Share

第0017話

Author: 龍之介
レストランを出た瞬間、携帯の向こうで森下の声が響いた。

「高杉社長、少しお話が……」

「話せ」

「先ほど、陸川嬌様が社長の行動予定を尋ねられたので、沁香園にいらっしゃることをお伝えしました。彼女が――」

森下の言葉が終わる前に、輝明はレストランの入り口に立つ嬌の姿を見つけた。

電話を切る。

小柄な体、どこか儚げな佇まい。

こんなに華奢な彼女が、どうやって誘拐犯と戦ったのか――想像もつかなかった。

そのとき、不意に秋年の言葉が脳裏をよぎる。

――陸川嬌と桜井綿、どっちを選ぶんだ?

彼は嬌を選ぶと決めた。

彼女は素晴らしい女性だ。

これ以上、彼女に負担をかけるわけにはいかない。

静かに歩み寄る。

「嬌ちゃん」

嬌は振り向き、すぐに微笑んだ。

「明くん」

その笑顔は、まるで彼がここに来ることを信じて疑わなかったような、そんな純粋さがあった。

輝明は優しく目を細める。

「病院で休んでいるべきじゃないのか?こんなところで何をしている?」

「明くん……」

嬌は彼の袖をそっと掴む。

「別荘の件、本当にごめんなさい。一日中気が休まらなくて……」

俯きながら、小さな声で続ける。

「会社や家にも行ったけど見つからなくて……だから、森下さんに行き先を聞いたの」

「明くん……怒らないでね」

「あたし、自分の間違いに気づいたの」

彼の腕を引く手が、少しだけ震えている。

――彼が本当に、自分を選ぶのかどうか、確かめたかったのだろう。

「怒っていないよ」

そう言いながら、彼は彼女の頬を軽くつまみ、手を握った。

「本当?」

嬌は不安そうに彼を見上げる。

輝明の本心がどこにあるのか、彼女にはわからなかった。

彼の優しい視線は、本当に彼女に向けられたものなのか――それともただの演技なのか。

いつも、その境界が曖昧だった。

「嬌ちゃん、俺を信じてくれ。いいな?」

輝明は彼女を見つめ、静かに微笑んだ。

嬌は、小さく頷いた。

そのとき――

嬌がふと後ろを振り返る。

ちょうど、綿が店の中から出てきたところだった。

「綿ちゃん!」

嬌の声が明るく響く。

綿は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

嬌は一歩前に出て、柔らかく微笑んだ。

「今日は、別荘のこと……本当にごめんなさい。あたしが悪かったの」

しかし、綿は何も答えなかっ
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter
Comments (1)
goodnovel comment avatar
Hirade Kanae
続きがきになります。
VIEW ALL COMMENTS

Related chapters

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0018話

    市役所の離婚届け提出窓口綿は、戸籍謄本と離婚届を手に、じっと待っていた。輝明が来るのを。ふと、三年前の婚姻届を提出した日を思い出す。あの日、雲城には大雨が降っていた。輝明は最初、「仕事が忙しいから遅れる」と連絡してきた。次に、「雨が強すぎるから、今日はやめて別の日にしよう」と。それでも、彼女は一人で市役所の前に立ち、雨が降ったりやんだりするのをじっと見つめていた。――彼が来ると、信じて。そして、窓口の受付時間が終わる直前になって、ようやく彼が現れた。そのときと同じように、綿は今、市役所の前で立ち尽くしていた。周りでは、幸せそうなカップルたちが楽しげに出入りしている。そんな光景を見ながら、ふと思う。本当に人を愛しているなら、どんなに大雨が降ろうと、相手に会いに行く。ましてや、結婚という人生で最も大切な日ならなおさら。彼はただ、自分を愛していなかったのだ。*退屈しのぎにくるくるとその場を回りながら、時計をちらりと見た。時間は、午前9時。だが、輝明の姿はどこにもない。綿はスマホを取り出し、メッセージを送った。『高杉さんでも遅刻することってあるの?』しかし、返事はない。綿はため息をつきながら、祖父が持たせてくれたお守りを取り出した。「三年ぶりに帰ったら、おじいちゃん、ますます迷信深くなってるじゃない……」まじまじとお守りを眺めながら、ぼそっと呟く。――これ、本当に効くの?そして、10分後。輝明は、まだ来ない。綿はイライラしながら、スマホを取り出した。今度は直接電話をかけようとした。その時――着信音が鳴る。画面に表示された名前を見て、彼女の心臓がぎゅっと縮まる。――高杉の祖母。綿の表情が引き締まる。まさか、離婚のことがバレたの!?おばあちゃん、心臓があまり強くないのに……私たちの離婚のせいで、ショックを受けたりしないよね?心の中に不安が広がる。どうする?出るべき?迷いながらも、慎重に通話ボタンを押す。「……もしもし?おばあさん?」「おーっ!綿ちゃん!」明るく弾んだ声が、電話の向こうから響いた。「今、別荘に向かってるのよ!朝早く起きて、和風の朝ごはんを作ったから、輝明と一緒に食べさせようと思って!うふふ、あと十五

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0019話

    綿は、美香の腕をそっと支えながら、優しく微笑んだ。「おばあさん、そんな噂、まったくのデタラメよ。変なこと聞いて、気にしないで?」彼女がこの場で、離婚を認めることは絶対にない。もし美香が強く反対すれば、離婚は確実に難航する。そうなれば、輝明は一生、本当に愛する人と結婚できなくなる。彼女への嫌悪感を抱えたまま、形だけの夫婦生活を続けることになる。――そんな人生、こっちから願い下げだ。「ねえ、見てよ。私、今日こんなに綺麗にしてるのよ?」綿は、その場でくるくると回ってみせた。肩のラインがあらわになるドレスが、彼女をより華奢に見せている。「こんな格好で離婚に行くわけないでしょ?」輝明は、その言葉に思わず息をついたが、だが同時に、疑念が浮かぶ。――おばあさんは、最近ずっと誕生日の準備で忙しかったはずだ。なのに、どうして今日に限って、突然ここに来た?それも、ちょうど離婚する日を狙ったように。まさか……綿がわざとおばあさんに知らせた?本当は、離婚したくないとか?そんな考えがよぎり、彼は無意識に眉を寄せた。「信じられない!原因もないのに、こんな噂が出るわけがないでしょう?どうせ、離婚の話をしたんでしょう!」美香の目は鋭く光る。綿は肩をすくめ、少し困ったように笑った。 「おばあさん、今の時代、デマを流すのにコストなんてかからないのよ?ただ適当にしゃべるだけで広まるんだから、そんなの気にするだけ損よ」輝明は、綿がさらっと祖母を丸め込んでいるのを見て、改めて思った。――この女、本当に手が回る。だからこそ、おばあさんにここまで気に入られているんだろう。すると、綿はちらりと輝明を見て、急に恥ずかしそうな表情を浮かべた。「おばあさん、知ってるでしょ?私、彼と結婚するために、どれだけ苦労したか。簡単に手放すわけないじゃない」彼女は、真剣な顔で言い切った。「死ぬ時も、一緒よ!」まるで、誓いの言葉のように。輝明はふっと笑った。――このセリフ、どこかで聞いたことがある。そうだ。昔、彼女が言ったことがあった。どんな状況だったかは思い出せないが、彼女は確かに、同じような言葉を口にしていた。この女、よくもまあ、そんなに自然に嘘がつけるものだ。しかも、全く動揺もなく、息をするように。彼は、あること

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0020話

    輝明は眉を寄せ、冷ややかな目で綿を見つめた。その瞳には、まるで波ひとつない静かな湖のように、何の感情も浮かんでいなかった。――ああ、そうか。私は、輝明の目には「そういう女」に見えているんだ。計算高く、卑怯な女。綿の胸に、怒りとも悲しみともつかない苦々しい感情が広がる。――もう、彼が自分をどう思おうと関係ないはずなのに。それでも、こんなふうに疑われ続けることが、あまりに屈辱的だった。綿は、苦笑しながら静かに言った。「そんなに私が卑怯だと思うなら、おばあさんに離婚のことを話せばいいじゃない?ほら、今すぐにでも」「……お前、それは本気で言ってるのか!」輝明は、鋭く睨みつけながら、一歩踏み出した。綿は微笑んだまま、肩をすくめた。「もちろん本気よ。彼女はあなたの祖母よ。私のじゃない。私はただ、彼女が優しくしてくれたから、気を遣っているだけ」――何を勘違いしているの?私は、ただおばあさんの身体を気にしていただけ。決して、このくだらない結婚に未練があるわけじゃない。綿は、呆れたように冷笑しながら言い放った。「私はもうあなたの妻じゃないよ?それなのに、まだおばあさんの前で『いい妻』を演じてあげてる。感謝こそすれ、疑うとか、バカじゃないの?」綿は、忌々しげに輝明を睨んだ。――好きだった頃は、どんなに酷いことをされても、彼を悪く思うことはなかった。けれど、今はもう何もかもが許せなかった。輝明の目が暗くなる。綿の変化が、彼の中に苛立ちを生み出す。彼女は昔と違いすぎる。まるで別人のように、鋭く、攻撃的で、冷淡だった。輝明は、一歩前へ出ると、綿を鋭く見据えた。「……感謝すべきだと?」綿は顔を上げ、冷ややかに睨み返した。「当然でしょ?私が少しでも自分勝手なら、とっくにおばあちゃんに全部話してる」輝明は深く息をつき、彼女の手首を強く掴んだ。低く、冷ややかな声が響く。「離婚の話は、おばあさんの誕生日が終わるまで待て。それまでの間、もしお前が祖母に離婚のことを話したら――その後のことは、覚悟しろ」綿は呆れたように笑い、腕を振り払った。「頼みごとをするのに、その態度はなんなの?」輝明は、綿の顔をじっと見つめた。その表情は、かつて見たことのないほど冷たく、無感情だった。――まるで、知らない女を

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0021話

    天河は、これまで綿に強い口調で何かを言ったことはなかった。だが、今日の彼は違った。「絶対に行くんだ」その態度からも、彼らがどれほど焦っているのかが伝わってくる。綿が離婚できなかったことで、家族の焦燥感は一気に高まったのだろう。綿は小さく息をつき、少し声を落として懇願するように言った。「パパ……行かなくちゃダメ?誓うよ、絶対離婚するから」天河は、何も言わなかった。その沈黙が、答えだった。「でも、まだ正式に離婚してないよ……」綿はわざと困った顔を作り、ゆっくりと続けた。「相手は、それでも気にしないの?」「気にしない」天河は、即答した。綿は、思わず苦笑する。――その相手、正気?自分がまだ高杉輝明の「妻」だって知ってるのに、それでも平気でお見合いしようって?……どう考えても、ちょっと頭おかしい。「綿、その人、お前も知ってる相手だ。彼は、お前のことを高く評価している。きっと、うまくいく。一度だけ、パパの言うことを聞いてくれないか?」その言葉を聞いた瞬間、綿の心の中で何かが引っかかった。「一度だけ、パパの言うことを聞いてくれないか?」――まるで、懇願のようだった。彼は本当に、彼女のためを思っているのだろう。綿がぐずぐずと過去を引きずることなく、早く前を向いてほしい。その思いが痛いほど伝わってくる。「パパ……」綿はゆっくりと口を開き、真剣な眼差しで言った。「気持ちは分かるよ。でも……今は、誰かと向き合う余裕がないの」輝明との関係の中で、彼女はあまりにも多くを消耗してしまった。疲れ切ってしまったのだ。もう、新しい誰かを受け入れる余裕なんて残っていない。「天河、もういいじゃないか」そばで黙っていた山が、静かに口を開いた。「綿ちゃんが嫌がっているんだから、無理強いはするな」「でも、父さん……!」天河は、何か言いかけた。だが、山の鋭い視線に、口をつぐむ。そのまま深いため息をつき、天河は黙って書斎へと引っ込んでいった。「おじいちゃん、ありがとう」綿は山に向かって、素直にお礼を言った。彼は、優しく微笑む。「人はな、ずっと底に沈んでいてはいけないんだ。どこかで、這い上がらなきゃな」「分かってる」綿は、そう答えた。その時だった。スマートフォンの通知音

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0022話

    翌日の夜。紫苑レストラン。綿は予定通り、お見合いの場に姿を現した。彼女は窓辺に立ち、景色を眺めながら腕を組んでいた。白いオフショルダーのショートドレスを身に纏い、その姿はとてもセクシーだった。「桜井さんですか?」背後から男性の声がした。その声には、どこか聞き覚えがあった。振り返ると、そこに立っていたのは韓井司礼だった。彼女の目には驚きの色が浮かんだ。「韓井さん?」まさか、お見合いの相手が韓井司礼だったとは。どうりで先日、父が「韓井社長を助けた」と聞いた瞬間、あれほど興奮していたわけだ。司礼は柔らかく笑みを浮かべ、気品を感じさせる立ち居振る舞いで椅子を引き、綿に座るよう促した。「驚かれましたか?」司礼は少し照れくさそうに言った。彼は綿より年上で、大人ならではの余裕と落ち着きを備えていた。けれど、間近で見る綿の美しさには、思わず息を呑んでしまった。もともと色白な綿が白のドレスを身にまとっていると、まるで光を纏っているようで――思わず目が離せなくなった。あの日のパーティーでも印象的だったが、今日は比べものにならないくらい、彼の視線を奪っていた。綿は笑みを浮かべながら言った。「びっくりしました。お父様はお元気ですか?」「ええ、おかげさまで。退院して、もうすっかり落ち着いています。本当は直接お礼に伺うつもりだったんですが、最近どうしても時間が取れなくて……申し訳ないです」司礼の口調は終始穏やかで、話しぶりもどこか悠然としていた。一つ一つの所作に品があり、気づけば綿は、自分がなんだか「庶民的」に思えてしまっていた。「いえ、そんな……お元気になられたなら、それで十分です」綿も静かに微笑んだ。「では、そろそろ注文しましょうか」司礼が声をかけた。綿は頷き、差し出されたメニューを受け取った。食事が始まってしばらくして、綿はふと思い出したように口を開いた。「韓井さん、知り合い同士ですし、はっきり言いますね。私、まだ高杉輝明と離婚は成立していません」「……伺ってますよ」司礼は何事もなかったように頷いた。「あなたのような素敵な方に、私なんて釣り合わないと思っています。今今日はあくまで友人としての食事ってことでお願いします。あんまり本気にしないでくださいね」 綿は、知っている人にこれ

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0023話

    輝明の不機嫌そうな顔を見た瞬間、綿の中にふとした悪戯心が芽生えた。すっと立ち上がると、司礼の隣へ歩み寄り、ためらいもなく彼の腕に手を絡める。「韓井さん」綿は顔を上げ、にっこりと微笑む。その瞳にはきらりと光が宿り、どこか挑発的な色を帯びていた。「さっき陸川さんに「お似合い」って言われたことですし、付き合ってみます?」司礼は一瞬だけ目を細めてから、チラリと輝明と嬌を見やった。輝明の顔色は明らかに険しく、眉間には深い皺が刻まれていた。何も言わずに、司礼は綿の腰にそっと腕を回し、軽く引き寄せる。落ち着いた低音が、彼女の耳にすっと入ってくる。「つまり……僕にその気があるって受け取っていいんですね?」綿は微笑んだままうなずき、彼のネクタイを指先でくるくるといじる。仕草は無邪気だけど、どこか艶っぽい。司礼は静かに笑い、綿の耳元に顔を寄せて囁いた。「光栄だよ」そしてゆっくりと視線を輝明の方へ移す。輝明は黙ったまま、司礼の手元を睨み、それから彼の顔を真っ直ぐに見据えた。目の奥にあるものは怒りというより、もっと鋭くて冷たいものだった。司礼はその視線を真正面から受け止めつつ、口元にうっすらと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。その様子を見て、嬌が空気を変えようと、無理に明るい声を出す。「韓井さんって、意外と情熱的なんですね。綿ちゃんのこと、本当に気に入ってるのね」もともとは、輝明との関係を綿に見せつけるつもりだった。……完全に逆になってるじゃない。綿はふとした笑みを浮かべながら、何も言わずに二人に目を向ける。どこか余裕のある顔だった。司礼は眼鏡を押し上げ、落ち着いた声で言う。「好きな人の前だと、男は誰だってちょっとは格好つけたくなるものですよ。……僕は、桜井さんのことが好きです。真面目に」その言葉が輝明の胸のどこかを静かに刺激した。特に、綿が自分以外の男に向けている、あの無防備な笑顔を見たとき――あの笑顔は、かつて自分だけのものだった。離婚に同意したかと思えば、すぐに次の男と恋人ごっこをしている。――本当に吹っ切れたのか。それとも、これは「見せつけ」なのか。嬌はもう長居する必要はないと察したのか、にこっと笑って言った。「じゃあ、そろそろ行こうか。明くん、お腹すいちゃった」「……ああ

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0024話

    「韓井家の方が来るってのに、綿ちゃん、その格好で迎えるつもり?」「果物少なすぎるでしょ。もっと用意して!」「綿ちゃん、ジーンズはやめときなさい。スカートに着替えて!」盛晴ははそわそわと家の中を行ったり来たり。綿の白いTシャツとデニム姿にもすかさずツッコミが入った。「ほら、ママの言うとおりにしてきなさい」天河も軽く綿の背を押す。確かに、ちょっとラフすぎる格好だった。鏡の前で自分の姿を見つめながら、綿は小さくため息をつく。――全然悪くないと思うんだけどな。スタイルいいんだから、何着たってそれなりに見えるし。なのに、みんなしてうるさいんだから。さて着替えるか、と階段に足を向けたとき――「奥様、韓井家の方がいらっしゃいました!」玄関の声に、盛晴が慌てて綿の腕を掴む。「もういいわ、そのままで行きましょ。来ちゃったから!」「……うそでしょ」なんか今日、両親のテンションが変だ。いつも来客があってもここまでピリつかないのに。――まさか、昨日私と韓井さんがちょっといい雰囲気だったってだけで、「結婚前提のご挨拶」だとでも思ってるわけ?「ママ、あくまでお礼に来るだけだってば」「そんなの建前に決まってるでしょ!何言ってんの」「……ほんとに、それだけなんだけどなあ……」言っても聞いてくれそうにない。盛晴はすでにテンションMAXでドアを開けた。玄関先には、韓井司礼と父・韓井総一郎が姿勢よく立っていた。その後ろには執事とアシスタントらしき男性がふたり、それぞれ大きな紙袋を持っている。「やあ、韓井さん!」天河はにこやかに近づいて、総一郎とがっちり握手。綿は司礼に軽く会釈する。「こんにちは、韓井さん」その瞬間、司礼の目が少し見開かれた。「今日は…また印象が違いますね」いつも会う綿は、ドレスやスーツ姿でどこかキリッとしていた。でも今日は、白いTシャツにジーンズ。髪もラフにまとめていて、素の魅力がふわっと出ている。まるで大学生みたいな、素朴で透明感のある雰囲気。「ねえママ、司礼さんが今日の私の格好、素敵だって言ってたよ」綿が得意げに笑うと、盛晴は目を細めて彼女を見た。「……あんた、本気で真に受けてんの?社交辞令くらい見抜きなさいよ」 するとすかさず司礼がやんわりと口を挟んだ。「

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0025話

    「いえいえ、今回はどうしても私にご馳走させてくれ!」「だったらさ――せっかくだし、ゴルフでもどう?」天河が思いついたように提案した。「お、いいね!」と総一郎が即答する。「綿さん、ゴルフはやったことある?」総一郎が綿に顔を向けた。綿は小さく首を横に振った。器用な方だとは思うけれど、ゴルフだけはどうも性に合わない。じっくり集中して打ち込むタイプの遊びは苦手だった。――高杉輝明のこと以外は。 「ちょうどいいな。司礼はゴルフが得意なんだ、教えてもらえばいい」総一郎は嬉しそうに笑う。「もしよければ、ですけど」司礼は穏やかに微笑む。天河があんなに楽しそうにしているのを見てしまえば、綿も無下にはできず、軽く頷いた。  *目的地は、郊外にある雲城最大のゴルフ場。運転は司礼が引き受け、車内では天河と総一郎が終始楽しそうに昔話に花を咲かせていた。綿は助手席でお菓子をつまみながら、時おり司礼と軽く言葉を交わす。ゴルフ場に着くと、駐車場には高級車がずらりと並んでいた。週末の晴れ間、社交も兼ねたスポーツ日和。どこを見ても、お坊ちゃまやお嬢様ばかり。天河たちは早速ティーショットを終えて、ゆったりとプレイを始めている。綿も着替えを済ませ、白と淡いピンクのスポーツウェアにポニーテールという装いで現れた。ほとんどノーメイクだったが、全体の雰囲気にぴったりで、かえって彼女らしさが際立っていた。芝生の感触を足に感じながら歩き出した綿だったが、不意に――「明くん……」どこからか、かすかに聞こえたような気がして、立ち止まる。振り返っても、そこには誰の姿もなかった。――気のせい、だよね。気を取り直し、綿はコースの向こうで待っている司礼に手を振った。「韓井さん!」「『韓井さん』はちょっと他人行儀だな。司礼って呼んで」「……じゃあ、司礼さんで」 「よし」そう言って、彼も自然と「綿さん」と呼び方を変えた。「よく来るの? こういうとこ」「うん、仕事の付き合いでね。時々だけど。……綿さんはまったく初めて?」司礼が問いかけると、綿は素直に頷いた。「うん、全然」ロッククライミングとか、射撃とか、スカイダイビングとか――そういうのは得意だけど。 「そのほうが教えがいあるよ」司礼は笑い

Latest chapter

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0850話

    「もし本当に強奪されたら、どうすればいいんですか?」綿は興味津々に尋ねた。男なら抵抗できるかもしれないが、陽菜のようなお嬢様なら一人でも危ないのに、複数相手ならなおさら無理だ。「本当に強奪に遭った場合、一番いい方法は素直に渡すことです。命の方が大事ですからね」和也はそう答えた。「彼らも誰にでも強奪するわけじゃない。まず観察して、この人が本当に金持ちなのかどうかを見極めるんですよ」「なんて怖いの……」綿は首を振り、信じられない様子だった。なんて無秩序な場所なんだろう。どうりで徹が陽菜を同行させたわけだ。一人では確かに心細い。とはいえ、陽菜もそれほど頼りにならないし、こんな状況ならむしろ屈強な男を連れてくるべきだったと綿は思った。綿が食事を続けていると、突然外から女の悲鳴が聞こえた。その声は耳障りで恐怖に満ちている。この声は……「いやあああ!助けて!」その悲鳴を聞いた瞬間、綿はすぐに分かった。陽菜だ!綿は立ち上がり、個室の扉を開けようとした。しかし和也が彼女の手を掴み、首を振った。「今出て行っても彼女を助けられません。彼らが欲しいのは物だけで、危害は加えませんよ」綿は動揺した。どういう意味だろう?陽菜が危険な目に遭っていると分かっていて、何もせずにここで待てというの?陽菜が少々苦手だとしても、何もしないわけにはいかない。「ダメです。陽菜は私が連れてきた人です。彼女を連れて来た以上、ちゃんと連れて帰らないと」もし陽菜に何かあったら、徹にどう説明したらいいか分からない。「桜井さん、相手は複数いますよ」和也は慎重に警告した。綿は和也が本気で彼らを恐れているのを見て取った。「あなたたちは姿を見せないでください。私は何とかしますから、警察を呼んでください」綿は和也に頼んだ。和也は少し躊躇したが、頷いた。しかし、この辺りでは警察に通報しても役に立たない可能性が高い。ここは無法地帯で、毎日何人もの人間が強奪に遭っており、全てを取り締まるのは不可能なのだ。それでも、綿は扉を押し開けた。「桜井さん、どうか気をつけてください!」宗一郎は心配そうに声を掛けたが、助けることはできなかった。彼がこの幻城で身を立てていられるのは、低姿勢を保っているからだった。階段の下で陽菜は男に引きずられていた。「

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0849話

    「この辺りの人って、いつもこんなに乱暴なんですか?」綿は不思議そうに尋ねた。和也は頷き、答えた。「これでもまだマシな方です。中には平気で唾を吐いてくる奴もいますよ」唾を吐くなんて、確かに竜頭のポーズよりもはるかに不快だ。それが自分の汚さや病気を気にせずに行われるというのだから、想像しただけでうんざりする。綿は唇を噛んだ。「ここ、どうしてこんなに荒れているんですか?誰か取り締まらないのですか?」「取り締まってはいますよ。ただ、追いつかないんです。流れ者が多すぎて。街も大きいし、人も多い。全員を一人ずつチェックするなんて無理です」綿は顔を手に支えながら考え込んだ。一部の都市はこういう性質を持っているのだろう。これが幻城に人が溢れている理由なのかもしれない。ただ、綿は信じていた。この街がいつか必ず整えられ、秩序を取り戻す日が来ると。車はやがて比較的高級なレストランの前で停まった。このエリアは静かで、不審者もいないようだった。車を降りると、宗一郎は再びSH2Nや柏花草について自分の考えを熱心に語り始めた。綿は静かに耳を傾け、時折頷いていた。レストランのスタッフが一行を案内し、席に着いたところで、綿のスマホが鳴った。輝明「どこにいる?誰と一緒だ?無事なのか?」綿「うん」彼女は短い返信を送り、スマホを閉じた。和也が尋ねた。「こちらのご当時料理をいくつか注文しておきましたが、お嫌いなものはありませんか?」言いながら、和也はメニューを綿に差し出した。「桜井さん、他に何か追加したいものがあれば、どうぞ」「結構です。ありがとうございます」綿は首を振り、陽菜の方を見た。陽菜はテーブルを拭いていた。ここは高級店ではあるが、環境はやはり雲城ほど整ってはいない。それが不満なのか、陽菜の表情には嫌悪感が浮かんでいた。おそらく幻城への出張など、もう二度と来るつもりはないだろう。和也は陽菜にウェットティッシュを差し出した。「どうぞ」「ありがとう」陽菜はお礼を言ったが、その手首には、いつの間にかまたキラキラと光るアクセサリーが戻っていた。綿が目線を向けると、陽菜は眉をひそめた。「何よ?もう夜なのに、誰が懐中電灯を持って照らしてまで盗むって言うの?」綿は何も言わなかった。「それでは柏花草の件、教授にお任せします。

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0848話

    雲城に足を踏み入れるような人物であれば、この爺さんも間違いなく一流の人だろう。その後も会話が弾み、気がつけば時刻は既に夕方。昼食を取るのも忘れて話し込んでしまった。6時を過ぎた頃、和也がようやく口を挟んだ。「そろそろ夕食に行きませんか?場所はもう予約してあります」綿は時計を見て、驚きと共に宗一郎に微笑みかけた。「教授、私ったらつい夢中になりすぎて、食事の時間をすっかり忘れてしまいました」「話が弾んでいたようだね」宗一郎は私的な場面では寡黙だが、的確な一言を返した。「行きましょう。今日は僕たちがご馳走します。幻城へようこそ!」和也は笑顔で綿たちを招いた。その表情は温かく、どこか優しげだった。綿は彼を少しじっと見つめた。――快活でハンサムな青年だ。外に出て和也たちと一緒に車に乗り込む前、綿のスマホ電話が鳴った。輝明「どこにいる?今日はクリスマスだ。昼間は一切邪魔しなかったけど、夜は一緒に過ごせないか?」綿は眉を上げ、メッセージを打った。綿「出張中」輝明「出張?なぜ一言教えてくれなかった?」綿「アシスタントと一緒。徹さんはあなたの友達だから、もう聞いてると思ってたのに?」綿は心の中でつぶやいた。――私の行動を知りたければ、いくらでも手を回せるくせに……何を今さら。輝明「何時に帰る?もう遅い時間だ」綿「順調なら夜8時の新幹線で戻る予定」輝明「順調じゃない可能性もある?」綿「わからないわ」話が弾んでいることに加え、せっかくの機会なので、あと2日ほど滞在してもっと議論を深めたいと綿は考えていた。だが、今日がクリスマスであり、父が自分のために飾り付けたツリーのことを思うと、心が揺れる。輝明「迎えに行くよ」そのメッセージを見た綿は即座に警戒し、慌てて返した。綿「来なくていい!」――何で彼に迎えに来てもらう必要があるの?自分で新幹線で帰ればいいじゃない。綿「仕事で来てるの。邪魔しないで」輝明「君が心配なんだ」綿「あなたがいなかった3年間も、私はちゃんとやってたわ。あなたの心配なんて必要ない」輝明「それは過去の話。今は違う」綿「何も変わらないわ」輝明「俺に3か月の猶予をくれたじゃないか」綿「猶予を与えたからって、あなたの望むままに付き合わなきゃ

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0847話

    目の前に広がるのは、これ以上ありふれたものはない、普通の店構えだった。外壁には「LK研究所」と書かれた小さな看板が掛けられているが、ぱっと見ただけでは、まるで路上の軽食店のようだった。山下はまたも気まずそうに笑いながら言った。「お恥ずかしい話ですが、僕たちの研究所は予算が少ないんです。でも技術だけは確かですので、どうかご安心を!」「では、どうぞこちらへ」彼は綿たちを中へ案内した。綿は無言のまま、周囲を見渡した。――このベテラン教授が信頼できる人だと知っているからこそついてきたものの。もし彼のことを知らなかったら、こんな場所、絶対に罠だと疑ったに違いない。「腎臓を売られるんじゃないか」とさえ思うほどだった。陽菜もおそらく、さっき目撃した事故の光景が頭に焼き付いているのだろう。妙におどおどしていて、綿のすぐそばから離れようとせず、以前のような口数の多さもすっかり影を潜めていた。綿にとっては、ようやく訪れた静けさだった。二人は山下の後について店の中に入った。外見はみすぼらしいが、内装は意外にも新しさがあり、ここ数年で改装されたようだった。綿はちらりと室内を見渡し、山下の後についてさらに奥へ進んだ。応接間を通り抜けると、そこは研究所の核心部である研究室だった。外観がボロボロなのは、わざと目立たないようにしているのかもしれない。派手に飾ってしまったら、盗みに入られるリスクが高まるからだ。そんなことを考えていたその時、後ろから年配の男性の声が聞こえた。「お待ちしていましたよ」綿と陽菜は声のする方を振り向いた。そこに立っていたのは、70代と思しき白髪の紳士。彼は白い着物を身にまとっていて、威厳が感じられる。山下は彼を見てすぐさま駆け寄った。黒服の山下と白服の紳士――二人の対比はとても目を引いた。しかし、綿はすぐに妙なことに気づいた。この二人、顔つきがあまりにも似ているではないか。それだけでなく、二人の姓も同じ「山下」だった。紳士は名乗りながら言った。「山下宗一郎です」綿は再び山下に目を向けた。すると、老紳士は山下を指差して続けた。「こちらは私の孫、山下和也です」綿は思わず息を飲んだ。――なるほど、親族だったのか……「この研究所にはお二人しかいないんですか

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0846話

    綿はすぐに理解した。「触れてはいけないもの」――だからこそ、あの暗い路地の奥からあのような叫び声が聞こえてきたのだろう。それは、「快楽の後の解放」のようなものだった。一方、陽菜はその意味が分からないようで、首をかしげながら尋ねた。「どういうこと?」綿は陽菜を一瞥し、静かに答えた。「幻城はとても乱れている。叔父さんは教えてくれなかったの?」陽菜は一瞬動揺した様子を見せた。確かに徹は「綿の出張に同行するのは良い学びになる」とだけ言って、それ以外の説明は何もなかった。「陽菜、あなたはこの出張に来るべきじゃなかったわ」綿がはっきりと告げると、陽菜は即座に不満を口にした。「どうして来ちゃダメなの?私が何か邪魔したっていうの?あんたって本当に支配欲が強いのよね!」陽菜の怒りはエスカレートし、口をとがらせて文句を浴びせた。綿はそんな彼女をじっと見つめたが、それ以上何も言わなかった。心の中でこぼれそうだった言葉――「ここは危険だから、あなたじゃ身を守れない」――を飲み込んだ。――陽菜が本当に危険な目に遭ったとしても、それは彼女が自分で招いた結果だ。――これだけ反発的な態度を取られたら、誰が彼女を心配するものか。そんな奴、心配する価値なんてまったくない!綿は静かに自分の指輪とブレスレットを外した。今日は特別に腕時計までつけてきたが、それも不必要だったようだ。彼女は腕時計を外して手の中でじっと見つめた。――この時計は18歳の誕生日に父がくれたものだ。その価値は6000万円以上。他の家庭が娘に贈るのは、バッグや香水、きれいなドレスといったものが多いだろう。だが、天河は違った。彼女に贈ったのは腕時計やスポーツカー、そして限界まで「カッコいい」ものだった。綿はその腕時計をバッグの中にしまった。陽菜はその様子をちらりと見て、呟いた。「そんなに怖がってるの?」綿は眉をひそめた。「地元の習慣を尊重して、余計なトラブルを避けるだけよ。私たちは仕事に来たの。遊びじゃない。あなたも身につけてるものを外しなさい」陽菜は頑なに拒否した。「今日のコーディネートに全部合わせてるんだから」「遊びに来たわけじゃないでしょ?誰があなたのコーディネートを気にするのよ?早く外して。そのネックレス、見るか

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0845話

    綿は陽菜を意味ありげに一瞥した後、何も言わずに出口へ向かった。駅の外に出ると、手にプレートを持った若い男性が立っているのが目に入った。プレートには「LK研究所」と書かれている。綿は眉を上げ、その研究所がベテラン教授のものであることを確認すると、歩み寄った。若者も彼女に気づき、急いで手を振りながら笑顔を向けた。「こんにちは、私は桜井綿です」綿が自己紹介すると、彼はすぐに応じた。「お噂はかねがね伺っております!写真よりもさらにお美しいですね!」彼は照れくさそうに頭を掻いた。確かに綿は目を引く存在だった。――多くの人がいる駅の出口でも、ひときわ目立つのは彼女だった。服装は特に派手でもないのに、その独特の雰囲気が際立っていた。陽菜も美しいが、綿の隣に立つと、どこか見劣りしてしまう。まるで飾り物のようで、存在感が薄い。綿はその場の空気に何か違和感を覚えた。駅の外に出た瞬間、多くの人々が一斉に彼女をじろじろと見てきたのだ。ただ見るだけならまだしも、彼らの視線には好奇心や賞賛の色ではなく、どこか露骨で嫌らしいものが含まれていた。まるで何かを企んでいるかのような視線に、綿は不安を覚えた。若者が話しかけた。「桜井さん、お疲れ様でした。これからお昼を一緒にいかがですか?」綿は視線を戻し、微笑みながら答えた。「ご丁寧にどうも。迎えに来てくださってありがとうございます。実は、幻城に来るのは初めてで……正直、どっちが東でどっちが西かも分からなくて」若者はすぐに首を振った。「僕を山下と呼んでください」綿は軽く頷き、陽菜を指差して紹介した。「この子は私の助手の恩田陽菜です」陽菜は山下を上から下まで値踏みするように眺めた後、心の中で呟いた。――なんて地味な人なんだろう。黒い服をきっちりと着こなし、どこか老けて見えるその姿に、陽菜は興味を失ったようだった。山下はそんなことを気にする様子もなく、にこやかに手を差し出して挨拶した。「初めまして、恩田さん。幻城へようこそ」その場の空気が一瞬凍りついた。綿は陽菜をじっと見つめ、軽く咳払いして彼女に合図を送る。――握手しないの?何をボーッとしてるの?陽菜は綿の無言の圧力を感じ、不機嫌そうに手を差し出した。「どうも」形だけの握手

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0844話

    陽菜はスマホのメッセージを見ただけで、徹が怒っていることを察した。徹は温厚なことで有名だが、今回の文章には明らかに怒りが滲み出ていた。彼が本気で怒っているのだと分かり、陽菜はそれ以上何も言わず、ただ「ごめんなさい」とだけ返信しておとなしく座り直した。一方、綿はグランクラスの静けさを楽しんでいた。彼女はスマホを取り出してツイッターを開いた。今日は「クインナイト」の開催日だ。ツイッターには今夜のイベントに出席する予定のスターたちのリストがすでに掲載されている。玲奈は海外にいるため、今回のイベントには参加していない。その中で恵那の名前はひときわ目立っていた。――クインナイトに加え、今日はクリスマス。特別な一日になるだろう。綿はバッグから紙とペンを取り出し、ふとジュエリーデザインのアイデアが浮かんできた。――彼女にとってクリスマスは一番好きなイベントだ。けれどここ数年、ちゃんとお祝いした記憶がない。玲奈が早朝にわざわざ電話をかけてきて「メリークリスマス」と言ってくれたのは、彼女が綿のことを本当に気にかけてくれている証拠だった。綿は顔を手のひらに乗せ、窓の外を流れる景色を眺めた。――クリスマスとジュエリーが融合したら、どんな化学反応が生まれるのだろうか?彼女はノートにペンを走らせ、思いつくままに線を引いていった。その時、スマホに新しいメッセージが届いた。恵那:「どう?きれいでしょ?」続いて恵那から、カメラマンが撮影した大量の写真が送られてきた。綿は目を細めた。写真の中で、「雪の涙」は数多くのクローズアップショットが撮られており、その美しさが際立っている。恵那は純白のドレスを身にまとい、小さな羽飾りを背につけていた。まるで天から舞い降りた雪の妖精のようで、ジュエリーとの組み合わせが絶妙だった。綿:「きれいだね」恵那:「当然でしょ!」綿:「どうやら今日は、誰もあなたの輝きを超えられないみたいね」恵那:「森川玲奈がいないから、私にチャンスが回ってきたのよ!」綿は思わず笑みを浮かべた。――玲奈は本当に恐ろしい存在だ。どんなイベントに出席しても、彼女がそこにいるだけで視線を集めてしまう。綿はスマホをしまい、再び窓の外を眺めた。この静かな朝を、彼女はとても心地よく感じて

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0843話

    綿は顔を洗い、簡単にメイクを整えた。盛晴が用意してくれた朝食の香りが漂う中、彼女はバッグを手に階段を下りてきた。今日の綿は黒と白をベイスとしたセットアップに、上からコートを羽織っている。髪は上品にまとめ、淡いメイクに赤いリップが映える。どこか優雅で、まるで清らかな白い薔薇のようだ。しかし、その美しさには棘があり、誰も近寄ることを許さないような雰囲気を纏っている。昨夜、天河は酒を飲みすぎたせいで、まだ目を覚ましていなかった。それでも庭に飾られたクリスマスツリーはすでに見事に装飾され、煌めいている。綿はその様子を見て微笑んだ。――残念ながら、今日は出張だ。夜に帰ってきてから、このツリーを楽しもう。「ママ、今日出張に行ってくる。帰りは夜の12時くらいかな」綿はキッチンに向かって声をかけた。「わかったわ。気をつけて行ってらっしゃい。何かあったらすぐに電話して」盛晴が答えた。綿は小さく返事をして、パンをひとつ袋に入れると、そのまま家を出た。盛晴が玄関に出てきた時には、綿の車はすでに遠ざかっていった。……新幹線駅。綿は時計を確認し、ふと顔を上げると、遅れて陽菜がやってくるのが見えた。陽菜は派手な服装をしており、短いスカートに白いフェイクファーのショールを羽織っている。綿は無言で見つめた。――出張だというのに、まるでファッションショーにでも行くかのようだ。こんな格好で仕事ができるのか?「初めての出張?」綿は控えめに尋ねた。陽菜は顔を上げて答えた。「違うよ」「じゃあ、前回もこんな服装だったの?」陽菜はにっこり笑った。「どういう意味?今どき、他人の服装に口出しするつもり?私たち、同じ女性でしょ?さすがに、それはないんじゃない?」綿は呆れたように目を伏せた。「そう。余計なこと言ったわ」綿は微笑みながら答えた。――こう言われてしまっては、それ以上何も言えない。陽菜は軽く鼻を鳴らした。――そもそも、余計な口出しをする方が悪い。ちょうどその時、乗車券のチェックが始まった。綿は今回、必要最低限の荷物しか持っていない。メイク道具と柏花草関連の資料を詰めた少し大きめのバッグだけだ。首枕を持って行こうか迷ったが、結局かさばるのでやめた。本来なら、こういっ

  • 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう   第0842話

    綿は沈黙した。母が言葉にしなかった「その道」が何を指しているのか、彼女にはわかっていた――それは「死」だ。「まあ、それでいいんじゃない?外でまた悪事を働くよりマシでしょ。あんなに心が歪んだ子、少し苦しんで当然よ」盛晴は嬌について語るとき、綿以上に感情をあらわにしていた。――もし嬌がいなければ、娘の結婚生活がこんなにめちゃくちゃになることもなかったはず。これこそ、恩を仇で返されたということだ。綿は窓の外に目を向けた。煌めく街の夜景が、彼女の胸中の空虚さとは対照的だった。後部座席では、天河が半分眠りながら、彼女の名前を呟いていた。「綿ちゃん……」「綿ちゃん、パパの言うことを聞いて……」「やめろ、やめろ……」その声を聞きながら、盛晴は深いため息をついた。「お父さんがこの人生で一番心配しているのは、あなただよ。綿ちゃん、これ以上お父さんを悲しませることはやめなさい」綿は目を上げ、かつて父親と喧嘩をしたあの日々を思い出した。――父はこう言った。「お前がどうしても高杉輝明と一緒になりたいなら、この家には二度と帰ってくるな!」あの時、彼女は振り返ることもなく家を出た。三年間、一度も帰らなかった。その後、遠くから父の姿をそっと見守ることしかできなかった。綿は天河の肩に頭を寄せたまま目を閉じ、一粒の涙が頬を伝った。――自分がどれほど親不孝だったか、彼女にはわかっている。……あっという間にクリスマスが訪れた。朝、綿がまだ眠っていると、スマホの着信音で目を覚ました。ベッドで寝返りを打ち、スマホを手に取ると、画面には玲奈の名前が表示されていた。電話に出ると、玲奈の弾むような声が響いてきた。「メリークリスマス、ベイビー!!」綿は大きなあくびをしながら答えた。「そっちは今何時?」「夜の10時よ!こっちは大盛り上がり中!」綿は目を開け、軽くため息をついた。「私はまだ寝起きだよ。こっちは朝の6時」「知らないわよ!私は楽しむからね!綿ちゃん、メリークリスマス!ずっとあなたを愛してるわ!」そう言い残して、電話は切れた。綿は呆然としながら、スマホを見つめていた。ゆっくりと起き上がり、両手で頭を抱えた。その時、また新しいメッセージが届いた。送信者は徹だった。徹

Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status