All Chapters of 冷酷社長の逆襲:財閥の前妻は高嶺の花: Chapter 1031 - Chapter 1040

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第1031話

「俺はお前の実の弟だぞ!同じ母親から生まれたんだ!なんでそんなに容赦なく殴るんだよ?骨が折れるって!」檎は情けない顔で口を尖らせた。この甘ったれた姿を見られるのは、樹だけだった。「これは罰だ。口が軽すぎるからな。痛い思いをして覚えるんだ」「いやぁ......冗談だったじゃん。ほんと冗談通じないなぁ」そう言いながら檎はチラッと自分の股間を見下ろして、不満そうに鼻を鳴らした。――男ってほんとガキだ。何でも勝ち負けにこだわる。「それよりさ、桜子って毎日病室で、食べもせず飲みもせず、携帯も見ずに隼人のそばにいるけど、飽きないのか?」と檎が言った。「飽きるわけないだろ。愛する人を見守ることが、どうして退屈なんだ?」檎は眉をひそめた。「理解不能だな......」「檎、昔から俺たちはお前が一番頭がいいと思ってた。でもな、感情に関してはまだ子供だ。心から誰かを愛したことがないから分からないんだよ」樹の胸がかすかに震えた。遠い記憶の中へと思考が沈みこむ。「愛する人を想っているだけでいいんだ。たとえそれが写真一枚でも、寂しいなんて感じない」その時、足音が響いた。樹が顔を上げると、白衣のポケットに両手を突っ込んだ陽汰が、ゆったりとこちらへ歩いてきた。彼は口元に微笑みを浮かべ、澄んだ狐のような瞳を細めた。その姿は、まるで真っ直ぐな光の束が樹の心の闇を照らすようだった。「......樹」――「......樹」頭の中で、あの日の声と重なる。樹の体がビクリと震えた。まるで遥か遠くから撃ち込まれた弾丸が、心臓を貫いたかのように。......病室には、静かな空気が満ちていた。桜子はいつものように、隼人の耳元で小さく語りかけていた。話している内容は、彼と共に過ごしたあの危険で美しい日々のこと。陽汰が以前教えてくれた。重い昏睡状態や植物状態の患者でも、脳を刺激し続ければ、わずかでも目を覚ます可能性があると。たとえば、話しかけたり、印象深い出来事を語ったりすることだと。ほんの少しでも希望があるなら、桜子は決して諦めない。「隼人、お願い......目を覚まして。目を開けてくれたら、秘密をひとつ教えてあげる............いや、いい。あなたが目を覚ましてくれたら、全部教えるから。起きて......お
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第1032話

桜子は勢いよく目をこすった。信じられないものを見るように、隼人の手を凝視する。――疲れすぎて幻を見たんじゃないか?「......隼人?隼人、ねぇ、聞こえる?」声は震え、涙で喉が詰まる。「隼人......私の声、聞こえるの?少しでもいい、指を動かして......お願い、隼人!」「......桜子......」かすれた、けれど確かに響く声。ふたりだけの部屋の中で、それは雷のように鮮やかに響いた。桜子の全身が跳ねる。「隼人!今の、今の声、あなたなの?聞こえる?隼人!」「......桜子......」血の気を失った唇がかすかに動く。まるで夢の中で名前を呼ぶように。――たとえ夢の中でも、彼が想うのは彼女だけ。「いるよ!ここにいる!」桜子は泣き声混じりに答え、溢れる涙を止められなかった。次の瞬間、隼人の五本の指がゆっくりと開き、震える手で彼女の指をしっかりと絡め取った。かつて強く勇ましく、彼女を守り抜いた男が、今はその小さな動作さえ、命を削るように苦しい。「......さっき......俺の手のひらに......何て書いた?」桜子の頬が一気に熱くなる。耳まで真っ赤に染まり、まるで顔に火がついたようだった。「書くなよ......言葉で......聞かせてほしい......」隼人はゆっくりと目を開き、そこには切ないほどの期待が宿っていた。桜子の心臓が激しく跳ねる。白い首筋まで真紅に染まり、まるで咲きたての薔薇のよう。彼女は静かに身を屈め、胸を彼の胸に寄せ、そっと囁いた。「......愛してる」その一言一言が、隼人の胸の奥深くに焼きつく。その瞳に浮かんだ涙の光は、彼の心臓を直接打ち抜いた。――彼は、ようやく、彼女の本当の言葉を聞けたのだ。誰かに愛されるには、誠意が必要だ。だが彼には、それだけでは足りなかった。命を懸けて、ようやく得た愛。桜子は小さく咳払いをして、顔を赤らめたまま、彼の熱い視線から逃げるように立ち上がった。ベルを押して、医者や樹たちを呼ぼうとした、その瞬間――「きゃっ......!」彼女は驚きの声を上げ、次の瞬間には隼人の胸に倒れ込んでいた。隼人は彼女の「愛してる」に力をもらい、傷のない右腕で彼女の細い腰を抱き寄せた。
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第1033話

隼人は負傷してから、救急、重度昏睡、そして覚醒まで――かかった時間は半月にも満たなかった。普通の人なら救急室で命を落としていてもおかしくない。助かったとしても、二か月、いやそれ以上昏睡しても不思議じゃない。陽汰の事後の分析はこうだ。生まれつき体が強いだけじゃない。長い軍歴で鍛えられた体が、外からのダメージに常人以上に耐えられたのだろう、と。夜が明け、桜子は隼人に付き添って、全身の検査を受けさせた。その間ずっと、隼人は実におとなしかった。まるで母親に手を引かれて病院へ来た子どものように。彼女が言う通りに体を動かし、一言の不満も漏らさない。「こんな桜子見たことある?全身から聖母オーラが溢れてる。思わず手を合わせて拝みそうになったわ」檎が舌を鳴らし、嫉妬混じりの目で、しゃがみ込んで車椅子の隼人に毛布を掛ける桜子を見やった。「まったく、『嫁に行った娘は水に流す』っていうけどさ。男ができたら、俺ら兄貴は屋根裏のビスクドール扱い。もう二度と振り向いちゃくれねぇ~」「しゃーねぇだろ。うちの兄弟は『美形・強い・不幸』の三拍子だ。そりゃ女は放っておけないわ」横で優希が、ここぞとばかりに檎をからかう。眉を上げ、薄笑いを浮かべて。「いっそお前、自傷でもしてみる?腕一本、脚一本いっとけば、隼人より悲惨だ。そしたら桜子の目も戻るかも?」「バカ言え!俺は桜子の実の兄貴だぞ!小さい頃は同じ布団で寝てた!おもちゃは俺の手作り!靴ひもは毎回俺!残り物は俺が片付け、やらかしたら俺が代わりにかぶった!」言えば言うほど、檎は腹が立ってくる。「隼人の何がそんなにすごい!俺ら兄弟が父親、母親で、命懸けで大事に育てた宝だぞ!それをさらっていったうえに、俺にまで愛情争いを仕掛ける?何様だよ!」「何様かって?桜子が彼を愛してる。それが全てでしょ」優希はのびをして、大あくび。「お前、もう現実を受け入れたほうがいい。あれだけの修羅場を超えたんだ。もう誰にも壊せないよ」「檎、もう若くもないんだ。いつまでも短気を起こすな」樹と陽汰が並んで歩いてくる。柔らかな朝陽が二人の輪郭に金色の縁を描く。「優希の言う通りだ。そのうち『義弟』って呼ぶ日が来る。桜子が一生独身でも選ばない限り、お前に二人目の『義弟』はない」二人は男
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第1034話

もし栩までいたら――間違いなくこの病院の屋根、吹き飛んでたな。「今や宮沢社長は溺愛真っ最中だ。俺なんか逆らえるわけねぇだろ」檎が皮肉っぽく言い放つ。「もうやめとけ、檎」樹が苦笑混じりにたしなめた。桜子はため息をつく。「檎兄、あなたの未来の奥さん、なんとなく想像できるわ。他の男をちらっと見ただけで、一日中機嫌悪くなるタイプでしょ?」「一日?甘いな。三日間ベッドから起きられなくしてやる」全員:「............」隼人は彼ら兄妹の賑やかなやり取りを見て、思わず笑みを浮かべた。この明るい空気がたまらなく心地いい。昔なら――きっと自分も嫉妬していた。だが今は違う。これは高城家の愛し方なのだ。桜子を想うあまり、みんな少し過保護なだけ。だから、自分は『慣れる』こと、『理解する』こと、そして『溶け込む』ことが大切だ。――恋に落ちた人は、自分を失うという。彼は今、その道をまっしぐらに進んでいる気がした。「おや、今日は随分と賑やかだね」振り向くと、悠真と奈子――まるで新婚のように腕を組み、穏やかに微笑みながら歩いてくる。「みんな無事でよかった。本当に......こうして揃って顔を合わせられるのは幸せなことだね」奈子は桜子の隣で、血色の戻った隼人の顔を見て安堵の笑みを浮かべた。「宮沢社長、体調はいかが?」「だいぶ良くなりました。明日には退院して、桜子と一緒に戻ります」隼人は穏やかに答える。その態度は礼儀正しく、誠実だった。「はぁ?明日?正気なの?」桜子が彼の肩に手を置き、むっとしたように軽くつねる。「お医者さんが言ってたでしょ!回復は早いけど、まだ退院できる状態じゃないって!最低でもあと一週間は入院!」隼人は彼女の手を取り、優しく包み込むように撫でた。「でも片岡の奴が今、盛京に潜伏してる。俺が戻って引きずり出さないと、時間が経てば経つほど危険になる。それに高原の取り調べもある。あいつに秦のことを吐かせなきゃ。......重要なことが山ほどある。俺の身体なんて、後回しでいい」二人は特別な行動をしているわけでもないのに、見ている人には、まるで魂が一つに溶け合っているように見えた。「でも無理はダメ。体が資本でしょ?そんなに焦って......
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第1035話

「桜子、そんなに心配するな。T国から盛京までは五時間ちょっとだ。専用機には救急設備も揃ってる。大丈夫だ」「それにな、ここに名医の俺・陽汰がいる。何を怖がるんだよ、桜子」陽汰は得意げに顎を上げた。優希がすかさず刺す。「名医だろうが何だろうが、桜子より『有名』なの?」「どういう意味?」陽汰が眉をひそめる。「桜子が『神の手』。『神の手』が桜子。まさか今まで知らなかったわけ?」陽汰は呆然と、雲のように淡々とした桜子の顔を見つめる。そして周りをぐるり。――全員、平然。驚きゼロ。つまり、みんな知ってた。知らなかったのは自分だけ。ってことは、このところ俺は――『釈迦に説法』どころか、『神の手』の前でドヤ顔してたってことか?陽汰はぎこちなく背を向け、手で壁を支えて、うなだれる。優希が頭をかく。「おい、この兄さんどうした?」檎が腕を組んだ。「さぁな。うちの桜子の『正体』がでかすぎて、メンタル砕けたんだろ」翌日。桜子と隼人たちは高城家のプライベートジェットで、盛京へ向けて出発した。奈子夫妻は一緒に帰れない。すぐに森国へ戻らなければならないのだ。森国の政務は山のように積み上がり、秘書長からの電話も鳴り止まない。大統領夫妻の私的な滞在は、すでに時間を食いすぎていた。今の地位では、時間こそ最も贅沢な資源だ。二人は最小限の荷物で帰還する。桜子はどうにも心配で、檎に彼らの送迎を頼んだ。道中の護衛とフォローのためだ。機内。早起きが苦手な陽汰は、爆睡中。他の面々は、険しい顔で身を寄せ合っていた。「隼人。樹兄は、片岡が誰の差し金か見当がついてるって言ってた。黒幕は誰?」桜子はずっと胸に溜めていた疑問を、ようやく口にした。樹も優希も、息をひそめて答えを待つ。隼人は剣のような眉を寄せ、桜子を見つめる。「桜子......俺が言って、信じてくれるか?受け入れがたい答えかもしれない」「隆一、でしょ」桜子の瞳は深く、澄んでいた。樹・優希:「!」隼人の瞳孔が震える。「桜子、どうして?」「あなたが昏睡の間、お姉ちゃんと義兄さんが、長く私に話してくれた。彼らも疑っていたわ。隆一と片岡が裏で繋がっているって。森国にいた頃から、T国との往来がやけ
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第1036話

隼人の胸の奥が、ずしんと沈んだ。何度も隆一とやり合ってきた彼にとって、あの男の本性は、桜子よりもずっとよく知っていた。桜子は隆一に対して、少年時代の淡い思い出という『フィルター』を持っている。だが、隼人にはそんなものはない。隆一――あの男は、どこまでも執念深く、仕返しに命をかけるタイプだ。一言で言えば、『根っからの悪党』。自分の靴を踏まれたら、相手の一族を根絶やしにしかねない。......いや、冗談じゃなく、あの男なら本当にやる。「もし愛が、陰謀や策略でしか手に入らないのなら――それはもう『愛』じゃない。純粋さを失った、汚れた欲望だ」樹の目が強く光る。妹を見つめるその視線には、父のような愛情と深い心配が宿っていた。「桜子。お前がそんな男と関わると思うだけで、俺は眠れなくなる。隆一は人間の限度を持たない。目的のためなら、どんな手段でも使う。――もしその矛先が、いつかお前に向けられたらと思うと......」樹の声がわずかに震える。「お前は、俺の命そのものだ。お前の幸せを賭けるような真似は、俺にはできない」その言葉に、桜子の瞳が潤んだ。「......お兄ちゃん......」樹は優しくその頭を撫で、ふと隼人へと視線を向けた。「隼人。お前は南島の時点で、隆一が黒幕だと気づいていたね。なぜ、あの時俺に言わなかった?もし早く話してくれたら、何か手を打てたかもしれない」隼人は苦笑しながら、静かに息を吐いた。「確かに、隆一を憎んでいた。でも、それはあくまで『推測』にすぎなかった。どれだけ筋が通っていても、証拠がないうちは断言できない。根拠のない疑いを口にするのは、俺のやり方じゃない」その誠実な言葉に、樹の胸に熱いものがこみ上げた。――この男には敬意を払うしかない。隆一がどれほど華やかに見えようと、中身はすでに腐っている。だが隼人は、不器用で足りないところがあっても、魂だけは澄み切っていた。「それに......隆一は、桜子にとって大切な『友人』でもあった」隼人はそこで言葉を止めた。桜子の胸がぎゅっと縮む。喉に、鋭い棘が刺さったような痛み。「じゃあ......言わなかったのは......私が怒ると思ったから?」「......ああ」隼人は少し照れたように笑
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第1037話

短い逡巡のあと、桜子は決めた。――言わない。今の隼人の心は、後悔と罪悪感でいっぱいだ。彼が悔い、命を賭けてまで償おうとしている。それだけで十分だ、と彼女は思った。彼には、いつまでも夜空の星のように輝いていてほしい。もうこれ以上、罪の重さを背負わせたくない。それが、彼女なりの――密やかな、愛し方。「桜子?本当に大丈夫か?」隼人は彼女の顔色がさっと青ざめるのを見て、胸が締め付けられる。温かい手で肩を支えた。「大丈夫だよ」桜子は顔を上げ、ぱっと花が開くように笑った。「なんでもない。小指はね、子どもの頃に木登りして挫いただけ。生活には支障ないから」そう言われても、男は胸が痛んだ。隼人は彼女の小指をそっと包む。「兄さんたちがたくさんいるのに......どうして守ってもらえなかったんだ」「守ってくれてたよ。でも私が『暴れん坊』だったの。言うこと聞かなかっただけ、ふふ~ん」桜子は唇を尖らせる。その仕草があまりに可愛くて、隼人の胸に甘い痒みが走った。思わず、柔らかな唇に軽く口づける。「これからは兄さんたちの出番はいらない。君には俺がいる。俺が守る。俺が面倒を見る」桜子の頬が一瞬で紅くなる。その反応に、隼人の呼吸がわずかに乱れた。喉仏が上下し、艶を帯びた瞳が、もっと――と欲しがる。「――あっ、そうだ!」桜子は慌てて上着のポケットを探り、小さな箱を取り出す。彼の手に、すっと押し込んだ。「はい。樹兄から、あなたへの贈り物」「樹......から、俺に?」隼人は目を見張る。桜子は頬を染め、こくりとうなずく。「うん。あなたが眠っている時にもらったの。でも、やっぱり目を覚ましてから、私の手で渡したかった」きちんと包むのが、彼女の流儀だ。選ばれたのは、黒いベルベットの小さなジュエリーケース。隼人の胸が詰まった。――贈り物なんて、どれほど久しぶりだろう。かつては、記念日も季節の行事も、桜子以外に覚えている人などいなかった。それなのに自分は、その幸せを当たり前だと思っていた。彼女のまっすぐな愛を、面倒だと切り捨てようとした。逃げようとした。「開けて。早く」桜子は肩に寄りかかり、急かす。隼人は唇を結び、蓋を上げた。次の瞬間、瞳が鋭く揺れる。――十字架のネック
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第1038話

今、桜子が唯一気がかりなのは――万霆のことだった。万霆は娘を溺愛する父親だ。けれど家族と愛する者以外には、まるで鉄のように冷たい人間でもある。隼人なんて、とっくの昔に万霆の『ブラックリスト』入り。その名前をそこから消すのは、容易なことじゃない。......でも、いい。時間をかければいい。二人の心がひとつでさえあれば、誰にも、この愛を壊すことなんてできない。桜子は隼人にネックレスをかけてあげた。細く白い指先が、無意識のうちに彼の胸に触れる。――硬い。形がはっきりわかるほどの筋肉。触れただけで、心が熱くなる。「......どうやってお兄さんにお礼を言えばいい?」隼人はまつげを伏せて小さく問う。腰に回した手の力を、少しだけ強めた。胸が締めつけられる。彼の手のひらが覚えている。かつて抱きしめたときの、桜子の柔らかさ。それが今は、少し痩せてしまっている。彼が眠っていた間、彼女はどんなに苦しんでいたのだろう。「お礼なんて――んっ......」桜子の言葉が、そこで途切れた。細い腰を強く引き寄せられ、彼の熱い胸に閉じ込められる。次の瞬間、唇が塞がれた。深く、激しく、切ないほどに。彼の舌が、彼女の唇の奥をゆっくり、そして容赦なく探っていく。長い、長い口づけのあと。唇が離れたとき、隼人はまだ名残惜しそうに彼女の唇を見つめた。その目は、焦げるように熱い。「......桜子。君、甘いな」低く掠れた声が、機内の空気を震わせる。桜子は息が乱れ、頬も耳も真っ赤だった。彼の肩にすがりつきながら、か細い声で囁いた。「や、やめて......飛行機には他の人もいるんだから」「みんな寝てる。心配いらない」隼人は再び彼女の腰を抱きしめ、熱を帯びた吐息を、耳のすぐそばで落とした。「......優しくするよ」――『優しく』って、なにを?桜子の心の警報が一斉に鳴り響く。次の瞬間、また唇が塞がれ、彼の体温に、押し倒されるように溶かされていった。......一方そのころ。陽汰は気持ちよさそうに寝息を立てていた。よだれまで垂れそうな勢いで、ぐっすり。が、突然ビクッと目を開けた。悪夢でも見たのか、体がガクンと揺れる。すかさず隣にいた樹が手を伸ばし、彼の肩を支える。「ん......俺、どのくら
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第1039話

「俺を今日初めて知ったの?俺ってのはさ、女の人と同じで理屈なんか通じないって、もう知ってるでしょ?」陽汰は色っぽい目でフッと鼻を鳴らす。「区別はいらない。俺の目には、お前と女性の違いは『生理的』なとこだけだ」樹は珍しく軽口を返した。「もしお前が女の子だったら、けっこう可愛いと思う」「今の俺は可愛くないってこと?」陽汰の目がまん丸になった。「可哀想に。誰にも愛されてない」「ファック!」陽汰は思わず英語で毒づく。「俺を追いかけてくる連中で太平洋が埋まるんだが?どこが『愛されてない』だよ!」「隼人の件。助かった」陽汰の動きが止まる。まばたきを一度。「お前の尽力があったから、隼人は戻ってこれた」樹は深く息を吸い込んだ。「隼人を救ったのは、桜子を救ったのと同じだ。この借りは、隼人だけじゃない。俺も、お前に負っている」「その話になると、俺はムカつくんだよ!」陽汰は眉間に皺を寄せて噛みついた。「お前らの大事な桜子、正体は『神の手』なんだろ!その桜子のダンナを、俺にメス入れさせる?しかも本人の目の前で?俺の憧れの人の前で『素人芸』披露しろって?恥の極みだわ!それだけじゃない。全員で俺をだまし通したよな?俺で遊んで楽しかった?俺の顔面、靴の中敷きか?」この数日を思い出して、余計に胃がキリキリする。――同じ屋根の下に『憧れの人』がいたのに、俺はずっと張り合ってた。うわ、吐きそう。壁に頭打ちつけたい。陽汰がエキサイトしていくのを、樹は静かに眺める。その騒がしさが、どこか桜子に似ていて可笑しい。やがて、樹の目じりに微かな笑み。「からかうつもりは一度もなかった。俺がお前を呼んだのは、お前の腕が桜子に劣るとは思っていないからだ。ただ、得意分野が違うだけ」――ほ、褒められた?氷みたいにクールで禁欲的なこの男が、俺に二言三言以上しゃべるのもレアなのに。今、さらっと褒めた?陽汰は頬を赤くし、唇を噛む。「とにかく、今回はお前のおかげだ。借りは必ず返す」「どうやって返す?身体で?」陽汰は眉を上げ、獲物を狙う目で射抜いた。「陽汰」樹はわずかに咎める調子で名前を呼んだ。その瞬間――陽汰はすっと長い脚を一歩。樹の太腿に、ためらいなく跨った。樹の心臓が跳ねる。「お前――
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第1040話

五時間あまりのフライトの後、プライベートジェットは静かに盛京の滑走路へと降り立った。空港に着くとすぐ、樹が手配していた医療チームが駆け寄ってきた。隼人を病院に搬送する準備は万全だった。だが――「必要ない。俺はもう入院しない」隼人はきっぱりと拒絶した。「なっ......そんなのダメでしょ!」桜子は目をうるませ、声を震わせた。「約束したじゃない!ちゃんと治療するって!嘘つき!」隼人は深く息をつき、降参したように苦笑する。そして一歩近づき、彼女をぎゅっと抱きしめた。「悪かった、桜子。怒っていい、叩いてもいい......だから、お願いだ。無視だけはしないでくれ」「無視する!嘘つき!」桜子は彼の胸の中で身をよじり、ぷいっと顔をそらした。樹たちはその様子を見て、思わず吹き出す。まるで小学生の喧嘩。しかも五年生くらい。隼人は、彼女の怒りが本気になりかけているのを感じて、表情を引き締めた。「桜子。今、一番大事なのは――高原の取り調べだ」その名を聞いた瞬間、桜子の目が暗くなった。「今、高原が拘束されたことを秦はまだ知らない。つまり、彼女が動く前に、こっちが先手を打てる。やるべきはただ一つ――奴の口から『秦が静を殺そうとした』と証言させることだ」「でも......本当に話すと思う?」桜子は不安げに眉を寄せる。「殺人は死刑だよ。もう逃げ場なんてない。いまさら喋ったって減刑にはならないし......むしろ意地になって、秦をかばうかもしれない。『俺が全部やった』なんて言って、最後にあの女を守る気かも」重たい沈黙が落ちた。桜子の言葉は、誰も否定できないほど現実的だった。高原のような外道に、良心なんてあるはずがない。自分が地獄に落ちるなら、他人を巻き添えにするタイプだ。「じゃあ......どうする?まさか、本当に手詰まりなのか?」優希が苛立ったように声を上げた。隼人は少しの間、黙考し――ふっと口角を上げた。「いや。だったら、『高原が俺たちの手の中にいる』ってことを、あえて秦に知らせればいい」桜子はすぐに察した。瞳を輝かせ、嬉しそうに隼人の腰に抱きついた。柔らかな胸が彼の胸板に押し当てられ、彼女は笑いながら言った。「わぁっ、悪い男!そんなズルいこと思いつくなんて!
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