All Chapters of 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした: Chapter 241 - Chapter 250

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9-19 航の変化 1

 翌朝――「……君。航君……」誰かが呼ぶ声で航はゆっくり目を開けると、何とそこには朱莉が航を覗き込むように見下ろしていた。「な・な・なんだよ! お……驚かすなよ!」航はガバッと起き上がると朱莉に抗議した。「あ、ごめんね。勝手に部屋に入ったりして。ただ、今朝は何時に起こせばいいのか分からなかったから」「え?」航は慌てて部屋にかけてある時計を見ると驚いた。何と時刻は8時を過ぎている。「や……やべ! 寝過ごした!」そして飛び起きようとして朱莉を見た。「おい、いつまでここにいるんだよ……」「え? いつまでって?」「俺……着替えたいんだけど」「あ、ごめんね。気付かなかった。すぐ出るね」朱莉は立ち上がると、素早く部屋の外へ出て、ドアをパタンと閉めると呟いた。「朝ご飯……食べる時間無いかな?」そこで、朱莉は手早く支度を始めた—— 一方航はかなり焦っていた。「くそ! 寝過ごすとは!」航は急いで機材のチェックをし、本日の対象者の予定を書き記した手帳を確認する。「え~と確か今日は古宇利島へ愛人と行くって言ってたな……。全く婿養子のくせにいいご身分だ。こんなことしてられない!」慌てて着替えて、部屋を飛び出して朱莉に言う。「悪い! 朱莉。朝飯は……」航が言いかけた時、朱莉が水筒とランチバックを差し出してきた。「え?」航が戸惑った顔を見せると朱莉は笑顔になる。「食べる時間が無いでしょう? おにぎりと今朝のおかずを詰めたから時間がある時に食べて。一応保冷材はいれてあるけど暑いから早めに食べてね」「朱莉……」航は思わず胸に熱いものが込み上げてきて……ぐっと拳を握りしめると顔を上げた。「悪いな、朱莉。ありがと」「気にしないで。それじゃ気を付けて行って来てね」そして航は笑顔の朱莉に見送られてマンションを後にした―― 航が仕事に出かけた後、朱莉は自分の朝食を食べ、洗濯をしようとして気が付いた。「そうだ。今日航君が帰ってきたら洗濯物のこと言わないと。ひょっとして私に気を遣ってコインランドリーを使ってるかもしれないし」 洗濯物を回し、部屋の掃除をする為に片づけをしているとリビングのソファの椅子の下にチケットらしきものが落ちているのを発見した。「どこのチケットだろう……?」拾い上げてみると、それは朱莉が行きたいと思っていた『美ら海水族
last updateLast Updated : 2025-04-22
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9-20 航の変化 2

 朱莉は今、ベビー用品を取り扱っている専門店へとやって来ていた。「え、と……新生児用の肌着に紙おむつ、ベビー布団、ベビーベッド、おくるみ、抱っこ紐……」揃える品物があまりにも多すぎて、朱莉はクラクラしてきた。けれど……。「フフフ……。赤ちゃんか。すごく可愛いんだろうな……」だが、朱莉が育てるのは自分で産んだ子供ではない。明日香が産んだ子供なのだ。そして契約書通りに明日香の子供が3歳になったら、翔と明日香に子供を託し、朱莉は離婚をして、あの億ションを出ることになる。朱莉は溜息をつくと思った。(きっと3歳で私と別れれば、その子の記憶に私は残ることは無いんだろうな。だったら私との写真は撮ったら駄目だよね。お母さんに写真をもし見せるなら赤ちゃんだけの写真を撮って見せてあげよう……)つい数年先の未来を思い描き、暗い考えが頭をよぎる。朱莉は頭を振ると、買い物メモを見ながら、慎重に商品を選び始めた—―****その頃――「ふう~……疲れた……」航が機材を抱えながら朱莉のマンションへと帰って来た。「朱莉? 次の仕事まで時間が空いたから一度戻って来たぞ」しかし、部屋の中はしんと静まり返り、時折ネイビーがおもちゃで遊んでいる音が響くばかりである。「朱莉? いないのか?」機材を置くと航はリビングへ足を踏み入れた。「何だ。パソコンがつけっぱなしじゃないか……」朱莉のパソコンは電源が入りっぱなしで、沖縄の海の映像がスクリーンセーバーとして映し出されている。「全く……電源入れっぱなしで……」うっかり航はマウスに触れてしまい、画像が切り替わった。それは姫宮から届いた契約書の文面を表示した画像だった。その内容を目にした航の顔色が変わる。「な、何なんだ。この契約書は……うん? 待てよ。これは訂正前の契約書なのか? それにしても……」朱莉が翔と交わした契約婚の書類を航は悪いと思いつつ、ザッと目を走らせるように内容を読みこんだ。そして読めば読むほど、翔に対して激しい怒りが込み上げてきた。「い、一体何なんだ? この鳴海翔と言う男! 6年後には離婚? 明日香が産んだ子供は朱莉が産んだことにして手がかからなくなるまでは朱莉が1人で世話をするだって!? し、しかも恋愛禁止、必要以上に異性と親しくするなって……何考えてるんだよ! 本当に朱莉はこんな条件を飲んで契約婚
last updateLast Updated : 2025-04-22
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9-21 2人で買物 1

「え~と、次に必要なのは……あ、ベビーバスがいるんだ」朱莉は買い物メモを見ながら品物をチェックしている。航は大きなカートを押しながら朱莉の後を黙ってついて来ていた。(くっそ〜やっぱりついて来るんじゃなかった……!)今、航は激しく後悔していた。何故ならこのベビー用品売り場で航は完全に目立ちまくっていたからだ。航は22歳で髪を茶髪に染めた今どきの若者。しかも平日にも関わらずTシャツ姿にジーンズ、そしてスニーカーといういで立ちである。目立つのは当然だ。おまけに航は成人男性ながら、時々高校生にも間違われることがある程の童顔。その為につい、朱莉も航を子供扱いしてしまうのである。女性店員たちが何やらひそひそと航を見ながら囁き合っている。(あの店員達……完全に俺が赤ん坊の父親になると思ってるな?)イライラしながら横目で女性店員をジロリと睨み付けると、2人の女性店員は慌てたようにパッと航から視線を逸らす。「航君、御免ね。次は向こうの売り場に行ってくれる?」朱莉は振り返ると申し訳なさそうに航に声をかける。「ああ、いいぜ。次は何買うんだ?」朱莉の前でイラつく顔は出来ないと思い、航は無理矢理顔に笑顔を張りつかせると、朱莉の後を素直について行く。あらかた店内を見渡した朱莉は買い物リストをチェックしている。「え~と。ベビーバスに、ベビーカーに、チャイルドシート……ベビー枕に防水シーツに哺乳瓶と消毒ケースと消毒薬でしょう? 粉ミルクはアレルギーとか、賞味期限があるから、まだ買えないし……」朱莉はブツブツ言いながら買い物メモを見つめているが、その横顔はとても嬉しそうだった。「朱莉」航はそんな朱莉に声をかけた。「何?」「いや、随分楽しそうに買い物してるなって思って」航は突然照れ臭くなり、視線を逸らせる。「勿論、とっても楽しいよ。だって赤ちゃんのお迎え準備の買い物なんだもの。フフ……きっと小さくて可愛いんだろうな……」朱莉は頬を染めて嬉しそうにしている。そんな朱莉を見下ろしながら航は思った。(だけど朱莉。その子供はお前の子供じゃないんだぞ? 幾ら可愛がっても3年で子供と別れて子供はお前のことなんかすぐに忘れてしまうんだぞ? そんなんで…・お前は幸せなのかよ……っ!)子供と別れる時の朱莉の心境を思うと、航は胸が苦しくなった。「どうしたの航君。あ、もしか
last updateLast Updated : 2025-04-22
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9-22 2人で買物 2

帰りの車の中――「ねえ、航君」「うん、何だ?」「いいの? 運転して貰ってるけど」「ああ、気にするなよ。俺は運転好きだからな」「ふ~ん。それじゃドライブもするんだ?」「ああ、そうだな」「やっぱり男の人ってみんなドライブが好きなんだね」朱莉のポツリと言った一言が何故か航は気になった。「なあ、朱莉。その男の人の中には九条も含まれてるのか?」苛立ちを押さえているつもりだが、つい強い口調になってしまう。「九条さん? うん。多分好きかなあ……」「な、何!? 朱莉……お前、九条が好きなのか!?」思わず握るハンドルに力を込めながら航は横目で朱莉を見る。「え? だって今航君が聞いたんでしょ? 九条さんは運転は好きなのかって」朱莉は不思議そうに首を傾げる。「あ、ああ……なんだ……そっちか。そうか、九条の奴も運転が好きなのか」つい、敵意が籠った口調になってしまう。「航君……。やっぱり疲れてるんでしょう?」「何でそう思うんだよ」「だって……何だかイライラしているように見えるから。ごめんね、買い物付き合わせて」「だ、だから謝るなって! 第一俺から買い物に付き合おうかって声をかけたんだからさ」(全く……朱莉と一緒だと自分のペースが乱されるな)しかし、何故か朱莉の近くは居心地がいいと感じる航であった。**** 18時―― 買って来た荷物は物凄い量になった。それを見て航は呆れたように言った。「なあ、朱莉。こんなに大量に買い物して何処においておくつもりなんだよ。ベビーダンス迄あるじゃないか」「大丈夫だよ航君。このリビングにはね、約3畳の広さのウォークインクローゼットがあるんだから」言いながら朱莉がリビングの扉を開けると、そこから3畳もの広さを持つ収納部屋が現れた。「ははは……やっぱりすげーな……」乾いた笑いをする航。(朱莉の為にこんな立派なマンションを借りる九条といい、このマンションの家賃を躊躇うことなく簡単に支払える鳴海といい……自分とは住む世界が全く違うんだってことを改めて思い知らされるな……)自分が酷く小さな人間に感じてしまう。惨めな気持ちになり、思わず俯いた航を見て朱莉は声をかけた。「航君、どうしたの? 疲れたんでしょう? リビングのソファで休んだら? 19時になったら起こしてあげるから」「ああ、そうだな……そうさせて貰
last updateLast Updated : 2025-04-22
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9-23 揺らぐ男 1

「航君……?」航は無言のまま、朱莉を抱きしめている。眠気なんかとっくに覚めていた。(うわああああ! ヤバイヤバイヤバイ! な・な・何で俺……朱莉を抱きしめてしまったんだよ!)今、航は自分が非常にまずい立場に置かれている事に焦りを感じていた。あまりに焦り過ぎて、完全に動きが止まってしまった。しかし、朱莉は何を勘違いしたのか、口を開いた。「航君……。ひょっとしてまだ寝ぼけてるの?」朱莉が航に抱き締められたまま、耳元で言う。(そ、そうか……! 朱莉はまだ俺が寝ぼけてると思ったんだな!? だったらこのまま寝ぼけたフリをしてやれ……!)航はやけくそになって寝ぼけたフリを必死で演技した。「う~ん……もう食べられない……」我ながら下手くそな演技で、恥ずかしくなってくる。(何が、もう食べられないだよ!)もはや自分で自分に突っ込んでいる状態である。しかし、朱莉は上手く引っ掛かってくれた。「あ、やっぱりまだ寝てるんだ。航君、起きて!」「う……ん……あれ……? 朱莉か……?」航は朱莉から身体を離すとわざと目を擦り、たった今目が覚めたかのような演技を必死で続ける。「ああ、良かった。やっと目が覚めたんだね? 航君。もう19時過ぎてるよ?」「な、何だって!? まずい!」今度こそ航は演技抜きで驚き、慌ててソファから飛び起きた。「朱莉! 起こしてくれてありがとう!」航は慌てて機材と荷物を取りに行くと、すぐに玄関へ向かった。「朱莉、今夜はひょっとしたら帰れないかもしれないから俺のことは気にせず、戸締りをしっかりして寝るんだぞ?」「うん。大丈夫だよ、だって今までもずっとそうだったんだから。あ、そうだ」朱莉は再び航にマグボトルとランチバックを差し出す。「一応お弁当作ったの。手の空いた時にでも食べて?」「朱莉……ありがとな」航は朱莉からボトルとランチバックを預かった。(また俺なんかの為に……)航は感動し、不覚にも顔が赤くなりそうになり、慌てて朱莉から顔を背ける。「そ、それじゃ行って来る」「うん。行ってらっしゃい」こうして航は朱莉に見送られながら、玄関を後にした。「急がないと!」マンションを飛び出すと、航はレンタカー屋へ向かって走った。(全く……中年のオヤジなんだからホテルで大人しくしてりゃいいものを……!)思わず航は心の中で毒づいていた
last updateLast Updated : 2025-04-22
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9-24 揺らぐ男 2

 お風呂に入り、特にすることも無くなってしまった朱莉は書きかけだった絵葉書を書くことにした。母に宛てた手紙はすぐに書き終えることが出来たのだが、問題は京極の方だ。姫宮と一緒にいるあんな写真を見せられてしまった為に朱莉は今後どういう態度で京極に接すればいいのか分からなくなっていた。京極は朱莉にとって謎だらけの人物だったのだ。メッセージを送ると京極に約束はしたものの、それだとすぐに京極から返信が来てしまう。それならまだ絵葉書を書いて出した方がいいだろうと朱莉は考え、今京極に手紙を書こうとしているのだが……。「京極さんが航君みたいに分かりやすい性格だったら良かったのに……」本当は正直な所、手紙を書くのも迷いがある。しかし、電話越しから聞こえて来た京極の朱莉を案ずるような声。東京で散々京極にお世話になったことを考えると、何も知らないフリをして京極に手紙を書くしか無かった。「取りあえず私のことはあまり書かないようにして、ネイビーのこととマロンの状況を尋ねる内容の文章にしようかな……」そして朱莉はペンを手に取った―― 色々考え抜いた挙句、朱莉は1時間近くかけてようやく葉書を書き終えた。一通り読み返して、文面がおかしく無いか、誤字脱字は無いかを確認する。「うん、大丈夫そう。明日葉書出さなくちゃ」朱莉は玄関のシューズケースの上に葉書を置くと自室へ入った。ベッドの中に潜り込むと、色々と今後のことを考えた。  京極は勘のいい人間だ。もし仮に朱莉が生まれたばかりの明日香の子供を抱いて、あの億ションに戻った時の京極の反応はどうだろう?恐らく絶対に朱莉が産んだ子供では無いという事がすぐにバレてしまう。もし、そうなったら今迄塗り固めて来た嘘が全てバレてしまう。京極には恩義があるが。彼とは距離を置いた方がいいだろう。「翔先輩と離婚をするまではあの億ションにいたくないな……。赤ちゃんと一緒に何処か別のマンションに住めればいいんだけど……」姫宮には何でも相談するようにと言われているが、姫宮と京極の関係が謎である以上、彼女の力を借りるわけにはいかない。(明日……翔先輩に……相談して……みよう……)そして、朱莉は眠りに就いた――****深夜1時。疲れた体を引きずりながら航は朱莉の住むマンションへと戻って来た。エレベーターに乗り込むと、5階行のボタンを押し、欠伸
last updateLast Updated : 2025-04-22
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9-25 朝食の会話 1

 翌朝―― 6時に起きた朱莉がキッチンへ行くと、テーブルの上に航からのメモが乗っていた。『おはよう朱莉。今朝は9時に出掛けるから、悪いけど8時まで寝かせてくれないか? よろしく』「航君何時に帰って来たのかな? でも8時なら余裕があるよね。あ、それなら!」朱莉は出掛ける準備を始めた—―8時――航が目を擦りながらキッチンにいる朱莉に声をかけてきた。「おはよう、朱莉」「おはよう、航君。ねえ、昨夜は一体何時に帰って来たの?」「う~ん……夜中の1時か? その後、シャワーを浴びて……寝たのは1時半頃だった気がするな」それを聞いた朱莉は心配そうに眉を潜めた。「ねえ……。身体の具合はどう? 疲れたり……してない?」「な、何言ってるんだ。大丈夫に決まってるだろう? 俺はまだ22だし、睡眠時間だって6時間以上取っているんだから」朱莉がそこまで自分のことを気に掛けてくれているのかと思うと、つい顔が緩みそうになり、慌てて視線を逸らせた。「そう? ならいいんだけど……。ねえ、朝ご飯、今日は家で食べれる?」「ああ。今朝は余裕があるから大丈夫だけど……」航がそこまで言いかけると、みるみる内に朱莉の顔が笑顔になる。「な、な、何でそんな嬉しそうな目で見るんだよ」思わず航の顔がカッと熱くなる。「だって……一緒に食事が出来るのが嬉しくて」朱莉はにこやかに答える。「朱莉……」(駄目だ、勘違いするな。朱莉が俺と食事をしたいのは俺に気がある訳じゃなくて、誰かと一緒に食事がしたいだけなんだから!)航は必死で自分の心に言い聞かせた。「あのね、実は今朝はご飯じゃないんだけど、いいかな?」席に着いた航に朱莉は尋ねた。「ああ、別に何でもいいぜ。俺は好き嫌いは無いから」「良かった〜。実はちょっぴりリッチな高級食パンを売っているお店が近所に出来て、今朝買って来たの」朱莉は買って来た食パンを航に見せた。「何? 朝からわざわざ買いに行って来たのか?」「うん、まだ私も一度も食べた事が無いんだけど……航君と一緒に食べたいなって思って買って来たの」「そ、そうだったのか?」(だから……勘違いさせるような事を俺に言うんじゃない!)航は朝っぱらからすっかり動揺していた。ただでさえ昨夜偶然目にした京極宛のポストカードで頭の中は一杯なのに、その上朱莉の勘違いさせるようなこの言
last updateLast Updated : 2025-04-23
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9-26 朝食の会話 2

 玄関で靴を履く航に朱莉は尋ねた。「航君の洗濯物はどうしてるの?」「洗濯……? ああ、コインランドリーで洗ってるけど?」「やっぱり……。ねえ、今も洗濯物持ち歩いているの? ひょっとしてそのリュックの中身がそうなの?」「ああ。そうだけど……?」「出して、私が洗濯するから」途端に航の顔が真っ赤に染まる。「な、な、何言ってるんだよ! 男の洗濯物をあ、洗うなんて……」「え? だって家のお母さんは家族全員の洗濯物を洗うでしょう?」「お母さん……」航は開いた口が塞がらなくなってしまった。(何だ? 朱莉は……本気でそんなこと言ってるのか?)「それに航君は……私にとって家族みたいな人だし」朱莉の言葉に航は思わず顔が熱くなった。(え? 朱莉……それってひょっとして俺のこと……?)「航君は……何だか私の弟みたいな気がして」「弟……」その言葉に航の希望はガラガラと音を立てて崩れた。「あ~もう、分かったよ。好きにしてくれよ……」航はリュックを降ろすと洗濯物が入ったレジ袋を朱莉に手渡した。「なあ……本当にこんなことまで朱莉にやらせていいのかよ?」「うん。だって一緒に今は暮してるんだから当然でしょう?」「朱莉……ありがとな」航は思わず朱莉の頭を撫でようとして……慌てて手を引っ込めた。「それじゃ行って来る。今日は……19時には帰って来れると思うから……」最後の方は小声になってしまった。「うん、行ってらっしゃい。食事用意して待ってるね」「行ってきます」航はドアを閉めると、顔を真っ赤に染めた。(何だよ、この会話……まるで夫婦の会話みたいじゃないか…)「さて、行くか」今の自分の考えを振り切るように航は声に出すと、エレベーターホールへ向かって歩き始めた—―**** その後、朱莉は洗濯を回しながら、食器の後片付け、部屋の掃除に洗濯干しと休まず動き続けた。そして一通り家事が終わると、出掛ける準備を始めた。これから絵葉書の投函と、食事の買い出しに行く為である。「あ、その前に……」朱莉は翔との連絡用のスマホを取ると、メッセージを送った。それは昨夜朱莉が寝る前に考えていた事である。明日香の子供を連れて億ションに戻った場合、京極に見られてしまう可能性があること。京極は勘が鋭い男なので朱莉が産んだ子供ではないことを見抜かれてしまう可能性がある
last updateLast Updated : 2025-04-23
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9-27 無駄な訴え 1

 朱莉がスーパーで買い物をしている時、翔からメッセージが入ってきた。「え? もうこんなに早く返信してくれたの?」(何て書いて来たんだろう……)朱莉はレジかごを持って、隅の方に移動するとドキドキしながらスマホをタップした。『元気にしていたかい? 明日香は今アメリカで快適に過ごしているよ。体調も良さそうで安心している。ところでメッセージについてだけど、あいにく君が今住んでいる億ションを手放す訳にはいかないんだ。あの部屋は購入したもので、将来俺と明日香と子供の3人で住むことに決めている。だからそれまでは朱莉さんが住んで、あの部屋の状態を維持しておいて貰いたい。悪いが引っ越しの件は諦めてくれ。京極の話だけど、朱莉さんの子供ではないと本当に彼にバレてしまうのだろうか? 俺はそうは思わないけど。もし怪しまれたらその時は何とかうまい言い訳をしてくれないか? 無茶な事を言っているのは分かっているが、朱莉さんにしか出来ないことなんだ。悪いけどよろしく頼む』「……」朱莉はそのメッセージを絶望的な気持ちで見つめていた。多分別のマンションに移り住む許可は得られないのでは無いかと思っていたが……翔自身にはそのつもりは全く無いのだろうが、朱莉の心を傷つけるには十分すぎる内容で訴えは無駄に終わってしまった。「ふ……」朱莉は手で自分の口元を押さえた。思わず目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになるのを必死で我慢する。翔のことを好きで無ければこんなにも心を傷つけられることは無いのに。悲しいことに朱莉は自分の命を救ってくれた翔に対する恋心を未だに捨てきれずにいた。(もう嫌だ……。いっそ、翔先輩を嫌いになれればいいのに……。いつまでも未練がましい、こんな自分が一番嫌い……)スーパーの隅で朱莉は必死で涙が出そうになるのを堪えるのだった—―****「ただいま〜」19時――航が玄関のドアを開けて帰宅した。「お帰りなさい」エプロンを付けた朱莉が笑顔で玄関まで迎えにやって来た。「ただいま。あのさ……じ、実は日頃朱莉には色々世話になってるから今日は朱莉にお土産を買って来たんだ」航はテレ臭そうに頭を掻く。「え? お土産?」「あ、ああ。これなんだけどさ……」航が差し出してきたのは紫芋タルトの入った紙袋だった。「2人で一緒に食べようかなって思ってさ。朱莉は甘い物好きか?」「うん、
last updateLast Updated : 2025-04-23
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9-28 無駄な訴え 2

 風呂から上がった航がキッチンへ行くと、丁度朱莉が食事をテーブルの上に並べている所だった。「あ、航君。もう食事にしよう、座って?」「ああ」朱莉に促され、航は席に着く。食卓に並べられたのはメインの酢豚に、ご飯、豆腐とわかめの味噌汁、青梗菜とエビの中華炒め、そして春雨サラダである。「へえ~今夜の料理は酢豚か……旨そうだな」「そう? ありがとう。ほら、航君は暑い中、外でお仕事して疲れているでしょう?」「あ、ああ……。そうだな。」「だから疲労回復に酢豚がいいかなって思って。よくお酢や豚肉は疲労回復に良いって言われてるから」「朱莉……俺のことを気遣って……」航は感動のあまり言葉に詰まってしまった。(いつもこんなに親切にされたら……俺、本当に勘違いしてしまうじゃないか。お前が俺のことを……)だが、実際はそんなことはあり得ないのは航はよく分かっていた。所詮自分は朱莉に取って弟のような存在でしか見られていないのだ。「ねえ、航君。ビールは今飲む?」「いや、後でいい。今は朱莉の手料理を味わいたいからな」いつの間にか航は朱莉に対する心境の変化により、素直な気持ちで話せるようになっていた。そして朱莉がこちらをぽかんとした目で見ていることに気が付いた。「どうした? 朱莉」すると朱莉は頬を赤く染めた。「うううん、今航君が……私の手料理を味わいたいって言ってくれたことが嬉しくて」(か、可愛い……)朱莉の言葉は最後の方は途切れてしまったが、朱莉の照れる姿を見た航は不覚にも見惚れてしまった。**** 食事が済んで朱莉が後片付けをしている間、航はリビングでPCを前に今迄カメラに収めて来た画像の整理をしていた。「航君」不意に名前を呼ばれて航は顔を上げた。「何だ?」「私もお風呂に入って来るから、もしビールを飲むなら自由に冷蔵庫から開けて飲んで構わないからね」「ああ。分かった。ありがとう」航が言うと、朱莉は笑みを浮かべてバスルームへ向った。「ふう~……」航は上を向いて、首をコキコキと鳴らした。「ビール……貰うか」 航が缶ビールを飲んでいると朱莉がお風呂から上がって来た。「朱莉、ビール貰ってるぞ」「うん、いいよ。自由に飲んでね」そして朱莉は何故かリビングに来ると航の前に座った。「な、何だよ……」突然自分の前に座って来た朱莉に押され気味
last updateLast Updated : 2025-04-23
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