で口を湿らせる。「俊哉さんは当時、ここから近い自治体に単身で出向していて、仕事と子育てに忙しい綾香に代わり、紗香がお世話に通っていました。そのときに何かあったと考えるべきなのでしょうが、それでも、紗香の目は先生だけに向いていたような気がして……。ただ先生は、紗香の妊娠について何も知らなかったようです。出産からあとのことも、すべて我が家と彼のお父様との間で進めましたが、紗香が亡くなったと知らせたときは、ずいぶん悲しまれて、こっそりお墓にも来てくれました」 これは言うべきなのだろうかと逡巡した和彦だが、医者として黙っていることはできなかった。「……今なら簡単に、親子鑑定ができます。ぼくと父が――」「結果がどうあれ、あなたが紗香の子であることに間違いはありません。本当に、そっくり」 両親からの説得にも関わらず、紗香は和彦を出産し、手放した。手元に置くことだけは、和泉家の総意として許さなかったのだという。何より、〈父親〉である俊哉が、赤ん坊を佐伯家で引き取ることを熱望したという話に、和彦は
Last Updated: 2026-08-30
Chapter: 第45話(8)
「……医者にしたいと、母が先に言っていたようです」『母』という呼び方が、どうしてもしっくりこない。戸籍上の母親である綾香に対しても、『母さん』と呼ぶことに、和彦はずっと引け目のような感情を抱き続けていたぐらいだ。和彦にとって母親とは、手を伸ばしても届かない幻のような存在なのだ。そのため思慕の念を抱くのは難しい。 堪らず、総子にこう訴えていた。「あの、母を名前で呼んでもいいですか? 頭ではわかっているんですが、まだ混乱していて……。ぼくを産んでくれた人は、ずっと前に亡くなったと聞かされていたし、記憶からも抜け落ちているんです。それが、ここにきて急に、存在がはっきりとした輪郭を持ち始めて、なんだか――」 怖い。知りたいはずなのに、知ることが怖いのだ。そこには、自分がいままでとは違う生き物になってしまいそうな危惧も含まれる。「呼びたいようにお呼びなさい。母と呼ぶことに抵抗があるのなら、それは仕方のないことで、あなたは悪くありません」 ただ、と総子が続ける。「紗香が、本当にあなたの誕生を望んでいたことだけは、知っていてほしいのです。あの子なりに必死に考えて、足掻いた結果だとしても」「父も、同じ気持ちだったと思いますか?」 総子が一息つき、湯飲みを口元に運ぶ。和彦はじっとその行動を見守っていた。 どんな返事があったとしても受け止めるつもりだったが、総子が口にしたのは意外なことだった。「わたしは本当は、あなたは俊哉さんの血を引いていないのではないかと思っています」 和彦は、自分でも不思議なほど冷静だった。実の母親に殺されたかけたと告げられただけで、十分すぎるほど衝撃を受け、まだ気持ちが持ち直していないところにこの言葉だ。もう、どう驚いていいか自分でもわからなくなっていた。「さっき言われた、母の……、紗香さんの前に現れた男性、ですか?」「紗香は、俊哉さんとの子だといい、俊哉さんも、それを認めた。だけど当時、紗香が想いを寄せていたのは――」 当時医学部に通う学生だったと総子は言った。学生の父親が、正時たちの働きかけに
Last Updated: 2026-08-29
Chapter: 第45話(7)
 和彦は、総子の発言をすぐには理解できなかった。数瞬、呼吸すら忘れる。「ぼく、が……」 総子に手を取られてなんとか部屋に入る。ぎこちなく座布団に腰を下ろして愕然としている間に、君代がやってきて静かに二人分のお茶を出すと、すぐに部屋を出て行った。 それを待って総子が再び語り出す。「紗香が当時、精神的に不安定だったというのは、言い訳にはならないでしょう。ただ、それが原因で善悪の区別がつかなくなり、母親としての本能が暴走したと、考えています。親としては、そう願わずにはいられなかった」「……ぼくは、生まれてすぐに、佐伯家に引き取られたと聞いています。それがどうして、母が、そんな――」 ここで和彦は、俊哉から言われたことを思い出す。「父に言われました。ぼくが、短い間一度だけ、母と暮らしたことがあると。そのときに、何かあったんですか?」「『暮らした』というのは、俊哉さんにしては、婉曲な表現ね」 総子の口調がわずかに皮肉げだったのは、気のせいではないだろう。「まずは、紗香について話しましょうか。その様子だと、あまり教えてもらってはいないのでしょう?」「どういう人だったかということは、ほとんど何も……」 わずかに教えられたのは、奔放で、火のように激しい気性の持ち主だったことぐらいだが、次の総子の言葉を聞いて、和彦は目を丸くした。「――子供の頃からおとなしくて、手がかからない子でした。あまり自己主張もせず、親に逆らうこともなく……。綾香とは対照的な姉妹でしたよ。外に出て自立して、自分で見つけた相手と結婚した綾香の代わりに、婿を取って、この家を守っていくとも言ってくれて」「婿?」「紗香には婚約者がいました。和泉家と古いつき合いのある家の次男で、子供の頃からお互いを知っているという安心感もあって、あとはいつ式を挙げるかという話にまでなっていました。でも、そんな紗香の前に現れた男性がいた」「ぼくの父、ですか?」「いいえ」 えっ、と声を洩らした和彦の顔を、総子はし
Last Updated: 2026-08-29
SWEET×SWEET

SWEET×SWEET

システムエンジニアの啓太郎は仕事で疲れきっている中、マンションの隣室に住む引きこもり青年・裕貴と知り合う。 生意気で、小悪魔のようでありながら、妙に愛情深いところもある裕貴に食事の面倒を見てもらっているうちに親交を深め、そこで啓太郎は、裕貴の内面にも次第に立ち入ることになる。 裕貴と特別な関係となった啓太郎の前に、裕貴の兄・博人が姿を見せるが、兄弟の間には誰にも言えない秘密があり――。
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Chapter: -154-
「ど、して……」 呆然としながら啓太郎は掠れた声を洩らす。だがその声は、ベッドの上にぐったりとして横たわっている裕貴の耳には届かなかったらしい。 裕貴は全裸だった。汗に濡れた肌は艶かしく上気しており、剥き出しの胸は忙しく上下している。息も絶え絶えといった様子で目を閉じ、眉は苦しげにひそめられ、唇からは荒い呼吸が洩れていた。  寸前まで、ベッドの上で裕貴がどんな状態だったのかは明白だ。 上気した肌のあちこちに、一際鮮やかな赤い跡が残っており、上下する胸の二つの突起はどれだけ強い刺激を与えられたのか、熟して尖ったままだ。「……あんたは、自分の弟に……」 「他人がどう思おうが、俺たち兄弟には関係ない。互いを唯一の相手と認識して、繋ぎ止めておくためには、必要な行為だ。俺の結婚で少し関係がこじれて、修復するのに二年かかったが、ある意味、君には感謝している。頑固な裕貴の気持ちを解きほぐしてくれたんだからな」 「俺は、そんなつもりは、ないっ……」 博人が何を言っているのか、よくわからない。わからないなりに、築き上げた裕貴との関係を利用されたのだと思い、目も眩むような怒りが込み上げてくる。  それでいて博人に掴みかかれなかったのは、怒りを上回る戸惑いと混乱に、啓太郎の体が動かなかったからだ。「裕貴には何度も、実家に戻ってくるよう言った。温泉に連れて行ったときや、リフォームのことで実家に呼び出したときにキスや愛撫を与えると、二年前までと同じように反応するくせに、心だけは抗う。君と、恋人ごっこをするのが楽しいらしい」 「そういう言い方は、やめろ……」 裕貴の様子が最近おかしかったのは、博人が言ったような理由で間違いないだろう。  裕貴が温泉旅行に出かけるときに感じた嫌な予感は、実は正しかったのだ。 濡れた下腹部と、力を失った裕貴のものまで目にして、啓太郎は嫌でも事実を認めざるをえなかった。  そんな啓太郎に追い討ちをかけるように、隣に立った博人が言う。「裕貴は快感に対して素直で、脆い。そういうふうに、俺がした。大事にして、慈しんで、甘やかして、俺が与えるものだけで満たされるようにした。……可愛くてたまらない、大事な弟だ。世界にたった一人しかいない、俺の宝物といってもいい。だから、他人に渡すわけにはいかないんだよ」 啓太郎は目を見開き、博人を凝視する
Last Updated: 2026-08-26
Chapter: -153-
 酔っていたせいもあり、土産のデザートを買い忘れたのは痛いが、何日間かは時間的に余裕もできるので、裕貴が言えば、どこの店だろうが買いに行ってやるつもりだ。 啓太郎は、思わず声を洩らして笑ってしまい、すぐに咳で誤魔化す。  自分はどれだけ裕貴を甘やかしたくて仕方ないのかと考えると、笑えてきたのだ。裕貴の兄である博人の過保護ぶりが、他人事とは思えない。 マンション前でタクシーを降り、裕貴の部屋を見上げる。電気がついているのを確認すると、啓太郎は足早にマンションへと入った。 エレベーターの中で、裕貴がどんな顔をして出迎えてくれるか想像する。  驚いたように目を丸くしてから、屈託ない笑みを向けてくれるか、大人げないと言いたげに呆れた表情を見せるか。もしかすると裕貴なら、いきなり抱きついてくるかもしれない。  とにかく裕貴の言動は、啓太郎の想像を超えているところがある。そこがまた、一緒にいて楽しいと思えるのだから、惚れた欲目とは恐ろしい。 我ながら酔っているとは思えない颯爽とした足取りで、裕貴の部屋の前まで来ると、いつものようにインターホンを押した。  無意識に心の中で数をかぞえる。裕貴がどれぐらいの早さでドアを開けてくれるか、体が感覚として覚えてしまった。 だが今夜に限って、いつまで経ってもドアが開かない。 眠っていて聞こえないのだろうかと思い、もう一度、今度は数回立て続けにインターホンを鳴らす。一分ほど待ってからようやく、ドアの向こうから微かな物音が聞こえた。 チェーンを外す金属音に続き、鍵を解く音もする。ゆっくりと開けられるドアの向こうから、姿を現したのは――。「えっ……」 その人物の姿を見て、啓太郎は思わず声を洩らす。博人だったからだ。  この瞬間、啓太郎の全身に悪寒が走り、鳥肌が立つ。触れてはならないものに触れてしまったと、本能が信号を発したのかもしれない。 博人はなぜか、スラックスにワイシャツを羽織っただけの格好をしていた。はだけたワイシャツの下から素肌が見えているが、汗が滴り落ちている。 啓太郎は、端然とスーツを着込み、怜悧な雰囲気をまとった博人しか知らない。だが今、目の前に立っている博人は、格好もそうだが、雰囲気もどこか気だるげだ。それでいて、悠然として勝ち誇ったような表情を浮かべているのだ。 捕まってはいけない『何か』に、
Last Updated: 2026-08-17
Chapter: -152-
**** おおっ、とモニターを覗き込んでいた社員たちの口から、感嘆とも安堵とも取れる声が洩れる。一方の啓太郎はといえば、感嘆も安堵も突き抜けて、虚脱感に襲われていた。  イスの背もたれにズルズルと体を預けながら、大きく息を吐き出す。「はあーっ、気が抜けた」 ずっと取り掛かっていたショッピングサイトのシステムの最終試験が終了し、怒涛の流れでシステムのリリースとなったわけだ。 完成したシステムを顧客に引き渡し、確認してもらうことをリリースというのだが、啓太郎はそもそも顧客の会社に出向いてシステムを作っていたので、完成までにどれだけのバグが出ていたか、すべて会社に筒抜けだ。  そういう意味では、リリースの瞬間も気楽なはずなのだが、万が一にもバグが起こったらと思うと、やはり緊張してしまう。  だが、心配は杞憂に終わった。システムは製品として啓太郎の手を離れたのだ。 すぐに姿勢を戻すと、啓太郎はアタッシェケースから書類を取り出し、このシステムの管理責任者に手渡す。リリースと引き渡しが完了したというサインをもらわなければ、仕事が終わったことにならないのだ。 連日、泊まり込みが続いていて、少し前まではぐったりしていた社員たちも、にわかに活気を取り戻したようだ。  当の啓太郎も、実は張り切っていた。少しの間とはいえ、これでハードワークから解放されるのだ。 ずっと自分が使っていたデスクの上を片付け、アタッシェケースに必要なものを放り込んでいく。「羽岡さん、この後、メシ食うのもかねて打ち上げの店を押さえたんだけど、ちょっと距離があるんだ。それで、タクシーに分乗するんだけど、いいよね?」 「えっ、打ち上げ、今日するんですか」 驚いた啓太郎は顔を上げる。システムが完成してからの打ち上げはよくあることだが、まさか、完成当日に行うとは思っていなかった。すでに店を押さえてあるというのは、手際がよすぎる。 男性社員は苦笑しながら言った。「疲れを取ってから派手に、といきたいところだけど、うちはまだ、業務に付随する細々としたシステム開発が残ってるからさ。だから、大きなシステムが完成した勢いで騒ごうってことになったわけ。そうでないと明日からのデスマーチに耐えられそうにない……」 システム開発者はお互い大変だと思いながら、啓太郎は頷く。「俺は大丈夫ですよ。まさか
Last Updated: 2026-08-10
Chapter: -151-
 すでに凝った突起を指先で弄りながら内奥をまさぐり、裕貴が敏感に反応する浅い部分を指で押し上げる。同時に、口腔に含んだ裕貴のものをきつく吸い上げると、あっさりと裕貴は陥落した。「くうんっ」 短く鳴き声を上げ、裕貴が啓太郎の口腔に絶頂の証を迸らせる。迷うことなく啓太郎は、すべて受け止めて飲み干した。  顔を上げた啓太郎は、顔を上気させて涙ぐんでいる裕貴の顔を見下ろす。照れ隠しのつもりなのか、涙で潤んだ目で睨みつけられた。「……そんなことまで、しなくていいのに……」 「お前だって、俺が望めばしてくれただろ?」 「おれは……いいんだよ」 苦笑した啓太郎は、すでに汗で濡れている裕貴の前髪を掻き上げる。すると裕貴に手を握り締められ、頬を寄せられた。  そんな裕貴を見下ろしながら、指の届く範囲で内奥を掻き回し、蕩けるほど柔らかくしていく。裕貴はときおり声を上げながら、緩やかに首を左右に振っては、すがるような目で啓太郎を見上げてきた。 啓太郎が自分をどう思っているのか気になっているようにも見え、安心させるように裕貴に笑いかける。  つまらない嫉妬は、裕貴を感じさせることで昇華させる。  啓太郎はそう自分に言い聞かせながら、裕貴の胸元に顔を伏せ、尖ったままの突起を舌先で転がす。「あっ」 裕貴の両腕にしっかりと頭を抱き締められ、その感触が啓太郎には心地いい。早く、こいつの中に溶けてしまいたいと思う。「悪い、裕貴。今日はもっと感じさせてやろうと思ったけど、俺がもたん」 「いいよ。おれも早く、啓太郎が欲しいよ」 「……お前なあ……」 興奮を煽るようなことを口にするなと言いたかったが、行為の最中とは思えないほど、あどけない顔をした裕貴を見ると、どうでもよくなった。  啓太郎は裕貴の内奥から指を引き抜くと、両足を抱え上げる。蕩けて熱くなった場所に、それ以上に熱くなった自分の高ぶりを押し当て、擦りつけると、それだけで愉悦を覚えたように裕貴が目を細めた。 自ら両足を抱え持った裕貴の表情を眺めながら、啓太郎は内奥にゆっくりと押し入る。「うっ、あぁ――。あっ、あっ、はうっ」 啓太郎のものは熱い収縮感に包み込まれ、背筋に痺れるような快感が駆け抜ける。裕貴の内奥は、ヒクヒクと震えていた。  少しでも裕貴を早く楽にしてやろうと、逞しい部分を呑み込んだばかりの内
Last Updated: 2026-08-04
Chapter: -150-
 啓太郎は裕貴を伴ってベッドへと移動すると、すぐに細い体を押し倒そうとしたが、反対に裕貴に胸を押されて、啓太郎のほうがベッドに仰向けに転がる。「おい、裕貴……」 「最初の頃からおれ、言ってたよね。気持ちよくしてあげるって」 言いながら裕貴の手が、啓太郎が穿いているスウェットパンツの前に這わされる。意図を察した啓太郎は、慌てて裕貴の手を押し退けようとしたが、裕貴は小さく笑った。「本当に優しいね、啓太郎は」 そう言いながらも裕貴の手の止まることはなく、啓太郎のものは布越しに柔らかく刺激される。感じる心地よさが、なぜか啓太郎を不安にさせる。  裕貴はもう笑っておらず、強い光を放つ目でじっと見つめてくる。「だけど、知るべきだよ。とっくに気づいてるんだろ? おれが――男に慣れてるって」 「俺は別に、お前が前に誰とつき合ってようが気にしない。それを言うなら俺だって、お前の前でさんざん、過去につき合ってた女の話をしている」 一瞬、つらそうな顔をしてから裕貴が目を伏せる。「……啓太郎がしてきた恋愛とは、違うよ……」 このときの裕貴の言葉を、同性同士の恋愛だから、という意味で啓太郎は捉えた。 啓太郎は口を開きかけたが、次の瞬間には唇を引き結ぶ。裕貴が、引き出した啓太郎のものに顔を近づけ、唇で触れてきたからだ。「裕貴っ……」 痺れるような熱い感覚が背筋を駆け抜ける。動けなくなった啓太郎にかまわず、裕貴は舌を這わせてから、ゆっくりと口に含んでいく。すでに何回か、啓太郎が裕貴にしてやっていた行為だった。  あっという間に制止する気力を奪われた啓太郎は、黙って裕貴を見つめる。ときおり上目遣いに見上げてきながら、裕貴は熱心な愛撫を続け、それに伴い、啓太郎の中で快感も高まってくる。 素直には認めがたいが、目を背けるわけにもいかない。裕貴の愛撫は巧みで、情熱と興奮のみで施す啓太郎の愛撫とはあまりに違いすぎた。  狂おしい嫉妬と快感に呑まれながら、とうとう啓太郎は裕貴の頭に手をかける。髪を撫でてから、頬に触れると、濡れた目でこちらを見つめてきながら裕貴が微かに微笑んだように見えた。 裕貴の舌が、高ぶったものの先端に丹念に這わされる頃になると、啓太郎は天井を見上げて大きく息を吐き出す。  しっとりと湿った口腔の粘膜に包み込まれ、柔らかく締め付けられながら吸引され
Last Updated: 2026-07-30
Chapter: -149-
「ということで、おれは引きこもりに戻るよ」 「……戻るも何も、周囲の人間が、お前を強引に連れ回していたというか……」 「だったら、おれを連れ回していいのは啓太郎だけ、ということに決めた」 単純だが、裕貴の言葉が嬉しかった。つまらない啓太郎の独占欲は、あっという間に満たされていく。  裕貴の首の後ろに手をかけ、そっと引き寄せると、裕貴のほうから軽く唇を吸ってきた。「それで、いい?」 尋ねてきた裕貴の目には、不安の色がちらついていた。普段、挑発的なほど強い光を湛えているというのに、なんという目をしているんだと思いながら、啓太郎は強い口調で応じた。「いいに決まってるだろ」 裕貴が笑みをこぼしたのを確認してから、今度は啓太郎が裕貴の唇を吸い上げ、そのまま二人は吐息を洩らしながら唇を重ねる。 裕貴の手が、啓太郎の着ているトレーナーの下に入り込んできて、熱くなっている肌に、さらに熱い指先が這わされる。たったそれだけの感触に、ゾクゾクするような愉悦を覚え、啓太郎も裕貴が着ているTシャツをたくし上げるようにして肌に触れていく。「お前、外に行くのに、こんな薄着にコートを引っかけただけだったのか」 「だって、タクシーに乗って家に行くだけだし」 「それでも、また風邪ひくぞ」 「――そうしたら、啓太郎につきっきりで看病してもらう」 やっと裕貴が、いつもの挑発的な眼差しを向けてくる。その目に見入られたように、啓太郎は目許に唇を押し当て、次に白い耳にも触れる。  感情の高ぶりのまま、素直な気持ちを抵抗なく口にできた。「お前が好きだ……。生意気で、俺を振り回してばかりなのに、そんなお前のことを、たまらなく愛しく感じる」 ふいに裕貴の両手が頬にかかり、顔を覗き込まれる。照れたように笑いながら、裕貴がぽそぽそと囁くように言った。「そういう言葉、もっと言ってよね。優しいくせに、そういうところ鈍感だよね、啓太郎って。なんで彼女と長続きしなかったのか、わかる気がする」 「うるさい。それと、……努力する」 裕貴と少しでも長く、心地のいい関係を続けていきたいから――。 さすがにキザすぎて、この台詞は口には出せない。ただ、心の中で強く願うだけだ。その想いが通じたのかどうか、裕貴が首にしがみついてきたので、軽い体を受け止めながら啓太郎は厳かに提案した。「……ベッドに行
Last Updated: 2026-07-25
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