LOGIN今でも時々思い出す。私たちを作り、そして勝手に滅んでいった「ニンゲン』という種族のことを-- 滅亡に瀕した人類が、自分たちの文明を継がせるために作り出した人工生命体。 彼らは人類から何を受け継ぎ、そして何を思うのだろうか
View More今でも、時々思い出す。
私たちを作り、そして勝手に滅んでいった、『ニンゲン』という種族のことを……。
私は人工生命体である。
私を発注したのは田舎に住むとある夫婦であり、彼らは自分たちの亡くした子供の代わりにと私を望んだ。私は彼らの子供の生前の姿をもとにデザインされ、その子と寸分たがわぬ姿に作られた。だから培養槽から出されたとき、私はすでにここのつの子供の姿であった。
そこから外見に釣り合うだけの知能と生活習慣を身に着けるために『街』で二か月間の基礎教育を受けた後、父母に会うために列車に乗せられた。
この時代、私のような人工生命体はまだ数が少なく、私たちを生み出した人類は二回にわたる世界規模での
——そう、ニンゲンは滅亡へと向かっていた。
灰色のビル立ち並ぶ都会を抜けるとすぐ、車窓には緑があふれた。これは昔からこういう光景だったのではなく、住人を失って打ち捨てられた家々を突き破って木々が伸び、それを刈り取るものすらなく十年ほども放っておかれた結果出来上がった、終焉の光景なのである。
遠く、ニンゲンの作った大きな団地が見えた。コンクリートで作られたそれはさすがに朽ちてなどいないが、あの中に住むニンゲンはもはやいないだろう。白く塗られた外壁が日の光にまぶしいことが、逆にむなしく見える。
そんな終焉の光景を眺めること二時間、私が着いたのは田舎の小さな駅だった。この時、ホームの端で立って私を待っていた父の顔を、私はきっと死ぬまで忘れないことだろう。
列車から降りた私を見た父は、まるで氷水でも浴びせられたかのように青ざめていた。髭を蓄えた無骨な口元が薄く震えながら私の名を呼ぶ。
「……ユウコ」
私はそれを見ても、特に驚きもしなかった。『街』での学習にはニンゲンの細やかな感情といったものは含まれておらず、父の心情を慮るには、私はまだ幼かった。
だが、いまになって思えば残酷なことである。私の姿は父が失った愛児と寸分違わぬ見た目に作られており、年もちょうどその子の死んだ時に合わせて調整されているのだ。父にとっては、死んだ我が子がそのまま生き返って目の前に現れたような、そんな気がしたことだろう。
きっと父は、『ユウコ』が死んでから何度も何度も、生前の愛くるしい我が子の姿を心の中で反芻したことだろう。何度も何度も……日常のちょっとした仕草や、小さな手のひらや、『ユウコ』のチャームポイントであるぽってりと分厚くて小さい可愛らしい唇が自分を呼ぶ瞬間を、悲しくなるほど何度も何度も……。
父はその場に両膝をつき、満面の笑みを浮かべて両手を広げた。
「おいで、ユウコ」
しかし私は、そんな父に対して他人行儀に丁寧なお辞儀など返したのだ。
「初めまして、よろしくお願いします」
今更言い訳がましいだろうか。この時、私にとって父は初対面の相手だったのだし、『街』でも、これから暮らす家の人には丁寧な挨拶をと習っていたのだから、これが私としては当然の挨拶だったのである。
しかし父は、小さな体を抱き留めようと広げていた両手をだらしなく下げて、ひどく悲しそうな顔をした。
「ああ、そうか……そうだね、これからよろしく」
そんな父に連れられて、私は駅からさらに車で30分かけて、今の家にやってきたのである。
家で待っていた母は、これも私の顔を見ると驚いた顔をしたが、泣いたりなどせずにはっきりした声で言った。
「おかえり、ユウコ、お腹がすいたでしょう、手を洗ってらっしゃい」
あとで聞いた話だが、私が手を洗っている間、母は父の胸に顔を擦り付けて泣いていたそうである。
この母は泣き虫で、私は母から、ニンゲンは泣くものだということを教わった。特に我が子を思う親というものは、嬉しくても悲しくても、戸惑いがあっても泣くものなのだ。
この時の母は、自分の思っていた以上に我が子にそっくりな私に戸惑って泣いたのだろう。我が子が帰ってきたような嬉しさと、我が子と少し違うよそよそしさに対する悲しみと……それは感情としてはとても複雑で、私も自分が子供を持つまで理解できなかった。
特にこの時の私は、まだ幼い子供だったのだから、母の涙にすら気づかず、少しおびえながら食卓に着いた。
母は……母は、あの時、どんな顔をしていただろうか。覚えていない……。
ただ、その時大きな椀によそってもらったシチューがとても豪華だったのを覚えている。それはちゃんとした肉が入っていて、大きく切ったジャガイモもたっぷり入っていて、『街』で具などロクに入っていないソースばかりのシチューを食べ慣れていた私には、とてもぜいたくなものに思えた。
母が死んで数年後、ついに最後のニンゲンが死んだという話を聞いた。地球上にニンゲンという種族はいなくなり、今、ニンゲンが遺した文明はすべて私たち人工生命体に引き渡された。それでも、田舎に住む私の生活が大きく変わるようなことはなかった。毎日家事をして、時には夫の畑仕事を手伝い、子供の相手をする。何も欠けることのない静かな日々だ。ふと洗濯の手を止めて見上げれば、小川の水面すれすれをトンボが滑るように飛んでゆく。空は青く、ここでの暮らしは驚くほど変化がない。ニンゲンは私たち人工生命体を文明の後継者として作りだした。その思惑通り、地球に残されたニンゲンの『街』は人工生命体によってかつての——パンデミックの前と変わらぬ暮らしを取り戻しつつある。しかし、そんなことは田舎に住む私には関係のないことだ。数年前、私は二人目の子供を産んだ。少しやんちゃな男の子だ。私は二人の子供のために漢字練習帳を買い求め、その一段目に見本の文字を毎日書き込む。もう少し文字を覚えたら、父と通ったあの図書館に連れて行こうと思っている。あの頃の父がしてくれたように、私は静かに本を読むだろう。上の娘はおとなしいから、きっと私の隣に座って、かつて私が胸躍らせた数々の物語や図鑑を喜んで眺めることだろう。しかし下のやんちゃ坊主は、もしかしたら本を読むなんておとなしいことには飽きてしまうかもしれない。そうしたら、川へトンボを捕りに行こう。父が、そして母がかつてしてくれたように、私はこの子たちのそばに寄り添い、静かに暮らしてゆく。ここには、私をいつくしみ、育ててくれたあの二人の『ニンゲン』の遺産が、きちんと今も遺されている。
父が死んで、私と母の生活は少しだけ変化した。目が覚めて食卓に着いても、そこには私のための書き取りノートは、もう置かれていない。私はそれが悲しくて、テーブルに着くたびにため息をこぼした。母はそんな私を気遣って、『街』に引っ越すことを提案してくれた。もはや残り少ないニンゲンは、その大半が『街』に集まっている。広い地球の上で滅びゆく身を寄せ合って、パンデミック以前の『ニンゲンらしい暮らし』を守ろうとしていたのである。だが私は、たった二か月暮らしただけだというのに、『街』にいい思い出がない。電気や水道といったインフラは最優先で『街』に回されて暮らすには便利だったけれど、あそこには美しい小川も、ふかふかの土を抱いて横たわる畑もない。何より食事がおいしくない。初めてこの家に来た時の温かいシチューの味を覚えている私は、『街』へ引っ越そうという母の提案をすぐに断った。私は父の代わりに畑を耕し、この土地を守ることを選んだ。女手一つで土を耕し、草を引いて出来上がった作物を刈り取ることは重労働だったが、食料供給の乏しいこの時代、畑で採れたものはいくらでも売れた。かつて父がそうであったように昼は黙々と土を耕し、休日には図書館に潜り込んで本を読み漁る。ここでの生活は静かで、なんの変化もない。ただ、私の書き取りノートに武骨で几帳面な父の、角ばった文字が増えないことを除いては。もっともその間に、世界は大きく変化していた。ニンゲンはいよいよその数を減らし、その代用として作られた人工生命体が政府の中枢を担うようになったのである。人工生命体同士での結婚、出産が成功し、私たちが『第一世代』と呼ばれるようになったのもこの頃だ。人工生命体による新政府は食料供給の礎となる農地の整備を急務とし、私の農場にも街育ちの青年が送り込まれてきた。もちろん彼も、人工生命体の第一世代である。私はこの小さな変化を喜んで受け入れた。女手では十分な畑仕事はできないし、少しは家事も手伝って母の負担を減らしたかったからだ。彼はこの田舎の暮らしにすぐに慣れた。無口で武骨な……父に少し似た人だった。私はいつしか二十歳になっていた。私はこの青年と結婚し、子供を産んだ。母はこの頃まで元気であったが、ある日、やはりソドシックを発症して死んだ。その最期は父のように壮絶なものではなく、脱水で弱りきった体をベッドに横たえ
私がこの家に来て六年、日々は驚くほど単調で平和だった。父母は静かな愛情を注いで私を育ててくれた。そうして私は、15歳になった。その日、父はいつも通りに畑に向かった。テーブルの上に私のための書き取りと計算が用意してあったのもいつも通り。母は、これから洗濯場に持って行くための洗濯物を仕分けていた。全くすべてがいつも通りに、何事もなくその日がすぎるのだと、私は信じていた。昼をすこし過ぎたころ、父が突然帰ってきた。私と母は夕飯の仕込みをしているところだったが、この父の帰宅に驚いて窓から空を見上げた。「雨でも降ってきたの?」私たちが最初に雨を疑ったのは、父の洋服がぐっしょりと濡れていたから——その日、父はグレーのTシャツを着ていたのだが、これが濡れて濃いグレーに見えた。だが、空は雲一つない晴天で、雨の気配すらない。「いったい、どうしてそんなに濡れてるの?」振り向いた母は、「あ」と小さく叫んで声を飲んだ。私も振り向いて、そして、父が尋常ではないことに気づいた。父の顔は真っ青で、その体は真冬の寒い中に放り出されたかのようにガタガタと震えていた。「あなた」母の呼びかけに応えようと開いた口からは、だらだらと大量のよだれが流れ落ちた。これがソドシックの初期症状である。人体の60パーセントは水でできており、それを細胞中にとどめておくには塩分が必要である。ところが、この塩分が急速に失われるのだから、水分は人体内にとどまることができず排出される。だから塩の柱の中心はミイラ化し、生前の面影など何もない枯れ木のような悲しい姿になるのだ。父は水分の排出が始まってすぐ、畑から家に向かって這ってきたのだろう。ズボンは泥に塗れていた。もはや自分が助からないことを知っていながら、最後に一目でいいから家族の姿を見たいと願ったのだろう。この時の父の気持ちを考えると、私はひどくむなしい気持ちになる。父は死後の世界というものを信じていなかった。最期にどれほどの想いで家族の姿を瞼の裏に焼き付けようとも、死んで灰になればそれまでなのだということを、よく知っていたはずである。それでも父は私たちに会いたいと願った。それを思うだけでもむなしくて、涙がこぼれる。父はまず母を見て、よだれの垂れた口元から「ありがとう」と言葉をこぼした。母はこの時もやはり、泣いていた。それから父は私を見て……何か
——いったい、私たち『人工生命体』は何のために作られたのだろう。もしも亡くした子の代用であるなら、姿かたちだけが似ていれば十分に事足りる。発注時に提出された遺伝子をもとに普通のクローン人間を作ればいいだけの話だ。ところがニンゲンは、自分たちが滅びた後も私たち『人工生命体』が残ることを望んだ。だから物質的には人間と違う組成で体を作り、外見のみを『亡くした子』に似せて作ったわけだ。そして単なるニンゲンの遺産の管財人であるならば感情など不要であるはず、にもかかわらず私たちはニンゲンの父母のもとに送られてニンゲンの感情というものを学ばされる。この答えを、私の父母は明確に持っていた。ある時、私の母が私の手を取って泣きながら言ったことがある。「ごめんね、私たちのわがままで、ごめんね」そう、私たちはニンゲンのエゴで作られた。本当に受け継ぐべき遺産は文明やインフラといった物的なものではない。父母は、日々の暮らしの中でそれを教えてくれた。『ユウコ』が遺したものの中で、私が一番心惹かれたのは教科書であった。何しろ子供という存在が失われて久しいのだから、教育制度というものは残っていない。それでも、何度も教科書を広げてはそこに書かれた文字をなぞる私を見て、父は言った。「勉強、好きか?」「うん、好き」私の答えにも、寡黙な父はただ頷いただけで、特に何かを語ったりはしなかった。しかし次の日の朝、食卓の上にノートが広げておいてあった。ノートは青いインクでマス目を印刷した『漢字練習帳』というもので、父はその一段目に見本の文字を書きこんでくれたのだ。「あらあら、書きとりね」それを見た母が、見本と同じ文字をぎっしりノートに書きこむ方法を教えてくれた。もう一冊、こちらは簡単な足し算をぎっしりと書き込んであったが、これも母が昼の間に解き方を教えてくれた。こうして父が出した宿題を私が解き、それに母が丸を付けてくれるという日課が出来上がった。私は毎日楽しく勉強しているだけだったが、父母にはきっと負担だったに違いない。父は朝早く起きて畑仕事の前にノートを作ってくれるのだし、母も昼間の家事の時間を削って私の相手をしてくれたのだ。それでも父母は、これが手間だとも大変だとも、一度として言わなかった。こうして私は文字を覚え、計算を覚えた。私が一通り文字を覚えると、父は週に一回、畑仕