Masukミハル・エアハルトは木星圏に住む十八歳。パイロット養成の航宙士学校に通っていたがミハルは既にパイロットへの興味を失っていた。だが強要された航宙機レースへの参加を機にミハルは思い出す。誰よりも航宙機が好きだったことを。 ミハルがパイロットとして歩む決意をした一方で太陽系は思わぬ事態に発展していた。 主要な宙域となるはずだった土星が突然消失し、そこに異なる銀河と接続するワームホールが出現したのだ。加えて接続先には文明があり、それは明らかに人類を敵視している。 人類にとって最悪のシナリオが現実味を帯びていく。星系の情勢とは少しの接点もなかったミハルだが、巨大な暗雲はいとも容易く彼女を飲み込んでいった。
Lihat lebih banyak木星の衛星軌道上に煌めく幾つもの人工的な光。それらは全てユニバーサルコンチネントという巨大建造物が放つものだ。略称はユニック。それは銀河に浮かぶ新しい大地の名称である。
木星圏には多種多様なユニックが浮かんでいたのだが、中でもガリレオサテライト5THと名付けられたユニックは他に類を見ない巨大なものだった。フィフスと呼ばれるそのユニックは約三億人が生活する木星メガフロントユニック群のシンボル的存在である。
セントラル区画にある首都セントグラードは木星経済の中心地だ。インフラだけでなく観光施設や娯楽も充実しており、誰しもが憧れを抱く大都市であった。
そんなセントグラード市の特区にある第七上層ブロック。本日は外郭部にある競技場で市民参加型の航宙機イベントが催されていた。たった今、初等学校低学年組の航宙機レースが終わったところである。既に表彰式が始まっており、壇上には三名の若きパイロットが勢揃いしていた。
『……以上が初等学校低学年組の入賞者でした!』
三人の首にメダルがかけられ、拍手に見送られながら入賞者が壇上を後にしていく。
その中の一人、初等学校一年生であるミハルは満面の笑みを浮かべていた。彼女は一年生ながら二位につけるという大健闘を見せている。三年生には敵わなかったけれど、彼女は胸に煌めく銀メダルを誇らしく感じていた。控え室へと続く通路を歩くミハル。堂々と銀メダルを見せびらかすように歩いていた彼女だが、不意に声をかけられている。
「嬢ちゃん、何がそんなに嬉しいんだ?」
ミハルはピタリと足を止めた。表彰式が終わったばかりであり、彼女の胸には入賞者の証しが燦然と輝いている。笑顔のわけが分からないなんて、ミハルには信じられなかった。
「おじさん、レース見てなかったの?」
「おじさん言うな。俺はお兄さんだ……」高等学校生らしき彼はパイロットスーツを着込んでいる。どうやら彼も何かしらのプログラムに参加するパイロットのようだ。
「私は二位だったのよ! ほら!」
呼び方に関してはスルーし、ミハルは彼に銀メダルを見せた。それだけで彼にも笑顔の理由が分かってもらえるはずと。
しかし、彼は首を横に振る。ミハルが期待した褒め言葉なんてかけてくれない。
「嬢ちゃん、二着は負けだぞ?――――」
ミハルは唖然としてしまう。彼女は二着という順位を素直に喜んでいたというのに、それが敗北であったのだと知らされている。
「負け……?」
聞き返すしかない。壇上では主催者に褒められたのだ。だからこそミハルは頑張った結果が優れたものであると信じていた。
「当たり前だ。一段高い表彰台にもう一人いただろ? つまり君はその彼に負けた。レースのあと笑顔が許されるのは彼だけだ……」
確かにミハルの隣には優勝者が立っていた。表彰式では気にならなかったけれど、よくよく考えると自分は一段低い場所。それが敗北を意味していたなんて、ミハルは今の今まで気付けなかった。
「私……負けちゃった……?」
「ああ、完敗だな。二番に価値なんてない。常に勝者は一人しかいないんだ。だから負けた君が笑っているとかおかしいだろ? 勝った者以外は悔しがるべきだ……」追い打ちをかけるように彼は続けた。相手はたった六歳の少女であったというのに。
「よく覚えておけよ? 何事も一番でなければ意味がない。その鈍い輝きを放つメダルに騙されるな。それは競技が生み出した悪習にすぎない。本来なら敗者である君は何ももらえなかったはず。つまり君は比較的マシだったという情けをかけられただけだ……」
言って彼は去って行く。呆然と立ち尽くすミハルを放置したまま。少女の笑顔を奪った彼は少しの罪悪感すら覚えることなく、通路の先へと行ってしまう。
次の瞬間、ミハルの目から涙が零れた。どうやら彼の話を真に受けてしまったらしい。
誇らしかった銀メダルは既に輝きを失っている。それはもうミハルにとって敗者を識別するための目印でしかなくなっていた。胸に揺れる銀メダルを見つめながら、ミハルは大粒の涙を流している……。
日曜日の午後。寝坊したミハルが慌てて競技場へと向かったあと、用事もなかったキャロルは二度寝していた。気付けば正午を回っており、彼女は遅めの昼食を取るため食堂へと来ている。「今日はどうしよっかなぁ。実家に戻ってもすることないし……」 全寮制であるのだが、日曜日は外出自由だ。さりとて休日を実家で過ごす生徒は概ね土曜の夜から帰省している。よって言葉とは裏腹に、キャロルは実家へ戻るつもりなどないのだろう。 いつもより空席が目立つ食堂。パスタセットを購入したキャロルは長テーブルの端へと着席していた。「ここいいか?」 黙々と食べていたキャロルだが、不意に声をかけられている。視線を上げるとそこには背の高い男の子の姿。かといって知らない顔ではなかった。「ニコル君……」 キャロルは薄い目をして彼を見ている。どうやら彼女はニコルの用事を察しているようだ。「他にも空席はあるじゃない? それにミハルはいないわよ?」 事あるごとにニコルは二人に突っかかっていた。しかしながら、別にニコルがいじめっ子というわけではない。「ミ、ミハルは関係ねぇよ! ちょっとキャロルに用があっただけだ……」 ミハル自身が感付いているかは定かでなかったものの、キャロルは明確にニコルの感情を理解している。なぜなら言動の全てがミハルへと向けられていたのだから。「ああそう? じゃあ、何の用なの?」 どうせ暇であるのだし、キャロルは要件を聞くことにした。 航宙士学校に入ってから、ニコルはずっと二番手である。つまりは一度もミハルに勝ったことがなかった。入学当初はライバル心を剥き出しにしていただけなのだが、年齢を重ねるにつれて、その想いは変化している。「いやその、ミハルはレーサーになるつもりなのか?」 またもやキャロルは薄く蔑むような視線を送ってしまう。先ほどミハルは関係ないと聞いたばかり。まさか続けられた話題までミハルに関することであるとは流石に思わなかった。「どうしてそう思うの?」「本来なら今日は俺がオープンレースに参加する予定だったんだ
セントグラードにある第一上層ブロックに十万人を収容できる大規模なレース競技場があった。本日はグランプリレース競技組織とGUNSが協賛する航宙機フェスティバルが催されている。「うわ! 凄い人だなぁ……」 スタンドを埋め尽くす人だかりに、ミハルは圧倒されていた。先日、強引に決められた通り、彼女はオープンレースなるものにエントリーしている。 オープンレースはショーのメインイベントだった。ティーンエイジクラス、フルエイジクラス、プロフェッショナルクラスという三クラスのレースが予定されている。 ミハルが参加するのはティーンエイジクラスだ。実をいうと、オープンレースは航宙士学校の威信をかけた戦いではない。なぜなら、航宙士学校だけで競うのではなく、十代のパイロットであれば誰にでも参加資格があったからだ。 セントラルにある各航宙士学校には優先枠が設けられていたものの、残りの出場枠は予選を勝ち抜いた大学生やセミプロたち。時にはGUNSの若手パイロットまでもが参加していたから、航宙士学校としてはいまいち盛り上がりに欠けた。学校対抗戦でもなければ、それがイベントの枠を出ることはない。「ミハル・エアハルトさんですか? ティーンエイジクラスの選手はこちらに……」 係員に誘導され、ミハルは控え室へと向かう。心なし気持ちが昂ぶってきた。レース前の独特な雰囲気。緊張とは違ったけれど、ミハルは鼓動を早めている。 控え室にはティーンエイジクラスの選手が揃っていた。思い思いにストレッチをしたり集中したりと、レースへの意気込みが伝わってくる。「まあ、私は普段通りだ……」 言ってミハルはギアを操作。別にやるべきルーティンもなかったから、彼女は途中までだった動画の続きを見ることにした。「ティーンエイジクラスの皆さん、機体チェックの前に軽く説明させて頂きます。予選時にレース機の経験がある方も復習の意味で聞いてください」 ミハルが動画を再生するや、直ぐさま係員が機体についての話を始めた。 水を差された感がありミハルは不満そう。操縦の説明なんてと顔を顰めている。「レース機は一般の機体と同じで
約千年前。地球の衛星軌道上にユニックⅠの建造が始まった頃、世界政府であったオールコンチネンタルユニオンは名称を改めた。 Galaxy United NationS。現在の宇宙政府ともいえる銀河連合GUNSはこの時より発足していた。 太陽系の秩序たるGUNSは宇宙の全権を任されている。各エリアの代表者が集まり、尚かつ選挙で総長を選ぶ。まるで太陽系全体が一つの国家であるかのよう。 現在の統轄本部は木星圏にあったものの、本日は土星圏に浮かぶ研究施設へと各代表者たちが集結していた。総長であるデミトリー・レオポルドもその一人である。「総長並びに議員の皆様、本日は遠いところ土星までお越し頂き有り難うございます」 施設責任者であるマルコが挨拶をした。サターンラボは土星の環境調査をメインに様々な研究を行っている施設である。「マルコ主席研究員、今日は宜しく頼む。専門家として忌憚ない意見を聞かせて欲しい」 土星圏は未開拓の宙域である。GUNSの研究施設が幾つか浮かんでいるだけで、民間人は住んでいなかった。「ここはとても素晴らしい場所ですよ。土星の神々しい姿は勿論のこと、多種多様な衛星など注目すべき物がたくさんございます」「確かに土星の存在感は他を圧倒しているな。懸念であったシャトルライナーも無事に開通したことだし、本格的な開発を始める時期かもしれない」 別に木星圏が手狭になったという事実はない。けれど、人類はどん欲だった。まるでその存在を誇示するかのように銀河の開拓を続けている。「土星圏は観光にも定住にも適しております。是非ともご一考していただければと……」 シャトルライナーは公転周期により旅程が大幅に異なってしまう欠点があるものの、ルート計算は既に完了しており、如何なる周期の場合も航行することができた。 マルコが語るように土星圏は新たな開発地として相応しい。五十を優に超える衛星があり、多様な資源が補給できる。加えて、エネルギー自体も土星を活用できたのだ。「本日は土星のエネルギー事情について説明させていただきます」 言ってマルコは資料を全員に手渡す。 一行は開発審査団とされていたが、実をいうと反対派などいない。この視察は形式的なものであり、視察の実績が残ればそれだけで良かった。「基本的なエネルギーは重力発電にて賄います」 「それでは不足しません
「ええ!? ミハルさん、本気ですか? アナウンサー志望!?」 「はい! セントグラード放送局を受けたいです!」 面談開始五秒で眉根を寄せたのはグレン教員である。やはり就職指導の教師でさえも困惑する希望のようだ。「大道具係でしたら受かるかもしれませんが……」 「ア、アナウンサーです!」 ミハルの指摘にグレンは首を横に振った。彼は直ぐさま端末を操作して、何かの資料を呼び出している。「貴方の一般学科成績です。これで受かると思いますか? ちなみにセントグラード放送局は大卒以上の学歴が必要ですね。またアナウンサーは身長制限もあるようです。150センチしかない貴方は、その条件を満たしていません。どうしても放送局がいいというのなら、条件が設定されていない大道具係しか……」 再度アナウンサーですっとミハル。ところが、グレンの表情から色よい話が聞けそうな予感はしなかった。「ミハルさん、貴方は操縦しか取り柄がないのですよ?」 胸に突き刺さる一言である。確かに一般学科は酷い。こうして一覧にされると改めて思う。進級に必要な最低点で綺麗に纏められていた。「でも、私……」 「操縦士の何が不満なのです? このような時期になったとはいえ、貴方の実技成績ならば引く手数多ですよ? 六年間の学科成績を完全になかったことにできるのは貴方くらいです!」 もはや褒められているのか貶されているのか分からなかった。単に馬鹿だと扱き下ろされているのか、或いは天才パイロットだと称えられているのか。「私はここへ入学する前は航宙機に乗るのが大好きでした。でも、今ではその熱も冷めて、どちらかというと楽しめていません……」 ミハルは語った。希望就職先のわけ。操縦系の職種を選ばない理由を。 それはグレンにとって取るに足りない理由であったが、ミハルには重要だった。仕事としてつまらなく飛ぶくらいなら、いっそ距離を置こうと決意していたのだ。「熱意ですか? それは貴方が常に一番だからでしょうか?」 「そういうわけでは、ないですけど……」 ミハルは言葉を濁す。けれど、それは明白だった。明らかに張り合いがなくなっている。彼女はこと操縦において、ある種の達成感を覚えてしまったのだ。「それならミハルさん、貴方は来週ここへ行ってください。つまらないとは思わなくなりますよ? 仮にも航宙士学校の生徒なのです