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All Chapters of 桜華、戦場に舞う: Chapter 1491 - Chapter 1500

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第1491話

皇后は気が気でない二日間を過ごしたが、特に何事も起こらなかった。蘭子がこっそり典薬寮を訪ねて金森御典医を探したものの、家庭の事情で数日休暇を取っているとのこと。陛下の前で何を話したのかは結局分からずじまいだった。それでも禁足の沙汰が下らないことで、皇后の不安は随分と和らいだ。さらに数日が過ぎても何の動きもなく、ついに安堵の息をついた。きっと金森御典医は陛下に何も話していないのだろう。一度の呼び出しで口を閉ざしたなら、今後も蒸し返すまい。何しろあの男、金子をしっかり受け取っているのだから。ところが日を重ねるうち、妙なことに気づいた。毎日蘭子に持たせる大皇子の食事に、息子が全く手をつけないのだ。最初は「まだお腹の調子が悪い」「皇祖母様が薄味にするよう仰った」と言っていたので、当然だと思った。だがもうこれほど日が経ち、体調も回復したというのに、なぜまだ口にしないのだろう?漠然とした不安が胸をよぎる。今夜太后への挨拶のついでに、息子に食べ物を届けて話をしてみよう。酉の刻の終わり頃、皇后は慈安殿を訪れた。この時分なら大皇子は夕飯を済ませ、学習の準備をしている頃のはず。慈安殿の門前で内藤勘解由に出会うと、大皇子は練馬場で馬術の稽古をしていると教えられた。内藤の話では、最近は毎日授業が終わると馬の練習をし、それから戻って食事を取るのが習慣になっているという。皇后は驚いた。「練習の後で食事なの?体を壊してしまうのでは?」「ご心配には及びません」内藤が答える。「太后様が申の刻に菓子と湯を届けるよう仰いますので、空腹で倒れるようなことはございません」皇后は眉をひそめた。自分も申の刻に菓子を届けさせているのだが、息子は胃の調子が悪いと言って断っているのだ。「それでは練馬場へ参りましょう」「皇后様」内藤が静かに制止する。「太后様のお言いつけで、大皇子様が書斎におられる時も、練馬場におられる時も、どなたもお邪魔してはならないとのこと。皇后様も例外ではございません」「どうしてよ?」皇后の眉間がぴくりと動き、声が一気に鋭くなる。「太后様のご命令でございます。私はお伝えするだけで」内藤は相変わらず落ち着いている。「理由をお知りになりたければ、お入りになって太后様に直接お尋ねください」せっかく来たのだから、挨拶はしていこ
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第1492話

長春宮に戻った皇后がそれほど長く不安に浸る暇もなく、清和天皇が現れた。玄鉄衛を連れての来訪で、春長殿全体が封鎖され、吉備蘭子だけが殿内に留まることを許された。吉田内侍が手にしていたのは二つの品。その一つが、あの日大皇子に飲ませた虫除けの毒粉だった。机の上に置かれたそれを見た瞬間、皇后は金縛りにあったように立ち尽くした。心の奥まで凍りつくような寒さが襲い、全身が止まらずに震える。その様子を見た蘭子は、どさりと膝をついて泣き崩れた。「陛下、お許しください!これは全て私一人の仕業でございます。皇后様は何もご存知ありませんでした!」天皇は蘭子の言葉など聞こえないかのように椅子に腰を下ろし、吉田内侍に告げた。「詔を皇后に見せよ。読み上げる必要はない」「はい」吉田内侍が二つ目の品を広げる。それは勅書だった。皇后の前に差し出された勅書に目を落とした瞬間、わずか二行を読んだだけで、まるで化け物でも見たかのように悲鳴を上げた。「いやあああ!」床に崩れ落ち、涙が止めどなく溢れ出す。口からは混乱した声が漏れ続けた。「だめ、だめよ……」蘭子は勅書の内容が分からず、見ることも許されず、ただひたすら頭を床に打ちつけて血を流していた。天皇の瞳が氷のように冷たく光る。「毒を使ってまで息子の面目を保とうとしたのは、あの子を皇太子にするためだろう?息子の命を賭けてまで皇太子の座を狙うなら、朕が望みを叶えてやろう。あの子を皇太子に册封する。その代わり、お前の命と引き換えだ。公平だろう?」「いえ、あの子は嫡長子です。皇太子になるべき身分なのです!陛下、私に過ちがあったとしても、死罪に値するほどでは……」皇后は這いつくばって天皇の足にすがりついた。顔中を涙が伝い、絶望に染まった瞳が覗く。「陛下、あの子は私が産んだ子です。本当に害するつもりなどありませんでした。全てあの子のためを思って……」「あの子のためか。望み通りになったではないか。皇太子になったのだから、お前の願いは叶ったのだろう?」清和天皇の声が高くなり、抑えきれない怒りが滲み出る。「息子の命を名誉のために使えるなら、お前の命で皇太子の座を勝ち取ればよかろう。これ以上策を巡らせる苦労もいらぬ」皇后は全身を震わせながら、何と言い訳していいか分からずにいた。自分の望んだことが、本当に叶ったというのか。「違
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第1493話

近頃、皇子たちのことは何でも玄武に話している。特に玄武が夜に授業をした後、針治療に付き添ってくれる時などに。兄弟で語り合う時間が増えるにつれ、わだかまりも疑いも薄れていった。もちろんこれは相手によるもので、玄武はさくらのこと以外なら包み隠さず真っ直ぐに話してくれる。間近で見ていれば分かることだ。何か問題があれば兄弟で直接話し合える。以前のように憶測だけに頼ることもない。ただ、清和天皇は自分がこう変われたのは、さくらに叱られて目が覚めたからだと思っていた。玄武を臣下としてではなく、兄として見ることができるようになったのも。丹治先生が針治療を終えて休息のために下がると、玄武は天皇の手を取って歩かせた。後ろから吉田内侍がそっと付いてくる。夜の御苑に八角灯籠がゆらめいて、やわらかな光が二人の顔を優しく照らしていた。玄武は話を聞き終えても特に意見は述べなかった。陛下の胸の内は分かっている。余計な口出しは無用だろう。案の定、清和天皇は皮肉っぽく笑った。「あの女も馬鹿ではないからな。なんといっても嫡長子だ。まだ望みはあると思っているのだろう」「そうですね」玄武は相槌を打ちながらゆっくりと歩を進めた。「大皇子の様子はどうだ?」天皇は毎日必ずこう尋ねる。「生まれ変わったとまでは言えませんが、以前よりずっと励んでおります」嘘偽りのない言葉だった。春の狩りの後、大皇子はまるで別人になった。急に目覚めたように、自分の才能の乏しさを悟って努力するようになったのだ。それも日に日に熱心になっている。さくらの言葉を本当に心に刻んだのだろう。昨日の自分より今日の自分が、と毎日励んでいる。天皇は満足そうに頷いた。毎日同じ答えを聞いているのに、いつも嬉しそうだ。「潤くんとはうまくやっているか?」「ええ、お互い助け合っています」天皇の目が遠くを見つめた。この子たちの代で、自分と上原次郎の友情を取り戻してほしいと願っているのだ。「下の二人とは?」玄武の口元に笑みが浮かんだ。「弟たちを可愛がるようになりました。今日も三皇子が馬から落ちそうになった時、飛び込んで受け止めてやったんです」清和天皇は少しほっとした様子で言った。「皇室の兄弟は、せめて幼いうちは助け合い、愛し合わねばならん。年を重ねるにつれ情も薄れるのだから、今のうちに
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第1494話

北冥親王邸の庭では、さくらとあかりが明日香と文絵の武芸を見ていた。といっても実際に教えているのはあかりで、さくらと文絵はただ付き添っているだけだが。禁衛府の仕事は相変わらず忙しいものの、なぜか時の流れがゆっくりと感じられ、心も穏やかになっていた。疑心暗鬼のない日々がいつまで続くかは分からない。でも一日過ごせるなら、その一日を大切にしよう。ただ一つ気がかりなのは、夫の体調だった。少しずつ回復してはいるものの、あれほどの重傷だったのだ。毎日朝早くから夜遅くまで働いて、食事も不規則、薬も決まった時間に飲めていない。ちゃんと養生できていないのが、どうしても心配になる。饅頭が回廊から歩いてきて、さくらの傍に立った。「紫乃が今夜は帰らないと」「そう」さくらが頷く。言葉にはしないが、紫乃が昔の仕事に戻ったのだと分かっていた。このことを、二人で話し合うことはない。ただ一度、こんな言葉を交わしたことがある。どうせ血まみれの手なら、悪人の血で魂をもっと真っ赤に染めてやろう、と。だから紫乃が役人の証拠集めを手伝っているのか、それとも証拠不十分で罪に問えない悪人を直接始末しているのか、玄甲軍大将のさくらは詮索しない。子供の頃のように正義だの何だのと口にすることもなくなった。それが昔からの理想だったとしても。今の自分がしていることが正義なのかどうか、さくらには分からない。善か悪か、はたまたその境界線上にあるのか。ただ、罪ある者が相応の報いを受ける姿を見れば、それで十分だった。饅頭がさくらの隣に座り、あかりが明曦を指導する様子を眺めながら笑った。「明日香って本当にあかりの小さい頃そっくりだな。力持ちで活力に満ち溢れてる。でも正直なところ、明日香の方があかりより才能がある。将来はお前に続く第二の女傑になるかもしれない」さくらが視線を向けると、明日香の拳が影のように素早く繰り出され、その一撃一撃に確かな重みが感じられた。怪力疾風——饅頭がつけたあだ名だった。さくらは微笑みながら明日香の未来に思いを馳せた。女将軍になるだろうか、それとも世を渡り歩く俠女になるだろうか。そこへ玄武が帰ってきた。腰を下ろすとすぐさくらを抱き寄せる。饅頭が立ち上がって呆れたように言った。「一日会わないだけで、まるで何年も離れていたような顔して。見てるこっちが照
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第1495話

七月の炎暑の候、平安京からの国書が届いた。平安京の皇帝が退位し、レイギョク長公主が帝位に就いて朝政を執り、国号を「元新」と改めた。大和国に使節団の派遣を求め、即位の儀への参列と国境問題の再協議を提案してきたのだ。元新帝はすでに即位を果たしている。つまり即位の儀への参列は口実に過ぎず、真の狙いは国境問題の解決にあった。かつて平安京の使節団が大和国を訪れた最大の目的も国境画定だった。内乱で中断されたとはいえ、元新帝にとっては最も気がかりな案件に違いない。だからこそ即位と同時に、すぐさま交渉を再開してきたのだろう。朝議では、もはや両国間の恨みは消え去り、対等な立場での交渉が可能になったとの認識で一致した。譲れぬものは譲らず、毅然とした態度で臨むべきだと。国境問題が短期間で解決するとは思えないが、戦にならぬよう配慮すれば十分だった。清和天皇は榎井親王、兵部大臣の清家本宗、そして賓客司卿を使節団として派遣することを決めた。榎井親王は普段朝廷に顔を出さず、政務にも疎い。しかし親王の身分である以上、敬意を示すためにも同行させる必要があった。さくらも随行することになった。玄甲軍大将として護衛部隊を率い、道中の警備を担当するのだ。これは玄武の推薦によるものだった。平安京への道のりは関ヶ原を通り、そこで足を止めて両国の戦いや平安京の現状を詳しく調べる予定になっている。そうすればさくらも、数日間ではあるが外祖父の一家と再会を果たせるのだった。清和天皇の詔が下ったとき、さくらは有頂天になった。すぐさま紫乃やあかりを引き連れて、街へ買い物に繰り出した。毎年関ヶ原へ贈り物は送っているが、自分の手で直接渡すのとはわけが違う。護衛の人選は山田鉄男と村松碧に任せることにした。今回ばかりは公私混同を楽しみ、夫が取り計らってくれた役目に心から感謝したかった。実のところ、玄武が推薦しなくても、清和天皇はさくらを派遣するつもりでいた。平安京で女帝が即位した今、大和国からも女官を派遣して祝賀の意を示すのは理にかなっている。天皇は玄武に冗談めかして言った。「どうせお前も養生が必要だ。王妃が数ヶ月留守にするのも良いことだろう。いつも心ここにあらずでは、ちゃんと体を休められまい」玄武も半分本気、半分冗談で答えた。「確かに、しっかり体を治さなけれ
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第1496話

出立を翌日に控えたその夜、さくらは玄武と共に惠子皇太妃のもとへ暇乞いに向かった。早朝の出発となるため、普段なら皇太妃がまだ寝台から起き上がる前の時刻になってしまう。それならばと、夕刻のうちに挨拶を済ませることにしたのだ。皇太妃は既にさくらの平安京行きを承知していた。当初は事情を詳しく知らず、ただ天皇の勅命に首を傾げるばかりだった。長旅の労苦を伴う使命を、なにもさくらでなければならぬ理由があるのだろうかと。けれど後に紫乃から、今回の旅の真の目的が母方の親族との対面にあると聞かされて、皇太妃はそっと息をついた。「人として最も辛いのは、愛する者との生き別れ死に別れ。そして最も嬉しいのも、愛する者との再会なのよね」この言葉は紫乃に向けて漏らしたもので、さくらの前では決して口にしなかった。他人に語れば感慨となるが、さくらに言えば傷口に塩を塗ることになる。いまでは可愛い嫁を心から慈しんでおり、少しでも辛い思いをさせたくはなかった。いま、暇乞いに訪れた嫁の姿を見つめながら、皇太妃の胸にもしみじみとした思いが湧いてくる。思えば当初は、この縁談に千万の反対を唱えたものだった。さくらが気に入らなかった理由も至って単純――再婚の身で、雪山の松のように気高い我が息子に釣り合うはずがないと。やがて皇太妃がこの嫁に抱いた感情は、畏怖と感動の入り混じったものになった。恐ろしいほど気の強い娘だが、確かに自分を守ってくれる。そして今では、愛おしさと労りの情だけが残っている。「私からも佐藤大将のご一家へお渡しする品を用意したの。もう馬車に積ませてあるからね。私からの挨拶も忘れずに伝えてちょうだい。皆様がお健やかで、何事も順調に運びますようにって」「ありがとうございます、お義母様。お義母様もどうかお体を大切になさってください」さくらの言葉を聞いて、惠子皇太妃は心の中で苦笑した。この嫁は本当に紫乃のように甘い言葉を言わない子だ。体を大切にと願ってくれるのは有り難いが、せっかく願うなら他にももう少し何かあるだろうに。普通の人なら挨拶の言葉は流れるように続くものなのに、たった一言で終わりとは。そう思って隣に松の木のようにそそり立つ息子を見やると、皇太妃は諦めの気持ちになった。あちらはもっと無愛想だ。挨拶に来ても「母上にご挨拶に参りました」の一言のみ。それ
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第1497話

七月十二日、大和国使節団が都を後にして平安京へと向かった。大勢の人馬が列をなして進む様は壮観だった。玄武は馬を駆って二十里もの道のりを見送った。尾張拓磨も有田先生も「もうこのあたりで」と言うまで、手綱を引くことができずにいた。さくらが振り返って手を振る。花のような笑顔で、別れを惜しむそぶりなど微塵もない。玄武は彼女をじっと見つめて、切ない眼差しを向けながらも小声でつぶやいた。「本当に薄情な奴だ」陽はもう高く昇り、街道には風もなく蒸し暑い。それでも車列の最後尾が見えなくなるまでじっと待ち続け、ようやく名残惜しそうに馬首を返した。今回の平安京行きには、さくらは三百の玄甲軍を率いて行く。棒太郎や紫乃たちも同行だ。両国は戦後の一時的な平和状態にあるものの、平安京の皇太子の件がスーランキーによって暴露されてしまい、今でも平安京の民には大和国への敵意を抱く者が多い。そのため榎井親王をはじめとする使節団の安全を確保するべく、護衛を多めに連れて行く必要があった。榎井親王という人物について、さくらはあまり接点がない。正確に言えば、親王夫妻との交流自体が少ないのだ。榎井親王妃は斎藤美月といって、皇后の従妹にあたる。かつて影森茨子の誕生祝いの席で、さくらが贈った絵を贋作だと言って気まずい思いをさせたことがある。それ以来、さくらとの付き合いを避けるようになり、近年はひときわ控えめに振る舞っている。宮中の正式な宴以外はめったに顔を出さない。皇族として出席せざるを得ない場合を除いて、である。義理の姉妹でありながら、二人の関係は水のように淡白だった。榎井親王も用事がない限り北冥親王邸を訪れることはない。一家がこれほど目立たない暮らしを続けているおかげで、いまだに都に留まって封地へ赴くこともなく、清和天皇は彼らを脅威とは全く見なしていなかった。世間では榎井親王は凡庸だと言われているが、さくらには真偽のほどは分からない。わざわざ調べたこともなかった。ところが出立から二日も経つと、紫乃が言った。「榎井親王様の頭って、扉に何度も挟まれたみたいね。普段あまり人前に出てこない理由がよく分かるわ」さくらはその辛辣な言葉に苦笑した。「そこまで言わなくても。ただ世慣れていないだけでしょう」紫乃は容赦なく続けた。「三歳なら世慣れていないで済むけれど
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第1498話

急ぎに急いで、八月三日にようやく関ヶ原に到着した。二十日間の道のりは過酷だった。猛暑のせいで次々と病に倒れる者が出たが、幸いさくらが十分な薬を用意しており、金森御典医も同行していたので大事には至らなかった。榎井親王は本当に参っていた。こんな苦労は生まれて初めてだろう。旅路十日目にはもう声も出なくなり、顔色も唇も青白く、隠しきれない疲労が顔中に刻まれていた。関ヶ原の領内に入り、佐藤家の人々が兵を連れて出迎えてくれた時、榎井親王はその場でばったりと倒れて気を失った。皆があわてふためいて急いで担ぎ込む騒ぎになった。さくらは外祖父と叔父たちの姿を見ると、もう榎井親王のことなど頭から消え失せた。外祖父の胸に飛び込んで、止めどなく涙を流した。佐藤大将は孫娘の髪を優しく撫でながら、自分も喉を詰まらせていた。都での別れが永遠の別れになると覚悟していただけに、こうしてもう一度会えるなんて夢のようだった。しばらくしてから、大将は優しく言った。「もういい、皆が見ているじゃないか。叔父様たちにもご挨拶をしておいで」さくらがようやく顔を上げて涙を拭うと、三叔父の日焼けして随分と老け込んだ顔と、片側がぺしゃんこになった着物の袖が目に入った。思わずまた顔を逸らして涙がこぼれた。三叔父が片腕を失ったことは既に聞いていた。けれど実際に目の当たりにすると、やはり胸が締め付けられるのだった。佐藤家の次郎も、さくらを見ると亡き姉のことを思い出さずにはいられない。実の姉妹だった彼女の母を思うと、瞳が赤くなった。佐藤三郎はさくらが自分のために泣いているのを察して、すぐに感情を押し殺すと笑って袖を振った。「私の袖払いの技を見せてやろうか?」そう言うと内力を込めて袖をさくらに向けて振る。不意を突かれたさくらは危うく吹き飛ばされそうになり、二歩よろめいてようやく持ちこたえた。「兄さん、さくらをいじめちゃだめよ」佐藤八郎が笑いながら前に出て、さくらの肩に手を添えた。三兄弟とも同じように日焼けしてごつごつした肌をしているが、瞳だけは特別に輝いている。「さあ、私にもよく見せておくれ、我が大和国の女将軍を。本当に誇らしいじゃないか。立派になったなあ、立派に!」さくらは笑いながら涙を拭った。日焼けで赤くなった頬がいっそう赤らんだ。「そんなこと仰って。私なんてまだまだ叔父
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第1499話

お線香を上げた後、奥の部屋に戻ると、皆涙を拭いて悲しみを抑え、さくらを囲んで夫婦のことを根掘り葉掘り聞いてきた。中でも一番多かった質問は、北冥親王が彼女を大切にしているかということだった。身内というのはそういうものだ。本人がどんなに立派でも、やはり相手が心から愛してくれているかを何より案じてしまう。さくらの従姉妹は大勢いて、皆叔父たちの娘だった。さくらとはそれほど面識がなかったが、会えば皆とても興奮していた。姉に当たる従姉たちはもう嫁いでおり、夫や子供を連れて里帰りしている。さくらの話をさんざん聞かされていて、感嘆すると同時に哀れにも思っていた。その中に佐藤湘子という従姉がいた。次叔母の長女で、佐藤大将の部下だった黄瀬辰也将軍に嫁いだが、結婚して一年も経たずに夫は戦死し、遺児だけが残された。その子も今では十二歳になっている。彼女は関ヶ原で孤児院を営んでおり、捨て子を引き取って育てていた。今では三十人余りの子供がいるが、暮らし向きは苦しく、もう続けていくのが難しい状況だった。さくらが都で工房を開いていると聞いて、どうすれば商売がうまくいくのか教えてもらいたいと相談を持ちかけた。恥ずかしそうに言う。「今は実家の援助だけが頼りで、それがなければ子供たちにご飯も食べさせてあげられません」さくらは湘子の粗末な麻布の着物を見た。あちこちに継ぎが当てられ、履いている草履も破れて縫い直してある。本当に苦しい暮らしぶりが手に取るように分かった。「湘子姉さん、工房と孤児院は違うのよ」さくらは静かに言った。「工房の女たちはみんな自分で稼げるの。私はただ住む場所を提供して、似たような境遇の人たちが支え合えるようにしただけ。でも姉さんが引き取っているのは赤ん坊ばかりでしょう。働けないし、お腹を空かせて泣くばかり」「そうなのよね、この子たちには稼ぐ力がない」湘子はため息をついた。顔には苦悩が刻まれている。「私自身も大した才覚はないけれど、この子たちを手放すなんてできないわ」さくらは提案した。「孤児を育てるのは善いことだけれど、何事も身の丈に合わせなければ。能力を超えれば重荷になるし、家族の負担にもなる。今いる子たちを手放すわけにはいかないでしょうから、何とかして育て上げましょう。ただし、もう新しく拾ってはだめ。関ヶ原は今のところ朝廷に年貢
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第1500話

榎井親王は翌日の午後まで眠り続け、空腹に耐えかねてようやく目を覚ました。体を起こそうとすると、まるで骨が外れたように全身が軋んだ。疲労が骨の髄まで染み付いて、手を持ち上げるのさえ辛い。付き添いの小姓の中でも特に信頼する小吉子という者が、枕元で報告した。「親王様、北冥親王妃様がお話があるとのことで、もうずいぶんとお待ちでございます」榎井親王は床の中で食事を済ませ、そのまままた眠りたかった。動くのも億劫なほど疲れきっていたのだ。だが、さくらが半日も待っているという言葉に、慌てて布団を跳ね除けた。「着替えを。急げ」この道中、彼女の凄まじさを目の当たりにしていた。女の身でありながら、一度たりとも弱音を吐くのを聞いたことがない。彼女の指揮の下、一行は幾度も危険を回避し、途中で体調を崩す者が相次ぐ中、まるで牛のように頑健だった。腕のある者は決して軽んじてはならない。彼らが人を訪ねる時は、必ず重要な用件があるものだ。腹が背中にくっつくほど空腹だったが、身支度を整えてから手早く粥を啜り、さくらの元へ向かった。「さくら、私を呼び出して何用でしょうか?」さくらが育児院の件を説明すると、榎井親王は真剣に耳を傾けた。話を最後まで聞き終えると、合点がいったという顔をした。「なるほど、よく分かりました。私は昨日到着するや否や疲れ果てて眠り込んでしまいましたが、この屋敷の質素な造りは目に留まっていました。お使いの品々も実に……慎ましやかで。大将軍一家がこれほど国に尽くされているというのに、このような扱いはあまりに酷いでしょう」さくらの口元がわずかに引きつった。「親王様、お言葉ですが、そういう意味ではございません。佐藤家が一文たりとも懐に入れるつもりはありません。これは、あの子たちのため、そして親王様のお名前を高めるためなのです。子どもたちは皆、遠く都におられる親王様に感謝するでしょうし、朝廷の方々もこのご善行をお聞きになれば、きっと手を叩いて褒め称えることでしょう」そして、慌てたように付け加えた。「もちろん、佐藤家にとっても必要な名声ではございますが」榎井親王は「ああ」と声を上げた。そう言われれば合点がいく。よくよく考えてみれば、佐藤家がそれほど困窮しているはずもない。いくら苦しくとも、太政大臣家と北冥親王家が支えているではないか。ただ、佐藤大
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