LOGIN拡声器からの声は、なおも途切れなかった。「新井グループの海外港湾プロジェクトで重大事故が発生し、十数人の死傷者が出ています!グループのトップとして、この件について正面から説明していただきたい!」「新井グループの株価は八パーセントも下落し、市場に大きな動揺が広がっています!実質的な意思決定者として、このまま影響が拡大するのを放置し、事態が自然に沈静化するのを待つおつもりですか!」……拡声器はまだ何かを叫び続けていた。だが、その先の言葉はもう新井のお爺さんの耳には入っていなかった。海外プロジェクトで十数人の死傷者。株価の大幅下落……昨日、蓮司が一日中病室に姿を見せず、夜遅くに戻ってきた時も疲労困憊していた理由が、ようやくひとつにつながった。新井のお爺さんは目を見開いた。声を出したかった。何が起きたのか、詳しい経緯を問いただしたかった。なぜプロジェクトでそれほど多くの死傷者が出たのか。なぜ株価がそこまで急落したのか。事故はいつ起きたのか。会社はすぐに対応しなかったのか。広報部は何をしているのか。問いただしたいことは山ほどあった。けれど、どれほど口を開いても言葉にならない。喉の奥から漏れるのは、ひゅう、ひゅうと詰まったような荒い息だけだった。まるで巨大な石で喉を塞がれているかのようだ。新井のお爺さんは震える手を伸ばした。外へ出たい。執事を呼び、状況を聞き出したい。だが、もともと体はほとんど動かない。そこへ極度の焦りが重なり、顔はゆがみ、手足は意思とは違う方向へ激しく引きつった。「新井会長、無理にお体を動かさないでください!」そばにいたリハビリ担当者が慌てて声をかけ、体を元の姿勢に戻そうと手を伸ばした。しかし、新井のお爺さんの体は枯れ枝のように硬くこわばっていた。そこへ本人が無理に力を入れたことで、筋肉が一気に痙攣を起こしたのだ。「誰か!誰か来てください!至急、医師を呼んでください!」リハビリ担当者はナースコールを連打しながら、外にいるボディーガードたちへ切羽詰まった声で叫んだ。その頃、リハビリ室の外では。拡声器の声が響いた直後、透子は真っ先に執事へ連絡を入れていた。まだ通話はつながったままだったが、拡声器を積んでいたドローンはすでに撃ち落とされている。すべては、ほんの数分のうちに起きたことだった
リハビリ室の中は静かだった。透子はその場に十五分ほどとどまっていた。その時、ポケットの中のスマホがかすかに震えた。取り出して見ると、執事からのメッセージだった。【外の記者たちはすべて対応いたしました。ただ、世論への影響については、まだ火消しが必要です】透子はすぐに返信した。【そちらの対応に集中してください。お爺様のことは私が見ていますから、こちらは大丈夫です】執事から感謝の言葉が返ってきた。それを最後に、彼は事態の収拾へ戻った。本来なら、この騒動はすべて新井のお爺さんに気づかれないまま処理されるはずだった。だが、その二分後、リハビリ室の入口に四人のボディーガードが現れた。彼らの制服は、新井家のボディーガードのものとは違っている。新井家のボディーガードに扉の外で制止されると、四人は室内の透子へ目を向け、居住まいを正した。「お嬢様。社長のご指示で、お迎えに上がりました」透子は立ち上がり、扉の外へ出た。そのまま数歩離れ、リハビリ室から少し離れた中庭へ続く階段の下まで彼らを連れて移動する。「まだ帰りません。こちらのことが、まだ完全には片づいていませんから」透子はボディーガードたちに言った。「ですが社長は、現場の処理は新井家側で十分に対処できるとおっしゃっていました。お嬢様がこんな危険な場所に残られれば、ご家族が心配なさいます」ボディーガードの一人が答えた。透子はわずかに唇を引き結んだ。彼らを困らせたいわけではない。「お兄さんには、私から直接話します」そう言ってスマホを取り出すと、十分前に雅人から何件もメッセージが届いていた。どれも、早く安全な場所へ戻るよう促す内容だった。透子はうつむき、返信を打ち始めた。その頃、リハビリ室の中では。口が利けず、体も思うように動かないぶん、新井のお爺さんの耳は以前よりも鋭くなっていた。透子が外へ出た瞬間、新井のお爺さんはまばたきでリハビリ担当者に合図し、リハビリを中断させた。そして静かに、外の会話へ耳を澄ませる。透子の声は小さく、内容までは聞き取れなかった。だが、橘家のボディーガードたちの声はよく通る。断片的にではあるが、いくつかの言葉が耳に入った。現場の処理?何の現場を処理するというのだ?家族が心配する?透子がここに残ると、なぜ家族が心配する?
「透子、透子?聞こえてる?通話、切れてないよね?」透子は答えた。「切れてないよ。家族に返信していたの。お兄さんから『通話中になってる』ってメッセージが来たから、理恵と話しているところだって返したの」雅人の名前が出た途端、電話の向こうで理恵の声が少し止まった。数秒ほど沈黙してから、理恵は言った。「じゃあ、いったん切るね。先にご家族と話して。きっと私より心配してるから」そう言って、理恵は電話を切った。透子は雅人へ折り返そうとした。けれど、祥平と美佐子からも着信が入っている。ひとりずつかけ直すより早いと思い、透子は家族のグループ通話を発信した。すぐに三人が通話に入ってきた。「栞、今どこにいる。もう安全な場所へ戻っているのか」「運転手はそばにいるの?どこか怪我はしていない?」「今すぐそちらへ迎えを向かわせる。十分後には着くから動くな」三人の声がほとんど重なった。張り詰めた心配がそのまま押し寄せてくる。透子は三人の声からあふれるほどの心配と気遣いを感じながら、落ち着いて答えた。「お父さん、お母さん、お兄さん。私は大丈夫です。安全なところにいますから、心配しないでください。お兄さん、迎えは出さなくて大丈夫です。新井のお爺様の様子を少し見てから帰ります。帰る時は、運転手に送ってもらいますから。外の記者たちがいなくなってから出ます。囲まれないようにしますし、自分の身はちゃんと守ります。だから安心してください」透子がそう言うと、三人は一瞬黙った。本音を言えば、今すぐ彼女に帰ってきてほしい。あの病院になど一秒も残ってほしくない。けれど、透子の固い意志を無理に曲げることもできない。三人はしぶしぶ了承した。だが雅人はそれでも安心できず、透子を確実に守るために、橘家のボディーガードを数人、病院へ向かわせた。その頃、病院内では。透子は祥平たちともう少し話したあと、通話を切った。すでに新井のお爺さんの病室の前まで来ていたからだ。透子は扉を軽く叩き、それから中へ入った。けれど、病室には誰もいなかった。透子は近くにいたボディーガードに尋ねた。だが、そのボディーガードは病棟周辺の警備担当で、新井のお爺さんの行き先までは知らなかった。ボディーガードはすぐに同僚へ確認を取った。しばらくして、新井のお爺さんがリハビリ室にいる
透子は小さく頷き、その場を離れた。フェンスの外では、記者たちがすっかり正義の使者を気取って、まだ熱病に浮かされたように声を上げ続けている。透子が歩き出すと、背中へ向かって何か叫ぶ者もいた。だが少し距離が空くと、その声もすぐに聞こえなくなった。周囲が静かになって、透子はようやくポケットの中でスマホが震え続けていることに気づいた。取り出して見ると、着信は理恵からだった。透子が電話に出ると、ロック画面には理恵からのメッセージが何件も並んでいるのが見えた。着信履歴にも、理恵の名前がずらりと並んでいる。連絡してきていたのは理恵だけではない。雅人、祥平、美佐子、スティーブからも、それぞれメッセージや着信が入っていた。透子は、皆が申し合わせたように同じタイミングで連絡してきていることに一瞬戸惑った。だが、順にメッセージを開いて、すぐにその理由を察した。新井グループの病院前で起きた騒ぎは、そのままSNSのトレンドを席巻していた。京田市の上流階級に関わるスキャンダルは広まるのも早い。病院前に透子が現れたことも、すでにゴシップ系メディアの格好の餌食として大きく取り上げられていた。透子は祥平、美佐子、雅人、スティーブへ順に無事を知らせる返信を打った。スマホは通話状態のままにしてあり、スピーカーからは理恵の切羽詰まった声が次々と流れてくる。「透子!なんであんな時に病院へ行ったの?自分から火の中に飛び込んでるようなものじゃない!もう、ライブ配信で見てたけど、あの人たち完全におかしくなってたよ!ゾンビの群れに囲まれてるみたいで、見てるこっちが冷や汗かいたんだから!今は安全なの?ちゃんとボディーガードに守ってもらってる?さっき何回も電話したのに出ないから、本当に生きた心地がしなかったんだよ!」透子は家族への返信を急いで送りながら、理恵に答えた。「大丈夫、私は無事よ。ボディーガードの人たちが守ってくれているから。さっきは外がうるさすぎたの。着信音も小さくしていたから、全然気がつかなくて」透子の声が落ち着いていて、周囲の騒音も聞こえない。それで理恵はようやく少し胸を撫で下ろしたようだった。「無事ならよかったけど……でも、今日わざわざ行く必要なんてなかったじゃない」理恵は咎めるように言った。それから少し沈黙してから、探るように
「栞さん。お願いだ、この警備員たちに言って、俺を中へ入れてくれ。俺は本当に親父の容体が心配なんだ。親父がこの病院へ移されてから、蓮司は俺を一度も中へ入れようとしない。親父がどこまで回復しているのかさえ、俺には全く分からないんだ。俺は親父のたった一人の息子だぞ。こんな時に、病床のそばで息子として尽くせないなんて、あんまりじゃないか。たしかに昔、俺は親不孝を重ねた。だが、それと親を思う気持ちは別だろう」博明の言葉には、妙な切実さがこもっていた。若い頃に犯した過ちまで、自ら進んで認めてみせている。新井家の内側にあった醜聞は、少し前の騒動ですでに世間に知れ渡っている。ここでただ親思いの善良な息子を演じるだけでは、かえって嘘くさく見えるのだ。だから博明は、あえて自分の過去の失敗を口にした。「栞さん、頼む。一言だけ言ってやってくれ。俺は本当に親父が心配でたまらないんだ」博明はさらに訴えかけた。その目も、表情も、今にも崩れ落ちそうなほど悲痛に歪んでいる。博明は片手を上げ、目尻に浮かんだ涙を乱暴にぬぐった。「俺は子供の頃から、親父の自慢の息子にはなれなかった。大人になってからも反抗ばかりして、親父の望みに逆らって、自分の愛した女を選んだ。そのせいで、親父にはすっかり愛想を尽かされてしまった。もし今、親父の身に何かあったら……最後の一目すら会えずに終わるなんてことになったら、俺は一生悔やむ。俺は、俺自身を一生許せなくなるんだ」博明は五十を過ぎた男だ。一応はグループ内の会社を率いる立場にあり、新井のお爺さんの唯一の息子でもある。相応の権力も地位も持っている。その男が今、無数のカメラや報道陣の前で体面もプライドも投げ捨て、親の死に目に会わせてほしいと泣き訴えているのだ。声を震わせ、目尻を何度も拭いながら、病院に入れてくれと訴え続ける。それは、見る者の同情と感情を揺さぶるには十分すぎるほどの芝居だった。周囲の人間は、博明の過去の不義理をたちまち忘れ去った。今そこにいるのは、死にゆく父に会いたいと涙を流して悔いる、哀れな息子なのだと、誰もが錯覚し始めていた。「新井社長が、実の息子である博明氏を父親の見舞いから締め出す正当な理由なんてないはずだ!」一人の記者が、義憤に駆られたように声を上げた。「そうだ!新井社長が頑なに面会を拒むのは、
透子は胸の奥を冷やしながら、新井のお爺さんの病室へ向かおうとした。その時、背後から博明がこちらへ回り込んできた。人垣の隙間から透子の姿を見つけるなり、博明は目を見開き、大声で叫んだ。「橘栞!」透子は息をのんだ。名前を呼ばれれば、誰でも反射的に振り返ってしまう。その一瞬の反応で、博明は透子の身元を確信した。すると、わざと周囲へ聞こえるように声を張り上げた。「みんな、こっちへ来い!彼女は橘栞だ!俺の息子、新井蓮司の元妻だ!」記者と配信者たちの注意が、一斉に透子へ向いた。人の波がこちらへ傾く。手には手持ちの小型カメラがあり、目立たないペンの先にまで配信用の隠しレンズが仕込まれている。無数の黒いレンズが、次々と透子へ向けられた。「橘栞さん!今回の件についてコメントをいただけますか!新井グループはなぜ、海外プロジェクトの事故について公式な謝罪や説明をしないのでしょうか!」「橘栞さんは新井社長の元妻ですよね!すでに法的には新井家と無関係のはずですが、なぜ今日この病院へ来られたのですか!」「今日ここへ来たということは、新井社長との関係が修復されつつあるということでしょうか!復縁、あるいは再婚の可能性はありますか!」「新井グループが新井会長の病状を隠蔽していると言われています!橘栞さんが今ここへ来たのは、会長が危篤だからですか!もう危険な状態なのですか!」……質問が一斉に飛んできた。彼らの追及の矛先は、新井グループの海外プロジェクトの危機や内部紛争から、いつの間にか新井社長と元妻のゴシップへと移っていた。少し前、蓮司と元妻の離婚騒動は世間で大きな話題になった。蓮司が元妻を取り戻そうとして起こした一連の派手な行動も、ネット上で散々騒がれている。そのうえ、元妻である透子は、世界的企業である橘グループの唯一の令嬢だ。これだけの条件が揃えば、話題性は十分すぎる。ネットの関心は、堅苦しい企業トラブルよりも、新井社長と橘グループの令嬢の愛憎劇のほうへ流れやすい。数字が取れるのはどちらか。現場にいる記者や配信者たちは、その嗅覚をよく心得ていた。通用口の内側で、透子は博明の一声によって完全に身元をさらされた。記者たちの質問攻めに対し、透子は本来なら一切答えるつもりはなかった。そのまま背を向けて病棟へ向かえばいいだけのことだ
晃良は言った。「え?簡単じゃありませんよ、社長。僕たち、何度も別れましたから」蓮司は絶句した。――お前が俺より大変なわけがあるか?こっちは離婚までしているんだぞ。彼は額に手を当て、ベッドの背もたれに寄りかかり、どっと疲れを感じた。晃良の方法もダメだ。全く参考にならない。プレゼント攻撃は、高級車やブランドジュエリーを贈っても叩き壊され、ゴミのように捨てられた。電話をすれば着信拒否。直接会いに行けば、警備員に追い出される始末だ。……自分の経験と部下たちの経験を比べると、蓮司は妻を取り戻す難易度がまるで違うと感じた。次元が違うのだ。蓮司は天井を見上げ、独り言の
「まあいい、たかが食事一回のことだ。あやつも随分と食い下がっておるようだしな」執事は、新井のお爺さんの態度が軟化したのを見て、特に蓮司のことは心配しなかった。新井のお爺さんの蓮司に対する愛情は、あの隠し子へのそれとは比べ物にならない。執事は相槌を打った。「おそらく、旦那様との関係を深め、孝行の心を示したいのでしょう」新井のお爺さんは答えなかった。彼が認める孫は蓮司ただ一人だが、もちろん、悠斗に対してそこまで非情になるつもりもなく、何も与えないわけではない。遺産や子会社の名義変更については、弁護士に見直させるつもりだ。だが、多くを与えるつもりはない。何しろ、実の息子の博明でさ
「だが、今回蓮司はそれほど常軌を逸したことをしたわけではないし、栞の評判に傷がついたわけでも、栞が怪我をしたわけでもない。だから、少し手心を加えてやってくれないか?」義人は、契約が既に結ばれ、変更が不可能であることを知っていた。また、悠斗を本社に戻すのが、新井のお爺さんの意志であることも理解していた。彼がここへ来たのは、雅人がこれ以上介入するのを防ぐためだ。もし雅人が悠斗に様々なプロジェクトを与え続ければ、蓮司の地位は危うくなる。義人はそれらを口にし、溜息交じりに言った。「今回の件で、蓮司への教訓としては十分だろう。雅人、叔父として頼む。これ以上、蓮司を追い詰めないでやって
雅人はそれ以上何も言わず、理恵が足首を動かすのを手伝った。理恵は雅人の頭を見つめ、口元に笑みを浮かべた。翼は女を口説くことにかけては、確かに腕が立つ。男として、翼と雅人は住む世界が全く違うが、翼の分析には、参考にできる部分もある。例えば、以前の、率直で熱烈な告白よりも、搦め手を使うこと。か弱く、可憐で、助けを求めるような態度を取れば、ほら、雅人はこうしてそばにいてくれる。少し離れた場所で、聡と透子はテントを張っていた。小さなテントを一つ張り終えると、聡は妹の理恵のいる方へと目をやった。雅人がしゃがみ込み、理恵の足をさすっているのを見て、聡は心の中で感嘆せざるを得なかった。好







