クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚! のすべてのチャプター: チャプター 411 - チャプター 420

426 チャプター

第411話

最後に、美月のすすり泣く声が、皆を現実に引き戻した。紗雪はうつむいたまま信じられないような声で尋ねた。「母さん、どうしたの?」「どっちも私の子よ、だから心が痛むの」美月は感慨深げに言った。「彼女のことは小さい頃から見てきた。それが、突然出て行くなんて......寂しいわ」母のそんな後悔と悲しみに満ちた姿を見て、紗雪も胸が苦しくなった。たしかに、自分は緒莉と喧嘩ばかり。でも、こんなことがあれば、どうせ父にも知られることになるだろう。そう思うと、紗雪はなんだか納得がいかなかった。小さい頃、うまく隠していたのに......まさか最後は転げ落ちることになるなんて。そう考えると、紗雪もようやく理由に辿り着いた気がした。美月は一度京弥を見てから、日向へと目を向け、少し気まずそうに言った。「迷惑かけてごめんなさい......もう帰っても大丈夫ですよ」日向が口を開いたが、彼が断る前に、京弥の返事がその場の空気を一変させた。「そんなこと言わないでください、お義母さん。むしろ、こうして傍にいられることが本望です」彼の巧みな話しぶりに、場にいた全員が思わず感心してしまった。紗雪でさえ、「この京弥、こんな一面もあったのか」と驚きを隠せなかった。「母さん。私たち、今日はここで一晩過ごすよ。それなら看病もしやすいし」だが美月は頑なに首を横に振った。「ここには介護スタッフもいるし、あなたたちが付き添う必要なんてないのよ。仕事に支障が出ないうちに早く帰りなさい」「でも......」紗雪が「でも」と言いかけたところで、美月にぴしゃりと遮られた。「いいから。私は大丈夫よ。それに、山口もいるじゃない」美月は、子どもたちに迷惑をかけることをどうしても避けたかった。それに、さっきの緒莉の一件も、彼女に少なからぬショックを与えていた。これからどうするか、美月も自分の道を見つめ直しているのだ。もう、なんでも勢いで決めてしまうようなことはできない。これからは、ちゃんと計画して進まなければならない。紗雪はそれでも帰ることを渋った。「じゃあ、もう少し一緒にいるよ。夜遅くなったら帰る。どうせ今は暇だし」そう言って、彼女は水を飲みに行きつつ、清那に「今夜の買い物は無理そうだから、また今度にしよう」と
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第412話

美月の態度は、彼女に対して大きく変わった。というより、まったくの別人のようになっていた。今回、紗雪は必ずこの機会を逃さないと決めた。二度と以前のようにはならないと誓ったのだ。以前よりも素直になった紗雪を見つめながら、美月は何かを言いたそうにしていたが、どう切り出せばいいのか分からないようだった。彼女も分かっていた。時には、人を変えるのに最も効果的なのは「時間」に委ねることだということを。しかし、緒莉の件は......美月が何かを言いかけたその時、ふと傍に立つ京弥と日向の存在に気づいた。彼女の目の色が沈み、そのまま何も言わずに口を閉じた。やはり、他人の前で娘の話をするわけにはいかない。緒莉は、自分が小さい頃から育ててきた娘だ。そのことを、他人の前でどうこう話すのは気が引けた。もしも、子どもたちの気持ちに悪い影響があったらどうする?紗雪は、美月の意図を察した。そして美月の視線の先を追って、京弥と日向を見た。京弥と日向は目を合わせた。どうやら紗雪の言いたいことは、十分に伝わったらしい。京弥の心中には複雑な気持ちが渦巻いていた。本来なら、家族なのは自分のほうなのに。どうしてこんなに他人行儀にされなければいけないのか。出て行くべきは日向のほうだ。彼こそ「よそ者」だろう。......とはいえ、京弥は空気を読む男だ。自分から口を開いた。「お義母さんも目を覚ましたことだし、紗雪に任せるよ。俺と神垣さんはお義母さんが食べやすいものを探してくる」「そうね。あっさりしたものがいいわ」京弥は頷き、理解を示した。二人はようやく病室を出て行った。珍しく、日向も京弥の意図を理解したようで、今回は余計な口を挟まなかった。病院の外に出ると、日向はため息混じりに言った。「まさかそこまで気が利くとはな」京弥は黙って微笑んだ。「さっきの雰囲気からして、お義母さんはお前のこと邪魔だと思ってたよ」日向は思わず目を剥いた。「おいおい、それを言うならお前だって邪魔だっただろ?」「俺はただ、客人のお前が気まずくならないように、一緒に出てきただけだよ」その言葉を聞いて、日向は何も言えなくなった。まあ、理屈としては確かに正しい。あいつは籍もある、立場もしっかりしてい
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第413話

この二人の娘が、こんなふうにぎくしゃくしていてはいけない。会社の将来に支障が出る。美月は、そう考えるだけで胸が苦しくなった。だからこそ、この二人がここまで拗れてしまうわけにはいかないのだ。「緒莉は多分、最近何かあったのよ。だからああいうきつい言い方をしてしまっただけで......」美月は慎重に言葉を選びながら話した。「だから、あまり怒らないであげて。あの子は昔からそういう性格だよ。あなたも長く一緒に過ごしてきたんだから、お姉さんの性格くらい分かってるでしょう?」「母さん!」紗雪は思わず口を挟んだ。彼女のその様子を見て、美月はまだ言い続けようとしたが。紗雪はもう、それ以上聞きたくなかった。「母さんの言いたいことは、分かってる」紗雪はため息をついた。「姉と長い付き合いがあるからこそ、余計に彼女の本質が分かってる」「もう、これ以上私に説得しようとしないで。意味ないから」今の彼女は、もういろんなことに構いたくなかった。自分の人生をちゃんと歩んでいくだけでいい。美月は少し唇を震わせながら、それでも食い下がった。「紗雪、あの子はあなたのお姉さんなのよ?一度でいいから、彼女にチャンスを与えてあげて?血は水よりも濃いって言うじゃない。ちゃんと考えてあげないと」「わかってる」紗雪は手に持っていたリンゴを美月に差し出した。美月も自然とそれを受け取った。この様子だと、受け取ってくれなかったら、きっと彼女はもう何も言わなかっただろう。「私たちは、お互いのことをよく知っている」「彼女が母さんは私にばかり肩入れしてるって感じてるなら、それに伴って私への不満もどんどん増していくのは、むしろ当然の流れよ」美月の心が、ドクンと大きく揺れた。ハッとしたように、紗雪の言葉がすっと心に入ってきた。つまり、問題は紗雪でも緒莉でもなく。自分にあったのかもしれない......紗雪は、そんな戸惑いの表情を浮かべる美月を見て、やはり胸が痛んだ。母はまだ目を覚ましたばかりなのに、もうこんなことで心を煩わせるなんて......彼女も心苦しかった。「もうあまり深く考えないで。こういうことって、なるようにしかないよ」「姉さんが自分で気づければ、私たちがわざわざ口を出す必要もなくなる」美月はその
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第414話

美月をしっかり補佐して、二川グループをますます強くすればいい。それが自分の役目、それだけで十分だった。彼女が目指すのは、今の状況だけにとどまることではない。美月も気づいていた。紗雪が以前とは比べものにならないほど成長し、あの頑なな態度は跡形もないと。「そう言ってくれるなら、お母さんも安心だよ」美月は思わず感慨に浸った。「今は、緒莉が考え直すのを待つだけね」「そうだね」紗雪は優しく微笑んで瞼を伏せた。そのまま美月の言葉には深入りせず、これ以上は言葉を続けなかった。話を長引かせても、いつ終わるか分からないし、それに、たとえ母娘二人で決着がついても、最終的には緒莉の態度次第なのだから。一方。緒莉が家に帰ってきたとき、もう美月のことには関わりたくなかった。彼女が病室にいる間は、母は一向に目を覚まさなかった。しかし、紗雪たちが来ると、あんなにすぐにふっ、と目を覚ますとは......「何なんだよ」と苛立ちは募るばかり。「同じ娘なのに、どうして妹だけ優遇されるわけ?」と。「たまたま目が覚めただけなんて......都合が良すぎる」そんな思いを抱えたまま、緒莉はそのまま車を走らせ、辰琉の家へ向かった。辰琉は少し驚いた様子で言った。「どうしたんだ?急に」緒莉はキーを握りしめながらにらんだ。「何?私もしかして、歓迎されてない?」「そんなことないよ。むしろ嬉しいくらいだよ」そう言うと、辰琉はすかさず彼女の腰に手を回した。緒莉は冷たく笑った。「ならいいけど」こうしてふたりは安東家へと足を進めた。安東家のご両親も、緒莉の訪問に少し驚いたようだったが、辰琉がさりげなく目配せすると、すぐに察した様子だった。「緒莉が来てくれたの?」「来るなら一言くらい言ってもいいのに。何も用意してないじゃないの」緒莉は誇らしげに微笑み、自分に注がれる歓迎に満足しているようだった。「大丈夫ですよ、おじさん、おばさん。みんな家族だから、そんなこと気にしないで」するとご両親は顔を見合わせ、すぐに家政婦が台所に向かいながら言った。「緒莉が来たんだから、今夜の料理はちょっと多めに作って」「酢豚がいいかな?緒莉が好きだから」緒莉の笑顔は一層明るくなった。「ありがとうございます、おじ
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第415話

「仕方ないことだろ。どう見てもお前の息子が遊びすぎたせいだ。何も考えずに行動してるって見ればわかる」安東父は彼女に白い目を向け、ふたりはそのまま言い争いを始めた。「もういい、無駄口はここまでだ。さっさとあの女をどうにかしてやれよ、自分の息子のためにもな!」安東父は苛立ったように言い放ち、安東母の顔を見てますます腹が立ってきた。まったく、自分がどうしてこんな息子を持ったのか、理解できない。そんな安東父の態度を見て、安東母も自然と緒莉に対する不満が募っていった。あの女が突然訪ねてこなければ、家の中がこんなことで揉めるなんてなかったのに。本当に無駄な騒ぎ。それに、彼女がちゃんと息子と一緒にいてくれさえすれば、その後のゴタゴタも起きなかったはず。安東母は思わず口の中でつぶやいた。「まったく、家の不幸を呼び込む女ね......」その言葉を聞いて、安東父はますますイライラした。「やめろよ、それはどう考えてもお前の息子の問題だろ。他人のせいにするな」「結局、文句ばっかり言ってても、最後はお前も息子の尻拭いをするしかないんじゃないか?」安東父は先に立って歩き出し、仕方なく安東母も渋々ついていく。二人は地下室へと向かった。その様子を見ていた家政婦は、思わず身体を震わせた。言葉にはできないような恐怖が込み上げてくる。さっきの二人の会話、彼女は一言一句漏らさず聞いてしまった。やはり、以前聞こえてきたあの音は偶然なんかじゃなかった。この家には、確実に誰にも言えない秘密がある。そうでなければ、あの二人があんなに深刻そうに話すはずがない。それに、長くこの家に仕えてきた家政婦だが、「坊ちゃんには変な癖がある」なんて話は一度も聞いたことがなかった。最初はただの冗談だと思っていた。けれど、夜中になると、どうにも不気味な音が地下室の方から聞こえてくる。最初は聞き間違いだろうと自分に言い聞かせていたが、数日続いたことで、さすがに違和感を覚えた。しかも、今日の会話を聞いてしまった今では、地下室には明らかに「見られてはいけない何か」があると確信してしまった。しかもそれは、坊ちゃんに関係している。でなければ、どうして二川さんが来たとたん、あの二人があんなに焦った様子を見せる必要がある?家政婦は拳
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第416話

あの男、辰琉より見た目が劣ってたじゃないか。そう思うと、緒莉の辰琉を見る目が少し柔らかくなった。彼女は辰琉の手を取り、自分の腰に添えた。「今日は付き合ってあげる」緒莉の仕草に、辰琉の視線も自然と動いた。これほど明白な誘い、気づかないはずがない。男の目は次第に深く濡れていく。まだ若くて血気盛んな彼にとって、こんな誘惑を耐えられるわけがなかった。ましてや、彼は緒莉に対して好意すら抱いているのだ。そう思うと、辰琉の手に自然と力が込められた。緒莉は浅く息を吐きながら、ふたりの身体はぴったりと密着した。辰琉はさらに強く緒莉にキスを落とし、唇は次第に下へと這っていく。緒莉は彼の愛情と独占欲をひしひしと感じ、内心満足していた。恋愛を長続きさせるには、男が自分に何の想いも持っていなければ、そんな関係は続けられない。その点で、緒莉は自信があった。だが、ふと頭をよぎったのは、あの日レストランで目撃した出来事だった。今回の訪問は、何よりもまずそのことをはっきりさせるためだ。「それで、あの日、どうしてあなたは紗雪と一緒にレストランにいたの?」緒莉は細めた目で辰琉の動きを止めた。「二人で約束してたの?」「だって、それ以外に説明のつく証拠が見つからないの」その言葉を聞いて、辰琉は一瞬躊躇した。何て答えればいいのかわからなかった。まさか、あの日、本当は紗雪に告白しようとしていた。なんて言えるはずがない。そんなこと言ったら、その後の数日間、外に出られるどころか、緒莉という存在すら彼の前から消えることになるだろう。そして、自分と緒莉の関係も、それきり終わることになる。それが辰琉には痛いほど分かっていたからこそ、真実を語ることなど到底できなかった。緒莉はじっと辰琉を見つめ、その目には「次はどんな言い訳をするつもり?」という意志が込められていた。あの日のことは、彼女の目でしっかりと見ている。何があったのか、緒莉はすべて分かっているのだ。今日ここに来たのも、ただ彼の口からその説明を聞くためだった。辰琉はその視線に焦りを感じ、内心ますます動揺していた。「緒莉、今日君が来たのは、俺と......」その後の言葉は口にしなかったが、意図は明らかだった。緒莉は小首を傾げて、「私
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第417話

「じゃあ聞くけど、何をもって時間がもったいって言うの?」緒莉が問い返す。「二人で一緒に座って話してるだけで、時間の無駄なの?」そう言われて、辰琉は何も言い返せなかった。「でも......せっかくだし......」辰琉はうつむいたまま、声がどんどん小さくなる。自分でも理由はわからなかったが、今日の緒莉はやけに厳しく感じた。まるで、自分にだけ冷たくしているようで。実際、辰琉のその感覚はまったくもって正しかった。今日、緒莉がここに来た本当の目的。それがまさに、彼に対するこの詰問だった。せっかくだなんて、笑わせる。緒莉の冷たい視線に晒され、辰琉はついに観念して白状した。「......わかったよ、あの日、俺が彼女と一緒だったのは、ただの食事だけだ。やましいことは何もしてない!」彼は早く信じてもらいたくて、右手を上げて誓うように言った。「緒莉、信じてよ。本当に、何にもなかったんだ」「俺が彼女にちょっと優しくしたのは、全部君の顔を立てたかったから。それがなけりゃ、紗雪なんか俺にとっちゃただのゴミだ!」緒莉に信じてもらうためなら、辰琉は紗雪の悪口を言うのにも一切の躊躇がなかった。しかも、彼の心には罪悪感なんてひとつもない。どうせ紗雪にはバレない。緒莉の前なら、どんな嘘でも言いたい放題だった。彼の口調と表情には、必死な真剣さすらあった。それを見て、緒莉は信じてしまった。「......本当に何もなかったのね?」緒莉が確認するように問うと、辰琉は勢いよく頷いた。「もちろんさ。君に嘘をつく必要なんてないよ。それに、俺が好きなのは、最初から緒莉だけだよ」その言葉に、緒莉の心はすっかり満たされた。ほらね?紗雪がどんなイケメンのヒモを捕まえようと関係ない。自分の男は、お金もあって、顔も良くて、それにちゃんと自分のことを愛してるんだから。この点においては、紗雪なんて足元にも及ばない。緒莉は心からそう思っていた。そう思うと、目の前の辰琉がさらに魅力的に見えてきた。彼女はそのまま手を伸ばし、彼の首に腕を絡め、自分の方へと引き寄せた。「......それを聞きたかったんだ。じゃあ、次に進みましょ」その言葉に、辰琉の目に欲望が宿る。緒莉の唇をじっと見つめるその目は、完全
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第418話

その時になって、たとえ美月が態度を変えたくても、もう遅すぎるだろう。皆の目がある中で、それは最も不可能なことだった。辰琉と緒莉は、本当に相性が良かった。この午後、緒莉が来てからというもの、二人はずっと部屋から出ていない。緒莉自身、少し馬鹿げていると感じていた。彼女は体に覆いかぶさっている辰琉を押しのけた。「もうこんな時間......おじさんとおばさんに、礼儀がなってないって思われちゃうよ」「そんなことないよ」辰琉の目が一瞬光る。たぶん、彼の両親はむしろ、二人の時間がもっと長く続いてほしいと思っている。そうすれば、緒莉を引き留められるから。けれど、緒莉としては、あまり良くないと感じていた。彼女は体を支えて起き上がろうとする。「今日はここまでよ。さすがにやりすぎたわ」彼女の腰は今にも砕けそうなほど痛く、まるで車に轢かれたかのようだった。それに、もともと肌が弱いせいで、辰琉に弄ばれたあとは、あちこちが青紫色に腫れていて、見るも無惨な有様だった。その姿を見て、辰琉の瞳は深くなり、胸が高鳴るのを抑えきれなかった。以前から緒莉が魅力的だとは思っていたが、今こうして見ると、より一層魅力的に見えた。彼女はこの間、いったいどこへ行っていたのだろう?まるで、別人のようだった。いずれにしても、辰琉は今の緒莉に十分満足していた。時計を一瞥すると、緒莉が来てから、すでに五時間ほどが経っていた。そろそろ、親たちも我慢の限界だろう。そう考えると、辰琉の表情には静けさが宿った。「辰琉?何ぼーっとしてるの?聞いてる?」「えっ?」辰琉はちょっと驚いて、気まずそうに答える。「ごめん、緒莉。さっき何て言ってた?」「別のこと考えてたから、聞き逃しちゃって......」緒莉は、特に気にした様子もなかった。仕方なく、もう一度繰り返す。「だから、そろそろ下に行こうって言ってたの。もうかなり時間経ってるし、おじさんたちに悪く思われるのも嫌だから。私もちょっと気が引けるし」緒莉がそこまで言うのを聞いて、辰琉も時間を確認して納得し、もう止めるのはやめて、彼女を行かせることにした。案の定、緒莉が下へ降りると、二人の親はちょうどリビングで座っていて、笑顔で彼女を見ていた。「まぁ、緒莉、待っ
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第419話

一家の様子は、表面上はとても和やかに見えた。辰琉も終始、緒莉の気持ちを気遣い、彼女の好きな料理を取り分けてやっていた。安東家の両親も時折冗談を交わし、家政婦の目には、とても良い雰囲気に映った。前にあったことは知らなかったことにしておこう。家政婦はそう思った。自分には大した関係もないし、任された仕事をきちんとこなせばそれでいい。余計なことに首を突っ込む必要はない。そう思ったら、仕事にもますます精が出た。自分さえ巻き込まれなければ、それでいいのだ。緒莉も、その雰囲気に引き込まれ、思わず笑みを漏らした。彼女は最初こそ心配していた。というのも、辰琉と上の階でかなり長い時間を過ごしていたから、二人の親にどう思われるか気がかりだったのだ。けれど今の様子を見る限り、二人ともとても寛容で、まったく責めるような態度はなかった。そう考えると、緒莉もほっとした。「おばさん、この酢豚、とっても美味しいです」安東母は笑いながら言った。「そんなに畏まなくても......もう少ししたら、私たち皆、家族になるのに」そう言いながら、安東母は意味深な眼差しで緒莉の首元にある痕を見つめた。もう大人同士なのだから、安東母の言葉が何を意味しているのか、皆なんとなく察していた。だから誰も驚くことはなかった。緒莉の頬がうっすらと赤くなり、気恥ずかしそうに目を伏せた。「おばさん、このことは、あとで母と相談してから......私一人じゃ決められないことですから」「わかってるわよ、急かすつもりはないの」緒莉も頷いて応じた。「はい、おばさん。この件については、私も急いでるわけじゃないですから」この一言で、安東父の表情がさっと曇った。緒莉が焦る必要はない。今の二川グループはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、日に日に業績も好調だ。彼女が焦る理由など、どこにもない。だが、安東家はまったく逆だった。日を追うごとに事業は下り坂で、多くのプロジェクトが停滞していた。もし二川グループとの縁談を早くまとめなければ、状況はますます悪くなる。今の二川家と安東家は、比べるまでもない。できることなら、安東父は今すぐにでも結婚してほしいと願っていた。余計な時間をかけるほど、不確実な未来が増えるだけだ。それに、辰琉
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第420話

安東母もまた急かすように言った。「緒莉はこの酢豚好きでしょ?お嫁に来たら、毎日だって食べられるのよ」安東母はとても穏やかな笑顔を見せながら、得意のやさしさ作戦で攻めてきた。緒莉は最初こそ少し感動していたが、その一言を聞いて周囲を見渡すと、この家の人たちは皆、期待に満ちた目で自分を見つめていた。まるで、彼女に一刻も早くこの家に嫁いでほしいと願っているかのようだった。その様子を見て、緒莉の心に一抹の不安が生まれた。さっきの辰琉の問いにも、彼女はまだ何の返事もしていないのだ。緒莉は真剣な表情で口を開いた。「皆さんが思っていることは分かっています。でも、前にも言った通り、この件は私一人で決められることじゃありません。母がいますから」「もし今日ここで私が軽々しく口約束して、でも母が反対したら、そのときはどうなるんですか?」その言葉に場の空気は一気に静まり返った。先ほどまでの熱気も勢いもすっかり冷めてしまった。そうだ、彼女の言う通りだ。これは彼女一人で決められる問題ではない。ということは、今まで必死に機嫌を取ってきたのも、結局は無駄だったということか。安東母はますます焦りを感じ、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。安東父の非難めいた視線を感じ、胸の中はどんどん不安に満たされていく。辰琉も、そんな緒莉の揺るぎない態度を見て、心の中が複雑になった。どうして彼女は、こんな時だけやけに強く出てくるんだ。あれだけのことをして、一緒に午後を過ごして。今さら「まだ待つ」とか、そんな話になるなんて。辰琉は手に持った箸をぎゅっと握りしめ、緒莉を見つめる目が少し変わってきた。「緒莉、俺たちの間で、そんな形式ばったこと必要か?」だが緒莉は、彼の言葉に動じることなく、まっすぐに彼を見つめて答えた。「でもこれは人生の一大事よ。やっぱり母の意見を聞くべきだと思うの」「もし何か言いたいことがあるなら、私の母と直接話してください」そう言って緒莉は立ち上がり、そのまま席を離れようとした。去る前に、彼女はテーブルにあるあの酢豚を見て、皮肉めいた笑みを浮かべ、安東母に言った。「それと、安東おばさん。確かにこの酢豚、美味しいと思ってます」「でもね、この一皿の酢豚くらい、うちでも十分作れま
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