深夜。白露は弁当箱を提げ、扉をとんとんと叩いた。「一日中、何も食べてない。そんなの、体がもたないよ。お母さんの好きなもの、入れてきた。開けて。ねえ、お母さん」......返事がない。部屋の中は、しんと静まり返っている。白露は不安になり、ドアノブを回した。鍵は――かかっていなかった。胸の奥で、怒りがはじける。宮沢家の使用人たち。風向き次第で態度を変える、あの計算高い目つき。光景が秦と離婚するって噂は、もう屋敷中に広まっている。権勢が落ちた母を、露骨にぞんざいに扱い始めたのだ。「食事をお持ちしましたが、お開けにならないので――」嘘。鍵なんて最初からかかってない。どうせ、食事を持ってきて放っていったんだ。白露はそろりと中へ。闇が濃い。冷気が肌を刺す。思わず身をすくめた。その時――寝室の方から、うめき声が聞こえた。胸がざわつく。白露は走った。扉を開けた瞬間、手の弁当箱が床に落ちる。声が喉で詰まった。秦が、火であぶられた芋虫みたいにもがいていた。髪は乱れ、顔は闇の中で真っ白。骨だけになったみたいに、ぞっとする白さ。「つらい......つらいの......つらくて、死にそう!」秦は歯を鳴らし、全身を震わせる。白露の背筋が凍り、背中が扉に貼りつく。「お母さん......ど、どうしたの?」実の母なのに。今は、幽霊に遭ったみたいに怖い。「白露......お母さん、もうだめ......死んじゃう......」秦はベッドから転げ落ち、犬みたいに這って白露の足元へ。スカートの裾を必死に掴む。「もう誰も助けてくれない......あなたしか、いないの......助けて」「ど、どうやって?」白露の声が震える。「黒滝医師のところへ行って。薬を持ってきて。自分で、注射するから」薬の名が出た瞬間、濁った瞳にぎらりと光が戻る。充血した目が大きく見開かれた。「その薬さえあれば......全部、良くなる。なかったら......生き地獄よ。生きてるほうが、つらい」「お母さん!それ、ほとんど中毒者だよ!もう打っちゃだめ!章って医者、お母さんを壊してるだけ!」白露は泣きそうに叫ぶ。どれだけ鈍くても、母の言う『薬』が何かくらい、わかっている。この姿を誰かに見られたら――
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