All Chapters of 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた: Chapter 211 - Chapter 220

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第211話

優花の言葉を聞き、言吾が一葉の目に視線を注ぐ。そこに、確かに彼女が言った通りの、完全な無感情が宿っているのを見て取ると、彼が手にしていたサインペンが、ギリ、と音を立てんばかりに握り締められた。言吾のその微かな変化を見逃さなかった優花は、内心でほくそ笑む。今回もまた、彼は自分の言葉を信じてくれたのだ、と。一葉もまた、言吾のその変化に気づいていた。思わず冷笑を浮かべ、何かを口にしようとした、その時だった。言吾は、自身の腕から優花の手を振り払い、冷え冷えとした視線を彼女に向けた。そして、フッと自嘲めいた笑みを漏らした。「優花……俺はお前を本当の妹だと思ってきたが……お前は俺を、ただの馬鹿だと思ってたのか?」優花が、虚を突かれたように固まる。予想外の言葉に、一葉も思わず息を呑んだ。まさか言吾が、そんなことを言うとは。我に返った優花は、見る間にその瞳を涙で潤ませた。「言吾さん、どうしてそんな酷いことを言うの?私は、すべてあなたの為を思って……!」必死に涙をこぼし、あくまで「あなたの為」を演じ続ける優花。だが、その悲痛な表情とは裏腹に、彼女の胸中は言吾への罵詈雑言で渦巻いていた。彼が馬鹿なのではない、本当に救いようのない馬鹿なのだ、と。普通の人間なら、離婚の際には財産を巡って泥沼の争いを繰り広げるのが当たり前だというのに、この男は自ら全財産を差し出そうとしている。世界中を探したって、これほどの愚か者は二人といないだろう!「……俺の為、だと?」言吾は、自分自身を嘲るように、乾いた笑い声を響かせた。「一葉が崖から落ちて入院していた時、お前はこう言ったな。『すぐにお見舞いに行って、謝ったら、彼女に気を失うほど殴られた』と」「あの時の彼女は、指一本動かせない状態だった。教えてくれ、どうやって彼女がお前を殴り倒したんだ?」優花は一瞬言葉に詰まり、次の瞬間、その顔からサッと血の気が引いていく。これまで言吾の前で、一葉を貶める嘘をあまりにも多く重ねてきた。その多くは彼女自身も忘却の彼方だったが、今、不意にその一つを暴かれ、どう反応していいのか、咄嗟に言葉が見つからなかった。長い沈黙の後、ようやく絞り出す。「あの時は……あの時は、お姉さんに薬を盛られたんだって思い込んでて……だから、つい……お姉さんのこ
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第212話

「言吾さん、私、お姉さんを貶めようなんて……ただ、色々な状況から見て、もしかしたらって思っただけで……」彼女が言い終わる前に、言吾が声を荒らげた。「もういい、優花!俺がお前を家族として信じてきたのは、お前が俺を馬鹿にするためじゃないんだぞ!」ほとんど物心ついた時から同じ家で育ち、同じ母親に育てられ、彼は本気で彼女を実の妹のように思っていた。だというのに、彼女は……「言吾さん、私は本当に……」優花はなおも何かを弁解しようとした。だが、彼女の言葉をこれ以上聞きたくない言吾は、部下に命じ、その腕を掴んで部屋から引きずり出させた。一葉の潔白さ、彼女が負ったおびただしい傷の数々。それらが、これまでの歳月、優花がどれほど多くの嘘で自分を騙してきたのかを、言吾に明確に物語っていた。そして、優花が一葉を貶め、二人の仲を裂こうとしたのは、単に「薬を盛られた」という誤解からくるものではなかったことも。最初から、一葉が優花の幸せを妬んでいたのではなく、優花の方が、一葉の幸せを許せなかったのだ。だが。たとえここまで裏切られてもなお、共に育った歳月の情が、言吾の判断を完全にクリアにはさせなかった。彼は、あの日の出来事だけは疑おうとしなかったのだ。優花が自ら父のベッドに潜り込んだはずがないと、そして、あの薬を盛る映像も、彼女が意図して撮影したものではないと、固く信じ続けていた。部下に両脇を固められ、引きずられていく優花が、諦めきれないように大声で叫んだ。「言吾さん、本当にあなたの為を思って言ってるの!お願いだから、全財産をあの女にあげるなんてやめて!」「あの女に渡しちゃったら、すぐに別の男を見つけて再婚するわ!そしたらあなたは無一文になるだけじゃない!あの女とその新しい夫を養うために、死ぬ気で働き続けることになるのよ!いずれは、あの女と他の男との間にできた子供の面倒まで見ることになるんだから!言吾さんっ!お願いだから、よく、よく考えて!」もはや以前のように、優花の言葉を鵜呑みにすることはなくなった言吾。しかし……彼女のその言葉は、それでもなお、彼の心を締め付け、疼かせた。制御しようとしても、どうにもならない。想像したくもない。考えては、いけない。いずれ一葉が、他の男と結ばれる姿など。ましてや、その男との間に子供を授
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第213話

一度手放さなければ、再び手に入れることはできない。一葉の心を、その警戒心を解かなければ、二人の関係に次なる進展など永遠にありえないのだ。だから、彼は一葉と同じ言葉を返した。「結構です」ただ、どうあっても、微笑みを浮かべてそれを言った一葉のようにはいかなかった。二人の固い決意を見て取った職員は、ため息を一つついて、離婚の手続きを進めるしかなかった。離婚。言葉にするのは簡単だが、ここまで来るのは、あまりにも長く、困難な道のりだった。だが、難しいかと言えば、あまりにも簡単で、ほんの数分の手続きで終わってしまう。これで、一葉と言吾の間に、もはや法的な夫婦関係は存在しない。手にした真新しい離婚証明書を、一葉はしばし呆然と見つめた。一方、言吾は、その目を赤く潤ませていた。もちろん、彼とて、本心からこの結婚を諦めたわけではない。一時的に手放すのは、より良い未来のため。結婚した時、離婚するなど夢にも思わなかった。二人で共に白髪になるまで添い遂げるのだと、固く信じていた。それが、誰が想像できただろう。わずか四年という短い月日で、二人はこの場所に行き着いてしまった。その事実が、彼の心を締め付け、疼かせる。まるで心臓発作を起こしたかのような激痛が走る。だが、彼はその苦しみを微塵も表には出さなかった。今の彼女が、自分に同情など一片も寄せないと、痛いほどわかっていたからだ……役所の外へ出ると、それまで曇っていた空から、牡丹雪がはらはらと舞い落ちてきた。今年の冬は、ことのほか雪が多い。瑞雪は豊年の兆し、と人は言う。一葉は、これを吉兆だと感じた。自分の車に向かって歩き出そうとした、その時。不意に言吾が、彼女を呼び止めた。一葉は、反射的に振り返る。風雪の中に、彼は一人佇んでいた。黒いトレンチコートの裾が、風にはためいている。もともと白い肌の持ち主だが、ここしばらくの心労と衰弱が、その顔からさらに血の気を奪い、往時よりもなお白く見せた。まるで、触れただけで砕け散ってしまいそうな、危ういほどの白さ。そんな彼の姿は、見る者の心を、どうしようもなく締め付ける。ましてや、今はその目が赤く潤んでいるのだ。その痛々しいまでの儚さは、人の心を捕えて離さず、鷲掴みにして、きりきりと締め上げるよ
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第214話

言吾はそこに立ち尽くし、一葉がためらいなく踵を返すのを見ていた。彼女が車に乗り込み、その車が走り去り、やがて完全に見えなくなるまで、ただじっと見送っていた。不意に、彼の胸にぽっかりと大きな穴が空いたようだった。世界中の風雪が、好機とばかりにその穴から心臓へと容赦なく吹き込んでくる。そのあまりの冷たさと痛みに、彼は思わずよろめき、立っていることさえままならなかった。彼女を失うことなど、断じて許容できるはずがない。だが、一葉のあの決然とした態度は、彼の心の奥底にどうしようもない恐怖を植え付けた。このまま、本当に二度と会えなくなるのではないか。その可能性が、彼を恐怖のどん底に突き落とす。本当に、怖かった……雪片が、はらりはらりと彼の頬に舞い落ちる。舞い続ける雪を見つめていると、不意に、ある記憶が蘇った。優花が帰国する前の、あるクリスマスの夜。あの日も、今と同じくらいの大雪だった。雪が大好きだった一葉は、「クリスマスに雪が降るなんて、これ以上ないくらい完璧じゃない!ロマンチックだわ!」と、はしゃいでいた。この雪景色を楽しまなきゃ損だと、レストランまで歩いて行こうと強請る彼女を、彼はいつものように甘やかした。喜んで彼女の手を取り、共に雪道を踏みしめた。雪の勢いは強く、あっという間に二人の頭は真っ白になった。今でもはっきりと覚えている。一葉が顔を上げ、愛らしく小首を傾げて彼を見つめ、こう言ったのだ。「ねぇ、あなた。私たちこうしていると、まるで白髪になるまで添い遂げたみたいじゃない?」そのあまりの愛らしさに、彼は堪えきれず、身を屈めて彼女の唇を塞いだ。あの時の彼は、こう思った。雪で白くなる必要なんかない。俺たちは必ず、本当に手を取り合って、本当の白髪になるまで一緒にいるのだと。そして、毎日が今日のように、幸せなのだと。あの時の彼は、二人が共に老いていける未来を、微塵も疑ってはいなかった。だが、誰が想像できただろう。あの日から、二人が共に歩んだのは、わずか二年。それも、これほどまでに苦痛に満ちた二年だったとは。結婚式の誓いの言葉を思い出す。「生涯をかけて彼女を大切にし、世界で一番幸せにする」と誓ったのに、自分はその約束を守れなかったどころか、彼女を地獄のような苦しみに突き落とした。何
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第215話

しかし……今の彼女には、どうしても金が必要だった。以前、一葉に言吾からの贈り物をすべて返すように要求された時、言吾は確かに言った。それらを返せば、代わりにもっと良いものを与える、と。返したものよりも多く、決して少なくはないと。だのに。彼は、未だに何も与えてくれていない。金がなければどうやって生きていけというのか。一体、どうやって!とうの昔に贅沢三昧の暮らしに慣れきってしまった優花にとって、金のない生活など一日たりとも耐えられるものではなかった。「言吾さん、本当に、お姉さんを陥れようとしたわけじゃないの。私は、心から言吾さんのためを、そしてお姉さんのためを思って……言吾さんがお姉さんに罪悪感を抱いて、不憫に思って全財産を渡したっていうのは、私にもわかるわ。でも……でもね、言吾さん、考えたことはある?お姉さんは女一人なのよ。そんな大金を持っているなんて、まるで子供が大金を持って大通りを歩いているようなものじゃない?かえって危険を招くだけじゃないかしら?」さも自分のため、そして一葉のためを思っているかのような彼女の言葉を聞いて、言吾はフッと乾いた笑いを漏らした。「優花、お前は本当に俺を馬鹿だと思っているのか」今この期に及んで、彼女が一葉のためを思うなどという戯言を、自分が信じるとでも思っているのだろうか。なおも何かを言い募ろうとした優花は、その冷たい声に射抜かれ、ぴたりと動きを止めた。「言吾さん、私……」彼女が何かを言い訳するより早く。言吾は静かに彼女を見据えた。「優花。もしお前のこれからの人生を平穏に過ごしたいと願うなら、もう二度と余計なことはするな。お前の生活の心配はしなくていい。この先、俺が一口でも飯を食える限りは、お前にも食わせてやる」彼女には、数えきれないほどの非がある。だが、かつて彼女の生涯の面倒を見ると誓った以上、その約束だけは果たすつもりでいた。優花は言吾の顔を見た。彼の言葉を信じた。彼はきっと、自分の後半生の面倒を見てくれるだろう、と。だが。彼女が望んでいたのは、彼が一口食べられるなら自分も一口食べさせてもらえる、などという施しのようなものではない。あれほど努力し、心を砕き、知恵を絞り……果ては、あの男たちに身も心も踏み躙られてまで手に入れようとしたのだ。すべてが無に
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第216話

言吾が、あれほど頑なに一葉が重傷を装っていると信じ込んでいたのには、いくつかの理由があった。水嶋秘書や、一葉の両親までもが口を揃えて「彼女は大丈夫だ」と言っていたこと。だが何よりも大きな原因は、彼自身が、あの拉致を、優花との寵愛を競うために一葉が仕組んだ狂言だと、心の底から信じ切っていたことにあった。だからこそ、拉致犯から二者択一を迫られた時、彼は何のためらいもなく優花を選んだ。一葉が崖から転落した後も、それすら彼女が描いた脚本の一部だと思い込み、心配のかけらも見せなかった。病院へ赴き、優花への謝罪を求めた際に彼女の痛ましい姿を目の当たりにしても、なお「演技だ」と断じ、自業自得だとさえ思ったのだ。あんな馬鹿げた芝居を打ったのだから、当然の報いだと。その後、一葉の負った傷が本当に深刻なものだったと知り、ようやくあれが狂言ではなく、本物の拉致事件だったと悟った時。彼の胸を苛んだ後悔は、まさに断腸の思いだった。だが、それでもなお、彼は主犯が優花である可能性など、夢にも思わなかったのだ。無意識の奥底で、幼い頃から共に育った優花が、これほどまでに残忍なことをするはずがないと固く信じていたからこそ、彼の口からは本能的に否定の言葉が飛び出したのだ。思わず、何かの間違いではないか、と問い質したくなる。だが。その言葉は、喉の奥で消えた。警察が確かな証拠もなしに、こうして直接逮捕に乗り込んでくるはずがない。冷静さを取り戻した彼は、氷の刃のように鋭い視線を優花へと突き刺した。その視線に射抜かれ、優花は本能的に否定しようとした。しかし、すべてを見透かすような言吾の瞳と向き合った瞬間、悟ってしまった。どんな言い訳を並べても、もはや彼は信じないだろう、と。だが、これは法を犯す行為だ。警察の前で、たとえ彼が信じなくとも、絶対に認めるわけにはいかない。だから彼女は、嗚咽を漏らしながら、ちぎれんばかりに首を横に振った。「やってない!私じゃない!私じゃないの!私も被害者だったのよ!」「言吾さんもその場にいたでしょう!見たでしょ、犯人たちは私の首にもナイフを突きつけてた!私も被害者なの!」彼女は必死に無実を訴えた。しかし、彼女と視線が交わったその瞬間、言吾は彼女の瞳の奥に宿った一瞬の、しかし致命的な動揺を見逃さなかった。その
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第217話

いつかは必ず、自らの行いの代償を支払わなければならないのだ。優花が逮捕されたという知らせは、すぐに一葉のもとへ届いた。藤堂弁護士から、優花には最低でも懲役十年を求刑できると聞いた時。一葉は、手にしたグラスを彼に向かって軽く掲げた。気分が良かったこともあり、彼女はつい、杯を重ねてしまった。家路につく頃には、足取りもおぼつかないほどだった。家の玄関まで辿り着き、寒風の中に佇む言吾の姿を目にした瞬間、昂っていた一葉の心は、すっと冷めていった。確かに、彼は全財産を一葉に譲渡した。だが、それでも、もう二度と彼の顔など見たくないというのが、彼女の偽らざる本心だった。特に、こんな時に顔を合わせるなど、最悪だった。彼を無視して、そのまま階段を上がろうとした、その時。言吾が、彼女を呼び止めた。「優花が、捕まった」一葉は足を止め、振り返ると冷笑を浮かべた。「……なに?まさか、あなたのかわいい妹を見逃してくれって、頼みにでも来たのかしら」その瞳に宿る剥き出しの軽蔑が、言吾の心を鋭く刺した。自分が彼女の心の中で、一体どれほどのろくでなしだと思われているのかを。この期に及んで、まだ優花のために命乞いに来たと、本気で思わせてしまうほどに。その事実が、彼を打ちのめした。「違う……俺は、お前に謝りに来たんだ、一葉。すまなかった、俺が……」だが、彼が言い終える前に、一葉がその言葉を遮った。「もう謝らないで。あなたを許すつもりはないし、謝罪の言葉も聞きたくない」「前にも言ったはずよ。本当に申し訳ないと思うなら、二度と私の前に現れないで」そう言って、彼女は真剣な眼差しで彼を射抜いた。「深水言吾。……私は、本気で、もう二度とあなたに会いたくないの!」なおも何かを言おうとしていた言吾は、その言葉に、さっと顔を青ざめさせた。あれほど大きく屈強だったはずの身体が、今にも崩れ落ちそうに揺れている。まるで、風が吹いただけでも倒れてしまいそうなほどに。一葉はもう彼に構うことなく、そのまま階段を上がっていった。……言吾が決して助けてくれないと悟った優花は、最後の頼みの綱として、一葉の母である今日子に泣きついた。その結果、翌朝早く、一葉は自宅の玄関で今日子に行く手を阻まれた。「優愛!なんて酷い子なの!自分の妹を刑務
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第218話

たとえ幾度となく打ちのめされ、鋼のようになったはずの一葉の心でも、今日子のその言葉には、鋭く刺された。まさか彼女が……優花のために、そこまでできるなんて!なぜ?どうして?最初は、あんなに優花のことを気に入っていなかったというのに!もしも、数々の誤解のせいで、自分が性悪だと信じ込み、養女である優花を好きになったのだとしたら。ではなぜ、真相が明らかになった今、自分が何もしていないとわかった今、誤解していたことへの罪悪感を抱くどころか、こんな仕打ちができるというのか。優花が彼女の思うような善良な人間ではなく、むしろ悪意に満ちていると証明されてさえ……なぜ、優花を嫌いになるどころか、あの子のためにここまでできるというのか。なぜ?どうして、今になってもまだ、あんなに優花を好きなの?あれほど自分を傷つけておきながら、それでも母親との縁を切ることなどできなかった自分に対して、彼女は……彼女は、いとも簡単にそれができるというのか?その痛みと、頭の中を埋め尽くす狂おしいほどの「なぜ」という思いに、一葉は、こらえきれず言葉を口走っていた。「どうして?お母さん、どうしてなの?どうして優花っていう養女に、この実の娘の私より、ずっと良くしてあげるの?」「あの子が私の命を狙ってさえ、あの子は悪くなくて、私のほうが悪いの?あんな悪意の塊みたいな人間のために、この私を……実の娘を、いらないって言うの!」堰を切ったように疑問を叫んだ後、一葉は思わず、自嘲の笑みをこぼした。なんて愚かなのだろうと、自分を笑った。散々酷い目に遭ってきたというのに、まだ彼女に「なぜ」と問おうとするなんて。彼女が、一体何を答えてくれるというのか。人の心がそもそも歪んでしまっているのなら、本人はその歪みに気づきはしない。自分がいくら考えても理解できない「なぜ」は、彼女にとって、そもそも存在する理由すらないのだ。案の定。今日子は、フンと冷たく鼻を鳴らした。「なぜ優花の方が可愛いかって?そんなの、あなた自身に聞くべきことでしょう。なぜ、あなたはそんなにも出来損ないなの。実の母親に、養女よりも嫌われるなんて!」「優花が性悪ですって?あの子がどうして悪いのよ。言っておくけど、拉致事件だなんて、全部あなたが仕組んであの子を陥れたんでしょう!仮
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第219話

今日子は、驚愕に目を見開いた。まさか娘がこんなことを言うとは、夢にも思わなかったのだろう。長い沈黙の後、絞り出すように言った。「優愛……あんたなんて、本当に人間のクズよ!」「ええ、そうね。だって私には、人間らしいお母さんがいなかったもの」……今日子では、一葉の決意を到底覆すことができないと悟ったのだろう。優花は、今度は言吾に助けを求めた。面会に訪れた言吾の前で、優花はしゃくり上げながら、身も世もなく泣きじゃくった。「言吾さん、私、本当に間違ってた……っ。本当に、私が悪かったの……」もはや言い逃れはできないと判断したのか、優花はただひたすらに言吾の同情にすがる。「あの時、あの時は……お姉さんに薬を盛られたんだって勘違いして、憎くて、憎くて……ついカッとなって、あんな間違いを犯しちゃったの!」「言吾さん、本当にごめんなさい……!私、本当に反省してるから……っ」その哀れを誘う泣き姿は、見る者の心を締め付けるほど痛々しい。だが、かつては蝶よ花よと彼女を甘やかし、僅かな苦労さえさせまいとしていた男の、その険しい顔に同情の色は浮かばなかった。憎しみから過ちを犯したという彼女の動機は、理解できた。だが、許すことはできない。そもそも、言吾に彼女を許す資格など微塵もなかった。もし優花が、血の繋がらない妹で、命の恩人でさえなければ、助けるどころか、この手で八つ裂きにしてやりたいとさえ思う。いや、それ以上に殺してしまいたいのは、言吾自身だった。全ての元凶は、浅はかだった自分にあるのだと。あの時、一葉を信じようとしなかった自分の愚かさが、この悲劇を招いたのだと。今、この手で葬り去るべき人間がいるとすれば、それは他の誰でもない、この自分自身だ。今の言吾が、かつてのように自分を無条件で庇護してくれる存在ではないことは、優花にも痛いほど分かっていた。しかし、これまでの贅沢な暮らしに慣れた彼女にとって、不自由な生活には一日とて耐えられない。ましてや、鉄格子の嵌った牢獄で何年も過ごすなど、想像するだけで正気を失いそうだった。だから、彼女はどんな手を使ってでも、懇願を続けるしかなかった。「言吾さん、私、ほんと……本当に自分が間違ってたって分かったの。もう二度とあんなことしないから。お願い……お願いだから、私のお母さんの免じて、
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第220話

言吾の心にわずかながら揺らぎが見えたのを、優花は見逃さなかった。堰を切ったように、さらに激しく泣きじゃくる。「言吾さん、違うの!私は、お姉さんを殺そうとなんて思ってなかった!ただ……ただちょっと困らせてやりたかっただけで……!あんな崖から落ちて大怪我するなんて、本当に事故だったのよ!もし本気でお姉さんを殺すつもりだったら、拉致してすぐにでも殺せたはずじゃない!どうしてわざわざ、言吾さんが来るのを待ったりするの!それに、あの崖がそんなに高くないこと、言吾さんだって知ってるでしょ?本気で殺すなら、あんな中途半端な場所、選ぶわけないじゃない!本当に……!本当に、お姉さんを殺すつもりなんてなかったの……あれは、ただの事故だったの……」優花はただ、可哀想に、可哀想に泣き続けた。その姿は、いかに冷徹な人間であろうと、思わず手を差し伸べてしまうほど哀れに満ちていた。ましてや、これまで無意識のうちに彼女を甘やかすことが当たり前になっていた言吾にとっては、なおさらだった。それに加え、言吾の心の奥底には、優花は決してそこまで悪辣な人間ではない、という思い込みが根強く残っていた。だから、彼は信じてしまったのだ。優花は、本気で一葉を殺そうとしたわけではない、と。彼女があのような凶行に走ったのは、性根が腐っていたからではなく、一葉に薬を盛られたと誤解し、その憎しみから心が歪んでしまった結果なのだ、と。花のような盛りであった彼女が、自分の親父に汚されたこと。彼女の心は、その時からすでに、修復不可能なほど歪んでしまっていたのかもしれない。亡くなる間際の青江おばさんが、後生だから優花の事を頼むと、自分に託したこと。それなのに、自分は彼女をちゃんと守ってやれなかった。彼女がこうなったのは、自分の責任でもある。だから、最後の最後に。彼は、全ての感情を押し殺したような目で優花を見据えた。「……これが最後だ。ここから出られたら、すぐに海外へ行け。そして、二度とこの国に戻ってくるな」「俺たちの間には、もう何の関係もなくなる」これが最後。正真正銘、最後の助けだ。今回のことで、彼女の亡き両親と、そして彼女自身から受けた恩は、すべて返し終わる。これで、何ものにも縛られない。言吾の一葉への愛は、本物だった。しかし、優花に対する長年の情もまた
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