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第8話

Author: 縁十月
二時間前。

窓の外の景色が猛スピードで後ろへ流れていく。

後部座席で黎斗はスマホを見つめながら、沈んだ思考に沈み込んでいた。

頭の中は混乱し、胸は不安でいっぱいだった。

画面には彼と桐乃のチャットが映し出されている。

今さらになって気づく。

どうやら半月前、彼女の母が亡くなったあの日を境に、自分と彼女の会話は、驚くほど少なくなっていた。

彼女から先に連絡してくることなど、ほとんどない。

距離感と冷淡さ。

それがこのところの桐乃の常態だった。

ついさっき廊下で見た彼女の顔は、血の気がなく透き通るほど青白かった。

それでも、あの時だけは微笑んでみせた。

久しく見たことのない、ただ一度きりの笑顔を。

黎斗は胸の上に手を当て、鼓動の高鳴りを抑えようとした。

そして記憶は、一気に五年前のあの死にかけた真夜中へと引き戻される。

両親が目の前で誘拐犯に殺され、瀕死の体を引きずって山奥から逃げ出した。

かつての仲間に助けを求めようとしたが、失血でどうしようもなくなり、汚れた貧民街の路地に倒れ込んだ。

もうここで死ぬんだ。

そう思ったとき、桐乃が現れた。

古びた男物のシャツを羽織り、黒い長髪を無造作にまとめた、化粧っ気のない小さな顔。

これまで出会った名門の令嬢たちのような華やかさはなかった。

けれど、冷ややかで清らかな百合の花のように、美しく、心を奪われた。

彼女は助けてくれた。

彼女はもう一度、挑戦する勇気をくれた。

桐乃を愛するのは、当然のことだった。

黎斗は幾度も心の中で感謝した。

あの汚れた成金たちより先に、自分が彼女に出会えたことを。

そして誓ったのだ。

この百合の花を、一生大切に守り抜くと。

……はずだったのに。

「十鳥さん、警察の情報によると、卯月さんが最後出現した場所はここです」

秘書の声が思考を断ち切った。

マイバッハが山のふもとに停まると、すでに十数台のパトカーと、狂ったように撮影する記者たちが待ち構えていた。

黎斗の瞼がひくりと痙攣し、声はいつの間にかかすれていた。

「目立たないように動けと言ったはずだ!ニュースにもトレンドにも載せるなと!」

トレンドに上がれば、桐乃が見てしまう。

もう彼女を嫉妬で苦しませたくなかった。

胸がぎゅっと縮み、黎斗は苛立ちに奥歯を噛みしめた。

今朝、桐乃に
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