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第1296話

Author: 似水
「いいね、そうしよう」

由佳は頷き、ポップコーンとコーラを抱えながら、風早の後ろについて歩いた。

風早は映画のチケットを受け取り、由佳を連れて改札口へ向かう。すでに上映開始の時間が迫っており、改札口には列ができ始めていた。

由佳が列に並ぶと、すぐ後ろに誰かの気配を感じた。どことなく見覚えのあるような、しかし微かな存在感。

由佳は特に気にせず、列の流れに合わせて少しずつ前に進む。合間にポップコーンをひとつつまむが、片手にコーラ、もう片方にポップコーンを抱えているため食べにくい。

少し考えた由佳は、頭を下げてそのまま一口かぶりついた。

「よし、食べられた」

その様子を見た風早は、思わず微笑み、手を伸ばして彼女の唇の端についたポップコーンの屑をそっと取った。

「そんなに待ちきれない?」

由佳は笑って答える。

「列に並ぶのって退屈だから、何かしてないとね」

風早はコーラを受け取りながら言った。

「じゃあ、食べてなよ。僕が持ってるから」

「気が利くじゃん」

由佳は軽く憎まれ口を叩きながら、ポップコーンを頬張った。

だが、どういうわけか徐々に寒気を感じる。顔を上げて周囲を見渡すが、エアコンのせいか、あるいは誰かが温度を下げたのか。

すぐに改札を抜け、二人は上映シアターへと進む。

後ろからは、急ぐわけでも遅れるわけでもない一定の足音がずっとついてきていたが、由佳は気に留めなかった。映画を観に来る人は多いのだから。

席に着き、由佳はポップコーンを肘掛けのホルダーに置いた。ふと顔を向けた瞬間、目を大きく見開いた。

隣にいたのは――なんと景司だった。

「うそ……」

思わず心の中でつぶやく。

さっきずっと後ろに立っていたのも、彼だったのか。

こ……これって……

景司は隣に座り、視線は巨大スクリーンに注がれたまま、由佳には一瞥すら向けない。

由佳は口を開きかけたが、声をかけるべきか迷った。

朝、挨拶を無視されたのに、今さら声をかけるべきか。

無視されるのはもう嫌だ。結局、声をかけるのはやめ、ゆっくり視線をスクリーンに戻した。コーラを一口飲み、心の中の複雑な感情を落ち着かせる。

ここで景司に会えたことは、実は嬉しかった。しかも、すぐ隣に座っている。

しかし、前に言ってしまった。お見合いをして、結婚する、と。

景司もそのまま過ぎ去って
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