華side
ガチャ、ガチャ……
後ろから三上の足音がどんどん近付いてくるが、どうにか二つの鍵を開けることが出来た。
バタンッ
勢いよく扉を開けて外に出ようとすると、無情にも扉は数センチほど開くとそれ以上は動かなくなってしまった。
(え、なんで……)
よく見ると扉の上部はチェーンロックがされており、それを取らないと出られないようだ。通常はドアの真ん中にあるはずのチェーンが、大人でも届きにくいドアの一番上に設置されている。
私が手を伸ばした、その時だった。肩に重く三上の手がのしかかる。そしてもう片方の手で私の両手首を押さえつけた。
「華、残念だったね。でも抵抗しないって言ったのにやっぱり逃げようとしたね。」
三上はニコニコと笑いながらこちらを見据えている。まるで私が最初から逃げ出すのが分かった上で試していたようにも感じられた。
「良かった。子どもが届かないように上の位置にチェーンがある扉にしたんだ。普段は使っていなかったんだけど、まさかこんな時に役立つ
瑛斗side「事件というのは何事だね?君から電話を掛けてくるくらいだから、よっぽどのことなんだろう?」電話口の華の父、神宮寺会長は「事件」という言葉に反応し、穏やかな口調から一転して声を沈めていた。「はい。実は、玲さんに話を聞こうとしたところ、秘書と一緒に逃げました。警察の調べでは、事前に用意されていた盗難車に乗ってプロの運転手による逃走です」「何だって?」会長の声には、驚愕と裏切りに対する怒りが混じっていた。「今は、警察も含めて玲さんの行方を追っています。それで、華さんの子どもたちから私のところに、華さんに身体の悪いところが見つかって三上先生が治すために急に家に帰らなくなったと連絡が入りました」「華が?華は、大丈夫なのか?」会長は、声を震わせながら、早口で俺に尋ねてきた。「子どもたちからは、それ以上は聞けませんでした。この件について、三上先生から連絡はありましたでしょうか?」
華side「華が、高校生の頃から瑛斗に気が合ったのも知っている。だけど、あの男は君じゃなくて、よりにもよって玲さんを選んだ。本質が見えていないあの男のどこがいいんだと思ったよ。でも、結婚する時の幸せそうな顔を見て諦めたつもりだったんだ」三上は、そこまで言うと拳を爪が食い込みそうなくらい力強く握りしめて俯くと、小さく全身を震わせた。「それが、玲さんが帰ってきた途端、離婚をつきつけるなんてどうかしている。あの男は華にふさわしくない。華は僕と一緒になるべきで、あの男と関わることは不幸になる。そう思ったんだ」顔を上げた三上は、私を見ながら壊れたように笑い出し、しばらくすると今度は大粒の涙を流している。彼の瞳からは、復讐の憎しみと、私への切望が混じり合った複雑な感情が溢れ出していた。「僕は、最初は神宮寺家が憎かった。だけどね、華、君といるうちに、君や子どもたちと過ごすうちに、本当に華のことが好きになってしまったんだ。子どもたちと一緒にいると、幼少期の家族で過ごした思い出が蘇って温かい気持ちになった。君たちのことがとても大切なんだ」突然、怒りだしたかと思えば、嗚咽交じりに号泣し、三上の情緒は乱れて正常な状態とはとても言えない。いつ、何がきっかけで感情の糸が切れるか分からず、私はただ黙ってその場を見守り、三上の感情がおさまるのを、静かに待った。「君や子どもたちが本当に可愛くて、愛おしくて、ずっと側にいたい、このまま家族になったらどんなに幸せなんだろうと思ったよ」
華side「ああ、そうだね。生活を支えてくれたとはいえ、父を失った傷は癒えない。事故の犠牲になったのに隠蔽されて、父は世間からひっそりといなくなったんだ。簡単に許すことは出来ないよ」三上の瞳には、神宮寺家に対する根深い憎悪が宿っていた。彼の口から語られた話は、私に新たな衝撃を与え続けていた。三上のことを酷く憎んでいたが、もしこの話が本当だったら……。私にしたことを許すことは到底出来ないが、心の底から恨むことも出来なかった。彼の狂気は、神宮寺家という闇が生み出した悲劇の産物だったのかもしれない。「君の父上も、事故の件があって負い目があるのか、僕にはあまり強く言えないところがあってね。遠慮がちなところもあったんだけど、それが余計に、当時のことを思い出させて憎かった。家族を失った僕たちを単なる援助としてではなく、家族として向かい入れて欲しかった。最初、華に近づいた目的はそのためさ。」専属医として神宮寺家に入り、そこからずっと優しく見守ってくれていた三上。私の妊娠が分かってから、いつも側で寄り添い助けてくれていたが、それらの行動すべてに裏があってのことだったという事実に、私は衝撃と寂しさで胸が押しつぶされそうだった。「そう、だったのね。私を助けてくれたのも、側にいてくれたのも、神宮寺家の娘だったから?利用できると思ったの?」私は涙を目にいっぱい溜め、声を震わせながら三
華side「……まさか、トラックは命を狙ってわざと事故をおこしたというの?」三上は、冷酷な笑みを浮かべた。その瞳は、神宮寺家に対する根深い憎悪を宿していた。「そうだ。そして命を狙われていたのは僕の父じゃない。華、君のお母さんだ。」「私のお母さん……?でも、父は、母は私が幼い頃に病気で亡くなったって」「その方が都合が良かったからそう説明したのだろう。君のお母さんも、君と同じように過去に命を狙われたんだ。そして犠牲になった。」これまで信じて疑わなかったことが、音を立てて崩れていく。母は、私が幼い頃に闘病の末亡くなったと聞いている。小さかった私は、それ以上聞いておらず、詳しい病名も知らなかった。「事故があった日、君のお母さんの隣に父は座っていた。そして、トラックが後部座席にぶつかって二人は命を落としたんだ。その時の運転手は、花村さんだよ。花村さんは運転席にいたから奇跡的に助かったんだ。」「花村が―――――?」花村は、物心ついた時から私専属の運転手をしてくれている。いつも、実の娘に向けるような温かい眼差しで見守ってくれ、玲に居場所が見つかり長野の別荘に移る時も、七年ぶりに父と再会した時の運転手も花村だった。
華side「どんな場所で、どんな風にぶつかって、誰が犠牲になったかは?君は、神宮寺家の人間でありながら、そんなことも知らないのか」「私は、あなたと付き合うまで事故のことは知らなかった。あなたがお父様のことをあまり話したがらないから、この前、父が別荘に来た時に聞いたの。」父が話していた言葉と、あの時の表情を思い出しながらゆっくりと口にする。「父は、トラックが衝突してあなたのお父様が犠牲になった、と言っていたわ。だからてっきり信号無視や荒い運転をしていたトラックが、あなたのお父様の運転していた車とぶつかったのだと思っていたわ」「……都合の悪い話は、最初からなかったことにするってことか」三上は冷たい目で私を見下ろしながら、さらに衝撃的な事実を告げた。「いいかい、まず父は車の運転をしていない。それどころか父は免許すら持っていなかったんだよ」「……どういうこと?免許を持っていなかったって、それなら誰が運転していたというの?」状況が飲み込めない私は、必死で言葉を紡いで三上に投げかけた。この真実から目を背けることはできなかった。「華は
華side「最初は小さい頃にお父様を事故で亡くされた影響から心配症なのだと思っていたけれど、もう信頼なんて一気になくなったわ」「父親」という言葉を聞いた三上は、瑛斗のことを話している時くらいに身体をブルッと大きく反応させて、目を見開いてこちらを凝視してきた。「なんで父のことを……華、君はどこまで知っているんだ。言え、言うんだ!!」目は血走り、呼吸は荒く、まるで獣のように喉をしめられそうなくらいの勢いで私に襲いかかるように問い詰めてくる。私は、恐怖で身体を震わせながらも、三上が今まで見せたことのない心の闇に光を当てたような気がしていた。三上の行動の根源や狂気の原因を知る機会かもしれない。「痛い、こんな状況では話せないわ……護さん、やめて」その声に、三上は我に返ったように私の肩を握る力を弱めた。彼の目から獣のような光が少しずつ消えていった。「護さんが小学生の頃、お父様が交通事故に遭って亡くなったと私は聞いたわ。どこまで、ってどういうこと?まだ他に私が知らないことがあると言うの?」「他にも?華、それだけでは知らないも同然だよ。華は、何も知らず、疑いもせずに生きてきたんだね」三上は小さく鼻で笑ってこちらを憐れむような目で