All Chapters of 偽りの結婚生活~私と彼の6年間の軌跡 偽装結婚の男性は私の初恋の人でした: Chapter 561 - Chapter 570

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1-3 ナルミ アスカ 1

 12時半―― 朱莉はソワソワしながらマンションの前で幼稚園のスクールバスが到着するのを待っていた。やがて、園児たちを乗せ、猫のデザインをした可愛らしいスクールバスがこちらへ向かってきた。バスは朱莉の待つマンションの入口で止まるとドアが開き、若い女の先生と手を繋いだ蓮が降りてきた。「ただいま! お母さん!」蓮が朱莉の足に抱きついてくる。「お帰りなさい、蓮ちゃん」朱莉は笑顔で蓮の頭を撫でると、先生に礼を述べた。「先生、どうもありがとうございました」「いいえ。蓮君、とてもいい子でしたよ。それにとっても優しくて思いやりがありますね」「本当ですか? ありがとうございます。」朱莉は蓮が褒められて嬉しさのあまり、頬が赤くなる。「先生、さようなら!」蓮は元気よく手を振ると先生も手を振り、お辞儀をするとバスに乗り込んだ。先生が乗り込むとバスはドアを閉め、走り去って行く。その姿を朱莉と蓮は見えなくなるまで見送った。「お母さん、僕お腹空いちゃった。今日のお昼なーに?」「フフフ……。今日のお昼は蓮ちゃんの好きなフレンチトーストです!」「やったー! 早く帰ろう? 僕、お昼食べたらネイビーと遊ぶんだ!」「そうね、帰りましょう?」蓮の手を握りしめると、2人はマンションの中へと入って行った。朱莉は今、とても幸せだった。幸せ過ぎて、これが夢では無いかと思う程に。(夢なら覚めなければいいのに……)小さな手で朱莉の手を握りしめている蓮。そして朱莉の視線に気づくと、ニッコリと微笑む。その姿が愛らしくてたまらない。(翔先輩……。蓮ちゃん、とってもいい子に育っていますよ)先週、翔からのメールが朱莉の元に届いた。予定では来年の蓮の誕生日を迎える10月には日本に戻って来る事が出来るらしい。そして……その時を迎えれば2人の契約婚は終了し、蓮の母親代わりも終わりを告げる――朱莉はそう考えていたのである。3年前のあの日、空港で翔と別れを告げる際に朱莉は翔に抱きしめられてキスをされた。しかし、それはきっと翔に取っては挨拶代わりだったのだろう。朱莉はそう捉えていたのだ。実は翔が自分のことを愛しているとは思いもしていなかったのだ……。「ただいま〜」蓮は玄関のドアを開けた。「あらあら、蓮ちゃん。誰にただいまを言ってるの?」朱莉はクスクス笑いながら尋ねる。「あのね、
last updateLast Updated : 2025-06-08
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1-4 ナルミ アスカ 2

「そ、それで……お話の続きは……?」朱莉は声を震わせながら尋ねた。「うん。それでその男の子は、産んだお母さんと一緒に暮らすことになるんだって。それで……最後にお別れの時に、育てのお母さんが尋ねるの。『お母さんのことすき?』って」「そ、それで……その子は何て答えた……の……?」「『もちろん、大好き!』って答えるんだよ。……あれ? お母さん……どうして泣いてるの……?」蓮が心配そうに尋ねてきた。「え……?」朱莉は蓮に指摘されて、その時初めて自分が泣いていることに気がついた。「お母さん……泣かないで……。泣いちゃやだよお……」蓮の目に、見る見るうちに涙が溜まってゆく。「蓮ちゃん……!」朱莉は蓮を抱きしめ、いつしか2人は抱き合いながらボロボロ涙を流していた。「ごめんね……ごめんね蓮ちゃん……」朱莉は蓮を抱きしめたまま泣き続ける。「お母さん……泣かないでよ……」しゃくりあげるように泣いていた蓮は、やがて泣き疲れたのか朱莉の腕の中で眠ってしまった。「蓮ちゃん……」朱莉は蓮を抱き上げ、ベッドへ運んで寝かせてあげると、先程蓮が話してくれた絵本の題名をスマホで検索して、息を飲んだ。その絵本の作者名は『ナルミ アスカ』となっていたのだ。「やっぱり……明日香さんだったのね……」朱莉は溜息をつくと、蓮の絵本が並べられた本棚を見た。そこには色々な絵本が並べられている。そして蓮が一番取り出しやすい場所に並べられた絵本は全て『ナルミ アスカ』の作品となっていた。「明日香さん……」2年前、明日香は絵本作家として本格的にデビューし、今迄ペンネームを使っていたのを改め、『ナルミ アスカ』と改名したのだった。そして新しく絵本を出版するたびに、朱莉の元へ明日香の絵本が届けられた。でも、今回蓮が話して聞かせてくれた絵本だけは明日香からは届いていない。「明日香さん……私に悪いと思って絵本を送ってこなかったのかも……。だけど……あの絵本の内容を聞いた限り明日香さんは蓮ちゃんを迎えに来るつもりなんだろうな……」朱莉はポツリと呟いた。考えてみれば明日香が絵本作家になった際、名前を本名に改名している。それはおのずと、蓮に自分がお母さんよと誇示している現れだったのかもしれない。「そうだよね……。来年翔先輩が戻ってくれば明日香さんはきっと、やり直す道を選ぶはず。そして
last updateLast Updated : 2025-06-08
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1-5 雨の日の別れ 1

 恋人の白鳥誠也と半月ほど前に別れた明日香。今は1人でワンルームマンションに仮住まいをしていた。広さは8畳で約3畳のロフト付である。以前の明日香であれば考えられないような住まいであったが、今の明日香はもう違う。この仮住まいマンションを十分満足していたのだ。 絵本を書く為に小さい子供と住む様々な家庭を訪れて明日香は取材してきた。中にはシングルマザーで今にも崩れ落ちそうな賃貸住宅に住む母子もいた。取材を通して明日香は今まで自分がどれ程までに恵まれた生活をしていたのかをまざまざと感じ……自分本位だった高飛車な性格が徐々に変わっていったのである。それと同時に募って来るのが我が子、蓮への思いだったのである。どうしても蓮に会いたい。今はまだ母親と名乗ることは出来ないけれども、会って話をして抱きしめたい思いでいっぱいになっていた。そしてついに白鳥に自分の秘密を告白してしまったのである。別れ際、白鳥は言った。本当に愛していた。だから余計に嘘を許せなかったと‥…。もし思い直してくれるなら子供のことは忘れてくれと言われたが、明日香には蓮への思いの方が強く、差し伸べてきた白鳥の手を振り払ったのだった。 東京へ出発する準備をしながら明日香は呟いた。「ごめんなさい、誠也……。だけど、私が大切に思うのは今は蓮なのよ。身勝手な女と周りから言われるのは分かっているし、朱莉さんや蓮にどう思われるのかを考えると怖いけど。でも……」明日香は手元に置いてあるフォトフレームに手を伸ばした。そこには入園式で撮影された蓮の姿が写っている。「フフフ……本当に可愛いい……」幼稚園の制服に身を包み、桜の木の下で緊張した面持ちで真っすぐに立ってカメラを見つめる蓮はとても愛らしかった。「蓮……。待っていてね。お母さん、もうすぐ東京へ行くから……」そして明日香は写真を抱きしめた――――2日後午前9時。この日は朝からあいにくの雨が降っていた。大きなキャリーバックを持った明日香は部屋の鍵を閉めた。エントランスへ向かうと、なんと別れたはずの恋人、白鳥誠也が立っていたのだ。「せ、誠也……どうしてここに……?」「ブログに書いていただろう? 今日新幹線に乗って東京へ向かうって。だからここで待っていた」「だって……仕事は?」「仕事は午後からでも構わないんだ。別に休んだっていい」誠也は淡々と質
last updateLast Updated : 2025-06-08
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1-6 雨の日の別れ 2

「誠也……」「初めて出会った頃は……お前の事随分傲慢な女だと思っていたけど、一緒に暮らし始めて……お前が絵本作家に転身した頃には最初に会った頃のとげとげしさは無くなって……どんどん俺好みの魅力的な女になっていった」「……」明日香は黙って誠也の話を聞いていた。信号が青に変わると誠也はアクセルを再び踏んで会話を続けた。「だから俺は思ったんだ。本気でお前と将来一緒になりたいと。婚約指輪だって買ったのに……」苦し気に言う誠也の言葉に明日香は耳を疑った。「え……? 婚約……指輪……?」余程驚いた顔をしていたのか、誠也はチラリと明日香の顔を見た。「何だ、その意外そうな顔は」「だ、だって……貴方は結婚に興味が無さそうな人に見えたから」「それは今までそう思える相手に出会ったことが無かったからだよ。だけどお前だけは別だった。確かに最初は遊びだったかもしれないが……本気で好きだったよ」「!」「だけど……まさか、婚約指輪を買った矢先にあんな話が出てくるなんて。思わず自分の愚かさを笑ってしまいたくなったよ……」自嘲気味に誠也は言う。「誠也……私は……」明日香は言葉を詰まらせた。「明日香、お前はどうしたいんだ? 我が子と将来一緒に暮らしたいのか?」「……」一所に暮らしたい……? 実際蓮に会ってみなければ分からないけれど、会ってしまえば恐らく離れがたくなってしまうだろう。手放したくなくなってしまうのは目に見えていた。「返事が無いってことは……肯定ってことだよな?」「ごめんなさい……」明日香は俯いた。「父親は鳴海翔なんだろう? 今もまだ好きなのか?」「まさか! もしまだ翔のことを好きなら貴方と付き合っていなかったわ!」そこだけは明日香は強く否定した。「そうか。だが、父親はあの鳴海翔だ。そして明日香の子供は鳴海グループの大切な跡取りなんだろう? とても鳴海翔が子供を手放すとは思えない。どうしても明日香が我が子と暮らしたいとなると……もう道は一つしかない。鳴海翔とやりなおす。好きではないかもしれないが……嫌いではないんだろう?」「わ、私は……」明日香はギュッと両手を握りしめた。再び信号が赤になり、誠也は車を止めた。「どうしても……子供が欲しいって言うなら明日香。今から東京に会いに行く子供のことは諦めて、俺の子供を産んでみないか……?」誠也は
last updateLast Updated : 2025-06-08
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1-7 明日香の来訪 1

 金曜日―― 蓮が保育園に通い始めて、早いもので半月が経過していた。今はお弁当が始まっており、時間帯は14時まで。朱莉は壁に掛けてある時計を見た。時刻は14時15分。そろそろ蓮がスクールバスで帰宅して来る時間だ。「そろそろお迎えに外に行こうかな」朱莉が呟いた時、タイミングよくチャイムが鳴った。――ピンポーン「え……? 誰だろう?」朱莉は玄関へ向かい、ドアアイをのぞき込んで衝撃を受けた。何とそこに立っていたのは明日香だったのだ。慌ててドアを開けると、明日香は恥ずかしそうに挨拶してきた。「こんにちは。朱莉さん。…‥久しぶりね」「こんにちは。驚きました。まさか突然いらっしゃるなんて……」次の瞬間、明蓮のお迎えを思い出した。「あの、すみません。明日香さん、実はそろそろ蓮ちゃんがスクールバスで帰って来るんです。エントランスまで迎えに行かなければならないので、中で待っていてください」すると明日香の顔に笑みが浮かぶ。「あら、そうなの? それじゃ私も一緒に蓮のお迎えに行ってもいいかしら?」「ええ。勿論大丈夫です。では行きましょうか?」朱莉は玄関の鍵を閉めると、明日香を伴ってエントランスへ向かった―― 2人はマンションのエントランス前でスクールバスを待ちながら会話をしていた。「それにしても驚きました。まさか突然いらっしゃるなんて」「ごめんなさい、連絡もせずに……」「いえ、気にされなくて大丈夫ですから。それで、蓮ちゃんには何と紹介すればよろしいでしょうか?」「そうね。朱莉さんの友人ってことにしておこうかしら?」「分りました。ではそのようにしますね」明日香の言葉を聞いたとき、朱莉は内心ほっとした。もし明日香がいきなり蓮に自分が本当の母親だと名乗りを上げてきたらどうしようと思ったのである。(良かった……。今の明日香さんには蓮君に母親だと告げる意思が無いようで。でも、きっといずれは……)朱莉は覚悟を決めていた。あんな本を出版したり、突然ここを訪れたことといい……遅かれ早かれ明日香は蓮に自分が母親なのだと告げるに決まっている。でもそれは当然のこと。だけどそのとき蓮との別れを受け入れることが出来るのだろうか……。そう考えていた時、蓮を乗せたスクールバスが見えてきた。「あ、あれです。あのバスに蓮ちゃんが乗っているんですよ!」朱莉の言葉に明日香は
last updateLast Updated : 2025-06-08
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1-8 明日香の来訪 2

「うわあ~このケーキ、すごく美味しいね」蓮は明日香がお土産に買ってきた苺タルトを喜んで食べている。「本当? 良かったわ。喜んでもらえて」明日香は笑顔で蓮を見つめている。朱莉は今まで見たことの無い明日香に、ただただ驚いていた。(驚いた……明日香さんがあんな風に笑うなんて。以前から少しずつ変わってきているとは思っていたけど、まさかこんなに性格が変わっていたなんて……)始めて出会って、朱莉に色々嫌がらせをしてきた明日香の姿はもうそこには無かった。ただ、あるのは優しい笑顔を見せる母の姿だったのだ。朱莉はそんな明日香を見て思った。(この分なら蓮君を明日香さんに渡しても大丈夫なのかもしれない……。もしかすると私の役目も、翔さんが日本に帰国してくる前に終わりになるのかも……)朱莉はテーブルの下でギュッと手を握りしめるのだった―― **** 朱莉が食べ終わった食器の後片付けをしている間、リビングでは蓮と明日香が自身の描いた絵本を読んでいた。その姿はやはり親子の姿をしていた。2人の姿を見た時に朱莉の胸はズキリと痛んだが、気持ちを押し殺して後片付けを終わらせた。「明日香さん。今日は何所へ泊まるのか決まっているのですか?」朱莉は片づけが終わると明日香に尋ねた。「ええ、今日はホテルに泊まる予定なのよ。絵本の仕事もあるから2週間ほど東京に滞在する予定なのよ」「そうなんですか? 実はお隣のお部屋は翔さんが借りているんです。鍵も開けていますし、管理会社に言えばすぐに電気、ガス、水道を供給して貰えるので、もしよければお隣のお部屋をお使いになりますか? 定期的に部屋の掃除もしていますし、お布団も干していますので」「あら本当? それは助かるわ。でも一応今夜はホテルを予約しているから明日から滞在させて貰ってもいいかしら?」明日香は笑顔で尋ねてきた。「ええ。勿論です」「お姉さん、それじゃまた会えるの?」蓮が頬を赤く染めて明日香を見上る。「ええ、そうね」明日香の返事に蓮はニッコリ笑った。「それじゃ、また新しいお話ししてくれる?」「ええ、勿論よ。任せてちょうだい。お話を作るのは得意だから」「本当? それじゃ指切りしよう」蓮は明日香に右手の小指を立てると、明日香も右手の小指を蓮の小指に絡ませ、2人は指切りをした。そしてそんな2人の様子を朱莉は悲しい気持ちで見つめ
last updateLast Updated : 2025-06-08
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1-9 産みの母と育ての母と 1

 翌日――明日香は13時きっかりに朱莉のマンションを訪ねてきた。「本当に急な申し出でごめんなさい」明日香は大きなキャリーバックを持ち、これから翔の住むマンションの部屋の鍵を開ける朱莉に謝罪した。「いいえ、お気になさらないで下さい。もともとこのお部屋は翔さんが借りている部屋ですし、ずっと空き部屋にしておくのもどうかと思っていたところなので」鍵を開ける朱莉の隣には蓮もいる。「僕、このお部屋入るの初めてなんだ」蓮はソワソワしている。それを明日香は聞き逃さなかった。「あら、そうなの? 蓮君。ならいつでも遊びに来てね」「本当? 嬉しい!」無邪気で何も知らない連は嬉しそうに笑うが、その言葉を聞いた時に朱莉の胸はまたしてもズキリと痛んだ。「さあ、どうぞ。明日香さん」朱莉はドアを開けた。「ありがとう、お邪魔します」明日香は靴を脱いで室内へと足を踏み入れた。日当たり抜群で1LDKの広々とした眺めの良い部屋。広さ約20畳のLDKは解放感に溢れ、白塗りの壁は清潔感を醸し出している。キッチンはコンロが3口で、食洗器、オーブン、ディスポーザー完備。家具、家電は全て翔が住んでいた時のままの状態で残されている。「翔さんはこのお部屋を寝室にしています」朱莉は広さ8畳の寝室も案内した。1面の壁はすべて収納棚になっており、セミダブルのベッドが置かれている。蓮は部屋を見るたびにヘエ~や、すご~いを連発している。すべての部屋を明日香に案内したところで朱莉と明日香はリビングテーブルの椅子に向かい合わせに座った。そして朱莉はふかふかのソファに座って、子供向け番組を見ている蓮の方をチラリと見ながら明日香に尋ねた。「どうでしょうか明日香さん。以前住んでいた億ションに比べれば、格段に広さや設備が物足りないかもしれませんが……」申し訳ない気持ちで朱莉は言うが、明日香の口からは思いがけない言葉が出た。「何言ってるの。こんなに贅沢な部屋に翔は1人で住んでいたのね」明日香は腕組みしながらぐるりと部屋を見渡し、ため息をついた。「え? 明日香さん?」「あら? 何、朱莉さん。その意外そうな顔は……」「い、いえ。そういうわけでは……。ただ、ずいぶん変わられたのだと思いまして」「ええ、そうよ。4年も経つとね、人は環境も考えもいろいろ変わってくるものなのよ。朱莉さんだってそうで
last updateLast Updated : 2025-06-08
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1-10 産みの母と育ての母と 2

「それでは夕食の買い出しに行ってきますので明日香さん、蓮ちゃんをよろしくお願いします」玄関まで見送りに来てくれた二人に朱莉は言った。「ええ、大丈夫よ。急がなくても」「お母さん、行ってらっしゃい」蓮は明日香の手を握り、ニコニコしながら手を振っている。「はい、行ってきます」朱莉は笑みを浮かべると玄関を出た。そしてエレベーターホールに向った。エレベーターに乗りこみ、ドアが開くとエントランスを出て駐車場へと向かう。自分の軽自動車に乗り込み、朱莉はそこで初めて涙を流した。「う……うっう……」ハンドルに頭を乗せ、朱莉は堰を切ったように涙を流した。いくら泣いても涙は少しも止まらない。朱莉の脳裏には先程の光景が頭にこびりついて離れない。明日香に手をつながれ、自分に向って手を振る蓮の姿……。遅かれ、早かれもうすぐその光景が現実化する。そして朱莉はそれを受け入れなければならないのだ。「蓮ちゃん……」朱莉はいつまでもいつまでも泣き続けた――****「ほら、ここをいじると自由に色を変えられるのよ?」明日香は今自身の液晶ペンタブレットで蓮を膝の上に抱いてパソコンでイラストを描く方法を教えていた。「あ! 本当だ! すごい!」蓮はペンの色が赤から青に変わったのを見て興奮して目を見開いた。「これ……すごく楽しいね!」蓮は明日香を見上げる。「そう? そんなに楽しい?」「うん、楽しくてたまらない」蓮は興奮が少しも止まらない。「ふふ……それじゃ好きなだけ絵を描いて遊んでいいわよ?」「本当? 嬉しいな~」そして蓮は再び画面に目を向けると真剣なまなざしでペンを握りしめるとイラストを描く続きを再開した。小さくて柔らかい蓮のぬくもりを感じながら明日香は尋ねた。「ねえ……蓮君」「何?」「蓮君は……私のこと好き?」「うん、お姉さんのこと好き。だってお絵描きは上手だし、いろんなお話し知ってるもの」「フフ……。それじゃお母さんのことは?」「もちろん、大好き!」その言葉を聞いた時、つい明日香は意地悪な質問をしてしまった。「それじゃあね……お母さんとお姉さんではどっちが好き?」すると蓮の動きがピタリと止まった。そして明日香をじっと見上げる。「あのね……お母さんの方が……好き」そしてうなだれる。「ごめんなさい……お姉さん……」その声は子供ながら、
last updateLast Updated : 2025-06-08
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1-11 朝早くに来た人は 1

 食事の終わった後、朱莉と明日香はダイニングテーブルに向いあって座り、話をしていた。蓮は隣のリビングで大好きなネット配信アニメを観ている。「あのね、明日朱莉さんはお母さんのお見舞いがあるのでしょう? だから私が代わりに蓮を1日預かってもいいかしら?」「え?」コーヒーを淹れていた朱莉の手が止まる。「朱莉さんが蓮を翔の知り合いに預けているって話は覚えているわ。明日も午後からその人に預かってもらうんでしょう? だから代わりに私が蓮の面倒を見たいの。いいかしら?」「明日香さん……」(蓮ちゃんと2人きりで明日……)朱莉の胸はズキリとしたが、明日香は蓮の本当の母親である。「ええ、もちろんです。どこかへお出かけでもするのですか?」朱莉は極力冷静に明日香に尋ねた。「そうね。動物園か遊園地を考えているわ」「それはいいですね。では蓮ちゃんに希望を聞いてみてはいかがですか? 幸い明日も良いお天気の様ですから」「ええ、明日尋ねるわ。行ければ両方お出かけしてもいいわね」明日香が楽しそうに笑う姿を見て朱莉は思った。やはり本当の母親にかなうものはないのだろうと――****「え? それじゃ明日はお姉さんと一緒にお出かけするの?」蓮は朱莉の話を聞くと、明日香を見た。「ええ、そうよ。どこでも好きな場所に連れて行ってあげるわ」「それじゃ水族館! 修ちゃんと約束していたところ!」「修ちゃん?」明日香は首を傾げた。実は明日香には修也の存在を知らせていなかったのだ。翔が日本を発つ前に明日香には修也の存在を知らせないように口止めされていたからだ。だが、なぜ話してはいけないのか理由を聞かされていない……というか、聞きにくかったからだ。翔は修也の話になるといつも不機嫌になるので、朱莉はどうしても聞くことが出来ずにいたのだ。「あの、修ちゃんという方は現在アメリカに行った翔さんの代わりに代理の副社長をしている方なんです」朱莉は慌てて答えた。「あら、そうだったの? でもそんなすごい人がよく引き受けてくれたわね」「ええ。子供が好きな方ですから」朱莉は必死でごまかした。「まあいいわ。それじゃ朱莉さん。悪いけどその方には断りを入れておいてくれるかしら?」「はい、もちろんです」朱莉が答えると、明日香は立ち上がった。「さてと、そろそろおいとまするわ。もう20時過ぎて
last updateLast Updated : 2025-06-09
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1-12 朝早くに来た人は 2

 22時ーー蓮はもう寝室でベッドに入ってスヤスヤと眠っている。朱莉はスマホを握りしめ、ため息をつくと修也の番号を呼び出した。『はい、もしもし』3コール目で修也が電話に出た。「こんばんは、各務さん。夜分にすみません。今、お時間大丈夫ですか?」『ええ、大丈夫ですよ。実は今、明日蓮君と一緒に行く予定の水族館のHPを観ていたところなんです。明日は水族館でちょっとしたイベントもあるみたいなので、きっと蓮君喜んでくれるかなと思って』電話越しから楽し気な修也の声が聞こえる。「あの……それが……実は明日はダメになってしまったんです」『え? 明日はお母さんのお見舞いじゃなかったんですか?』「実は……今、明日香さんが東京に来ているんです。そして翔さんのマンションに仮住まいしています」『! 明日香さんが……!?』電話越しから明らかに修也の動揺した声が聞こえてきた。「はい。そ、それで……明日は明日香さんと蓮君がお出かけすることになって……。なので明日は各務さんはどうぞごゆっくりお過ごしください」いつの間にか朱莉の声は涙声になっていた。『あの……朱莉さん』「はい? 何でしょう?」『明日はお母さんのお見舞いに行くんですよね?』「ええ……。行きますけど……?」『なら僕も一緒にお見舞いに行かせて下さい。お願いします……』「各務さん……?」朱莉は戸惑ったように修也の名を口にした――****――翌朝Tシャツにデニムのパンツ、ジャケットを羽織ってリュックを背負った明日香が8時きっかりに訪ねてきた。「あ、明日香さん……その恰好は……!」朱莉は明日香の服装に驚いた。今までの明日香からはまるで想像もつかない服装だったからだ。しかし、よく似合っていた。「フフフ。どうかしら? 似合ってる?」明日香は朱莉と蓮の前でモデルの様にポーズを取ると尋ねてきた。「ええ、とてもよくお似合いです」「うん、すごく格好いい!」蓮は笑顔で拍手をした。**「それでは行ってくるわね」蓮の右手をしっかり握りしめた明日香は玄関で見送る朱莉に言った。「はい、どうぞよろしくお願いします。蓮ちゃん、お利口にして行くのよ?」「うん!」「それじゃ、行ってきまーす」「行ってくるわね」蓮は明日香に手を引かれ、朱莉に手を振った。「はい、行ってらっしゃい」朱莉も笑顔で手を振り……
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