All Chapters of あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した : Chapter 1051 - Chapter 1060

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第1051話

「それでも駄目だ。祖母たちはもう年だし、あなたの体は弱っている。もしあなたが倒れたら、きっと面倒を見きれない」「確かに今私は体が弱ってるけど、ちょっとマルシェに行くくらい大丈夫だわ」それに今朝は昨日よりずっと調子が良い気がしていた。弥生は出かけても問題ないと思っていたが、どうしても瑛介は彼女を行かせようとしなかった。心配しているのだ。その一方で、弥生もまた、瑛介の傷を気にかけていた。安静にしていないと治りが遅れると思っている。毎日動いて傷口が開いてしまっては、いつまでも治らない。瑛介は弥生が栄養不足で食も細いことを心配していた。人混みの中で倒れたら、祖母や祖父では対応しきれないだろう。何より、彼女に何かあったらと思うと怖かった。お互いを思いやる気持ちが行きすぎて、二人とも一歩も譲らない。だが、自分を犠牲にすることには妙に慣れている。しばらくしても平行線のまま、言い合いは続いた。その時、外から瑛介の母の声がした。「準備できたの?」その声を聞いた弥生は、思わず答えた。「はい、私はもう準備できました。瑛介は行きません」「え?」弥生の言葉に瑛介の母は一瞬きょとんとした。理由を聞こうとした瞬間、目の前の扉が開き、息子の冷たい顔が現れた。瑛介の声は氷のように冷たく、手で扉を押さえ、まるで誰かを外に出さないようにしている。「母さん、弥生も行かない」この二人、どういうこと?お互いに「相手が行かない」って言ってるんだけど。「お母さん、私は行きます!」弥生の声が瑛介の背後から響いた。瑛介の母が彼女に話しかけようとすると、弥生は後ろから出てこようとするが、瑛介がそのたびに手で塞いでしまった。彼女が左に動けば、彼の腕も左へ。右に動けば、彼の腕も右へ。「瑛介、どきなさい!」瑛介は無表情のまま言った。「あなたが僕を行かせないなら、誰も行かない」「あなたを行かせないのは、あなたのためよ!」「うん、僕もあなたのためだ」「どうしてそんなにわからず屋なの!」弥生の声には怒気がにじんでいた。瑛介は薄い唇を引き結び、静かに言った。「そうだな、わからず屋でいい」これまでなら、弥生が怒れば、瑛介はすぐ謝って折れた。だが今回は違った。彼は引かず、徹底的に意
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第1052話

それは事実だった。その言葉を聞いた瑛介の母は、特に反論しなかった。弥生の様子はまるで風に吹かれれば倒れてしまいそうで、顔色も悪い。彼が彼女を行かせたくないと思うのも、無理はない。だがもう一つ気になる点があった。「じゃあ、あんたはどうなの?」瑛介の母は息子をじっと見据え、少し鋭い口調になった。「弥生はどうして、あんたを行かせたくないの?」瑛介は唇を結んだまま、何も言わない。「答えなさいよ」母の声はやや鋭さを帯び、彼の姿を頭の先から足元まで丹念に見つめた。まるで、どこか怪我をしているのではないかと疑うように。もし本当にそうだったらと思うと、母はため息をついた。だが、彼女の視線を浴びても、瑛介は頑として口を開かない。根負けした母は弥生の方に顔を向け、柔らかな笑みを浮かべた。「弥生、彼が言いたくないなら、あなたが教えてくれる?」その声には優しく誘うような響きがあった。弥生は少し困ったように微笑み、「わかりました」と小さく答えた。彼女が折れるのを聞いた瞬間、瑛介の眉がぴくりと動いた。もし彼女が母の前で全部話したら......彼が迷っているうちに、弥生が先に口を開いた。「お母さん、実は、彼が私を行かせてくれないから、私も彼を行かせたくないんです」その言葉に、瑛介は少し驚いたように目を瞬かせ、すぐに眉を緩めた。そして伏し目がちに、優しく彼女を見やった。さすがだな、反応が早い。完璧な答えだった。案の定、母は呆然とした顔になった。まさかそんな理由とは思っていなかったのだろう。てっきり、息子がひどい怪我でもしているのではと考えていたのに、まさか互いに心配し合っていただけとは。芝居もここまでくれば見事なものだ。弥生は少し拗ねたように言った。「お母さん、もし私が行けないなら、彼だって行かせません」「それは......」瑛介の母が言葉に詰まると、瑛介がすかさず口を挟んだ。「僕は家に残って、彼女と子どもたちの面倒を見る」母は少し考え込んだ。もともとは家族全員で子どもを連れて出かけるつもりだったが、確かに弥生の体調では無理をさせられない。もし途中で具合が悪くなったら大変だ。彼女を一人家に残すのも不安だし、瑛介がついていれば安心。残りの家族で出
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第1053話

弥生は瑛介に文句を言ってやろうと思っていた。だが、彼が先に「子どもたちを連れてくる」と言い出したのを聞くと、怒る気もすっかり失せてしまった。瑛介が出て行ったあと、弥生は部屋に戻って身支度を整えた。十分ほど経つと、瑛介が子どもを連れて帰ってきた。二人は弥生の姿を見るなり、ぱっと駆け寄って彼女に飛びついた。頬ずりしたり、抱きついたり、キスしたりと、まるで長い間会えなかったかのような勢いだった。「ママ!」その甘え方は少し驚くほどだった。弥生も昨日からずっと子どもたちが恋しかった。一晩中、顔が浮かんで離れなかったのだ。今こうして抱きしめていると、胸の奥が温かく満たされていくのを感じた。ひなのと陽平としばらくじゃれ合ってから、弥生はふと思い出し、瑛介に尋ねた。「おばあちゃんたちは?」瑛介は彼女の前にしゃがみ込み、二人の子の頭を優しく撫でながら言った。「もう出かけたよ」その言葉に弥生は小さく頷いた。「この子たち、さっきまで一緒に行きたいって言ってたの。マルシェに行くのが気になるらしくて」少し間を置いて、瑛介がそう言った。弥生はその言葉に手を止め、子どもたちを見た。「本当に行きたかったの?」ひなのと陽平は同時にこくんと頷いたが、すぐにまた首を振った。そして弥生の腕にしがみついて言った。「ママが行かないなら、ひなのも行かない」「そうだよ、ママと一緒にいる」その温かい言葉に、弥生の心は再び愛で満たされた。自然と唇がほころび、柔らかな笑みが浮かんだ。「じゃあ、約束よ。今日はママと一緒に過ごすのね」その光景を見ていた瑛介は、たとえ外出できなくても悪くないと思った。だが家にじっとしていても退屈だと思い、気分転換に少し散歩しようと提案した。弥生はいったん頷きかけたが、すぐに考え直した。瑛介の傷はまだ完全に癒えていない。今は何より安静が大切な時期だ。これまで彼が自分の体を顧みず動いていたのを思い出すと、今度ばかりは放っておけなかった。「やっぱりやめておきましょう。あなたは休まなきゃ」瑛介は片眉を上げて言った。「昨日一晩でずいぶん良くなったよ。君が包帯を替えてくれたおかげで、治りも早い」その言い方は、あえて子どもたちにわからないように婉曲な表現にしてあっ
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第1054話

ひなのは弥生の言葉を聞くと、少し不満そうに唇を尖らせた。一方の陽平は特に反応を見せない。弥生がふと彼と目を合わせると、その視線がどこか瑛介に似ていることに気づいた。内心に秘めた感情がほとんど表に出ない。まるで今も、ひなのが素直に質問してくる横で、彼だけは落ち着いたままこちらを見つめ返してくる。その様子に、弥生はなんとなく思った。まるで、この子は自分と瑛介の会話の意味をちゃんと理解しているようだ、と。だが、そうだとしてもおかしくはない。自分の子どもたちは二人とも賢い。ひなのはただ、まだ感情をそのまま口にする年齢なだけなのだ。弥生が外出を拒んだため、瑛介はしばらく考えた末、何も言わなかった。朝、彼女が自分を止めたときも、結局は彼の意見を受け入れてくれたのだから、今回は自分が引く番だと思ったのだ。では、家でゆっくり静養しよう。家にはテレビがあり、最近祖父母が子どもたちに買ってくれたおもちゃもいくつかあった。だが、弥生は子どもたちに長くテレビを見せたくなかった。結局、三人でリビングの床に座り、レゴを組み立てることにした。瑛介は「ソファで大人しくしていなさい」と言い渡され、従うほかなかった。彼はソファに腰を下ろし、穏やかに笑みを浮かべながら、三人の姿を静かに見守っていた。そのとき、テーブルの上にあるスマホが震えた。瑛介は画面を確認し、表示された名前を見るなり、思わず弥生の方を見た。ただ一瞬、視線を向けただけのつもりだった。だが、弥生もまるで呼応するように顔を上げ、彼と視線を交わした。静かなリビングに、短い着信音が響いていた。彼女もその音を聞いたのだろう。数秒の後、瑛介は立ち上がり、「電話に出てくる」と言って部屋を出ようとした。弥生は小さく頷いた。ここで電話をされても、子どもたちが聞いてしまう。そう考えて、彼を見送った。ふと目を伏せると、心にいくつもの名前が浮かんだ。弘次はいまどうしているのだろう。友作は、澪音は?彼女が帰国してから、あちらの人たちとはすっかり連絡が途絶えていた。弘次がしたことは確かに間違いだった。それでも、彼に何かあってほしくないという気持ちが、心のどこかに残っていた。弥生は小さくため息を漏らした。「ママ、泣かないで」
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第1055話

瑛介が電話を終えて戻ってきたのは、およそ五分後のことだった。弥生は特に気にした様子もなく、静かにそこに座っていた。彼がソファに腰を下ろしても、彼女は視線を向けることなく、ただ子どもたちの方を見ている。瑛介も何も言わず、そのまま沈黙が落ちた。微妙な空気が流れていた。静けさの中に、どこかぎこちなさがあった。やがて、ひなのがレゴを組み立てる手を止め、ごろりと横になった。そのまま弥生の膝にもたれて、すぐにすやすやと眠ってしまった。床には毛布を敷いてはあるものの、冷えが心配だった。弥生が抱き上げようとした瞬間、背の高い影がすっと近づいてきた。「僕がやる」そう言うや否や、瑛介は弥生より先に身をかがめ、ひなのを軽々と抱き上げた。「ちょっと、あなたまだ怪我が」と言いかけた弥生の言葉より早く、彼はもう子どもを腕に収めていた。その動作はあまりにも自然で、まるで何か小さなものをそっと持ち上げるようだった。娘を物のように例えるのはよくないが、それでも彼の軽やかな仕草に、弥生は内心で思わず感嘆した。これで怪我している状態なら、元気なときはどれだけ力があるのかしら......彼の背中を見つめながら、弥生は小さく息を吐いた。続いて彼女も立ち上がり、陽平に言った。「ママ、これからひなのを寝かせてくるわ。少しの間ひとりで待っててね」陽平はおとなしく頷いた。弥生は瑛介のあとについて寝室に入り、彼がひなのをベッドにそっと横たえるのを見届けた。その上から丁寧に毛布をかけ、端を整えてやっている。弥生はその姿を見て、そっと声をかけた。「上着を脱がせたほうがいいわ。そのままだと寝づらいと思う」瑛介は一瞬きょとんとして、少し戸惑ったように手を止めた。「上着?」「ええ」弥生は頷きながら、眠るひなのをそっと抱き寄せた。この子は一度眠ると簡単には起きない。上着を脱がせる間も、小さく「ん......」と声を漏らしただけで、またすぐに夢の中へ戻っていった。上着を脱がせてから毛布をかけ直すと、ひなのは安心したように身じろぎし、小さく伸びをした。その愛らしい姿に、弥生は自然と微笑んだ。毛布の端をきちんと整え、顔だけが出るようにしてから、何気なく尋ねた。「あなた......これまで子どもの世話をした
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第1056話

二人は廊下に立ったまま、しばらく無言だった。廊下はしんと静まり返り、弥生は待っていたが、瑛介がなかなか口を開かないので、とうとう顔を上げた。「......何を話したいの?」顔を上げた瞬間、瑛介と視線がぶつかった。漆黒の瞳がじっと彼女を見つめ、その奥の深さが底知れず、息が詰まるような気がした。弥生は思わず視線を逸らし、かすかな声で言った。「もうずいぶん経ったけど、まだ話すことがまとまってないなら、私、陽平のところに戻るわ。あなたも少し心の準備を......」「......彼に会いたいか?」その言葉が突然、彼女の言葉を遮った。弥生は一瞬、息を呑んだ。耳を疑う。瑛介がそんなことを聞くなんて。「彼って......」「......ああ」瑛介は名を出さなかったが、認めるように静かに頷いた。その瞬間、弥生は彼の言う「彼」が誰かを悟った。胸の鼓動が早くなった。まさか瑛介が、こうして切り出してくるとは思わなかった。頭の中にいくつもの憶測が浮かんだが、口には出さなかった。これから瑛介が話してくれるのだろうと感じたからだ。「もし会いたいなら、今夜戻ろう。俺が手配する」その声は淡々として、温度を感じさせなかった。弥生は唇を噛み、視線を落とした。「......やめておくわ」その返事に、瑛介は驚いたように目を見開いた。沈んでいた瞳に、もう一度光が宿った。「今、なんて言った?」信じられない気持ちだった。この数日、彼女がずっと元気なく過ごし、自分の電話を気にしている様子を見て、相手の安否を心配しているのだと思っていた。だから、彼の予想では、弥生は「会いたい」と言うはずだった。そして、いつ会えるのかと尋ねるはずだと。彼はその答えを聞いてもいいように、何度も心の中で準備してきた。たとえ彼女が「会いたい」と言ったとしても、それが何かを意味するわけではないと自分に言い聞かせていた。弘次に対して完全に心を切り離せないとしても、それは弘次がかつて彼女に誠意を尽くしたからだ。誰だって、自分に尽くした相手を簡単には傷つけられないだろう。だから彼は理解できたし、嫉妬するつもりもなかった。しかし、彼女の答えは「会わない」だった。それは瑛介にとって予想外であり、同時に心の奥でうれし
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第1057話

それは、弘次にとっては残酷なことかもしれない。だが、ここまで事が進んでしまった以上、もうどうしようもなかった。結局、自分はわがままで、弱い人間なのだろう。誰もを幸せにできるような力はない。手の届く範囲のことしか守れない。ここ最近は、あまりにも疲れすぎていた。何度もすべてを終わらせてしまいたいと思った。この世界から消えてしまえば、もう失う痛みを感じずに済むのにと考えたこともあった。でも、今は違う。弥生はようやく気づいた。自分は生きたいのだ。そして、今そばにある温かなものを守りたい。それ以外のことは、きっと自然に定まっていく。自分が無理にどうこうするべきことではない。「心配しないで。私はあなたと一緒に生きていくって決めたから、もう彼には会わないわ」弥生は静かに歩み寄り、瑛介の手をそっと握った。「でもね、少し気持ちが沈むのは仕方ないの。すぐには立ち直れないかもしれない。だから、ほんの少しだけ時間をちょうだい。気にしないで」その柔らかく細い指が自分の手を包むのを見つめ、瑛介の胸の奥がぐっと熱くなった。唇をかすかに噛み、抑え込んでいた感情がとうとうあふれ出した。次の瞬間、彼は弥生を力強く抱き寄せていた。「気にするわけない......そんなこと、あるもんか」彼女が自分のもとに戻ってきてくれただけで、神に感謝したいほどだった。それに今、彼女がこうして素直に胸の内を打ち明けてくれた――その事実だけで、瑛介の心は十分に満たされていた。たとえこのあと彼女が弘次に会いに行ったとしても、もう何も言うつもりはない。そう思った瞬間、彼は弥生の肩に額を寄せ、満足げに目を閉じた。「......いいよ。会ってきなよ」弥生は一瞬、耳を疑った。「えっ?」「会いたいんだろ?行っておいで。僕は怒らないよ。もともと僕が段取りしたことだし」弥生は瞬きをした。「......黙ってるってことは、承諾したってことでいいのか?」そう言われ、彼女はわずかに身を離して見上げた。「ほんとに怒らないの?もし、帰ってきたあとで、あなたが......」以前、弘次の名前を口にしただけで、彼は明らかに不機嫌になった。実際に会いに行ったら、きっと嫉妬で爆発するんじゃないかという不安がよぎる。瑛介
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第1058話

「えっ、もう帰るの?ここにはもう泊まらないの?」陽平が目を丸くして尋ねた。「うん、また今度来ようね。この家が好き?」「うん、大好き」陽平は力強く頷いた。「曾おばあちゃんも、曾おじいちゃんも、ひなのと陽平にとても優しいから」その素直な言葉に、弥生は思わず微笑んだ。「じゃあ、また次に来たときも一緒に遊んでもらおうね」「うん!」そして陽平はふと思い出したように尋ねた。「次に来るときも、ママ一緒に来てくれる?」「もちろん。ママも一緒よ。ただね、冬休みや夏休みに長く泊まることになったら、そのときはママがずっと一緒にいられないかもしれないの」そう言いながら、弥生はスマホを取り出し、陽平が作り上げたレゴをパシャリと撮影した。そのままSNSに投稿しようとしたが、アカウントがないことに気づいた。救出されてから瑛介が新しいスマホを用意してくれたが、前の携帯もアカウントも弘次のもとにある。弥生は投稿を諦め、写真を保存してからスマホを閉じた。あとで瑛介に頼んで、あのスマホを取り戻してもらおう......ちょうどそのとき、瑛介が戻ってきた。「寝間着、もう買ってくれたみたいだ。今、戻ってくる途中だよ」「そう。じゃあ、次に来たときに使いましょう」「うん」夜に帰るという知らせを聞いて、和紀子が真っ先に駆けつけてきた。「本当にもう帰っちゃうの?もう少し、あと四、五日は泊まると思ってたのに」残念そうに言う和紀子に、弥生は申し訳なさそうに微笑んだ。「急な予定変更があって......また来ますから」和紀子は惜しそうな表情を浮かべながらも、無理に引き止めることはせず、「じゃあ今度は、私たちが迎えるわね。孫たちの顔も見たいし」と言ってくれた。「ひなのと陽平もきっと喜びます」和紀子はうなずき、自分の夫と一緒にせっせと荷物をまとめ始めた。ふたりで心を込めて作った漬物や干物、手づくりのお菓子を詰めて渡してくれた。「これ、私たちの手作りだから、味は大したことないかもしれないけど......保存もあまりきかないし。でもね、添加物は一切入ってないの」弥生はその言葉に、心から微笑んだ。「曾おばあちゃんと曾おじいちゃんが作ってくれたものなら、どんな高級なものよりうれしいです」その言葉に、和紀子の顔が
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第1059話

「お母さん、そんな言い方をなさらないでください。家族なんですから、離ればなれなんてありませんよ」弥生がそう言うと、瑛介の母はふっと笑い、弥生を抱きしめた。「そうね、あなたの言う通り。私たちはもう家族なんだから、いちいち気を使う必要なんてないわね。私は一人で乗るわよ。たった数時間のことだし。その代わり、今夜は二人を私の部屋で寝かせていいかしら?おばあちゃんとお泊まりってことで、ね」そこまで言われては、弥生も断る理由がなかった。結局、瑛介の母は一人で別の車に乗り込み、荷物の一部をそちらの車に積み込んで出発した。帰り道、弥生は窓の外を眺めながら、これからのこと、瑛介が言っていた弘次との「再会の段取り」を思い出していた。胸の奥にはいくつもの言葉が渦巻いていたが、後部座席で二人の子どもが並んで座っているのを見て、何も口にできなかった。彼らの前で話すような内容ではない。弥生は唇を噛み、言葉を飲み込んだ。車が山道に差しかかったとき、前方に数人の作業員の姿が見えた。道端に機材を並べ、何やら準備をしている。弥生が目を凝らすと、それはどうやら道路の補修工事らしかった。前に瑛介が「この道、修理しないと危ないな」と何気なく口にしていたことを思い出した。まさか、本当にすぐ動いたの?その手際の早さに驚きを隠せなかった。普通なら、計画して人を集め、許可を取るに時間がかかるはずだ。それなのに、もう工事が始まっている。「次に来る頃には、この道もずいぶん走りやすくなってるはずだ」運転席の隣で瑛介がぼそりとつぶやいた。弥生は窓の外の景色を眺めながら、ただ静かに頷いた。夜になって、一行はようやく家に戻った。車を降りると、懐かしい建物が目に入った。たった二日離れていただけなのに、ずいぶん長い旅をしてきたような気分だった。別の車で到着した瑛介の母は、降りるなり孫たちのもとへ駆け寄った。「さあ、今日はおばあちゃんと一緒に寝ましょうね。もう遅いから、先にお風呂に入って準備しましょう」そう言って二人の手を引こうとした瞬間、瑛介が彼女を呼び止めた。「母さん」「なに?反対するんじゃないでしょうね?」彼女は冗談めかして笑いながら言った。「さっき弥生とも約束したのよ。ひなのと陽平も、おばあちゃんと寝るって
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第1060話

だから今回、弥生がまた出かけると聞いたひなのは、すぐに不安になった。また長い間、ママに会えなくなるのではないかという思いが胸いっぱいに広がったのだ。血のつながりというのは不思議なもので、たとえ記憶を失っていても、弥生の心と身体は母親としての本能を覚えていた。娘の怯えた声を聞いた瞬間、彼女の胸の奥はふっとやわらかく溶けていった。弥生はそっとしゃがみこみ、彼女の頭を優しく撫でた。「ママはちょっとだけお出かけするの。すぐに帰ってくるからね」しかし、今回のひなのは簡単に信じる様子はなかった。「おばあちゃんも前にそう言ったのに、ママ、全然帰ってこなかったよ?今度はほんとに何日なの?一日?二日?」言いながら、ひなのは小さな指を一本ずつ折って数えはじめた。弥生は言葉を詰まらせた。......この子、すっかり学習してるわね。確かに、前回は「少しの間」と言ったきり長い別れになってしまった。でも今回は、自分でもどれくらいかかるのか正確には分からない。すべて瑛介の段取り次第だった。弥生は助けを求めるように彼の方を見た。瑛介は二人のやり取りを静かに見守っていたが、視線が合うとそっと歩み寄ってきた。そして彼も膝をつき、ひなのと同じ目線にしゃがんだ。大きな手が小さな頭の上に乗った。「早ければ三日、遅くても五日で帰ってくる。いいか?」「......五日?じゃあ、ママは遅くても五日後には帰ってくるの?」「そうだ」それでも、ひなのはまだ疑いの目を向けていた。「ほんと?ひなののこと、だまさない?」その真っすぐな視線に、瑛介は思わず笑い、指先で娘の鼻を軽くつついた。「だまさないよ。もしだましたら、パパが家でワンちゃんになって、ひなのの馬になってあげる」弥生は思わず目を見開いた。背後で聞いていた瑛介の母もぽかんとした顔で固まった。うちの息子が......ワンちゃんになるって?彼女は長い結婚生活の中で、そんな言葉を夫から聞いたことはなかった。まあ、無理もない。うちは息子しかいなかったのだ。娘がいれば、瑛介もこうなるのかもしれない。「ほんと?じゃあ約束ね!」ひなのは満足そうに笑い、瑛介にぎゅっと抱きついた。「約束だ。さ、もう遅い。おばあちゃんと一緒に休もう」瑛介が優しく頭を撫
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