拗れた愛への執着: 結婚から逃げた総裁に愛された のすべてのチャプター: チャプター 1191 - チャプター 1200

1264 チャプター

第1191話

憲一は由美が取り分けてくれた牛バラ肉を口に放り込み、力強く噛みしめた。食卓には咀嚼の音だけが響いていた。由美が何か言いたげにしているのを、憲一はすぐに感じ取った。「過去のことはもう誰も口にしないでおこう。君も思い悩むのはやめてくれないか?」由美は静かに頷いた。「……うん」「君は痩せすぎだ。もっと食べないと」憲一は彼女の茶碗にご飯をよそい直した。由美は黙って受け入れ、精一杯食べようとした。前回の手術以来、彼女の体は確かに弱っていた。だから彼女は喜んで憲一の親切を受け入れた。――ブーッ……突然、彼女の携帯が震えた。由美は慌てて取り出し、通話を押した。「もしもし」聞こえてきたのは香織の声だった。由美は少し背筋を伸ばして答えた。「香織?」憲一がちらりと顔を上げた。「どこにいるの?どうして家にいないの?」香織は問いかけた。由美は憲一を見やりながら言った。「憲一と一緒にいるの。ご飯は食べた?まだなら来ない?私たち今、一緒に夕食中よ」由美の声聞いて、香織の胸のつかえは少し下りた。──カウンセリングが効いているのだろう。せっかく二人で過ごしているのだから、邪魔するわけにはいかない。「もう食べたわ。二人でゆっくり食べて。私、ちょっと用事があるから切るね」そう言って、彼女はわざとらしく理由をつけて、さっさと電話を切った。由美は画面を見つめ、ふっと笑みをこぼした。彼女は携帯を置いて言った。「香織は、私たち二人のことを本当に心配してくれてるね」憲一はうなずいた。「ああ、これからはできるだけ迷惑かけないようにしよう」「……そうね」食事を終えると、後片付けをしようと立ち上がった由美を、憲一が制した。「料理は全部君がしてくれたんだ。皿洗いくらい俺にやらせてくれ。料理は苦手でも、片付けくらいはできるさ」そう言って憲一は後片付けを一手に引き受け、さらに果物を洗って由美に渡し、テレビを見ながら食べるようにと言った。憲一は台所で黙々と動いていた。由美はそっと視線を向けた。彼の腰にはエプロンが巻かれ、シンクの前で背を少し丸めて皿を洗っていた。──その背中は、前よりも少し痩せて見える。きっと彼も、その日々を楽に過ごしてきたわけではないのだろう。由美は立ち上がり、静か
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第1192話

このまま続けたら、彼はデパートごと買い取ってしまう勢いだった。「……もう帰りましょう」由美が小さく切り出した。「まだ早いよ。もう少し見て回ろう」「私……疲れたの」由美はきっぱりと首を振った。憲一は疑わしげに目を細めた。「本当?」由美は力を込めてうなずき、指先で少し離れたカフェを示した。「ね、あそこで休んでから帰りましょう?」憲一はようやく笑ってうなずいた。「……わかった」二人はカフェの椅子に腰を下ろし、コーヒーを二杯注文した。由美は憲一の腕から星を受け取り、オムツを確認した。「さっき替えたばかりだ」憲一は言った。確かにまだ乾いていた。星もとても元気だ。何時間も経つのに、まったく眠たそうに見えなかった。「今日はもう料理しなくていいよ。疲れたろうし、外で食べて帰ろう」憲一の提案に、由美は頷いた。「……うん、それがいいね」……食事を済ませて家に戻ると、買った品々が次々と届けられてきた。星はようやく眠たくなり、憲一が彼女の入浴と寝かしつけを担当した。由美は部屋いっぱいに積まれた荷物の整理に追われた。「服は寝室のクローゼットに掛けておけばいい」憲一が当たり前のように言った。由美は半ば恨めしげに彼をにらんだ。「こんなにあっても、私使わないわ。どこに置けばいいの?」「特注の収納を作ろうか。アクセサリーやバッグもまとめて仕舞えるやつ」「……これからはこんな無駄遣いしちゃだめよ」──お金があっても、こんな使い方は正しくない。「でも、君のために使いたいんだ」その言葉に、由美は俯いたまま唇の端をそっと上げた。胸の奥に、どうしようもなく温かいものが広がっていった。彼女は当分使わない物を空き部屋に運び、必要なものだけを取り出して整頓し、服はきちんと掛けた。星はやはり疲れていたのだろうか、入浴してミルクを飲むと、すぐに眠りについた。由美がベッドの縁で服を畳んでいると、憲一が部屋に入ってきた。彼はドアの枠に背を預け、しばらく彼女を見つめた。「……君をこうして見ているだけで、この家が本当に『家』になった気がする」由美は顔を上げ、二人の視線が空中で交わった。言葉はなくても、互いの胸に溢れる思いが伝わった。「あなたがいるから……私は、ようやく寄りかかれるの
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第1193話

由美はドアの音を聞き、すぐに振り向いた。曇りガラスの向こうに、大きな影が映っていた。「は、はい」──もう洗い終わっている。けれど外に出れば、憲一と向き合わなければならない。心のどこかで、まだ踏ん切りがつかない。別に気取っているわけじゃない。ただ、ある記憶が呪いのように絡みつき、離れないのだ。彼を傷つけたくない。だから、少しだけ気持ちを整える時間が必要だ。「まだ終わらないのか?」憲一は何かをしようとしていたわけではなく、ただ心配していた。「もうすぐよ。大丈夫、何でもないから」彼女はドアに向かって言った。憲一はうなずいた。「わかった。何かあったら呼んでくれ」「ええ」由美は鏡の前に立ち、手にタオルを握りしめていた。──この顔は、以前とは大きく異なっている。時に、自分ですら見慣れない。彼女は深く息を吸った。そして目を閉じ、心の中で言い聞かせた。──踏み出せば、きっと違う未来がある。星のために、自分のために、勇気を出さなきゃ。彼女はタオルをきちんと置き、浴室のドアを開けて外へ歩み出た。外の空気はひんやりとしていた。おそらく浴室の中が蒸し暑かったからだろう。澄んだ空気に触れると、頭もすっと冴えていった。彼女は寝室へと歩いた。だが憲一の姿はなく、部屋は空っぽだった。──どこへ行ったの?けれど、彼がいない方が、少し気楽かもしれない。彼女はベッドに腰を下ろし、そのまま横になった。天井を見上げると、灯りの光が輪を描きながら広がり、目がくらむほどだった。彼女は目を閉じた。今日一日の疲れが押し寄せ、少しずつ眠気が訪れた。だが彼女は眠ろうとはしなかった。憲一がまだ戻ってきていないから。彼女はしばらく横になってから起き上がり、憲一を探しに部屋を出た。すると彼はソファに腰かけ、膝の上にノートパソコンを置き、何かを見ていた。由美は牛乳を温め、彼の前に差し出した。「飲んで、早めに休んでね」憲一は顔を上げて彼女を見た。「ああ」「私先に寝るわ」彼女は言った。憲一はうなずいた。「うん。少し会社のことを片付ける」由美は軽くうなずき、背を向けて寝室へ戻った。これで彼女は安心して眠りにつくことができた。彼女は布団をかけ、目を閉じた。
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第1194話

──眠っているなら、体はこんなに硬直しない。「眠っていい。俺は何もしない」憲一は低く囁いた。その声に、由美の体は少しだけ力を抜いた。「わ、私……まだ心の準備ができてなくて」「わかってる」憲一はさらに身を寄せ、胸を彼女の背に当てた。「時間をあげる」由美は小さく「うん」と返した。──彼に理解されていることが、心を随分と軽くしてくれる。だが、いつまでも彼にばかり支えられるのは嫌だ。自分も乗り越えなければ……彼女はそっと身を返し、憲一の胸に身を寄せた。憲一は唇をきゅっと引き結んだ。その胸にあるのは、欲望ではなく純粋な喜びだけだった。彼ははっきりと感じていた。──彼女が本気で前に進もうとしている。だから、これからはきっと良くなっていく。彼は目を閉じ、由美の背をやさしく撫でながら言った。「眠ろう」……翌日。由美は再び心理カウンセラーのもとを訪れた。外では香織が待っていた。ほぼ十一時になったころ、由美が診察室から出てきた。香織は立ち上がり、彼女を迎えた。「一緒にお昼ごはん、食べに行かない?」由美が言った。香織は笑みを浮かべてうなずいた。「うん、いいわ」二人はある評判の良いレストランに入った。「今日は私の奢りよ、遠慮しないで。食べたいものを好きに頼んで」由美が言った。その声色からも、以前のような沈んだ気配が消え、随分と晴れやかになっているのが伝わった。心理療法が確かに効いているのだろう。由美の心は大きく前向きに変わっていた。香織は微笑んで言った。「じゃあ、遠慮なくいただくわね」彼女はメニューを開き、好きな料理をいくつか選んだ。──由美の奢りとあれば、しっかり面子を立てねばならない。料理が運ばれるまでの間、由美は口を開いた。「昨夜、憲一と一緒に過ごしたの」香織はテーブルの上の水を手に取り、一口飲んだ。その表情に驚きはなかった。由美が前に進めることは、誰にとっても良いことだった。「憲一はきっと喜んだでしょう?」香織は尋ねた。由美は昨日のひとときを思い返しながら、静かに答えた。「私も……」「あなたが一歩踏み出してくれて本当に嬉しいわ。あなた自身のためにも、憲一のためにも、星のためにも」──もし由美が一歩を踏み出さないままでいれば、
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第1195話

由美は頷いた。「そうよ、私と憲一と、三人でね」香織は笑顔で答えた。「いいわね。じゃあその時は私がご馳走するわ」「それは憲一に払わせるべきよ」由美はさらりと言った。香織は声をあげて笑った。「そうね」彼女は由美の皿に料理を取り分けながら続けた。「私、憲一をあんなに助けてあげたんだから。豪華なご馳走を奢ってもらわなきゃ割に合わないわ」「うん、思いっきりふっかけちゃいなさい」「もちろんよ」香織は得意げに笑った。……その頃。双は真剣に本を読んでいて、傍らには愛美が付き添っていた。「ねえ、双。お母さん、いつ帰ってくるの?」愛美は頬杖をつきながら、剥いたザクロをひと粒ずつ口に運んでいた。「知らない。電話してこなかったし」双は目を本から離さず答えた。その集中ぶりは大人顔負けだ。「お母さんがかけてこないなら、あなたからかけてみれば?」愛美は首を傾げた。「ダメだよ。パパが言ったんだ。ママは用事で帰国してるから、あんまり電話しないようにって」愛美はにやりと笑い、身を乗り出した。「ねえ、双。正直に言ってみなさい。お父さん、本当はお母さんに会いたくてたまらないんじゃない?」双はぱっと顔を上げ、大きな瞳をまん丸に見開いた。「おばさん、お節介だよ」愛美はため息をつき、自分のお腹を軽く撫でた。「このお腹のせいで、どこにも行けないんだから」「遊びはもう楽しんできたでしょ」彼女が言うのは、双がS国にスキー旅行へ行った時のことだった。思い出した途端、双の顔がぱっと綻んだ。「すごく楽しかった!また行きたいな」「じゃあママに電話して聞いてみたら?帰ってきたら、また連れて行ってくれるかもしれないわよ」愛美は提案した。双は首を横に振った。「ダメだよ。パパに絶対電話するなって言われたんだ」「……」愛美は呆れ顔をした。「あなたって、なんでそんなに頑固なの?」「頑固じゃないよ。言いつけを守ってるだけ」双は真面目な顔で言い切った。「まあまあ、双がそんなに素直なんて、珍しいわね。絶対裏があるでしょう?」彼女は彼の頭をくしゃくしゃに撫でた。双はにやりと笑った。「ほら、やっぱり。言ってごらん。なんでそんなに言うこと聞くの?」「パパが言ったんだ。もしママに電話して邪魔しなければ、僕が一
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第1196話

夜、香織は憲一が予約していたレストランへとやって来た。彼は星を抱いており、由美もそこにいた。遠くから見れば、まるで幸せな三人家族のようだった。彼女は歩み寄った。由美は彼女を見つけて立ち上がった。「香織」香織は微笑んだ。「少し混んでて。待たせちゃった?」「大丈夫、私たちも今来たばかりだから」由美が言った。「さあ、座って」香織は椅子を引いて腰を下ろすと、星を見つめた。「やっぱり女の子って可愛いね」そう言って手を差し伸べた。「ちょっと抱かせてくれない?」憲一は娘をそっと彼女に渡した。「どうした?息子が二人もいるのに、今度は娘が羨ましいのか?」「からかわないでよ」香織は顔を上げた。憲一は笑みを浮かべた。「でも君には二人の息子がいるじゃないか。いずれお嫁さんを連れてきてくれる。俺はこの子一人しかいない。大きくなって嫁いでしまったら……きっと寂しくて仕方ないよ」「そうね。私は将来お嫁さんが来てくれるけど……なら星をうちの嫁にしちゃわなきゃ」香織が冗談めかして言った。由美は水を注ぎながら笑った。「考えすぎじゃない?まだ若いのに、もう姑になるつもり?」「家にいると、それくらいしか考えることないのよ」香織は言った。憲一は感慨深げに呟いた。「本当に……時間は何もかも変えてしまうな」「そうね」香織もうなずいた。「昔は、まさか自分が専業主婦になるなんて思ってなかった。それにあなたが事業を始めるなんて思ってなかった。私は命を救う仕事を続けるんだって大口叩いてたのに」「そうだったな」憲一は笑った。──まるで昨日のことのように鮮明だ。それほど昔でもないのに、すべてが変わってしまった。「じゃあ、決まりね。将来は星をうちのお嫁さんに」香織は言った。「勘弁してくれよ」憲一は即座に打ち消した。「君は新時代の女性だろ?まさか子どもの頃から結婚を決めるなんて、古臭いこと考えてないよな?俺は絶対に認めないよ」「分かってるって。冗談よ」香織は笑って手を振った。──子ども同士の婚約なんてあり得ない。自分たちの世代だって恋愛で苦労してきた。息子たちにまで余計な足枷をつけたくはない。万一幼い頃からの縁談を決めても、子供が大きくなって好きにならなかったら、面倒なことになるだけだ。もし子どもたちが一
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第1197話

香織は一気にグラスを空けた。憲一もまた、一滴も残さず飲み干した。二人は顔を見合わせ、思わず笑みを交わした。香織はグラスを置き、腕の中の星を見下ろした。星は人見知りする様子もなく、少なくとも香織の腕の中では泣き声ひとつ上げなかった。彼女の目はまん丸で、まつげは黒くてくるくるとカールしている。頬は赤ちゃんらしく、白くて、柔らかい。香織は思わず子供の頬をつねった。「この子、本当に愛らしいね」「君にも二人も子どもがいるんだから、他人を羨むことないさ」「そうね、私の息子たちも十分可愛いわ」香織も笑った。その時、料理が運ばれてきた。由美が立ち上がり、手を差し伸べた。「私が抱くわ。あなたは食べて」「いいのよ、抱いてるくらいなんでもないわ」香織は首を振った。すると憲一が由美の手首を掴み、席に座らせた。「いいんだ。香織が食べなくても大丈夫だろ」「……」香織は呆れて目を細めた。「奥様優先なのね」憲一は笑った。「当然だよ、妻が一番大事だから」「ちょっと!人って橋を渡った後に壊すって言うけど、あなたは渡った瞬間に壊しにかかってるわよ。ひどすぎない?」憲一の笑いは軽やかで、心の底から楽しげだった。「香織、君が言い負かされるのを見ると、何だか嬉しいよ。この数年、圭介と一緒に過ごしたせいで、性格まで彼に似てきたからな」「つまり、うちの夫の性格が悪いって言いたいの?」「いやいや、俺は何も言ってないぞ。勝手にそう思ったのは君だ」憲一は肩を竦めてとぼけた。夫をかばうような香織の顔つきを見て、彼は心の中で苦笑した。「やっぱり、似た者夫婦ってやつだな。二人とも同じくらい意地っ張りだ」香織は唇を引き結んだ。「意地っ張りなのはあなたでしょ」食事が半ばに差しかかったころ、星が泣き出した。由美がすぐに抱き取り、レストランの休憩室へと向かった。ここには授乳室がなかったため、彼女は休憩室でおむつを替えることにした。由美が席を外すと、香織の表情は少し引き締まり、真面目な口調になった。「ねえ、由美とはうまくやれてる?」憲一は、由美の変化を思い浮かべながら、口元に淡い笑みを浮かべた。「二人で、少しずつ頑張っているところだ」香織は安心したようにうなずいた。「それなら良かった。私は明日の朝、戻
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第1198話

彼女の頭はふわふわとしていた。度数は高くなかったけれど、普段あまりお酒を飲まないせいで、少し酔いが回ってしまったのだ。憲一は酒を飲んだし、星の世話もあるため、香織は一人でホテルに戻った。部屋に戻ると、彼女は携帯を取り出して圭介に電話をかけた。電話はすぐに繋がった。「……なんだ」その声を耳にした瞬間、香織の心臓は激しく跳ね上がった。──やっぱり、自分はこの人がとても好きなのだ。たった一言で、胸の奥が甘く震えてしまう。天井のライトがやけに眩しく感じられて、彼女は片腕を額にかざし、光を遮った。もう片方の手で携帯を耳に当てたまま、くぐもった声で囁いた。「……圭介、会いたい」その頃、圭介はまだ会社にいた。片手に携帯を持ち、もう片方の手は資料にサインをしているところだった。だが、彼女の言葉を聞いた瞬間、ペンの動きが止まり、そのまま机に置いた。彼は手首を軽く回しながら、低く尋ねた。「いつ帰ってくる?」「私、あなたに会いたいって言ってるでしょ」香織は拗ねたように声を上げた。「何を聞きたいんだ?戻ってきたら、耳元で全部言ってやる」圭介は言った。「嫌だ。今聞きたいの」彼女は電話口で甘えた。「いいでしょ?」圭介はわずかに眉をひそめた。──酔っているのか?「酒を飲んだのか?」──普段なら、彼女はこんな風にはならない。香織は笑った。「ほんの少しだけ、憲一と一緒に飲んだの」「一人でホテルにいるのか?」彼は尋ねた。「うん……私ひとり」香織はうつらうつらしながら答えた。「気をつけろ。ドアはちゃんと鍵をかけろ」「んー……動きたくない」香織は唇を尖らせるように言った。「……」「動きたくなくても、ちゃんと起きて確認しろ。鍵が閉まっているかどうかを」彼は命令口調で言った。「……」香織は言葉を失った。──まったく、この人は。「最初から電話なんてしなきゃよかった。こんなに離れてても、私を縛るつもり?」「縛ってるんじゃない。心配してるだけだ。ホテルには色んな人が出入りする、警戒しておくに越したことはない」彼の言葉に押されて、香織はベッドから起き上がり、ふらふらとドアまで歩いた。試しに回してみると――本当に鍵がかかっていなかった。「……もう」彼女は首を振り、自分を
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第1199話

その後、香織は自分がいつ電話を切ったのかすら覚えていなかった。携帯は手に握られたまま、彼女は眠りに落ちていた。……同じ頃。憲一は、嬉しさのあまりワインを空けてしまった。彼は実際には酔ってはいなかった。その程度の量は、彼にとっては何でもないことだった。由美は彼に早く寝るよう促した。彼は体も洗わず、ベッドに横たわった。由美は星の世話に行った。しばらく横になった憲一は、やがて起き上がって浴室へ向かい、シャワーを浴びて戻ってきた。ちょうどその時、由美も部屋へ入ってきた。人影を感じて振り返ると、バスローブを纏った憲一がドア口に立っていた。「どうしてまだ寝てないの?」彼女は尋ねた。憲一は近づき、彼女の前に立った。途端に、空気が不思議なほど甘く熱を帯びていった。おそらく、憲一の眼差しがあまりにも熱かったからだろう。彼女には無視することができなかった。由美は俯き、彼の目を見ることを避けた。憲一は彼女の顎を持ち上げた。「由美、俺を見て」由美はほんの少し顔を上げた。憲一は身をかがめ、柔らかく唇を重ねた。そのキスはひどく優しく、彼女の唇の上でゆっくりと辿るように深まっていった。周囲は静まり返り、まるで時間が止まったかのようだった。由美は目を開けたまま、目の前の男を見つめた。彼女は目を閉じる勇気がなかった。両手も必死に服の裾を握りしめていた。あの不快な記憶が彼女の脳裏に溢れ込み、頭は制御不能になったかのように痛み、恐怖と拒絶が一気に押し寄せた。彼女は反射的に彼を押しのけた。「わ、私……まだお風呂に入ってないの」押した後ですぐに後悔し、慌てて言い訳をしてしまった。憲一は彼女の頬にかかる髪を耳の後ろにそっとかきあげ、優しく頬を撫でた。「由美……いいか?」その声は低く掠れていた。由美の身体は小さく震えた。「わ、私……」彼女は目を大きく開き、彼の姿をしっかりと見つめた。──これは憲一。他の誰でもない。ましてや自分を傷つけたあの連中などでは決してない。由美は自ら両腕を彼の首へ回し、そっと背伸びをして、ためらいがちに唇を重ねた。だが憲一にとって、その程度の口づけでは足りなかった。彼は指を彼女の髪に絡め、後頭部をそっと抱き寄せ、そのキスを
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第1200話

「これからは、できる限りあなたを大事にする……」「いや、違う……」憲一は顔を上げて彼女を見た。「昔から君は何も悪くなかった。未熟だったのは俺だ。だからこんなことになった。これからは努力して、君を守る。星を守る。俺たちの小さな家庭を守る。強くなって、君と星の支えになる。二度と君を不安にして、漂わせたりしない」気づけば、涙が勝手に溢れていた。由美は顔を背けた。憲一は彼女の顎を掴み、正面へ向けさせた。「俺を見ろ、隠れるな」由美は唇を震わせながら、そっと彼の頬を撫でた。そして仰いで、小さく口づけた。憲一は深く彼女を見つめ、そのまま唇を眉間へ、瞳へ、鼻先へ、そしてついに抑え切れず、酒の勢いも借りて、夢にまで見た柔らかさに口づけた。彼は少しずつ彼女の衣を解いていった。「俺を見て」キスを重ねながら、彼は囁いた。由美は小さく応え、枕をきつく握りしめた。ずっと彼を見つめながら、心の中で言い聞かせた。──彼は、私の愛する人。彼は憲一。……憲一は何度も何度も耳元で繰り返した。「俺だ。憲一だ」その動きはひたすらに優しく、由美は守られていると感じた。──彼の優しさを、細やかな気遣いを、全身で感じ取った。心の中の警戒心が、少しずつほどけていく……その時間はとても長かった。あまりにも長くて、由美は夢を見ているのだと思った。その夢の中には、彼女と憲一だけがいた。……彼女の身体に刻まれた痕を、彼は一つひとつ見つめ、優しく口づけ、心の傷を撫でていった。汗で濡れた顔は、涙でも濡れていた。由美は彼の胸の中で泣いた。「ごめんなさい……」「君が俺に謝ることなんて一つもないだろ?」憲一は彼女の涙を唇で拭い取った。「俺の中では、君は永遠に君だ。どんな姿になっても、何を経験しても、君はずっと俺の由美なんだ」由美は彼の首にしがみつき、大声で泣いた。心の奥に押し込めてきた悲しみと痛みを、すべて吐き出すように。憲一は彼女を抱きしめ、ひたすら優しく身体を重ねた。……夜半を過ぎる頃には、由美は完全に力尽きていた。憲一は彼女を抱き上げ、浴室へと連れていった。あまりにも長い別れの後だったせいか。あるいは彼があまりに長く抑え込んできたせいか。浴室でも、彼は彼女を求めた。
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