瑠璃は視線の端で、黒い影が入り込んできたのを捉えた。男性の気配にすぐ反応し、とっさに身を引いた――が、次の瞬間、その男の顔がはっきりと見えた。隼人――。彼は無言でドアを閉め、そのまま鍵をかけると、ベッドに腰かけて授乳中の瑠璃に向かって、一歩一歩と近づいてきた。その整った冷たい顔立ち、深く鋭い瞳には、感情の欠片すらなかった。まるで氷のような眼差しで、彼はまっすぐ瑠璃を見つめていた。瑠璃は逃げずに、堂々とその視線を受け止めた。ただ、耳のあたりがじんわりと熱を帯びていた。「佐々木さん、何のご用?」そう呼びはしたものの、瑠璃は知っていた。彼の正体は、紛れもなく――隼人。彼は唇をうっすらと開いた。「お前が、俺の女を怒らせた。だから……俺もお前を不快にさせる」その一言に、瑠璃は腕に力を込めた。だが、この状況で無理に抵抗するわけにもいかなかった。彼女の胸元では、小さな命――プリンが、何も知らずに無垢な瞳を見開き、真剣な表情でミルクを飲んでいた。――本当なら、この子を一緒に育てていくはずだった。父親である彼と、並んでこの子の成長を見守るはずだった。だけど、神様はいつも、彼女に試練ばかり与える。瑠璃は寂しく笑って、胸元の赤ん坊を見つめた。その姿だけで、少しだけ心が癒された。けれど顔を上げると、隼人がじっとこちらを見つめていた。その視線に、彼女の頬は再び火照った。何度も見られた身体だというのに、こんなにもじっと見られると、どうしても居心地が悪くなる。立ち上がって位置を変えようとした瞬間、彼が急に手を伸ばしてきた。冷たい指先が、彼女の左胸のあたりにある小さな黒子をなぞった。一瞬、時間が止まったように感じた。――もしかして、この黒子に見覚えがあるの?だが、隼人の指はすぐに離れ、代わりに彼女の顎を掴んだ。そのまま冷たい顔が目の前に迫ってくる。感情の読めない瞳が、彼女の顔をまじまじと見つめていた。「景市の第一美女令嬢、ジュエリーデザイナー、調香師……」彼は瑠璃の肩書きを一つ一つ数え上げると、ふっと鼻で笑った。その笑みは、かつての優しさとはまるで違う。そこには皮肉と挑発、そして冷ややかで悪意のある色が含まれていた。「碓氷千璃、そんなに俺のこの顔が好きなのか?」彼が突然そう問いかけた。低く曖昧な声だった。
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