All Chapters of クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!: Chapter 431 - Chapter 440

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第431話

「任せてください。じゃあ、私は先に戻るね。何かあったらすぐに電話して」美月は「OK」のジェスチャーをして、二人が病室を出ていくのを静かに見送った。二人の姿が完全に視界から消えたとき、美月は手元の器を見つめたまま、ぼんやりとしていた。紗雪がさっきどれだけ気まずそうにしていたか、美月が気づかないはずがなかった。正直言って、見て見ぬふりをしているだけだった。けれども、彼女は本気で、二人の娘が仲違いしてしまうことだけは避けたいと思っていた。しかし、どうやってこの問題を解決すればいいのか、その答えが見つからない。そのことを思うと、美月は自然と頭が痛くなってくる。二人の娘は、どちらも彼女によく似ていた。負けず嫌いで、プライドが高い。どちらも一歩も引かない性格だからこそ、今回の問題もこじれてしまった。本当は、どちらか一方が少しでも歩み寄れば、簡単に解決できる話なのだ。一方が頭を下げて謝れば、それで済むかもしれない。そう思いながら、美月は深いため息をついた。そこへ、秘書の山口が部屋に入ってきて、美月のその様子を目にした。彼女の専属秘書として、少しでも悩みを軽くしてあげたいと思ったのだ。「美月会長、どうされたんですか?ため息なんかついて」美月は、山口だとわかると、珍しく心のうちを口にした。「うちの娘たち、二人ともプライドが高くてね......性格がまったく一緒なのよ。はあ......」その苦しげな表情を見て、山口も事情を察した。だが、これはあくまで家庭の問題だ。彼にできることなど、何一つなかった。美月は、山口が黙っているのを見て、急に虚しさを感じた。自分がこれだけ話しても、返ってくる言葉は一つもなく、慰めの一言すらなかった。そう思うと、美月は一層疲れを感じた。なんで自分の周りには、こんな気の利かない人ばっかり......今度こそ、側近の入れ替えを考えないと。「もういいわ、山口。そこに立ってないで、特に用事がないなら、医者のところへ行って、薬をもらってきて」実のところ、美月はもうこの病院にいたくなかった。時間ばかりが無駄に過ぎて、得られる治療といえば、静養と安静だけ。そんなもの、家でも十分できる。それに、ここにいる限り、消毒液のにおいにずっと悩まされるのだ。だが山
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第432話

それに、ここにずっといても何の解決にもならない。それに何より、二川グループの外には虎視眈々と機をうかがっている人間が大勢いる。そんな状況で、どうして安心して病院なんかにいられるだろうか。外の情勢は常に把握しておかないといけない。成長したいのなら、立ち止まってはいられない。これは基本だ。美月は山口が退院手続きをしに出て行くのを見て、ようやく顔色が少し和らいだ。彼女はベッドに横たわったまま天井を見つめ、思考は遥か遠くへと漂っていく。......「さっちゃん、本当にお義母さんを一人で病院に残るのか?」車を運転しながら、京弥はふと紗雪に問いかけた。紗雪は心の中では不安を感じていたが、表情には一切出さなかった。「大丈夫、母さんは昔からああいう性格なの」彼女はつい、ため息をもらす。「たとえ今無理に引き止めたとしても、あとで機嫌悪くなるのが目に見えてる」「私にはわかるよ。私たちを追い出したのは、退院するつもりだったからだって」それを聞いた京弥は眉を上げて言った。「それなら、なんでそのまま従ったんだ?」「よく知ってるからこそ、私がいても意味ないってわかってたの」「下手に引き止めても、母にとっては迷惑になるだけだし」京弥は少し考えてから、納得したようにうなずく。この二人には、他の誰にも入れないような、特別な暗黙の了解があるのだろう。口であれこれ言うより、実際に行動するほうがよほど意味がある。それが本当の「助ける」ってことだ。紗雪はふっと笑いながら言った。「それにさ、たとえ追い出さなかったとしても、そこにいたところで、別に役に立たないし」「正直言ってしまえば、母の言うことを聞かずに病室に居座ってたら、ただの邪魔者でしかないのよ」紗雪の言葉に、京弥は珍しく「なるほど」と感じた。本当に、反論の余地がなかった。少なくとも、二人とも実質的に何もできない以上、そこに居ることが迷惑になることだってある。「家に着いたよ」紗雪は、目の前の真っ暗な家を見て、なぜか心の奥にじんわりとした温もりを感じた。以前の家も同じように暗かったが、そこにはまるで人の気配もなく、まったく生活の匂いがしなかった。まるで誰一人住んでいない家のようだった。でも今は違う。隣で一緒に車を降りた
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第433話

「聞こえてたよ。心地よくて、幸せだなって言っただろ」紗雪は呆れたように目をぐるりと回した。「聞いてたんだ......」京弥は笑いながら紗雪の肩を抱き寄せた。「聞いただけじゃないよ。ちゃんと実現させてみせるから」「俺たち、たった一日や二日じゃなくて、一生一緒に暮らしていくんだ。これから何か至らないところがあったら、二川さんには大目に見てほしいな」紗雪は思わず笑みをこぼした。「はいはい、わかりましたよ、椎名さん」二人はまるで付き合いたてのカップルのようで、周囲にはあたたかく甘い空気が漂い、他人が入り込む余地なんて一切なかった。家に入るとすぐに、紗雪と京弥はふわっと漂ってくる食事の匂いに気づいた。紗雪は驚いたように京弥を見て、視線で「何これ?」と問いかける。京弥も首を振った。紗雪が知らないのは当然として、自分も何が起こってるのかまったくわからない。「俺も知らない。誰かに料理を頼んだ覚えはないし」二人でキッチンに行ってみると、テーブルの上には料理と一枚のメモが置かれていた。紗雪はそれを手に取って見てみた。きれいな文字が並んでいて、書き手の丁寧な気持ちが伝わってくる。「京弥兄、お義姉さん、お二人が帰ってくる時間を見計らって、ご飯を作ってみました。どうか嫌がらずに食べてください。大したことはできませんが、これが私なりの謝罪と、感謝の気持ちです。もうこれからは、絶対にお二人の邪魔はしません」最後には、伊澄が描いたと思われる可愛らしい顔文字も添えられていた。誰が見ても、ご機嫌取りだというのは明らかだった。紗雪はそのメモを京弥のほうに差し出しながら、尋ねた。「あなた、また彼女に何か言ったの?」「いや、何も言ってないよ」京弥にもさっぱり分からなかった。この伊澄、一体どういうつもりでこんなことをしてるんだ?これをやって、彼女に何の得があるというんだ?まさか、本当に反省してるってこと?京弥は疑いつつも、それが本心であってほしいという思いもあった。紗雪はふっと眉を上げて、わざと何気ないふうを装って言った。「ねぇ、これ......食べ物に何か入ってたりしないよね?」京弥は一瞬ゾッとして、冗談じゃなく本気で料理を捨てようとした。「だったら食べるのやめよう。外食しよう、俺
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第434話

彼女は明日も会社に行かなければならなかった。母親が不在の今、なおさら気を引き締めて臨まなければならない。誰かが会社にいて目を光らせていなければ、どうしても落ち着かないのだ。京弥は紗雪の隣に座り、何匹かのエビを皿に取ると、手を動かして紗雪のために殻を剥き始めた。「たくさん食べて。料理の見た目もなかなかいいし」紗雪も彼の器に一口分のヒレ肉を取ってあげた。「京弥さんも食べてよ。ずっと世話ばかり焼いてないで」二人は互いに料理を取り合い、世話を焼き合い、温かく優しい雰囲気が漂っていた。その様子を、伊澄は扉の後ろに隠れて、わずかな隙間からじっと見つめていた。実際に料理を作ったのは、彼女の家政婦である村上さんだった。もちろん、料理には何の問題もなかった。ただ、彼女がこれを用意したのは、紗雪と京弥を引き離すために過ぎなかった。なにせ、これは「最後の晩餐」なのだから。少しでも意味のあるものにしたかった、それも「自分の手柄」として。そういうところが、一番「面白い」と思えた。それに、二人が楽しそうに食事をしているのを見ると、伊澄は妙な達成感すら覚えていた。「さあ、せいぜい楽しみなさいよ、この食事を」彼女は口元を歪めて、意味深に笑った。「これは『最後の晩餐』よ。これからは、京弥兄はずっと私と食事を共にするんだから」そう思うと、伊澄の顔には抑えきれない笑みが広がっていった。この食事は、「別れの食事」というわけだ。自分って案外気が利くのかもしれない、彼女はそう思った。相手の気持ちを気遣って、きちんと「区切りの一食」を用意するなんて。この数日、伊吹は何度か彼女にメッセージを送っていた。本当に助けが必要ないのか、と。必要なら、すぐに国外から戻ってくるつもりでいた。なにせ、妹は彼にとって唯一の肉親であり、国内で一人で頑張っているとなれば、心配するのも当然だった。しかも最近、彼の中では京弥に対する不信感が増していた。もし京弥が怒って、すべてを放り出してしまったら?そのとき、国内に残された妹はどうなる?伊吹の両親なら、彼のポストをいつでも取り上げることができる。そう思うと、伊吹はますます妹への心配を強めていった。最初のうち、伊澄は丁寧に「大丈夫、一人でも何とかなる」と答えていた
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第435話

「二度と俺に連絡してくるな。もうどうでもいいからな」伊吹は床に散らばるスマホの破片を見下ろしながら、胸が大きく波打っていた。どうしても怒りが収まらない。以前の伊澄はこんな人じゃなかったはずだ。帰国しただけで、どうしてこんなに肝が据わってるんだ?気持ちをなんとか落ち着けた彼は、やっとのことで秘書を呼び入れ、新しいスマホを持ってこさせた。そして、床の破片を掃除するよう指示した。秘書は床の破片を見て、何も言えずにいた。彼には分かっていた。うちの社長がどういう性格なのか。外から見れば、穏やかで笑顔を絶やさない人だと思われているが、実際はまるで違う。怒るとすぐに机を叩いたり、ドアを蹴ったりする。スマホを投げつけるのなんて、もはや日常茶飯事だった。このスマホで、今月に入ってすでに4台目の掃除である。しかも今日は、まだ月の5日目だった、一方、鳴り城にいる伊澄は、スマホの着信が完全に止まったのを見て、内心でようやくほっと息をついた。やっぱり、ブロックしてよかった。世界が一気に静かになった。もっと早くブロックすればよかったくらいだ。あの兄は一度しつこくなったら終わり。延々と追及してくるし、本当に面倒だった。彼女は扉の縁に目だけを出し、じっと二人の様子を見つめていた。さあ、どんどん食べなさい。どうせこれが最後の食事なんだから。自分ほんと優しい。こんなところまで気を回せるんだから。紗雪は食事をしている最中、最初は特に気にしていなかった。だが、途中から何かの視線を感じ始め、胸のあたりがそわそわしてきた。どうにも落ち着かない。彼女は隣の京弥を見つめながら、不安げな声で問いかけた。「京弥さん......なんか誰かに見られてる気がしない......?」その口調には、どこか疑いが混じっていた。この部屋には三人しかいない。食事をしているのは自分たち二人で、もう一人といえば、伊澄だ。もしかして、本当に食事に何か細工をしたのか?そう思うと、紗雪の背筋にぞくりと冷たいものが走った。彼女を信用しすぎたのかもしれない。だからこそ、まったく警戒心を持たずに食べ始めてしまったのだ。考えれば考えるほど、不安が募っていく。もしかして、最近の伊澄があまりにおとなしか
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第436話

紗雪はそのときようやく気づいた。確かに京弥の言うとおりだった。もし本当に食事に問題があったのなら、もうとっくに異常が出ているはずで、こんなふうに何も感じないなんてあり得ない。ましてや、普通の食べ物に混ぜる薬なんて、だいたいすぐに効き始めるものだ。「確かにね」そう言いながら、紗雪はまた箸を取った。ただ心のどこかでは、ちょっとした疑問が湧いていた。普段から、別に伊澄とそんなに親しいわけでもなかったはずなのに。でも、今日の食卓には、自分の好物がたくさん並んでいた。中には母親ですら知らないような好物まであって、伊澄がそこまで知っていたなんて、意外だった。紗雪の心には、驚きがよぎった。でも、こうも考えられる。もし彼女が本当に謝りたいと思っていたのなら、きっとわざわざ調べたのだろう、と。一方の京弥は、気にする様子もなく黙々と食事を進めていた。食べ終わると、自ら皿洗いを引き受けて立ち上がる。「俺が皿洗ってくるよ。君は早めに休むといい」最後の一言を口にしたとき、京弥の瞳には微かに熱のこもった色が浮かび、喉仏が上下に動いた。もうお互い大人だ。紗雪も、彼の言わんとすることはすぐに察した。そしてふと思った、自分たちはもう長年一緒に暮らしてきた夫婦のようなものだ。今さら恥ずかしがることなんて何もない。それに、今までお互いのすべてを見てきた。どんな過去があろうと、もう全部話し合ってきたじゃないか。「じゃあ、先にシャワー浴びてくるね」紗雪は、受け入れるでもなく拒絶するでもなく、あえて曖昧なままにして言葉を濁した。でも、その一言だけで、京弥の目元はわずかに輝いた。拒まないってことは、もうそれだけでOKってことだ。紗雪が部屋に戻り、ちょうどシャワーを浴びようとしたとき、清那からのメッセージが届いた。【紗雪、おばさんは今どうしてるの?】紗雪と清那は昔から仲が良くて、清那は小さい頃から口がうまかったせいもあり、美月にすっかり気に入られて義理の娘として扱われるようになっていた。二人の関係は今でも続いている。紗雪は彼女を心配させたくなくて、すぐに返事を送った。【もう問題ないだって。たぶん、すぐ退院できると思う】ほどなく返事が届いた。【えっ、そんなに早く退院しちゃうの?
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第437話

【紗雪の姉がそこにいるかもしれないでしょ?一人じゃ絶対行けないよ】紗雪はそのメッセージを見て、「OK」のジェスチャースタンプを送っただけで、それ以上何も言わなかった。彼女も分かっている、緒莉がどんな人間なのか。緒莉は昔から清那のことをよく思っていなかった。それはきっと、清那が幼い頃からずっと自分と仲が良かったせいだろう。紗雪は、昔のことをよく覚えている。まだ小さかった頃、清那が家に遊びに来たことがあった。二人でプールサイドに並んで日光浴をしていて、周囲の大人たちも皆、彼女たちが仲良しだと知っていた。だが、そのときの緒莉はというと、まるで輪に入るつもりもなく、遠くから眺めているだけだった。清那に対しては、明らかに敵意すら感じられるような目を向けていた。その日、緒莉は急にやってきて、「混ざってもいい?」なんて言ってきた。幼い清那はあまり気が進まなかったが、紗雪の姉という立場もあって、無下にはできず頷いた。三人でプールサイドに並ぼうとしたとき、真ん中の場所をめぐって、緒莉が清那を押すような形になり、結果として紗雪がプールに突き落とされてしまった。当時の紗雪は、まだ泳ぎを習っていなかった。清那は驚いてすぐにプールへ飛び込み、紗雪を引き上げようとした。救出の前に彼女は叫んだ、「大人呼んできて!」だがそのときの緒莉は、ただその場に立ち尽くしていた。呆然としていたのか、あるいは聞こえないふりをしていたのか、とにかく、何もしなかった。幸いなことに、清那は泳げた。紗雪を岸まで引っ張り上げたときも、緒莉はまだ立ったまま、どこか曖昧な表情を浮かべていた。それを見た清那は怒りを抑えきれず、陸に上がるなり緒莉を突き飛ばし、こう言い放った。「悪い子!もう絶対、一緒に遊ばないから!」そう叫びながら、清那は紗雪を連れて家の中に戻った。でも、プールに残された緒莉のことも忘れずに、大人を呼びに行った。その後、震えながら入ってきた緒莉は、清那からの鋭い視線を受け、言葉を呑み込んだ。美月に心配されながらも、清那のことは一切口にせず、「自分が足を滑らせた」とだけ説明した。それ以来、清那と緒莉の関係は完全にこじれた。どこかに緒莉がいると分かれば、清那は絶対に一人では近づかない。あのと
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第438話

彼女は美月を困らせたくなかった。これらはすべて、ただの憶測にすぎない。いや、憶測というよりも、子どもの頃に浮かんだ妙な考えに過ぎなかった。だって、こんな話、他人に話したところで誰が信じてくれるというのか。それに、緒莉とは小さい頃から一緒に育ってきた。そんな関係で「実の姉妹じゃない」なんてこと、あるわけがない。だからこそ、こんなことはただ心の中で考えておけばいい。美月の前で話すなんてもってのほかだった。もし話したら、一体どんなふうに思われるかわからないから。けれど、紗雪は知らなかった。自分がふとした拍子に抱いたこの疑念が、本当のことを突いていたということに。もちろん、今の彼女にはそれを裏付ける証拠も確信もない。だからこそ、誰かを疑ったり、決めつけたりすることなどできるはずもなかった。こんなこと、自分の身に起きるなんて普通は思わない。それに、彼女は緒莉と長年一緒に生活してきたのだ。美月は二人に対して、基本的には平等だった。もちろん、緒莉の体が弱かったから、多少のえこひいきはあったかもしれない。けれど、それ以外は特に差があるとは思えなかった。だからこそ、紗雪の中にあった疑念も徐々に薄れていったのだ。もし彼女がこのまま調べ続けていたら、自分の予感が現実と似通っていることに気づいたかもしれない。そんなことを考えて、紗雪はふと、自分の妄想が少し行きすぎているのではないかと思った。自分は小説の登場人物じゃない。まさか、そんなドラマみたいな展開が自分に起こるなんてあるわけがない。それに、緒莉だってずっと一緒に育ってきた姉だ。それについては紗雪も確信がある。だからこそ、疑う理由なんてないじゃないか。紗雪は首を振って、頭の中のくだらない妄想を追い出そうとした。こんな根拠のない、支離滅裂な考えを。それに、こんなこと、もし美月の前で言ったら、彼女の身体がもたないかもしれない。それだけじゃない。こんなこと、どう切り出せばいいのかも分からない。証拠もなくただの思いつきで人を責めるなんて、自分にはできない。ずっと一緒に生活してきた相手を疑って、それがもし間違いだったら、周囲の人は自分をどう見るのか。美月は?家族は?他の人たちは?そんなことを考えて、紗雪はその話題
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第439話

彼女は足音を忍ばせながら、京弥と紗雪の寝室の前までやってきた。中から水の音が聞こえてくるのを耳にして、顔に浮かんだ笑みは次第に大きくなっていった。つまりは今、キッチンには京弥しかいないってこと。そう思うと、伊澄の口元の笑みはどうしても抑えきれなかった。キッチンへ向かうと、果たして予想は的中。中には京弥一人だけが忙しそうに立ち働いていた。伊澄は思わず拳を握り締めた。二川紗雪、この忌々しい女。腹いっぱい食べて、後は京弥兄に全部任せて、自分はのうのうとシャワーを浴びてる。何の手伝いもせずに、呑気なものだ。そう考えると、伊澄の心の中は不満でいっぱいになった。もし、自分と京弥兄が一緒だったら、彼にこんなことはさせなかった。彼をこんなふうに惨めな思いなんてさせないのに。だって、あの手は大きな契約書にサインするためのもの。京弥ほどの男がいれば、自分は何もしなくても贅沢に暮らしていけるのに。そして、その整った顔立ちとスタイルを改めて見つめながら、伊澄の心はますます惹かれていった。やっぱり、男はこうでないと。彼ぐらいのスペックじゃなきゃ、自分にふさわしくない。彼女の目には、欲望がありありと浮かび上がっていた。まるで顔にそのまま書いてあるかのように。京弥はキッチンで作業しながら、背後にずっと視線を感じていた。だが、それが誰のものなのか、何となくしか分からなかった。不意に振り返った瞬間、彼の視線は、まさにその欲望を隠しきれずにいる伊澄とぶつかった。全身から「欲しい」と言っているかのような視線。それは、目が見える者なら誰でも一発で察知できるものだった。京弥は眉をひそめ、一歩後ろへ引いた。「......お前、ここで何してる?」彼は皿を洗って、キッチンを片付けている真っ最中だった。そんなときに、こんな風に欲望にまみれた目でじっと見られて、さすがに不気味さすら感じた。とはいえ、京弥は普通の男じゃない。すぐに気持ちを切り替えた。伊澄もまた、一瞬で表情を切り替え、さっきまでの顔などなかったかのような顔を作った。「ちょっと様子を見に来ただけよ。ご飯、口に合ったか気になって......」「まあ、悪くはなかったな」京弥は彼女の問いに対して、淡々と答えながら、少し不安を覚え
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第440話

彼がこんなにもストレートな性格だったなんて、以前は全然気づかなかった。伊澄の記憶の中では、京弥はそんなタイプではなかったはずだ。彼のその一言で、伊澄は一瞬、どう返せばいいのか分からなくなってしまった。けれど、少し考えてから、彼女は笑顔で言った。「そんなにキッパリ言わなくてもいいじゃない......それに、私はちゃんと埋め合わせしたつもりだよ?」「たった一食のご飯で埋め合わせ?」京弥は彼女の笑顔を見て、少しおかしそうに鼻で笑った。自分と紗雪が、そんなにも軽い存在だと?たった一度の食事で、過去のことすべてを帳消しにできるとでも?「ち、ちがう、そういう意味じゃないの」伊澄は少し焦った。どうして京弥兄は、こういうときに限って定型通りに返してくれないの!?普通はもうちょっと遠慮するとか、柔らかく返すとか、そういうもんでしょ?でも、京弥は彼女の後に続く言葉すらも封じるような一言を放って、まったく隙を与えてくれなかった。これでは、この後どう話を進めればいいのか分からない。思わず、自分のこの執着心は正しいのか、それとも滑稽なだけなのか。伊澄の中に、そんな疑問すら浮かび始めていた。彼女は乾いた笑いを浮かべて言った。「ちがうの、京弥兄、本当にそういう意味じゃなくて......これからはあんまりお邪魔しないようにするし、できるだけご飯も作るから。京弥兄たちが好きなら、私、頑張るよ」だが、京弥はその笑顔を見て、どこか下心を感じ取った。すぐさま、きっぱりと断った。「その必要はない。料理作るのは家政婦の仕事だ」伊澄に料理を続けさせるつもりは、もうなかった。一度くらいならともかく、何度もとなると......本当に何か仕込まれてるかもしれないと、心配になる。しかも、彼女は昔から知っている妹のような存在だったのに、今では自ら進んでこんなことをするようになるとはおかしい過ぎる。京弥には、それがどうしても納得できなかった。それに対し、伊澄はわざとらしく悲しげな顔を作った。「なんで?なんでやらせてくれないの?」「必要ないからだ」京弥は眉をしかめ、不機嫌そうに彼女を見た。言ってる意味がわからないのか?何度も説明してるのに、なぜ同じことを繰り返す?これ以上話しても、ただの時間の無
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