All Chapters of 慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った: Chapter 1091 - Chapter 1100

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第1091話

まさか新世紀にもなって、こんなやつに出会うとは思わなかった。ここまで露骨な当たり屋、彼女も初めてだった。しかも、記憶が確かなら——目の前のこの男、あのアイドルグループのリーダーだったはず。低音ボイスだの、低音セクシーだの、ああいうのは生まれ持った声質の話。真似しようにも、真似できない人もいる。たとえば——清孝。彼のあの深く落ち着いた声は、ロンドン英語を何年も訓練して身につけたものだった。長年の経験と積み重ねが、あの声を作り出したのだ。彼女が若かった頃——抗えないほど彼に惹かれたのも、無理はなかった。だからこそ、彼女は年下の男が苦手だった。しかも、目の前のは最悪の地雷系年下男。「すごいわね。まさか生きてて、ここまで珍妙な生き物を見るとは思わなかったわ。私から金をふんだくろうって?夢見てるんじゃないわよ」紀香は自分の肩を指差した。「カメラがあるわ。さっきの全部、録画してある。ファンを失いたくないなら、さっさと消えなさい」男の顔色が変わった。だが、それでも半信半疑だった。——こんなところで、カメラなんて仕込むか?彼は知らなかった。紀香は過去にあの出来事を経験していた。あのとき、助けが来るまでのあの孤独な時間。そして、証拠がなく、加害者たちを追い詰めることができなかった悔しさ。あの連中が今ものうのうと生きてると思うと、眠れない夜が続いた。それ以来、彼女は常にマイクロカメラを身につけるようになった。——この世界に、どんな芸能人が何を仕掛けてくるか分からないから。「……見る?映像」「……」男は動こうか、言い訳をしようか悩んでいた。だが、その場の空気を一変させたのは、別の女性の声だった。「なに話してるの、あんたたち!」実咲だった。紀香が事実を説明すると、実咲の顔が凍った。彼女はその男のファンだった。「錦川先生、行きましょう。こんな汚いの、相手にしちゃだめです」紀香はとっくに立ち去りたかった。だが、通りすがりに、足首を誰かに掴まれた。——思わず身体が強張り、反射的に足を引いた。男は地面に倒れたまま、手を伸ばして彼女の足首を掴んでいた。親指がズボンの裾から肌に触れたその瞬間——紀香の全身に、鳥肌が走った。過去の記憶が一気に蘇り、体が震
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第1092話

彼女はただ、ここから逃げ出したかった。安心できる場所へ——それだけを願っていた。だからこそ、清孝の身体からふわりと漂ってきた、あの馴染み深い梨の花の香りに、彼女は身を委ねた。彼を押しのけることも、腕の中から離れることもなかった。むしろ——その腕に、さらにぎゅっとしがみついた。清孝は、彼女のそんな依存を敏感に察知し、よりいっそう強く抱きしめた。まるで骨の髄まで、自分の中に溶け込ませようとするかのように。車の近くまで来たそのとき——あの男が、再び立ち塞がった。清孝の冷たい視線が、男の足首に落ちる。——やはり。演技だったか。「針谷」その一言で、針谷がすぐに現れ、男を地面に押さえつけた。だが、男は怯える様子もなく、挑発的に言い放った。「ホ、清孝がこんな場所に来るわけないだろ?おまけにその格好……まさか、あの藤屋家の当主がこんなラフな服装するかよ?ホ、ホラ吹いても無駄だぞ。そんな名前、勝手に使って……命が惜しくないのか?」清孝は、普段ならこういうバカには付き合ってやってもよかった。だが、今の彼女の状態を思えば、そんな余裕はどこにもなかった。胸の奥に渦巻く怒りの塊が、じわじわと広がっていく。「綺麗に片付けろ」「かしこまりました」針谷はすぐに動いた。その口も塞いで、余計なことを言わせないように。ウルフが車のドアを開け、清孝の頭をかばうようにして彼を案内した。紀香をしっかりと抱いたまま、清孝は車に乗り込んだ。ウルフがドアを閉めようとしたそのとき、鋭い声が飛んできた。「ちょっと待って——!」実咲だった。彼女は腰をかがめ、清孝に向かって尋ねた。「清孝さん、錦川先生をどこに連れて行くつもりですか?」清孝は手で合図し、ウルフはドアを閉め、静かに答えた。「お送りいたします、ホテルまで」実咲は並ぶ高級車の列を見て、思わず感嘆のため息をついた。——ああ、自分の勘、やっぱり当たってた。清孝はただの下積み体験じゃなかった。すべては、錦川先生のため。しかも「錦川」って同じ名字だし……これはもう、運命でしょ。尊すぎて、語彙力が消えた。実咲はウルフに尋ねた。「その……いろんな豪門の名字は聞いたことあるんですが、錦川って、どこのお家の方ですか?」ウルフは丁寧
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第1093話

よくも妻を怯えさせたな……くそっ。目的は果たせたけれど、紀香は再び口を閉ざした。清孝の策略なんて、たかが知れてるわねと、心の中で冷たく笑う。自分に利用されたことすら気づいてないなんて。……いや、清孝が気づかないはずがない。それでも、彼女がほんの一言でも自分に声をかけてくれたなら、その理由がなんであれ、彼はきっと――嬉しかったのだ。……この場所には、もういたくなかった。ホテルに戻り、冷たい水で顔を洗って、少し気持ちを落ち着けた彼女は、そのままチェックアウトして石川に帰ることを決めた。その知らせを聞いた清孝は、ホテルの玄関で彼女を待ち伏せていた。「もう少しだけ休んで行けよ。それに……結果、見なくていいのか?」彼女は見るつもりなどなかった。今の彼女が欲しいのは、ただ——祖父の家に帰って、思いきり眠ること。夢の中で祖父と会って、あの胸にすがり、ぬくもりをもらうこと。清孝も、いま無理強いする気はなかった。すぐに、プライベートジェットの準備を指示した。だが紀香はそれを拒否し、実咲とともエコノミーのチッケトを二枚手配して空港へ向かった。「錦川先生、あの……あなたと錦川清孝さんって、結局どういう関係なんですか?私、本当に分からなくて……」見えないくらいが、ちょうどいい。彼女は、一生「藤屋」の名を背負う気はなかった。「私たちのことは何もない。だから、妄想しないで」空気を読めるタイプの実咲は、紀香の表情を見て、それ以上聞くのをやめた。ちょうどタブレットを取り出そうとしたとき——頭上に影が差した。聞き覚えのある、低く心地よい声。「清孝さん!?え、なんでエコノミーに?」同僚でもある錦川清孝に、彼女は戸惑いながら問いかけた。清孝は、静かに答えた。「経験中だ」「……」一言だけで会話終了。あまりにもそっけなくて、実咲はそれ以上聞けなかった。その直後、前方の小さなテーブルが「コンコン」とノックされた。「?」顔を上げると、清孝が立っていた。「そこ、どいてくれ。ありがとう」「……」「ありがとう」の言葉があったのに、なぜか命令にしか聞こえない。それでも、実咲は彼らにチャンスを与える気満々で、すぐに席を空けてあげた。紀香は何も言わなかった。清孝がそうい
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第1094話

実咲は一瞬、何が悪かったのか分からず戸惑った。でも、本当に紀香と一緒に働きたかったから、好奇心を抑えて、それ以上は言わなかった。紀香は、黙り込んだ実咲の少し落ち込んだ表情を見て、言い方、少しきつかったかもと思った。実咲はただ、何も知らずにカップル萌えしていただけ。「私と彼は……」でも、紀香は自分のことを語るのが好きじゃなかった。特に、この失敗した恋愛については。「あなたに言ったんじゃないの、ごめんなさい。さっきは言い方が悪かったわ」「いえいえ!」実咲は慌てて手を振った。「錦川先生、悪くないです。私の方こそ、距離感間違えました……」実咲は仕事もできて、人柄もいい。本当は辞めさせたくなかった。「ご飯、おごらせて」「えっ、いいんですか!?」紀香は基本、仕事に割引もなければ遠慮もしないと聞いていた。親でも関係なく、撮影なら全額請求。ケチという噂も聞いていたくらいだ。なのに、食事に誘ってくれた。これは——嫌われてない、むしろ好かれてるかも?二人はトイレから出てきた。すると紀香の目にすぐ入ってきたのは、待っていた清孝の姿だった。空港は少し暑くて、彼はジャケットを脱いでいた。白いシャツに黒のスラックスという、ごく普通の格好。でも、今日彼は「アシスタント」として来ていて、いつもキッチリ固めていた髪もおろしていた。前髪が目元にかかり、その姿は、ふとした光の加減で眩しく見えた。——まるで、初恋の記憶が蘇るように。あの頃、彼女は中学二年生。清孝はすでに働いていて、休みに彼女を迎えに来たときも、白シャツに黒パンツ。手には、彼女の好きなスイーツを持っていた。そして今、彼はまた彼女に向かって歩いてくる。違うのは、その頃の穏やかな笑顔が、今は焦りと心配に変わっていること。でも、どちらも変わらず——彼は、彼女の手を取っていた。あのときはお菓子を渡す手。今は、彼女の手首を掴んで引き寄せる。「そんなに遅くなるなんて、具合悪いのか?」その声に、紀香はハッと我に返る。何を考えていたのだろう。時間は巻き戻せない。そして彼への想いも、時の流れと共に消えていったはずだ。これはただ、報われなかった片思いが、ふとした瞬間に思い出を引き寄せただけ。「藤屋清孝
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第1095話

針谷が静かに現れ、エンジンをかけて空港を離れた。さらに「気を利かせた」つもりなのか、後部座席との仕切り板を上げた。車内は広いはずなのに、なぜか外の世界よりも窮屈に感じられた。少しでも体を動かせば、すぐ隣の彼に触れてしまいそうな距離感。これ以上、まとわりつかれるのはたまらない。紀香は衝動のままに、手を振り上げて彼の頬を打った。その一撃は予兆もなく、清孝の顔が横に傾くほどの強さだった。だが——彼が顔を戻した時、その表情には怒りも驚きもなかった。ただ静かに、淡々と口を開いた。「気が済むまで、叩いていい」彼女は別に、平手打ちで関係を修復したいわけではなかった。そんなもので埋まるような溝では、もはやなかった。「清孝……なぜ、そこまでして私を縛るの?冷たく突き放したのはあなたのほう。今さら好きだとか、一緒にいたいなんて、また一方的に押し付けてくる。私のことを、最初から人間として見てた?」清孝の手が震えながら、そっと彼女の手を取った。その指はかすかに、しかし確かに震えていた。「香りん……君のことは、ずっと真剣に考えてきた。だからこそ、あのときは……君にもっと広い世界を見てほしかった。でも……俺が間違ってた。思い上がってた。本当にごめん。お願いだ、もう一度だけチャンスをくれ。償わせてほしい」紀香は首を横に振った。「清孝……もし本当に償いたいなら、やり方はいくらでもあったわ。でも、あなたは離婚という一番簡単で私の自由になる方法だけは、絶対に選ばなかった。あなたの償いは、結局、自分のためでしかないの」口喧嘩で負けたことのない清孝が——論理で彼女に押し切られる日が来るとは思ってもいなかった。かつては、いつも自分の理屈に引き込んでいたのに。だが、彼女はもう、あの頃の少女ではなかった。現実を知り、痛みも知った。そして今や、自分の意志で人と対峙できるまでになっていた。それが——清孝にとっては、誇らしかった。「……離婚すれば君が笑えるなら、いい」彼はそう言って、彼女の手をそっと離し、前方の仕切り板を軽く叩いた。「——役所へ」彼女は喜ぶべきなのだろうか。だが、突然の同意に、思わず心が止まった。……けれど、それも一瞬。すぐに小さく息を吐き、心の中に安堵が広が
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第1096話

人の噂話のネタになるのも馬鹿らしい。そう思った紀香は、静かに椅子に腰を下ろした。職員が身分証明書を預かり、離婚届の書類を差し出してくる。清孝も同じように記入を始めたのを見て、彼女はようやく少しだけ安心した。だが、どこかまだ警戒心が抜けなかった。手に離婚届受取証明書が渡されたときも、何度も何度も確認した。「清孝……あなたの権力があれば、偽造の離婚届受取証明書なんて簡単でしょ?」清孝は無言で、自分の証明書を彼女に投げ渡した。「好きに調べればいい」紀香は賢い。——ここは石川。清孝が法律そのもののような街。彼が本気で隠したら、彼女に何が調べられる?一応二通とも大事にしまい、大阪に戻ってから来依に調べてもらうことに決めた。清孝は、彼女があれこれ考えているのを表情で読み取っていた。だが、あえて何も言わず、先に庁舎を後にした。車に乗り込み、しばらくしてから海人に電話をかけた。ちょうどそのころ、海人は来依を寝かしつけたばかりだった。スマホが激しく震え、急いで切った。妻に毛布をかけ、静かに寝室を抜け出すと、廊下に出る前に再び着信。同じ番号。——嫌な予感しかしない。「……お前、病気か?」「知ってるくせに」まるで当然のように返された言葉に、海人は深くため息をついた。このところ、来依の妊娠に集中するため、ほとんどの仕事をキャンセルしていた。親友グループチャットにも、「俺に連絡してくるな、来依が産むまで放っておいて」そう書いたのは、ほんの数日前。しかもそのとき、清孝は「OK」のスタンプを送ってきたばかり。そのくせ今になって、この態度。つまり——ああ、紀香のせいたな。「だめなら別れろよ。もう一度口説き直せばいいだろ。あんなに酷いことしたんだから……」「別れた」あまりにもあっさりとした一言に、海人は目を見開いた。彼は思っていた。清孝にとってのあの執着は、もう病気みたいなものだ。紀香がどんな態度を取ろうと、たとえ清孝が紀香を追い詰めて、狂気すれすれの状態になろうと、それでも――最後の最後、「離婚」だけは絶対にしないはずだと。「今、なんて言った?」「別れたって言ってんだろ」「……」その冷静さが、逆に不気味だった。彼がここまで静かなときは、たいてい
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第1097話

海人は眉間を押さえた。恐らく今の清孝の頭の中は、紀香のことでいっぱいで、他のことを考える余裕なんてないだろうと見当をつけていた。それで、単刀直入に言った。「あの二人、実の姉妹かもしれない。DNA鑑定をするつもりだ」受話器の向こうから、突然音が途絶えた。微かに呼吸音が聞こえていなければ、海人は電話が切れたのかと思ったところだった。相手がまだ聞いていると分かると、彼は話を続けた。「本人たちも疑ってる。知ってるだろ?河崎清志は来依の実の父親じゃない。来依はあいつが買った子だ。だから、そういう可能性もあるってことだ」今度は清孝の番だった、沈黙するのは。海人は言った。「忠告しておく。自爆するなよ」「……」清孝は頭が痛そうに言った。「この件、なぜもっと早く教えてくれなかった?」海人は無実を装って言った。「まさかお前が偽造証明なんかするとは思わなかったからな」清孝は言葉を失った。海人は腕時計に目をやった。「じゃあな、これから嫁と寝る時間だ」清孝は歯噛みするように言った。「お前、本当に俺の友達か?」「友達じゃなきゃ、こんな爆弾級のネタ教えるかよ」海人には同情も後悔も微塵もなかった。「火のそばにいれば、いつかは火傷するってことさ」「……」清孝は、通話を切られたままのスマホを見つめ、しばらく動けずにいた。車はすでに彼の住居に到着していた。針谷はルームミラー越しに彼の様子を窺った。だが、主人が車を降りる気配はなかった。針谷も動けず、運転席で背筋を伸ばして静かに座っていた。まったく、なんて厄介な仕事なんだ……紀香は仕事場に戻ってきた。本当は、離婚バンザイ!とSNSにでも投稿したかった。だが、離婚証明がまだ真偽不明だったため、グループ内でだけシェアした。来依は寝ていて、最初に見たのは南だった。彼女は鷹に何があったのかを尋ねた。鷹も、ついさっき知ったばかりだった。「海人が、奥さんと子どものために徳を積みたいってさ。それで俺が悪者役をやることになった」その一言で南はすべてを悟った。つまり、嘘の離婚ってわけだ。それから彼女は、いきなり鷹の膝の上に座った。鷹は眉を上げた。「色仕掛けか?」南は彼の首に腕を回しながら尋ねた。「協力する?」この時の鷹の頭の中は、さまざまな
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第1098話

入口のところには、ちょうど陽が差し込んでいた。その光が、男の去っていく背中を一層寂しげに映し出していた。あれほど背筋の伸びた堂々たる男が、今はまるで背骨を抜かれたかのようだった。一歩一歩が重たく感じられた。針谷はその背中を見て、思わず目頭が熱くなった。たしかに、旦那様には非がある。でも、彼は償おうとしている。それなのに、一度のチャンスすら与えられないのか?……いや、よく考えれば。奥様があの頃、どれだけ辛かったか。あの群れに蹂躙されていた時、自分は一瞬、命令を無視してでも駆けつけようとした。だが――その一件だけで、奥様が旦那様を愛せなくなる理由としては、十分だった。……紀香は、入口に差す影に気づいていた。正直に言えば。彼女は嬉々として結婚したのだ。だが彼は……きっと、仕方なくだったのだろう。実咲は紀香の表情がどこか寂しげなのを見て、地雷を踏んだと察し、それ以上は何も聞かずに話題を変えた。「錦川先生、次の仕事は?」「今のところ、特にないわ……」紀香は少し考えてから言った。「ちょっと大阪に行ってくる。何日か留守をお願いね」実咲は「OK」と指でサインを作った。紀香はすぐにチケットを取り、バッグを背負って空港へ向かった。まさか、あんな言葉を聞いた後でも、清孝が追いかけてくるとは思わなかった。ああいう人間は、何よりも面子を大事にするはずなのに。どうして彼女にこれだけ顔を潰されても、まだ平気な顔で近づいてくるのか。本当に、彼女のことを底なしに愛してるってことか?思わず笑ってしまいそうになった。じゃあ、あの何年もの間、彼はどこで何をしていたの?紀香は彼を避けるようにそのまま通り過ぎた。タクシーを拾うとき、思わず振り返ったが、追ってくる気配はなくて、少しだけ安心した。だが――飛行機に乗って席についた瞬間、ふわりと馴染みのある梨の花の香りがした。振り向けば、そこにいたのは、清孝だった。紀香は無視を決め込み、アイマスクを装着した。見えなければ、心も乱されない。彼女は悟ったのだ。何を言っても無駄だと。もし、相手がちゃんと人の話を理解できる男だったら、そもそも今さらこんなふうに付きまとったりはしないだろう。清孝は何も言わなかった。道中ずっと、静か
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第1099話

紀香と来依が実の姉妹かどうか、それは清孝にとっても重要な問題だった。海人は冷たく言った。「うちの嫁、妊娠してる」やるとしても、出産が終わって体調が戻ってからだ。清孝は疑問を呈した。「妊婦健診って血液検査しないのか?」「たとえしなくても、髪の毛一本で嫁や子どもに何の害がある」海人は無表情のまま答えた。「俺が恐れてるのは、うちの嫁が結果を知って、動揺することだ」清孝は少し納得がいかない様子だった。「お前、それってもう確信してるのか?二人が姉妹だって」海人は一郎に来依の実の両親を調べさせていた。一郎からの報告に、いくつか紀香と一致する情報が含まれていた。九割方、姉妹だと推測していた。だが、やはり親子鑑定をして確定するのが一番だ。海人の話を聞いて、清孝は納得できずに言った。「鑑定なんてすぐ済むことなのに、なんで一郎の調査を待つ?嫁には、まだ黙っておけばいいだろ」海人はふいに笑みを浮かべた。「お前、やけに急いでるな」「当たり前だろ」清孝はハッと気づいた。「お前、わざと焦らしてるな。俺が紀香を止められないのに、その責任を俺に押し付けるのはおかしいだろ」「何だ、お前本気で離婚するつもりか?」清孝はようやく気づいた。彼と紀香は正式に離婚していない。海人の目から見れば、彼はまだ紀香の夫だ。だから、責任を問うのは当然。逆に否定すれば、自分が夫じゃないと認めることになる。海人のこの策士っぷりに、彼は歯ぎしりして言った。「お前、腹黒すぎかよ」海人は顎を少し上げて、どこか誇らしげだった。清孝「……」二人の男は玄関前でしばらく話し込んでいた。中では、二人がまるで火がついたように盛り上がっているなど、想像もしていなかった。来依はすでに着替えを終え、紀香と一緒に外出しようとしていた。玄関で靴を履こうとした来依に気づき、海人は慌てて彼女の腰に腕を回し、立たせたままにした。「こういうことは俺を呼べ、自分でやるな」来依は、海人の過剰な心配ぶりに少し困っていた。妊娠したからって、そんなに大げさなことじゃない。お腹が目立ってきたとはいえ、まだ前かがみになれないほどでもない。何より、もう安定期に入っているのに、腰をちょっと曲げたくらいで赤ん坊が失くすわけがない。海人はそんな彼女の心の
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第1100話

本当に実の姉だったとしたら――自分の立場もどうにかしなければ。海人は頬の筋肉をわずかに引き締めた。「嘘の離婚」という言葉が喉まで出かけたが、ぐっと飲み込んだ。この爆弾は、清孝自身の手で爆発させてこそ面白い。そう思って、海人は黙って別の車に乗り込んだ。清孝も続いて乗り込んだ。「また何か、ろくでもないこと企んでるな?」海人は笑うだけで何も答えなかった。「……」途中で、海人のスマホに二郎から電話が入った。「若様、河崎清志が死にました」海人の眉ひとつ動かなかった。計画通りだった。「わかった」二郎は海人の癖を知っており、電話を切られる前に急いで言った。「若様、一楽晴美が会いたいそうです」海人の声は冷たく、残酷だった。「もう耐えられなくなったのか」受話器越しにその声を聞いた二郎は、ぞっと背筋が凍った。晴美はすでに日本籍ではなくなっていた。多少の手は持っており、ミャンマーでは保護されていて、逮捕しても裁けない。だが、海人には、そういった法の網をすり抜ける方法などいくらでもある。この数ヶ月、彼女は生き地獄だった。自殺を何度も図ったが、そのたびに未遂に終わっていた。どれだけで彼女が音を上げて海人を呼ぶか、部下たちは皆、裏で賭けていた。しかし誰も、これほどまでに耐え抜くとは思わなかった。この忍耐力――だからこそ、あのとき海人を欺くことができたのかもしれない。「伝えておけ。俺が言ってたってな。もっと丁寧に世話してやれ、礼なんかいらない」二郎は、その「世話」の意味をもちろん理解していた。「はい、若様」海人は電話を切った。清孝は言った。「お前、徳を積むって言ってなかったか?」徳を積んでるからこそ、遠回しに時間をかけて処理したのだ。海人は意味深に微笑んだだけだった。「……やめろ、その笑い方、怖いんだよ」だが、海人はわざと笑いを深めた。清孝は、さっき自分が味方しなかったせいだと察していた。「まさかお前が来依みたいないい女を嫁にするとはな……俺はてっきり、お前は政略結婚か、孤独死で終わると思ってたよ」海人は容赦なく言った。「今さら俺の嫁に取り入ろうとしても、遅い」「……」「それに、そんな話俺にしてどうすんだよ?うちの嫁には聞こえてないぞ?」「……」
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