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第119話

Author: 知念夕顔
李人はここ二年間、江城市で最も価値ある弁護士と呼ばれてきた。当然ながら目は肥えていて、どんな案件でも引き受けるわけではない。

通常なら、依頼を希望する者はまずアシスタントに連絡し、案件の詳細を伝える。アシスタントが評価と選別を行い、その上で李人が自ら引き受ける案件を選ぶのだ。

それでも最終段階ではない。李人は多忙を極め、どの案件を優先的に扱い、どれを後回しにするかは順番待ちになる。

だが明日香は、予約の手順すら飛ばし、いきなり直接訪ねてきた。

李人がこれほど穏やかに対応するのは、ひとえに郁梨の顔を立ててのことだった。

もちろん、郁梨にそれほどの顔が利くのも、承平のおかげだ。李人は折原グループの顧問弁護士であり、承平は大口の依頼主なのだから。

受付のスタッフは、李人が自ら明日香を迎えに現れたのを見て、驚きのあまり口をぽかんと開けた。

この美女、そんなにすごい人物なのか。

所長自ら迎えに出るなんて……もしかして所長の恋人なのでは?

受付スタッフが明日香を見る目は、一瞬にしてゴシップ心に満ちあふれた。

李人は明日香と電話で数度話したことがあるだけだった。だが、郁梨のマネージャーがこれほど若く、しかもこれほど美しいとは思いもしなかった。

こんな逸材が芸能界でマネージャーにとどまっているとは、なんとも惜しい話だ。

「白井さん?」

明日香は歩み寄り、手を差し出した。「青山先生」

李人は明日香の手を握った。少し冷たく、しなやかで骨ばっていない感触だった。

「突然の訪問で申し訳ありません。本当に急な用件でして、青山先生のご理解をいただければと思います」

明日香は謙虚で礼儀正しく、その所作ひとつひとつに優雅さと落ち着きが漂っていた。李人は思わず目を細め、無意識に金縁の眼鏡を押し上げた。

「白井さん、どうぞ」

李人は招くように手を示し、明日香を伴ってオフィスを抜け、自室へと向かった。

二人の姿が通るたび、スタッフたちの視線が集まった。所長がわざわざ入口まで迎えに行った美女を連れているのだ。この美女はいったい誰なのか。

青山法律事務所の業務チャットグループは、明日香と李人がオフィスに入った途端、大騒ぎになった。

【@所長の雑用係伊部さん、所長がオフィスに連れてきた美人って誰?】

ちょうどトイレから出て手を洗ったばかりの伊部辰之(いべたつゆき)は
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