Share

第504話

Author: 小春日和
目の前に建っていたのは、ごく普通の別荘のように見えた。だが、このあたりは海城でも最上級の一等地。ここに建つ別荘は、どれも一棟数十億円は下らない。住めるのは、財か権力を持つ者に限られている。

けれど、この場所はどうにも人が頻繁に出入りしている気配がなかった。

「佐藤さん、こんな趣のある家持ってるんですね」

「これは私のものではありません」

佐藤茂はあくまで淡々とした口調だった。真奈が反応するより先に、彼はポケットから鍵を取り出す。軽く咳をして、その顔色はどこか優れない。そのまま玄関のドアに鍵を差し込み、静かに開いた。

真奈は一歩前に出て、問いかけた。「こちらは、あなたのお宅ではないのに……どうして鍵をお持ちなのですか?」

「友人から預かっているだけです」

佐藤茂が友人と呼べる人物など、この海城には数えるほどしかいない。真奈の脳裏に、まず浮かんだのは黒澤の名だった。

佐藤茂が静かに玄関の鍵を開けると、真奈もその後に続いて中へと入った。外から見たかぎりでは、どこか質素な造りだったが、いったん中に足を踏み入れれば、その印象は一変した。調度のひとつひとつが洗練されていて、年月を経ても色褪せない美しさを保っていた。

佐藤茂が明かりをつけると、真奈は周囲を見回した。どこも綺麗に整っていて、長く放置されていたようには思えない。佐藤茂はここに何度も足を運んでいることは明らかだった。真奈の疑問をたたえた視線に気づいた佐藤茂は、静かに言った。「定期的に人を入れて掃除させています。中の様子も、昔のまま何も変えておりません」

「ここ……もしかして、以前黒澤がお住まいだった場所ですか?」

真奈は黒澤からこの家のことなど一度も聞いたことがなかった。

以前、クルーズの上で彼がわずかに触れたことはある。しかし、それ以上のことは彼女の知るところではなかった。

佐藤茂は真奈をリビングのソファへと案内した。座った真奈の視線は、ふと壁にかけられた一枚の結婚写真に引き寄せられた。写真には、妊娠中の女性が写っていた。清楚な顔立ちに、穏やかなまなざし。そして、その隣に立っていたのは――何年も前にすでにこの世を去った、黒澤家の長男であり、前代の当主――黒澤修介(くろさわ しゅうすけ)だった。

「ここは……」

「ここは、黒澤おじさんご夫婦がご結婚された当時のお住まいです」

佐藤茂は、ど
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter
Comments (1)
goodnovel comment avatar
良香
黒澤と真奈ちゃん、どちらもご両親が事故に見せかけた他殺って事??? それ今更言うの?佐藤さんはどこまで知ってるのかね。
VIEW ALL COMMENTS

Latest chapter

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第735話

    真奈は視線を落とし、荒れ放題のワインセラーを見渡した。これは……清掃員が十人いたとしても、一晩で片付けるなんて無理だ。立花が、明らかに自分を困らせようとしているのは間違いない。やはり、彼にカジノへ直接連れて行ってもらうには――別の手を考えないとダメかもしれない。真奈は、馬場が戻ってくる前にと素早くワインセラーを抜け出し、一階へと駆け下りた。一階の廊下で彼女を見つけたメイドが、顔をしかめながら声をかける。「瀬川さん、どうして出ていらしたんですか?ボスからのご指示で、今夜中に片付けが終わらない限り、ここを出てはいけないと伺ってます」「一人だと怖くて……馬場さん、見かけなかった?さっきまで下にいたのに、気がついたら姿が見えなくなってて」真奈の言葉に、メイドは少し安心したように口を開いた。「さっき、馬場さんが上の階に上がっていくのを見かけました。すぐ戻ってくると思いますよ。瀬川さんがお一人で不安なら、私が一緒にお手伝いしましょうか?」それを聞いた真奈は、少し困ったように眉を下げて言った。「でも……立花社長は、馬場さん以外の人に私を見張らせるのを許していないの。実はさっき、下の階の洗剤が切れてるのに気づいて……申し訳ないけど、一本取ってきてもらえる?私は下で待っているから」「わかりました。それでは、先に戻っていてください。すぐに持っていきます」「ありがとう」メイドがその場を離れるのを確認すると、真奈はすぐに踵を返し、地下室のワインセラーへと戻っていった。それから数分後。洗剤のボトルを手に、馬場が戻ってきた。だが、1階のはずのメイドの姿はどこにも見当たらない。不審に思った馬場は眉をひそめ、地下室へと向かった。そこには、ひと気がまるでなかった。「……瀬川さん?」馬場の声ががらんとした地下室に響き渡る。返ってくるのは自分の声の反響だけで、他には何の気配も感じられない。「瀬川さん、隠れてるなら出てきなさい」馬場は足音を響かせながら、ワインセラーの最奥へと進んでいった。中は相変わらず荒れていたが、真奈の姿は見えなかった。馬場は冷たく言った。「……出てこないと、容赦しないぞ」「ガシャン!」不意に、奥の隅から何かが落ちる音が響いた。馬場はすぐにその音が南東の隅から聞こえたことを察知し、無言のままそちらへ向かう。歩み

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第734話

    「……なぜだ?」「社長には分からないの?あの人、私に敵意丸出しだよ。あなたの目が届かないところで刺されそうで怖い」「忠司はそんな人間じゃない。それに、彼は俺の命令しか聞かない」「でも嫌なの。私、立花社長に直接連れて行ってほしい」わがままであることは明らかだった。立花は片眉を上げて、皮肉っぽく言う。「俺がわざわざ案内役をするとはな。さすがは瀬川家のお嬢様、面子がでかい」「だって、社長が一緒にいてくれれば、誰かに殺される心配もないし?」言葉の端々には、明らかに馬場へのあてつけが込められていた。それを廊下の外で聞いていた馬場は、眉間にしわを寄せる。立花は、わざとらしく駄々をこねる真奈の様子をじっと見つめたあと、なぜか小さくうなずいた。「俺が連れて行くのも、まあ不可能じゃない」その言葉を聞いた瞬間、真奈の目がぱっと輝く。だが次の瞬間、立花は淡々とこう続けた。「だがな、それじゃ俺の時間が無駄になる。今日のお前の騒ぎで、俺のワインセラーはどうなった?誰が片付けるんだ?」「立花社長、それは冗談でしょう?この屋敷には使用人が大勢いるじゃないの」「使用人にも手当てが必要だ」立花の言外の意図は、嫌というほどはっきりしていた。真奈は口元を引きつらせるように笑い、しぶしぶ言った。「……わかったわ。私が片付ける」「一晩で全部片付けられるなら、案内の件は考えてやってもいい。ただし、終わらなければ――」「大丈夫。今すぐ取りかかるわ」そう言って、真奈はきびすを返して部屋を出ようとした。だが、すぐに立花の鋭い声が飛ぶ。「待て」「……社長、まだ何か?」「着替えてから出ろ」そう言いながら、立花はソファの横にあった白いシャツをひょいと掴み、真奈に放った。手にした男性用のシャツをちらりと見て、真奈は「ありがと」とだけ口にすると、さっさと部屋を出ていった。馬場が部屋に入ってくる。立花は命じた。「見張っておけ。何かあったらすぐに俺に報告しろ」「承知しました、ボス」馬場はそのまま真奈の後を追って、ワインセラーへと向かった。真奈が足を踏み入れると同時に、馬場はすでに指示を出していた。中にいた使用人たちはすべて退出させられ、残されたのは彼女ひとり。掃除のすべてを任されることとなった。ワインセラーの中は、倒れた樽があちこ

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第733話

    周囲にはもう、ほかに身を隠せる服はなかった。真奈は仕方なく、その服を手に取り、しぶしぶ袖を通した。浴室のドアを開けた瞬間、立花の視線がまっすぐに彼女へ向けられる。真奈が着ていたのは、黒いレースのドレスだった。大胆なカットのその衣装は、もともと抜群のスタイルを持つ彼女の身体のラインをさらに強調していた。張りのある胸元、くびれた腰、引き締まったヒップ――視線を逸らせる隙すら与えないほど、妖艶な魅力に満ちていた。立花は真奈を上から下までじっくりと眺め、喉がごくりと鳴るのを自分でも止められなかった。その視線に居心地の悪さを覚えた真奈は、眉をひそめて言った。「……これ、どういうつもりの服?」立花は視線を逸らし、淡々と答えた。「仕事着だ」「仕事着?」真奈はもう一度、自分の服を見下ろした。「これを着て働けってこと?」「へえ?文句でもあるのか?」「ちょっと露出が過ぎるんじゃないの?」セクシーな服が嫌いなわけではなかったが、これは明らかに狙っているデザインだった。外に出れば視線を集めるのは間違いなく、それが目的だとしか思えなかった。立花はゆっくりと立ち上がると、真奈のすぐそばまで歩み寄り、低く告げた。「お前の唯一の価値は、その美しい顔と抜群のスタイルで客を引き寄せることだ。それ以外に、使い道なんてない。今夜はただの慣らしだ。できないと思うなら、今のうちに言え」「できるわよ」真奈は眉ひとつ動かさずに答えた。「露出の多い服を着て男を引っかければいいんでしょ?別に難しいことじゃないわ」その言いぶりには、どこか嘲るような皮肉が滲んでいた。次の瞬間、立花が腕を伸ばし、真奈の細い腰をぐっと抱き寄せる。思わず身を引こうとしたが、彼の腕は強引で、逃れる隙など与えてくれなかった。「俺がさせるのはディーラーだ。売春婦じゃない」「……あまり変わらないけどね」真奈は視線を落とし、自分の着ているドレスを見つめながらぽつりと呟く。「もう少し布が少なかったら、ランジェリーと大差ないわ」「お前……」立花は思わず言葉に詰まった。彼の位置からは、真奈の胸元がはっきりと見えていた。谷間の影、ふっくらとした白い肌――そのどれもが目に焼き付いて離れない。ほんの一瞬目をやっただけなのに、下腹が熱を帯びるのを感じてしまった。立花は腕の中の真奈を放し、わざ

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第732話

    それを聞いて、立花はゆっくりとうなずいた。「もっともな話だな」「だから、私の気持ちをもてあそんだ男に復讐したいって思うのは……別におかしくないでしょ?」「道理にかなってる」立花は満足げに頷き、口元を歪めた。「人の感情を弄ぶようなヤツなら、俺だったら殺すだけじゃ済まない。何度でも刺してやる」立花が信じたのを見て、真奈はさらに言葉を重ねる。「私は自分の命を何より大切にしてる人間よ。どんな男のためでも命を捨てるなんて馬鹿なことはしない。今の私は、家も地位もすべてを失って、一文無し。瀬川家もなくなって、Mグループの仕事も失った。きっと海城にも戻れないでしょう。だからお願い、立花社長。洛城で私に仕事をさせて。お金を稼いで、あいつに思い知らせたい。地獄の底まで落としたい!」「つまり……うちのカジノでディーラーをやるつもりか?」「ええ!」真奈は即答した。その様子に、隣の馬場が思わず眉をひそめる。だが立花はむしろ面白そうに笑みを浮かべた。「いいだろう。機会を与えてやる」「本当?」「本当だ」「じゃあ、もう閉じ込められたりしないよね?」「もちろん」立花はちらりと馬場に視線を向けた。「清潔な服を一式、用意して持ってこい」「……承知しました、ボス」馬場は不満げに真奈を一瞥し、そのまま部屋を出ていった。立花は手にしていたタオルを軽く放り投げ、真奈に向かって言った。「中に入ってシャワーを浴びろ。それが終わったら出てこい」真奈は立花の言葉に何も言わず、浴室の方へと向かった。中へ入ると、用心のためドアに鍵をかける。ほどなくして、浴室の中からシャワーの水音がざあざあと聞こえてきた。その頃、部屋の外から馬場が戻ってきて、服の入った包みを手に入ってくると、眉をひそめて尋ねた。「ボス……あの女の言葉、本気で信じるつもりですか?」「人は金のために死に、鳥は餌のために命を落とす。信じられないことでもないだろう」そう言って、立花はグラスに口をつけ、赤ワインを一口含む。「それに、俺はそもそも……黒澤が本気で女を好きになるなんて、最初から信じちゃいなかった」「でも……二人は婚約したじゃないですか」「冬城家への対抗にすぎない。黒澤は海城を手に入れたがってる。冬城は最初から彼の狙いだ」立花は淡々とした口調で続けた。「冬城の元妻を娶る

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第731話

    「入れ!」馬場は真奈を立花の寝室に押し込んだ。真奈の全身は赤ワインの匂いでいっぱいで、髪はすでにびしょ濡れ、服からは赤ワインがまだぽたぽたと滴っていた。立花はすでに浴室から出てきており、白いバスローブを身にまとい、髪からはまだ水が滴っていた。真奈はすぐに、立花のバスローブの下にいくつもの傷跡があることに気づいた。それは黒澤の体でも見たことのある傷だった。立花はおそらく真奈の視線に気づいたのだろう。自分のはだけた胸元を見下ろし、「もっと脱ごうか?」と尋ねた。視線があまりに露骨だったことに気づき、真奈は慌てて目をそらし、「結構よ。別に、見る価値もないから」と答えた。立花は鼻で笑い、ずぶ濡れで惨めな彼女をじろじろと見下ろした。「大したもんだな。数億のワインをぶちまけて……俺を怒らせて、楽に死にたいってことか?」「命は惜しいわ。まだ死にたくないの」「それで俺の地下ワインセラーを一つぶち壊したってのか?瀬川、お前の頭はどうかしてるんじゃないのか?」立花が本気で怒っているのは、見ればすぐにわかった。彼はソファの背にもたれかかりながら、低い声で言った。「さあ言え。どう償うつもりだ」「たかが数億の赤ワインでしょう?立花社長、そんなに器の小さい人じゃないはずだけど?」「数億って、お前は軽く言うがな。この前は60万のことであれだけ食らいついてきたくせに」真奈は淡々と言い返した。「数億は今の私にとっては大金よ。でも立花社長にとっては、取るに足らない額でしょ?こんなことまでしたのは、あなたに会いたかったからよ」「俺に会うため?」立花は眉をぴくりと動かた。「つまり、お前は俺に会いたい一心で、地下のワインセラーを丸ごと潰したと。そう聞くと、俺は光栄に思うべきなのか?」「……そう思ってくれても、別にいいけど」真奈は小さくぼそりとつぶやいた。立花の顔からは、徐々に笑みが消えていった。真奈はその様子を見て、すぐに表情を引き締めた。「門の前にいた人に、あなたと二人きりで話したいと伝えた。でも、あなたの許可がなければ開けられないと言われて……だから仕方なく、こんな手を使うしかなかった」立花は無言で真奈の背後に立つ馬場を一瞥した。視線を受けた馬場は慌てて頭を下げる。「ボスのお考えは、しばらく閉じ込めて反省させることだと思っていました」

  • 離婚協議の後、妻は電撃再婚した   第730話

    でももし黒澤が来なかったら、立花は彼女を一生閉じ込めておくつもりなのか?そう考えた瞬間、真奈は立ち上がり、ワインセラーの扉を激しく叩き始めた。「開けて!私を出して!立花に話したいことがあるの!」「瀬川さん、無駄な努力はやめてください。ボスの命令がない限り、誰も扉は開けられません」真奈は眉をひそめて尋ねた。「じゃあ私が中で死んでも構わないってわけ?」「ボスの命令がない限り……たとえ瀬川さんが死んでも、私は開けられません」桜井の冷静な返答に、真奈は動きをぴたりと止めた。立花が口を開くのを待つのか?でも、そんな簡単に彼が自分を解放するとは思えない。真奈はワインセラーに整然と並べられた赤ワインをぐるりと見渡し、その瞳に、ふっと一抹の計略の色が浮かんだ。あった!夕暮れが迫る中、セラーの外で見張りをしていた桜井は、中からまったく音がしないことに、次第に不安を感じ始めていた。10時間も経つのに、どうして中から何の音も聞こえないのか?その頃、2階の書斎では、立花がひとり静かにチェス盤に向かっていた。そこへ馬場が夕食を運びながら、低い声で報告した。「黒澤の手下は洛城に入った後、姿を消しました。我々の者が捜索を続けていますが、いまだに潜伏先は見つかっていません。おそらく内部に協力者がいる可能性があります」立花は馬場が運んできた夕食を一瞥し、尋ねた。「あの女は?」「まだワインセラーに閉じ込められています」「泣きもせず、騒ぎもせずか?」「はい」「昼も夜も、食事は与えたか?」「ボスのご指示どおり、水一滴さえ渡しておりません」10時間、何も口にせずに、泣きもせず、騒ぎもせず。立花の心が一瞬揺れた。そのせいで、手にしていた駒を思わぬ場所へと置いてしまった。ちょうどその時、扉の外から桜井が慌てた様子で駆け込んできた。「立花社長!大変です!……ワインセラーが……ワインセラーで事故が起きました!」ワインセラーという言葉が耳に入った瞬間、立花は椅子を蹴るようにして立ち上がった。1階では、メイドたちが慌ただしく地下セラーへと走っていた。誰もが手に水盆やポンプを抱え、足音が廊下に鳴り響く。立花がその場に到着したとき、地下のワインセラー前の廊下は、すでに赤ワインで足首まで浸かっていた。しかも、セラーの扉はまだ開いて

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status