Share

第527話

Auteur: 花辞樹(かじじゅ)
一方、景凪は手元の仕事を片付け、辰希の迎えに間に合うように会社を出た。

西都製薬でのプロジェクトは大詰めを迎え、時間の融通は利くようになってきたものの、次の『グリーンウォール計画』の研究開発センターでのプロジェクトが始まれば、ベビーシッターの手が必要になるだろう。

幸い、あと二日もすれば桃子が合流してくれるはずだ。それまでの辛抱である。

車を走らせて幼稚園に到着した景凪は、部下からのメールに返信を打ち終え、ふと顔を上げた。目に飛び込んできたのは、見覚えのある高級車――深雲の車が、滑るようにこちらへ近づいてくるところだった。

まさか……

景凪は眉をひそめた。小林家があんな騒動の渦中にあるのに、彼が時間を割いてまで清音を迎えに来るなんて。

車内で様子をうかがっていると、運転席から降りてきたのは深雲一人だった。姿月の姿はない。それを見た景凪はドアを開け、迷わず彼の方へと歩み出した。

近づくにつれて、深雲の異変が目についた。

極度の潔癖症で、生まれながらの貴公子である彼は、いつだって雑誌から抜け出たように完璧な姿を見せていたはずだ。髪一本の乱れも、服の皺ひとつさえも許さない男だ
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Latest chapter

  • 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました   第541話

    「め、滅多なこと言わないの!そんなわけないでしょ?きっと、たまたま名前が同じだけの別人よ」凛は必死に弁明しながら、平静を装って教壇へ歩み寄り、景凪のアプリを大急ぎでログアウトさせた。給湯室でコーヒーを手にし、渡に返信を打とうとしていた景凪のもとに、「PC版からログアウトされました」という非情な通知が届く。「……」景凪が覚悟を決めて会議室に戻ると、中に入る前に凛に呼び止められた。「ちょっと、黒瀬社長とどういう関係なわけ?!」凛は目を見開き、これ以上ないほど驚愕の表情を浮かべている。「一体、二人で何してるのよ?」やっぱり、見られた……景凪は平静を装って答えた。「黒瀬社長とは大学の同級生なんです。彼、ちょっと体に問題を抱えていて。病院に行くのも憚られるようだったので、個人的に薬を処方しているだけですよ」「体に問題……?」凛は顎に手を当て、意味深な視線を景凪に向けた。そして彼女の肩をポンと叩くと、深く納得したように頷いた。「まあ、あんな立場の人だものね。他人には相談しにくい悩みもあるわよね。安心して、アプリは消しておいたから。みんなには、社長と同姓同名の別人だって説明しておいたわ」「……ありがとう、凛さん」だが、凛の表情を見る限り、確実に「あらぬ方向」へ誤解しているのが分かった。「凛さん、黒瀬社長は別に、そういう……」いや、身体機能に問題があるわけじゃない、と説明するのも変よね……そもそも、彼にその手の問題があるかどうかなんて、自分が知るはずもない。景凪は、説明するのを諦めて口を閉ざした。どうせ、凛が渡と直接顔を合わせる機会など、そうそうないはずなのだから。午後の業務をひと通り片付けると、景凪は清音を迎えに行くため、早めに会社を後にした。車に乗り込んだところで、タイミングよく渡から電話が入る。午前中、凛に誤解されたばかりの気まずさが胸をかすめ、彼女は少し落ち着かない心地で通話ボタンを押した。「もしもし」「今夜、予定はあるかな?」渡は単刀直入に切り出した。「一緒に食事でもどうだろう」「……昨日、一緒に食べたばかりじゃない」「けれど、今日も君に会いたいんだ」渡の声はあまりに真剣で、冗談めかした響きなど微塵もなかった。景凪はそのあまりにストレートな言葉に詰まり、思わず言葉を失う。駆け引きなどできな

  • 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました   第540話

    扉を押し開けると、清音がちょうど目を覚ましたところだった。「姿月ママ……」目をこする清音に歩み寄りながら、姿月はバッグからそっと懐中時計を取り出した。ベッドの脇に腰を下ろし、時計の蓋を開けながら、穏やかな声で清音に言い聞かせる。「いい子ね。今日の『お仕事』、覚えているかしら?」語りかける姿月の手元で、懐中時計がゆらゆらと、清音の瞳の前で規則的に揺れる。これは深い催眠を定着させるための儀式だった。昨夜の香炉から漂っていた「幻香」は、あくまで神経を弛緩させ、術にかかりやすくするための下地に過ぎない。そこへ雪華から伝授された催眠術を重ね、清音の抱く信頼と、長期間にわたる暗示を組み合わせる。これこそが、清音を完璧に支配するための、最も確実な手法だった。案の定、清音は逆らうことなく、うつろな様子で頷いた。「……覚えてる」姿月は満足げに、清音の額に口づけをした。「本当にお利口さん。姿月ママは清音が一番大好きよ」……景凪は辰希と朝食を囲みながら、昨夜、清音から電話があったことを話した。今夜からこちらに泊まりに来るのだと伝えると、辰希はパッと顔を輝かせた。「ママ、じゃあ僕、学校が終わったらすぐに清音と合流するよ!夜はどこに遊びに行こうか?」景凪は目を細めて微笑んだ。「二人の好きなように決めていいわよ。ママはどこでも付き合うから」「じゃあ、夜市に行こう!清音、屋台とかお祭りみたいな雰囲気が大好きなんだ。美味しいものもいっぱいあるし!」「ええ、決まりね」景凪は上機嫌な息子に頷き、時間が迫っているのに気づいて、早く着替えるよう促した。辰希が準備を終えた頃、タイミングよくチャイムが鳴った。ドアを開けると、そこには明浩が立っていた。「お嬢様、おはようございます。辰希くんも、おはよう」「明浩おじさん、おはよう!」辰希が礼儀正しく挨拶を返す。桃子さんが来るまでの数日間、景凪は明浩に臨時の送迎を頼んでいた。その間に自分は、西都製薬での最後の大詰めとなる仕事を片付けてしまおうと考えていたのだ。明浩の運転する車で辰希が登校していくのを見送り、景凪はそのまま道路の向かい側にある西都製薬へと向かった。会社の玄関を入るなり、研究センター責任者の凛と鉢合わせた。「おはよう、凛さん」景凪が満面の笑みで声をかけると、凛

  • 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました   第539話

    深雲は掴んでいた手を離し、何事もなかったかのように問いかけた。「どうしてまだ起きている?清音は?」「あの子ならもう夢の中よ。私があなたと一緒にいたくて」姿月は痛ましげな視線を向けると、深雲の背後へと回り込み、凝り固まった頭皮を指先で優しく揉みほぐし始めた。その手技は巧みだ。秘書として仕えていた数年間、彼女はこうして幾度も深雲の疲れを癒やしてきたのだ。張り詰めていた神経が、少しずつ緩んでいくのを感じる。不意に、姿月が耳元で甘く囁いた。「ねえ、深雲さん。さっき清音と話したのだけれど……明日の夜は、あの子を景凪さんのところに泊まらせてあげましょうよ」「実の母親として、娘と過ごす権利は彼女にもあるわ。私たち大人の間にどんな確執があっても、子供を巻き込んではいけないもの。やっぱり、血の繋がりには代えられないわよ。それに……あなたが板挟みになって苦しむ姿、私もう見たくないの」今の姿月は、まるで疲れ果てた騎士を癒やす一輪の献身的な花だった。深雲はゆっくりと目を開け、彼女の清純で無害な横顔を見つめるうちに、頑なだった心がわずかに綻んでいくのを感じた。これまでの数年間、彼女がどれほど清音を慈しんできたか、その献身を彼はそばで見てきたはずだ。それなのに、景凪の言葉ひとつで姿月に疑いの目を向け、屈辱的な思いまでさせてしまった。当の姿月は、実の母親である景凪に清音を会わせてやろうと、寛大な提案までしてくれているというのに。深雲の胸に、拭い去れない罪悪感が込み上げた。彼は姿月の手をそっと引き寄せ、その甲にいたわるような口づけを落とした。「……ありがとう」姿月は彼の肩に手を添え、愛おしそうに深雲の額に唇を寄せた。「お礼なんていらないわ。あなたの心が少しでも晴れるなら、私、なんだってするから」彼女は深雲の瞳をじっと見つめ、誘うように下唇をわずかに噛んだ。「ねえ、深雲さん。清音はもうぐっすり眠っているわ。あの子が目を覚ます前に戻れば、大丈夫……」深雲の瞳に、暗い火が灯った。成熟した一人の男として、その言葉が何を意味しているのかを悟らぬはずがない。拒絶されなかったことを確信した姿月は、深雲の膝に腰を下ろし、その首に腕を回して顔を近づけた。最初は静かだった。だが、姿月が煽るように求めてくるにつれ、深雲の内に眠っていた欲望が疼き出す。欲

  • 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました   第538話

    潤一は淡々と言い放った。「子供に質の高い教育を受けさせるのは、至極まともな判断だろう。不足分はこれまで通り、俺の個人口座から補填しておいてくれ」「承知いたしました」潤一の脳裏には、あの夫妻が自分の目の前で息絶えた瞬間の光景が、今も鮮明に焼き付いている。任務の悪夢は時折、眠りを浅くし、目覚めるたびに激しい寝汗をかかせた。その罪悪感ゆえか、彼はその子に直接会う勇気を持てずにいた。ただ、毎年欠かさず贈る祝い金だけは、決して惜しんだことはない。せめて物質的な面だけでも、望むものはすべて与えてやりたい。その子が不自由なく、健やかに育ってくれるなら、それでいい。「児玉様。今回こちらを発たれる前に、一度その子に会ってみてはいかがですか?弥生という名前です」「いや、いい」いつものように拒絶したが、潤一はわずかに間を置いて付け加えた。「……今回の任務が終わって、戻ってきたら考えよう」「かしこまりました」一方。潤一から無情な言葉を投げつけられた伊雲は、煮え繰り返るような思いでいた。――鷹野家が、一体いつ潤一の機嫌を損ねるようなことをしたっていうの?確かに、以前姿月から聞いたはずだ。兄の深雲の会社が潤一と組もうとしていて、一緒に食事をしたこともある、と。伊雲が急いで帰国したのも、潤一が戻っていると聞き、接触する機会を狙っていたからだ。それなのに、何もしないうちから嫌われるなんて、納得がいかない。海外で救われた時は、彼はとても紳士的だった。彼女のバッグを拾い上げ、「気をつけて」と優しく声をかけてくれたはずなのに……どうしても腑に落ちない伊雲は、真相を突き止めようと深雲に電話をかけた。「お兄ちゃん!うちの家族が児玉潤一に何かしたの?」深雲は書斎でオンライン会議を終えたばかりだった。各部門の責任者たちが繰り出す不毛な議論の余韻で、こめかみの奥がじりじりと痛む。椅子の背もたれに体を預け、疲れた手つきで眉間を揉みほぐしていたが、妹の言葉を聞いた途端、せっかく解けかけた眉根が再び険しく寄せられた。「児玉潤一のことを聞いてどうする。まさか、あいつに色目でも使っているんじゃないだろうな?」深雲は上体を起こし、諭すように低い声を出す。「伊雲、自分の立場をわきまえろ。児玉家が、お前ごときが手を出していい相手だと思っているのか?」

  • 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました   第537話

    夜も深まり、街の半分が眠りについた頃。その一方で、もう半分の世界は真昼のようなネオンに彩られていた。バー「バー・スカーレット」のフロアには、心臓を叩くような重低音が幾重にも重なり、熱狂の渦を巻き起こしている。伊雲は友人たちと並んでダンスフロアに立ち、音楽に身を任せて激しく身体を揺らしていた。兄の深雲のところを出る時は「帰って休む」なんて殊勝な口をきいたが、そんなのは大嘘。そのまま友人たちを呼び出して、夜の街へ繰り出したのだ。「もう、海外にいた間、退屈で死ぬかと思ったわ」実家からマンションに移り住んだおかげで、門限も口うるさい小言もない。ネットを騒がせたスキャンダルも、日々更新される新しいニュースに埋もれて過去のものとなった。今の彼女は、自由を謳歌する解放感に浸っていた。「ねえ伊雲、私の従兄が最近帰国したんだけど、今度会ってみない?」話しかけてきたのは、実家が木材卸を営む一ノ瀬詩織(いちのせ しおり)だった。この界隈では格下の家柄だ。その従兄とやらの顔は伊雲も知っている。一ノ瀬家よりは多少ましな暮らしぶりだが、容姿は平凡そのもの。伊雲の眼鏡にかなうはずもなかった。彼女は聞こえないふりをして無視を決め込んだ。詩織は気まずそうに苦笑いを浮かべると、連れてきた売出し中の若手俳優に身体を密着させ、再び踊りに戻っていった。しつこく声をかけてくる男たちを二人ほどあしらい、伊雲は喉を潤そうとボックス席へ向かった。薄暗い照明の中、不意に誰かと肩がぶつかる。「失礼」男が紳士的な手つきで、倒れそうになった彼女の腕を支えた。低く、深く、耳の奥に心地よく響くチェロのような声。その響きには、ハッとするほどの独特な色気があった。伊雲の背中に電撃が走る。少し前、海外で窮地に陥った自分を救ってくれたあの声だ。勢いよく顔を上げると、そこには見紛うはずもない端正な顔立ちがあった。彼女は思わず息を呑み、呆然と立ち尽くした。そんな視線には、潤一は慣れすぎていた。彼は礼儀正しく一度だけ頷くと、すぐに手を離して歩き出そうとする。今夜は発つ前に友人たちと軽く飲むだけのつもりだったが、騒がしさに飽きて、静かな場所へ戻ろうとしていたのだ。だが、その腕を伊雲が強く掴んだ。「待って!」高揚した声を上げる彼女に、潤一はわずかな不快感を巧みに隠しながら視

  • 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました   第536話

    さらに畳み掛ける。「今日の午後の件にしても、お買い物が終わればすぐに帰国なさると仰るから、仕方なくお付き合いしただけのこと。それなのに隠し撮りをして『婚約秒読み』だなんて……今のマスコミの想像力には呆れますよ、ハハハ……ねえ、穂坂さんもそう思われませんか?」悠斗がすがるような目つきで景凪を見つめてくる。その瞳は雄弁に語っていた。『どうです?うちのボスの潔白、これでもう十分伝わりましたよね?もう誤解なんてしませんよね?』「……」ここまで露骨で不自然な話題転換、初めて見たわ……景凪は呆れを通り越し、礼儀正しい微笑みを貼り付けた。「じゃあ、私はこれで戻るわね。帰り道、運転気をつけて」渡はその場に立ち、景凪の背中がマンションのエントランスに消えていくまで見届けてから、ようやく後部座席に体を滑り込ませた。「社長、これで穂坂さんも完全に誤解を解いたはずです!」車を発進させながら、悠斗は意気揚々と声を弾ませた。「ところで、今日の食事の手応えはどうだったんですか?何か僕が分析できるような進展はありました?」渡は鼻で笑った。「お前、自分の立ち位置を見誤ってるんじゃないか?彼女いない歴=年齢の奴が、俺の何を分析するつもりだ」「……」ボスだって似たようなもんじゃないですか……悠斗は喉まで出かかった言葉を、懸命に飲み込んだ。それを口にする勇気などあるはずもない。ドンッ、とシートの背を蹴り上げられる衝撃が走った。「さっさと出せ」気怠げな声が命じる。車が走り出してしばらくすると、渡のスマートフォンが震えた。景凪からのメッセージだ。開くと、一枚の写真が表示された。彼女の手書きによる生薬の処方箋だった。キャンディ・プリンセス:【さっき脈を診た感じだと、この処方があなたの体質に合うと思う。もし毎日煎じるのが大変なら、薬局で頼んで一回分ずつパックしてもらうといいわ。一日二回、忘れずに飲んで】渡:【分かった】運転中の悠斗が何気なくバックミラーに目をやると、そこには信じられない光景が映っていた。あの冷徹なボスが、まるで春の水面のように穏やかで、艶のある笑みを浮かべているのだ。「社長、何かいいことでもありました?」渡は上機嫌に目を細め、スマートフォンの画面を愛おしげに見つめたまま言った。「明日からは、本気で命を大事にすることにし

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status