「美由紀……」航は美由紀になんと声をかければよいか分からなかった。航の住む小さなアパートの部屋の窓の外ではいつの間にか雨が降り出していた。雨は窓を濡らし、町の明かりが滲んで見える。「……」航は立ち上がって部屋のカーテンを閉めると、再び美由紀の前に座った。「ねえ……航君……。答えてよ……。私は捨てらちゃうんでしょ……?」美由紀は目に涙をたたえている。(どうする……? 今夜の仕事が終われば美由紀に別れを告げるつもりだったけど……今俺がこの場で美由紀にそれを告げれば、一体美由紀はどうなるんだ?)航は激しく葛藤していた。別れを告げるのがこんなにも大変だとは今までの経験上、航は経験したことが無かった。「美由紀……俺は……」そこから先の言葉が航には出てこない。部屋の中には時折聞こえてくる町の雑踏の賑わいの音と、カチコチと規則正しく時を刻む時計の音だけだった。重苦しい沈黙に耐え切れず、航はコーヒーに手を伸ばして飲む。コーヒーはいつもと同じ銘柄なのに…、何故かとても苦く感じられた。航がいつまでも沈黙していると、再び美由紀は口を開いた。「航君と……初めて結ばれたあの日……」そこまで言うと、美由紀は両手の甲で目をゴシゴシと擦った。「え……?」(何だ? どうして今更そんな昔の話を持ち出すんだ?)だが、何か重要な事を伝えようとしているのかもしれない。航は黙って美由紀の次の言葉を待った。「航君……ベッドの中で眠っていて……私はすごく幸せだったから……ずっと航君の寝顔を見ていたくて……そしたら航君……寝言を言ったんだよ?『朱莉』って……」美由紀は振り絞るように言った。「!」あまりの衝撃的な美由紀の話に、航は言葉を失った。(そ、そんな…。俺は…いくら眠っていたとはいえ……美由紀を初めて抱いた後に朱莉の名前を……!?)航は自分の顔が青ざめていくのを感じた。その時の美由紀の気持ちを思うとやるせなかった。今、航の前で悲しみに打ちひしがれている美由紀の姿は……とても小さく見えた。「それだけじゃないよ……。航君とお泊りしたとき……いつも寝言で出てくる女性の名前は『朱莉』さんだった……」美由紀の目には涙が溢れている。「私……すごくショックだったけど、『朱莉』って女性は過去の人だと思っていたし、今航君が付き合っているのは私だからって……何とか自分を納得させ
Last Updated : 2025-06-13 Read more