「桜井」「はい」桜井は即座にパソコンを開き、背後のスクリーンに映像を映し出した。「皆さん、まだ全貌を見ていませんよね?」そう言うと、記者たちの視線が一斉にスクリーンに向けられた。映像には病院の廊下が映し出されている。その中央付近、ある病室の前で、中年の男女が大声で怒鳴り散らしていた。そこへ、一人の若い女性が歩み寄り、二人と口論を始める。カメラの角度のせいで、彼女の顔は映っていない。だが、その直後、中年女性が彼女に手を振り上げるのがはっきりと映っていた。その瞬間、雅之が動いた。「これが、完全な映像です」桜井はタイミングよく映像を一時停止し、続けた。「うちの社長は、正義感から動いただけです。ネット上で騒がれているような暴力的な行為をしたわけではありません。本当に犯罪なら、警察が裁くはずです。皆さんの勝手な憶測ではなくね」映像を見終えた記者たちは、呆気に取られた表情を浮かべていた。こんな展開だったのか?これ、どう見ても正当防衛じゃないか?【ほら見ろ!あんなにイケメンなのに、横暴なことするはずないって思ってた】【最初から怪しかったよ!映像が短すぎたし、ここ数日やたら拡散されてたし、もしかしてこれは商戦?】【つまり、ライバルグループが社長を貶めるための戦略ってこと?】【でも、だからって手を出していい理由にはならなくない?相手は年上だし、もし怪我でもさせてたらどうするの?】コメント欄には、賛否さまざまな意見が飛び交っていた。雅之は立ち上がると、冷静に言い放った。「事実は目の前にある。それ以上話すことはない。疑問があるなら、直接警察に通報しろ」そう言うなり、彼は会議室をあとにした。記者たちは困惑していた。新たな情報を引き出せると思っていたのに、まさかの釈明会見。しかし、この映像が公になった以上、ネットの流れは確実に変わるはずだ。よほどの新たな展開がない限り。その頃、里香も配信を見ていた。雅之が冷静に対応する様子を見ながら、気づけば自然と微笑んでいた。あれほど面倒くさそうにしていたのに、結局は会見に出た。しかも、映像が流れている間、スマホをいじっていて無関心そうだった。つまり、この件は彼にとって大した問題ではないのだろう。そして里香の顔は映らなかった。名前さえも出
里香が尋ねると、聡は「ちょっと個人的な用事を片付けてたんだよ」と言いながらオフィスに入ってきた。そして、にこにこと星野を一瞥し、里香に向かってウインクした。「どうした?私のこと、恋しかった?」軽口を叩く聡に、里香はうんざりしたようにため息をつき、サッと手を押しのけた。「ちょうど確認してもらいたい書類が山ほどあるの。さっさと仕事に取りかかって。スタジオの発展を妨げないで」「……」仕事バカめ……!だったら、もう少し遅く戻ってくればよかった。とはいえ、自分が何をしていたかは話さない方がいいだろう。もし知られたら、間違いなく怒られるし。せっかく雅之と里香の関係が少し和らいできたのに、ここで余計なことをしてぶち壊したら、歴史に名を刻む大罪人になってしまう。「はいはい、やりますよ。みんなはサボっててもいいからね?」聡は肩をすくめながら微笑み、くるりと踵を返してオフィスへ向かう。ただ、星野の横を通る際に、意味深な視線を送るのを忘れなかった。星野は軽く眉をひそめたが、特に相手にはしなかった。里香は視線をパソコンに戻し、ライブ配信を終了させる。これでひとまず、今回の騒動は収束するはずだ。その時、スマホの着信音が鳴り響く。画面を見ると、雅之からの電話だった。「もしもし?」電話に出ると、低く魅力的な声が耳に届いた。「ライブ、見た?」「うん、見たよ」すると、雅之はくすっと笑い、「僕の姿に惚れ直した?」と聞いた。「……」思わずスマホを見つめた。え、今なんて?動画の件について話すためにかけてきたのかと思っていたが、まさか最初に出てくる言葉が「僕、かっこよかった?」だなんて!呆れたようにため息をつき、「今回のこと、これで解決ってことでいいの?」と話を逸らした。だが、雅之は軽く笑いながら、「どうして質問に答えないの?ライブのコメント見た?みんな『イケメンすぎて許せない』って騒いでたぞ?」「……」「里香、本当にもう一度考え直さない?こんなイケメンの夫と離婚するなんて、本当に後悔しない?」「……」こいつ、何を言ってるんだ?「もう決めたことよ」ピシャリと言い放ち、ためらうことなく電話を切った。この男、本当にくだらないことばっかり……!二宮グループ・社長室。通話終了の画面
星野がスマホを手に、画面を見せながら里香に近づいてきた。ちょうど荷物をまとめていた里香は、その声に顔を上げ、首をかしげた。「どうしたの?」星野が見せた画面には、またしてもトレンドを独占している一本の動画が映し出されていた。動画の中では、中年の男女がカメラの前で涙ながらに訴えている。その背後に映るのは、まさに二宮グループ傘下の病院だった。中年の女性は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、震える声で叫んだ。「うちの娘が、あの大企業の社長の奥さんに車で轢かれて、腕を骨折したのよ!なのに、私たちは何も知らされなかった!娘はこの病院に閉じ込められて、私たちは会うことすら許されなかったの!前に、あの社長が私を殴ったのも、娘に会わせろって頼んだからよ!それなのに、連れて行かれるばかりで、もう一ヶ月以上も家に帰ってないのよ!親が娘に会いたいと思うの、そんなに悪いこと!?」隣にいた中年の男性も、怒りと無力感をにじませながら言葉を絞り出した。「たまたま体調を崩して病院に行ったら、そこで娘を見つけた……でも、一ヶ月ぶりに会った娘はガリガリに痩せ細ってて、骨折だって全然治ってなかった!それなのに、轢いた本人は未だに娘に会わせようとしないどころか、病院まで転院させたんだぞ!しかも、この病院には警備員がいて、俺たちは中に入ることすらできない!ただ娘に会いたいだけなのに、なぜ邪魔をする!?まさか、娘を実験にでも使ってるんじゃないのか!?娘を返せ!!」悲痛な訴え、怒りに満ちた表情、そして涙——カメラの前で「悲劇の親」を演じるには、これ以上ないほど完璧な姿だった。コメント欄には、早速「関係者」と名乗る人物たちが書き込んでいる。【あの日、病院で一部始終を見てたけど、二宮社長は横暴にも、この動画の女性を蹴り飛ばしてたよ。女性が警察を呼ぶって言ったのに、社長は「誰が見た?」って言い放って、誰も口を開けなかった。これが資本の力ってやつか】【私も見てたけど、あの夫婦はただ娘に会いたいだけだったのに、どうしてそんなに拒むのか、全然理解できない】【その女の子、私も見たけど、本当に痩せ細ってて痛々しかった……轢いたなら、ちゃんと賠償して治療すればいいのに、なんで親にすら会わせないの?】【上の奴ら、どこから湧いてきた「関係者」なんだ?あの夫婦が病院でどれだけひど
里香はドアを開けながら言った。「まだ分からない。彼に電話したけど、出なかったわ。でも、はっきりしてるのは、誰かが私たちを狙ってるってこと」 かおるも後に続いて部屋に入り、その言葉を聞くと眉をひそめた。「狙われてるのは雅之じゃないの?あなたには関係ないんじゃない?」 里香は少し唇を引き結び、「ただの直感だけど……そんな単純な話じゃない気がするのよ」とつぶやいた。 かおるは不安そうに言った。「もう、怖がらせないでよ。なんかどんどんややこしくなってない?」 里香は仕方なくため息をついた。「相手が何を企んでるのか、まだはっきりしない以上、しばらく様子を見るしかないわ。でも、私は大丈夫」 少なくとも、今のところ標的は雅之ただ一人だった。 かおるはスマホを取り出し、「月宮にも調べてもらうよう頼んでみる」と言った。 里香は肩をすくめ、「月宮と雅之って親友でしょ?放っておいても動かないわけないじゃない」と返した。 「それもそうね」 かおるはスマホを置き、肩を落としながらぽつりと言った。「なんか……急に無力感がすごい。私、何の役にも立ててない……」 里香は微笑み、「私たちは自分にできることをやるだけ。それが彼らにとって一番の助けになるのよ」と優しく言った。 前線が混乱しているなら、後方はしっかり支えなければならない。 さもなければ、前後から挟み撃ちにされるだけだ。 「うんうん、確かにそうね」 里香はふと、「ご飯食べた?」と尋ねた。 かおるは首を振り、「ニュース見てすぐ飛んできたのよ。それでうちの上司と喧嘩しちゃった……あのクソ上司、毎日毎日くだらない会議ばっかりで、本当うんざり」と愚痴をこぼした。 里香はそんな彼女の文句を聞きながら、なぜか少し気持ちが落ち着いた。「上司なんてそんなものよ。我慢するしかないわね」 かおるはソファにぐったりと倒れ込み、「だよねぇ……結局そうするしかないか」とため息をついた。 里香はキッチンへ行き、さっと麺を作ると、すぐにかおるを食卓に呼んだ。 食事を終えた後、二人はスマホを手に取り、事態の進展を見守る。 今回の二宮グループの対応も、前回と同じだった。 すぐに声明を出すことなく、しばらく様子を見るという方針。 不思議なのは、午
「わかった」 里香はかおるの手を軽く叩き、その考えをひとまず振り払った。 しかし、かおるはそれでも心配で、里香が本当に配信を始めるのではないかと気が気でならず、一晩中そばを離れずに付き添っていた。 里香が無鉄砲なわけではない。ただ、雅之は男性であり、権力も影響力もある。少々の批判を浴びたところで、大きなダメージにはならないし、話題を鎮めるのも造作もない。 けれど、里香は違う。彼女には何の後ろ盾もない。世間の目に晒されるわけにはいかないのだ。 今のネット民は気に入らないことがあれば、すぐに袋叩きにする。里香の温厚な性格では、そんな攻撃に耐えられるはずがない。彼女が傷つくところなんて、絶対に見たくない……! 夜になっても、二宮グループのビルは煌々と明かりが灯っていた。 広報部の山本マネージャーが緊急対応策を手にオフィスへ向かうと、中から激しい口論が聞こえてきた。 桜井はドアの前で立ち止まり、山本から書類を受け取ると、「もう戻っていい」と静かに言った。山本は小さく頷き、その場を後にした。 桜井は書類にざっと目を通しながら、ドアを押し開けて中へ入る。 オフィスの中では、佐藤が怒りに任せて机を叩き、険しい目つきで雅之を睨みつけていた。 「説明しろ!やっと沈静化したと思ったら、また騒ぎになってるじゃないか!お前にはこの問題を収める力がないようだな。株主総会を開いて、新しい社長を選出することを提案する!」 周囲の幹部たちも険しい表情で、誰一人として擁護する者はいなかった。 一難去ってまた一難。ネットの世論は完全に一方的になり、「雅之を糾弾し、娘を解放しろ」と叫ぶ声ばかりが飛び交っている。 雅之は革張りの椅子にゆったりと座り、怒りを露わにする幹部たちを静かに見渡した。そして、淡々とした口調で言った。 「新しい社長を選出したとして、それで?その後、この問題をどう処理するつもりですか?」 佐藤は険しい表情を崩さぬまま、「それはお前が気にすることじゃない」と突き放した。 しかし、雅之は続ける。 「当ててみましょうか?結局、すべての責任を僕に押し付けて、僕が辞職したと発表する。病院での暴行も、娘を隠したことも、すべて僕個人の行動で、二宮グループとは無関係だとするつもりでしょう?」
極端に傲慢で、誰にも屈しないほど横柄だ。株主たちは皆、険しい表情を浮かべていたが、たとえここまで強気に出られても、簡単に手を出せる相手ではないことを理解していた。本来なら言葉で説得し、辞職に追い込むつもりだったが、その手はどうやら通用しそうにない。今の雅之を抑えられる人間はいるのか?正光はすでに脳卒中を患い、由紀子は一切関与せず、二宮のおばあさんも認知症が進んでいる。……誰も止められない。佐藤も最初こそ圧倒されていたが、すぐに冷静さを取り戻し、細めた目でじっと見据えた。「雅之くん、お前、随分と傲慢になったな。本当に私が何もできないと思っているのか?」雅之はわずかに眉を上げ、口角を引いた。「ほう? それで、どうするつもりですか?」「二宮グループには、責任感のある人間が必要だ」佐藤の声は冷え切っていた。「だが、お前にはその資格がない」「なるほど」雅之は皮肉げに笑った。「つまり、すでに『適任者』を見つけたと?」「ふん、その時が来ればわかるさ」そう言い捨て、佐藤は踵を返し、他の株主たちもそれに続いた。桜井が傍らで控え、頃合いを見て口を開いた。「社長、今回のネット上の騒動について、広報部が緊急対応策をまとめました。ご確認されますか?」「見ない」予想していたのか、桜井は書類を差し出すこともなく、話題を切り替えた。「月宮さんから連絡がありました。現在、海外の関係者が例の宝飾会社の責任者を押さえており、これ以上騒ぎが大きくなることはないとのことです」しかし、雅之は静かに言った。「黒幕が見つかっていない以上、まだ確定とは言えない」スマホを取り出し、画面を確認すると、里香からの着信履歴が残っていた。ほんの一瞬、目の色が沈む。そしてすぐに折り返した。「……もしもし?」コール音が三回鳴った後、すぐに繋がった。受話口の向こうから、柔らかい声が聞こえてきた。「ネットの件は気にしなくていい。僕には何の影響もない」その言葉に、里香はようやく安堵した。無事なら、それでいい。通話越しでも、彼女の感情の揺れが伝わってくる気がした。雅之は薄く唇を持ち上げ、低い声で尋ねた。「心配してた?」「ええ、してたわ。明日、本当に約束どおり来られるのかって」「安心しろ。約束は、必ず守る」窓の外はすでに闇に包ま
かおるの言葉に、思わず苦笑がこぼれた。それでも素直に部屋へ戻る。確かに少し冷えてきた。夢も見ないまま、一夜が明けた。翌朝、九時ちょうど。里香は約束通り、市役所の入口に姿を見せた。五分と経たないうちに、一台のパナメーラが駐車場に滑り込んだ。雅之が車から降り立った。すらりとした体格、整った骨格。深く刻まれた眉と鋭い眼差しは、冬の寒さよりも冷たく、全身からまるで冷気を放っているようだった。「早かったな。寒くないか?」目の前に立つと、伸ばした手で頬を包み込む。掌の温もりが、冷えた肌にじんわりと染み渡った。温かさに触れた途端、思わずその感触に甘えそうになる。里香は視線を落としながら、小さく答えた。「今来たばかりよ」「じゃあ、入ろう」そう言って、二人並んで市役所の中へ足を踏み入れた。彼らはその日の離婚手続きをする最初の夫婦だった。事前に準備していた書類と証明書を提出し、手続きはあっけないほどあっさりと終わった。手にした離婚証明書を開き、じっくりと目を通す。書かれた文字も、押された印鑑も間違いない。本物だ。雅之がじっと見つめながら、低く言う。「もう嘘はつかないって言っただろ」里香は口元をわずかに引き上げ、皮肉っぽく笑った。「仕方ないわね、前科があるんだから」そう言って立ち上がると、外へ出て大きく息を吐いた。ついに、離婚した。その瞬間、雅之が手に持っていた離婚証明書を、無造作に里香の胸元へ押しつけてきた。「ん?」不思議そうに見上げると、彼は淡々とした口調で言った。「気に入ってるみたいだから、くれてやる」花や宝石を贈る話は聞いたことがある。でも、離婚証明書を渡すなんて初めてだ。いちいち突っ込むのも面倒で、ただ手を差し出した。「おめでとう。晴れて独身ね」雅之は口元をわずかに上げたが、その笑みはどこか寂しげだった。「そんな祝いはいらない」その微妙な表情に気づいたが、里香は特に触れず、手を引っ込めた。「これからどうするつもり?」「杏にライブ配信で説明させる。本人が話すのが一番だ」里香は思わず眉をひそめた。「でも、それじゃ彼女がネットで叩かれるかもしれない……」「じゃあ、俺が叩かれるのは心配じゃないのか?」淡々とした口調に、里香は思わず正直に
雅之は車のドアを開け、ふと問いかけた。 「一緒に行くか?」 里香は頷き、そのまま車に乗り込んだ。 胸の奥に、漠然とした不安がよぎる。杏が行方不明になったからといって、ネット上の世論を覆すことはできない。このまま放置すれば、二宮グループへの影響は計り知れないものになるだろう。 相手の狙いは何なのか?雅之を二宮グループから追い出すこと? いや、それだけではないはずだ。どうにも事態が単純すぎる気がする。 ほどなくして病院に到着した。普段と違うのは、周囲に多くの通行人が集まり、病院の中を覗き込んではひそひそと話していることだった。 二人はそれを気にすることなく、そのまま病院の中へ入った。 桜井はすでに聡と連絡を取り、病院内外の監視カメラを調査していた。そして、映像の中に見覚えのある顔を発見した。 由紀子の助手、橋本だった。 雅之の声が冷え冷えと響いた。「連れてこい」 だが、桜井の返答は予想外のものだった。 「橋本を特定した瞬間、すぐに人を向かわせましたが、すでに国外へ逃げたようです。30分前に飛行機に乗ったとのことです」 なるほど。これでほぼ確定だ。杏を連れ去ったのは、由紀子の仕業。 雅之の目が冷たく光った。「由紀子は?」 「喜多野家に戻りました。我々の人間ですら、喜多野家の者に会うことができません」 喜多野夫人と由紀子は姉妹。問題が起これば、由紀子が姉を頼るのは当然だ。 「ふっ……」雅之は冷笑した。「ずいぶんと周到な計画だな」 桜井は少し不安そうに尋ねた。「社長、どうしますか?」 杏を連れ去ったのが由紀子だと分かっても、喜多野家に強引に踏み込むわけにはいかない。このままでは、手がかりが完全に途絶えてしまう。 雅之は淡々と言い放った。「喜多野夫人に連絡しろ。次男の行方を知りたくないかと聞いてみろ」 喜多野家には二人の息子がいる。長男は以前、不慮の交通事故で亡くなった。そのため、祐介を引き取って育てることになった。 一方、次男は幼い頃に行方不明になり、長年探し続けているが、いまだに見つかっていない。 桜井は驚いたように雅之を見つめた。「社長、まさか……喜多野の次男を見つけたのですか?」 雅之は静かに言った。「言った通りにしろ」
もういい。帰ってきてくれただけで十分。帰ってきてくれた、それだけでいい。少なくとも、今こうして二人が同じ場所にいれば——雅之が目を覚ました時に、ちゃんと説明できるはずだから。里香は帰らず、そのまま病院に泊まり込むことにした。雅之が目を覚ますのを、ここで待つつもりだった。かおるも仕方なく一緒に残ることにした。やっぱり心配だったのだ。何と言っても、里香は今、妊娠中なのだから。翌日。景司が病室にやってきた時、里香は丁寧に雅之の身体を拭いているところだった。優しい眼差しで、根気よく、ひとつひとつ心を込めて世話をしていた。「里香、家に電話しとけよ。今日は大晦日だし」「うん、わかった」頷いた里香は、身体を拭き終わるとスマートフォンを取り出してソファに腰掛け、グループチャットを開いてビデオ通話をかけた。すぐに繋がり、画面には眼鏡をかけた秀樹の姿が映った。「お父さん、大晦日おめでとう!」にこっと笑いかけると、秀樹もにこやかに頷いた。「おめでとう。お前もな。それで、雅之はどうだ?」「危険な状態は脱したよ。あとは、目を覚ましてくれれば大丈夫」秀樹は安心したように頷いて、「里香ちゃん、無理すんなよ。ちゃんと休めよ、いいな?」と声をかけた。「うん、わかってるよ、お父さん」そのあと賢司も少しアドバイスをくれて、瀬名家のほかの家族たちも次々に顔を出して声をかけてきた。今の里香は、瀬名家にとっていちばん大切な存在。みんなが自然と彼女に気を配っていた。里香は一人ひとりに丁寧に応じ、ほぼ一時間ほど通話してから、ようやくスマートフォンを置いた。外はすっかり車通りが少なくなり、街は静けさに包まれていた。みんな、家で年越しをしているのだろう。昼頃、かおると月宮がやって来た。「特別においしい料理、用意してきたのよ。場所が病院でも、お正月はお正月!おいしいものたくさん食べて、元気つけなきゃ!」かおるはにこにこしながら声を弾ませた。「うん。彼が退院したら、今度は私がご飯作ってあげるね」その言葉に、かおるはぱっと顔を輝かせた。「わあ、いいね!どんな腕のいいシェフが作っても、あなたのご飯には敵わないわよ!」月宮も穏やかに頷いた。「うん、確かに」里香の視線は自然と、病室のベッドの上に向かった。雅之はまだ昏睡状態
里香はなんとか感情を抑えながら、月宮に尋ねた。「中に入ってもいい?」ここまで来て、断れるはずがなかった。月宮はすぐに人を手配してくれた。里香は防護服を身に着け、病室へと入った。マスク越しでもわかるほど、消毒液のきつい匂いが鼻をついた。そんな中、彼のもとへ一歩一歩近づいていく。雅之の周囲には数々の医療機器が並び、顔には酸素マスク。整った顔立ちは青白く、やせ細っていた。里香はそっと歩み寄り、触れようと手を伸ばしかけたが、ふと自分の手袋に気づき、手を止めた。これじゃ、何の感触も伝わらない。「雅之……」手を下ろし、ベッドのそばに立ったまま名前を呼んだ。その声は鼻が詰まっているような、こもった声だった。瞬きを繰り返しながら、必死で感情を抑えようとした。「なんで……なんで何の連絡もなしに消えたの?メッセージのひとつもなくて、私がどれだけ怒ってたか、わかってる?それに……聡があなたの人間なら、なんでもっと早く教えてくれなかったの?ちゃんと説明してくれてたら、私、あんなに怒らなかったのに……」ねぇ、わざとでしょ?わざと目を覚まさないで、わざと私に会わなかったんでしょ?私が焦ってるの見たかったんでしょ?私に折れてほしかったんでしょ?」だんだんと声が震え、最後には嗚咽混じりになっていた。けれど、涙を拭くこともできなかった。ただ、頬を伝う涙が視界を曇らせるのを、なすがままにするしかなかった。「雅之……お願いだから目を覚まして。それだけでいい。それだけで……全部、許すから」その言葉が終わった直後だった。突然、荒い呼吸音が響き、すぐそばの医療機器が警報を鳴らし始めた。医者と看護師が飛び込んできて、里香は外へと押し出された。「どうしたの!?彼、どうなったの!?」里香が必死に問いかけると、医者は手短に告げた。「今すぐ検査をしますので、外でお待ちください!」廊下へ押し出された里香のもとに、かおるが駆け寄って支えた。「どうしたの!?何があったの!?」里香は混乱したまま首を振り、まつ毛にはまだ涙が残っていた。「わたしにも……わからないの……今、彼と話してたのに、急に外に出されて……」かおるはそっと彼女を抱きしめた。「大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫だから。たぶんね、雅之が里香ちゃんの
里香が突然帰ると言い出したことで、瀬名家の人々は驚きを隠せなかった。賢司と秀樹が慌てて里香の部屋に駆けつけると、彼女はすでに荷物をまとめ終えており、二人とも不安げな表情を浮かべていた。「里香、一体どうしたんだ?なんでそんなに急いでるんだ?」秀樹が一歩前に出て問いかけると、里香は深く息を吸い込み、落ち着いた声で答えた。「雅之がケガをしたんです。どうしても会いに行かなきゃって思って……」「な……」秀樹は一瞬言葉を失った。つい最近まで、彼女は雅之のことをひどく嫌っていたはずだ。顔も見たくないって言っていたのに……どうして突然、気持ちが変わったんだ?秀樹をまっすぐ見つめながら、里香は目を潤ませて言った。「お父さん、ごめんなさい。一緒に年越しできなくて……でも、行かなきゃ。行かなかったら、きっと後悔する。きっと一生悔やむと思うの」その様子は、あまりにも切実だった。秀樹は「年越してからにしろ」と言いかけたが、結局その言葉を飲み込んだ。代わりに賢司が口を開いた。「まず、こっちでも状況を調べてみるよ」もはや、二人にも彼女を引き止めることはできなかった。なにしろ、雅之は里香のお腹の子の父親なのだから。秀樹は小さく息を吐いて言った。「せっかく帰ってきてくれたし、みんなで久しぶりに団らんの年越しかと思ってたんだが……来年までお預けになりそうだな」「彼が無事なら、すぐ戻ってきます」里香がきっぱりとそう答えると、「うん、無理するなよ。子どもの父親でもあるし……」と、秀樹もそれ以上は何も言えなかった。景司はすぐにプライベートジェットの運航ルートを手配し、里香はスーツケースを持って飛行機へと乗り込んだ。景司も同乗していた。「一人で帰らせるのは心配だしな。俺も一緒に行くよ」「そうだ、それがいい」秀樹も頷いた。「何かあったら、景司に全部任せておけ」賢司も一言添えた。「里香のこと、頼んだぞ」ここまで言われて、里香もさすがに断れなかった。「できるだけ早く戻ります」家族の顔を見つめながら、涙ぐんでそう言った。飛行機は滑走路を離れ、夜の空へと飛び立っていった。冬木。二宮グループ傘下の病院内。集中治療室の明かりは、いつもどおり、こうこうと灯っていた。桜井はいつものように様子を見に
里香はまだ少し半信半疑だったが、景司の落ち着いた表情を見て、彼が否定しないことに気づいた。……本当なの?もしこれがかおるの耳に入ったら、喜びすぎて気絶するんじゃないか?そう思いながら、里香は鼻を軽くこすってから視線をそらした。夕方。秀樹が帰ってきた。明日は大晦日。瀬名家の人たちも次々と集まり始めていて、リビングはいつも以上ににぎやかだった。里香はかなり疲れていて、二階で少し眠ったあともそのままベッドで横になっていた。ときどき、階下から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。外では子どもたちが雪遊びをしているらしく、にぎやかな声が混じっていた。でも、里香の心はぽっかりと穴が空いたようで、どこか現実感がなかった。ふいに月宮に言われた言葉を思い出し、唇をきゅっと引き結んだ。スマホを手に取り、ロックを解除して、スクリーンセーバーの写真を見つめながら、お腹にそっと手を添えた。そのとき、スマホが震えた。かおるからのメッセージだった。【大変!!】【里香ちゃん、雅之が銃で撃たれて、ずっと昏睡状態なんだよ!】【ねえ、見た!?メッセージ見た!?】立て続けに三通。尋常じゃない内容に、里香は思わず体を起こした。顔から血の気が引いていくのが、自分でもはっきり分かった。文字は読めるのに、意味が頭に入ってこない。銃で撃たれた?長い間昏睡状態って、どういうこと?そんなはずない。雅之が撃たれただなんて……なんで……!?震える指で、かおるの番号をタップした。なんとか発信できたものの、声を出そうとしても、うまく出なかった。「……もしもし、かおる?さっきの……どういうことなの……?」なるべく冷静に話そうとしたけど、声の震えは止められなかった。電話の向こうのかおるも、明らかに動揺していた。「私も、さっき聞いたばっかりなの!あのね、瀬名家であなたの歓迎会が終わった後、雅之、何も言わずに帰ったでしょ?それで、その夜に冬木に戻って、いきなり撃たれたんだって!しかも心臓をかすめたって言うから、本当に危なかったらしくて……今も集中治療室にいて、まだ意識が戻ってないの!」「どうしてそんなことに……」里香の顔は信じられないというより、恐怖に染まっていた。かおるは焦りながら、なおも言葉を重ねた。「詳しいことは全然わか
月宮の目を見つめながら、かおるはしばらく黙っていた。――月宮と縁を切る?無理に決まってる。月宮家は冬木じゃいろんな人脈が絡んでて、普通の集まりでも顔を合わせることなんてざらにある。だから、唯一の方法は距離を取ること。あとは冷たくするしかない。それに、こんなことで月宮と揉めたくもなかった。「じゃあ、それで決まりね。あの人からまた連絡きたら、すぐ教えて」かおるは、本気でこれ以上この話を引きずる気はなかった。月宮は口元に微かに笑みを浮かべ、「もちろん」と答えた。そして、かおるのそばに腰を下ろし、じっと見つめながら聞いた。「一緒に帰るか?」明日は大晦日。結婚してから初めての年越しで、年が明けたらすぐに式も控えている。かおるは「うん」と頷き、立ち上がりながら言った。「ちょっと、里香に声かけてくるね」月宮も頷いた。「一緒に降りようか」玄関に向かって歩きながら、かおるはふと思い出したように聞いた。「そういえばさ、雅之って今何してるか知ってる?全然連絡ないし、音沙汰なしじゃん」月宮はどこか意味ありげな目でかおるを一瞥し、「さっき里香と話したけど、彼女、雅之には全然興味なさそうだったよ」と言った。かおるはその言葉に少し違和感を覚えた。でも、里香の最近の様子を思えば、あながち間違いとも言えず、それ以上は何も言わなかった。「じゃ、その話は置いとこっか」階段を降りたかおるは、里香に冬木へ帰ることを伝えた。「ほんと、あんたって根性ないんだから」里香は笑ってからかうと、それを聞いた月宮は眉をひそめた。「かおる、やっと機嫌取れたばっかなんだから、邪魔しないでくれる?小松さん」里香はそれを無視して、かおるに持たせる荷物を用意させた。かおるは遠慮なく、それらを全部受け取った。玄関まで来て、かおるは里香をぎゅっと抱きしめた。「じゃ、数日後に戻ってくるから。外寒いし、見送りはいいよ」「うん」里香は頷き、二人の背を見送った。ふと振り返ると、賢司が階段から降りてきた。黒のタートルネックニットがよく似合っていて、姿勢もしゃんとしていた。「お兄ちゃん」里香が声をかけると、賢司はそれに応えて尋ねた。「もう帰ったのか?」「うん」里香が頷いた。「誰が?」ちょうどそのとき、景司
かおるは思わず目を見開いた。賢司は立ち上がり、彼女のほうへ歩いてきながら尋ねた。「離婚するのか?」かおるは首を横に振った。「別にケンカしたわけでもないのに、なんで離婚しなきゃいけないのよ」賢司はすでにかおるの目の前に立っていて、その言葉を聞くなり、ふいに手を伸ばした。かおるはとっさに身構えて二歩後ろに下がり、背中がドアにぶつかった。そのまま彼を警戒するように睨みつけた。「なにするつもり?」賢司はじっとかおるの目を見つめ、その緊張感を察すると、さらに冷たい表情になってドアノブに手をかけ、そのままドアを開けて彼女を外へ押し出した。「人妻が俺の部屋にいるとか、どう考えてもアウトだろ」そう言い残して、さっさとドアを閉めた。「ちょ、ちょっと、あんた……!」かおるはその場で呆然と立ち尽くした。閉まったドアを見つめながら、何も言い返せなかった。こ、こんな人……どうしてこうなのよ。でも、まぁ、言ってることは正しい、かも。「かおる」そんなことを考える間もなく、月宮の声が聞こえてきた。振り返ると、彼が階下のリビングに立ち、上を見上げてかおるを見ていた。今さら隠れても無意味だし、逃げるタイミングも失っていた。かおるはそのまま階段を下りて、「なによ」と声をかけた。月宮は、どこか冷めた表情をしたかおるを見つめながら近づいてきて、手を取り、真剣な眼差しで言った。「話をしよう」かおるは手を振り払おうとしたが、月宮の力は強くて引き抜けなかった。「手を放して」にらみつけながらそう言うと、月宮はきっぱり言った。「無理だ。一生、放さない」その言葉は強引で、少し傲慢だった。そして、その瞳には、はっきりとした独占欲がにじんでいた。ずるい。こんなふうにされるの、なんか……嫌いじゃないかも。「何を話すのよ?」「どの部屋に泊まってる?」月宮が尋ねた。その言葉を聞いたかおるは、一気に目を見開いて彼をにらんだ。「はぁ!?どういう意味よ?まだ話す前から、もうそういうこと考えてんの?つまり、あたしに会いに来た理由って、それ!?」月宮はすかさず、かおるの口を手でふさいだ。目を閉じると、リビングにいた里香を見て「彼女の部屋はどこだ?」と尋ねた。里香はぽかんとしながらも、指で部屋の
一言で、その場に火薬の匂いが立ち込めたような緊張が走った。月宮はほんの少し眉を上げ、凛とした表情の里香を見つめながら、ぽつりと聞いた。「……俺、巻き込まれてる感じ?」「えっ?」里香は一瞬、その意味がつかめず、きょとんとした。けれど、月宮の笑みはすぐに消え、声にも冷えた色が混じりはじめる。「おかしいと思わなかったか?なんで雅之が急に錦山を離れて、しかもずっと連絡してこないのかって」その言葉に、里香の表情もさらに冷たくなった。「それは彼の問題よ。私には関係ないわ」「はっ」月宮は小さく冷笑した。「関係ない、ねぇ……よく言うよ。俺はずっと、あんたら二人が揉めたり、傷つけあったりしてるのを黙って見てきた。口出しは一切しなかった。でも、雅之には何度も言ってきたんだ。本心から目をそらすなって。後悔するようなことはするなって。アイツもちゃんと変わろうとしてた。それくらい、あんたもわかってたろ?でも……お前、もう雅之のこと、愛してないんだろ?」月宮の視線が鋭く突き刺さった。その言葉に、リビングは一瞬、重い沈黙に包まれた。里香は何も答えなかった。「……そうか。もう本当に気持ちはないんだな」それ以上は追及せず、月宮は話を続けた。「だったら、雅之のこれからがどうなろうと、お前には関係ない。俺もこれからは、雅之のことでお前を巻き込むようなことはしない。今日ここに来たのは、かおるを連れて帰るためだ。戻るかどうかは、本人とちゃんと話して決めたいと思ってる」「彼女、会いたくないって言ってたわ」「それでも構わない。ここで待たせてもらうさ。恋愛ってやつはな、結局、腹割って話さなきゃ始まらない。誰も何も言わなかったら、口なんてあっても意味ねぇからな」その言葉に、里香の胸がわずかに揺れた。腹を割って話す――……そうだ、自分も雅之に、ちゃんと聞くべきなのかもしれない。少なくとも、彼に説明の機会くらいは与えるべきだ。その頃、二階の部屋では、かおるは、浴室から出てきた大柄な男を目にして、思わず目を見開いた。広い肩幅に引き締まった腰、はっきりと浮き出た筋肉のライン。短髪をタオルで拭うたびに、その腕の筋肉がぐっと浮かび上がり、ただ立っているだけでも圧を感じる。濡れて乱れた髪。額の下からのぞくその瞳は、どこか冷たく、じっとこち
かおるは彼をじっと見つめながら言った。「お兄ちゃん、それってどういう意味?私みたいに元気で可愛くて綺麗な妹が増えるのが嫌なの?」そう言いながら両手で頬を押さえて、ぱちぱちと瞬きをした。景司は淡々と笑いながら答えた。「俺は別に構わないけど、ある人はそう思わないかもしれないな」「え?」かおるはきょとんとした顔をしてから、すぐに里香の方を見た。すると、里香は両手を広げて「私は何も言ってないよ」と無言でアピール。となれば、「ある人」っていうのは……賢司しかいない。かおるは少し不満げに唇を尖らせた。だめだ、やっぱりちゃんと賢司に直接聞かなきゃ。どうしてそんなに私のことが嫌なの?その頃、秀樹と賢司の話し合いは、もう2時間近く続いていた。ふたりがリビングから出てきた時、階段の下で腕を組んで立っていたかおるの姿が目に入った。「おじさん、もう遅いですから、お休みになってください」かおるが声をかけると、秀樹は軽くうなずいて、「うむ、お前たちも早く休め」と言い、自室へと戻っていった。かおるはすぐに賢司の方へ向き直った。「賢司さん、ちょっとお話いいですか?」賢司は片手で袖を整えながら、ゆっくりと階段を降りてきた。すらりとした長身に整った顔立ち。気品と冷たさを醸し出しながら、無表情のままかおるを見下ろした。「用件は?」かおるはずばり聞いた。「私のこと、何か不満でもあるの?」「別にない」賢司はそう言って、かおるの横をすっと通り過ぎ、バーカウンターで水を汲んだ。かおるはその後を追いかけ、身を乗り出すようにして尋ねた。「じゃあ、私のことどう思ってるの?」「特に何も思っていない」かおるは内心、答えに戸惑いながらも、真正面からは聞けなくて、自分の指を軽く噛んだ。「それって……」「言いたいことがあるなら、はっきり言え」賢司の言葉にかおるは真剣な眼差しを向けた。「おじさんが私を養女にしたいって話してるのに、なんであなたは反対するの?」賢司は水を一口飲み、喉仏を上下させてから静かに答えた。「瀬名家には、娘はひとりで充分だ」はっきりそう言われてしまうと、さすがに言い返せなかった。かおるは悔しそうに賢司を睨みつけた。「……やっぱり、私のこと嫌いなんでしょ?」そう言い捨てて、そのまま踵を返し行っ
「えっ!?」かおるは彼女の話を聞いて、目を見開いた。聡が雅之の手下だったなんて……「ちょっと待って」手を上げて考え込みながらつぶやく。「東雲凛、東雲新、東雲徹、東雲聡……なるほど、全部繋がってたのね!」里香:「……」かおるはじっと里香を見つめ、「こんなに共通点があったのに、全然疑わなかったの?本当に?」里香は素直に首を横に振った。「うん」「はあ……」かおるは深いため息をついた。何て言ったらいいんだろう。雅之は答えを目の前に差し出していたのに、彼女は気づかなかった。聡を信じてたから?それとも、そもそも雅之のことを意識してなかったのかな?たぶん、両方なんだろう。かおるはそっと彼女を見つめ、「じゃあ今、雅之に怒ってるの?」里香は答えた。「怒っちゃダメなの?」かおるは顎に手を当てて考え込んだ。「もちろん怒っていいと思うよ。でもね、聡がそばにいたから、万が一のときすぐに見つけてもらえたんだし、前の一件も、結局は雅之が聡を通して助けてくれたんでしょ?ちゃんと考えてみたら、正しいとも間違ってるとも言いきれない気がするんだよね」里香は無言になった。かおるはそんな彼女の様子をうかがいながら、静かに言った。「里香ちゃん、一番つらいのは、彼が何も言わずにいなくなったことなんじゃない?何の説明もなく」里香は唇をぎゅっと噛んだ。「別に気にしてない」そう言って、立ち上がり、階段を上がっていった。「あっ!」かおるは慌てて後を追い、里香の顔を覗き込みながら言った。「ねえ、月宮に話してみよう?」「やめて!」里香はかおるを睨みつけ、「聞かないで。月宮にも言わないで。今は彼に会いたくないし、何も聞きたくないの」「わかった、わかった、話さないし聞かない。他のこと話そう!」かおるは彼女の感情が不安定な様子に気づいて、急いでそう言った。妊娠中の里香は気分の起伏が激しく、さっきまで笑っていたかと思えば、次の瞬間には泣き出すこともあった。だから、まわりの誰もが彼女の気持ちを気遣っていた。夜。秀樹、賢司、そして景司が帰ってきて、かおるの姿を見つけると嬉しそうに声をかけた。かおるの明るく飾らない性格はみんなに好かれていて、家族も彼女のことを気に入っていた。賢司は彼女の薬指に光る指輪をちらりと見て、表情を