ディナーショーで出された飲み物は烏龍茶だった。喉を通ると、甘さと渋みが入り混じる。美羽は唇を湿らせて、ためらいながら言った。「翔太……」「俺のこと、『翔くん』って呼んでただろ?」翔太が低く問いかけた。その瞬間、美羽の手がわずかに震え、茶が数滴こぼれてテーブルの上に細い水跡を描いた。――やはり、昨夜の呼び方を彼は聞いていた。翔太は彼女を見つめた。「今まで、そんなふうに呼んだことはなかった。いつからだ?」美羽はティッシュで茶を拭き取った。だが、水の跡は机の上にくっきりと残ったままだ。翔太の友人たちは、彼を「翔太」と呼ぶ。「翔くん」と呼ばれるのは初めてだった。その響きは、「翔太」よりもずっと親密に聞こえる。「この数日からか?」彼は、最近ずっと彼女のそばにいたから、彼女の心が少し柔らかくなったのだろうと勝手に思った。けれど、違う。その呼び名は、ずっと前から美羽の心の中にあった。――好きになってから、何と呼ぼうかとずっと考えていたのだ。「夜月社長」は他人行儀すぎる。「夜月さん」は固すぎる。「翔太」では特別感がない。色々考えた結果、「翔くん」に辿り着いた。他の誰もそう呼ばないし。あの頃の彼女の心は、すべて彼で満たされていた。紙に彼の名前を書いてみたり、その名が入った俳句を探したりもした。山上樹実雄の「冬鳥の翔ちて影とぶ石舞台」とか、新井悠二の「鶺鴒の鳴き翔ち瀬音残りけり」とか。――「翔くん」という響きは、静かで、美しかった。だが、それを口にする前に、彼はネクタイを締めながら、何気なく言ったのだ。「君は秘書だ。これからは『夜月社長』と呼べ」数ある呼び名の中で、彼が選んだのは一番よそよそしいものだった。その一言で、彼女の中にあった小さな期待や喜び、少女の夢が一瞬で笑い話になった。美羽は目を伏せて、静かに言った。「はい、夜月社長」「夜月社長」「夜月社長」と繰り返すうちに、彼女の中で二人は本当にただの上司と部下になってしまったような錯覚に陥った。胸の奥が、じんわりと痛んだ。そして夜、一人ベッドに横たわりながら、過去のトーク履歴を何度も読み返した。業務連絡ばかりの中に、わずかに混じる個人的な言葉を見つけ、「私たちは本当はもっと近いんだよ」と、自分に言い聞かせた。そして、衝動的に
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