All Chapters of 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた: Chapter 221 - Chapter 230

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第221話

まだ試験も始まっていないというのに、これで豪華な食事が二回分も約束されてしまったな、と一葉は一人で苦笑した。食後、旭が一葉を試験会場まで送ると言って聞かない。どうせ家にいても手持ち無沙汰だろうと思い、一葉は彼の申し出を受け入れた。会場に着き車を降りると、一葉は旭に、近くのカフェで待っているように伝え、試験が終わったら電話すると言った。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、背後から甲高い声が飛んできた。「試験ぃ?嘘でしょ?一葉さん、あんたが大学院の試験受けるってわけ?あんたみたいなのが?」一葉は眉をひそめて振り返る。そこに立っていたのは、兄の恋人である浅井蛍の母親だった。以前、博士号持ちだという甥を一葉に紹介しようと、やたらとしつこくしてきた一件を思い出し、思わず口元がひきつった。「言わせてもらうけどね、一葉さん。あなた、もういくつ?三十路も間近じゃないの!それで今更、大学院受験だなんて!そもそもあんた、ただの主婦でしょ。何の取り柄もないんだから、受けたって時間の無駄に決まってるわ。仮に受かったとしてよ。卒業する頃には一体いくつになってると思ってんの?私が思うにね、そんなことより、若いうちにさっさと次の相手見つけて再婚した方が利口よ!親戚のよしみで言ってあげるけど、今からでも考え直して、うちの甥を紹介してくれって頭を下げるんなら、まだチャンスをあげなくもないわよ!言っとくけど、あなたみたいな三十過ぎのバツイチなんて、そう簡単には相手が見つからないんだから。高望みしないことね!」一葉は、返す言葉も見つからず、呆れて黙り込む。四捨五入と言えなくもないが、年齢にそれを適用するのはどうかと思う。まだ二十六歳で、女として一番華やかな時期だというのに、三十過ぎとは……「聞いてるの?うちの甥っ子は、引く手あまたなのよ!ほら見て、この子!なんて凛々しくて格好いいんでしょう、おまけに博士号を二つも持ってるのよ!あなたに、この子以上の相手が見つかるわけないじゃない!あなたのためを思って……いえ、親戚のよしみじゃなかったら、うちの甥をあなたなんかに紹介したりしないんだから!」この、兄の未来の義母となるであろう女性は、娘の蛍から、一葉が離婚でどれほどの財産を手にしたかを聞き及んでいるのだろう。口では一葉を貶めながらも、
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第222話

言吾の視線が、蓮の指差す先の旭に向けられる。彼は何も言わなかったが、その瞳の色が一段階、深く沈んだ。「一葉さんは綺麗だし、金も持ってる。離婚した今、あっという間にハイエナみたいな連中が群がってくるに決まってる。なあ、言吾。全財産を一葉さんに渡しちまったのは、正直、ちっと早まったと思うぜ。今からでも損失を取り戻せるチャンスがあるんなら、少しでも金を手元に戻しておくべきだ。金がなきゃ、一葉さんを取り戻すどころか、他の男に横からかっさらわれるのを、ただ指をくわえて見てるしかなくなるぞ。下手すりゃ、財産目当ての悪い男に騙されて、身も心もボロボロにされちまうかもしれねえ」蓮は、本気でそう思っていた。言吾が一葉に対してどれほどの罪悪感を抱いていようと、全財産を譲渡するなど、正気の沙汰ではない。この金がすべての世の中で、金がなければ男に何が残るというのか。何もない。何者でもなくなってしまう。妻を取り戻すどころか、みすみす他人のものになるのを見ているしかないのだ。言吾は、やはり何も言わなかった。ただ、一葉の背中を、それが雑踏に紛れて見えなくなるまで、食い入るように見つめ続けている。彼女の姿が完全に消えてもなお、彼は名残を惜しむように、窓を閉めようとはしなかった。蓮は、なおも説得を続ける。「言吾、今の世の中、金がなきゃマジでどうにもならねえって」「ましてや、これから一生、一葉さんのために働く羽目になるなんて、そんなの……」圧倒的な力を持つ経営者の座から、ただの雇われの身へ。その落差は、彼の男としての魅力を根こそぎ奪い去ってしまうように思えた。「今はまだ、一葉さんの周りにいる連中が取るに足らないとしてもだよ。将来、もし一葉さんの前にとんでもなく手強い男が現れたらどうするんだ?そんとき、お前が丸裸だったら、どうやってそいつと張り合うんだよ?ただでさえ、お前は圧倒的に不利な立場にいるっていうのに」どうせまた無視されるだろう。蓮がそう思った、その時だった。言吾がふっと彼の方へ顔を向けた。「誰が、俺は丸裸だと言った?」蓮は一瞬、虚を突かれた。「……言吾、まさか、財産の全部を一葉さんに渡したわけじゃなかったのか?」彼は、言吾が万が一のために何か手を打っていたのだと、そう思った。しかし。「いや、すべて渡した」─
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第223話

そもそも、離婚すること自体、決して受け入れなかったはずだ。自分の愛が、いかに身勝手なものであるかは分かっている。だが、彼は、是が非でも。死なない限り、彼女を手放すことなど、万に一つも考えられなかった。……一葉が試験を受けていた二日間、言吾は会場の外で、ずっと彼女を待ち続けていた。その一途な姿は、彼の友人たちが思わず同情してしまうほど痛々しい。彼らは何とかして言吾のこの健気な様子を一葉に伝えようと、画策した。一葉に、言吾を哀れんでほしい、と。だが、言吾が自分の後をずっとつけていたと知った一葉は、同情するどころか、ストーカーではないかと気味悪がった。彼の友人たちを通して、はっきりと警告する。これ以上つきまとうなら、警察に通報する、と。かつて一葉がどれほど言吾を愛していたかを知っている友人たちは、彼女が同情を示すどころか、警察に突き出すとまで言い放ったことに、ただただ呆然とするばかりだった。試験が終わり、解答を教授と照らし合わせた結果、合格はまず間違いないだろうと確信できたことで、一葉の心はすっかり軽くなった。ちょうどその頃、優花が起こした誘拐事件の、公判が開かれる日がやってきた。この日まで、優花を見逃してやってくれと、諦め悪く一葉に接触しようとし続けていた国雄と今日子が、案の定、裁判所の入り口で待ち構えていた。一葉が車から降りるのを見るや、二人はすぐさま駆け寄ってくる。しかし、彼らが一葉に近づくより早く、ボディガードたちが間に入り、一メートル以上もの距離を保ったまま、それ以上近づけないように行く手を阻んだ。その対応に、国雄は激昂した。「優愛ッ!貴様、本当にいい気になりおって!」とっくに縁を切った相手だ。一葉は、父に一瞥もくれなかった。父に対しては、もう何の感情も残っていなかった。完全に、過去の人間として切り捨てることができていたのだ。一葉が自分に見向きもしないことに気づくと、国雄は焦りと怒りに駆られ、隣に立つ息子の腕を掴んだ。「哲也、お前、あの性悪女に言ってやれ!優花を見逃してやれと!優花は、お前の妹なんだぞ!」「お前は、あの子が刑務所に入るのを、ただ黙って見ているつもりか!」国雄は知っていた。家族の中で、哲也が一葉と最も仲が良いことを。自分たちが出て行っても無駄なら、哲也を矢面に立
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第224話

法廷に足を踏み入れた途端、毒々しい視線が一葉に突き刺さった。視線の主――優花が浮かべる、殺意にも似た憎悪。それを受け止めた一葉は、片眉をくいと上げ、不遜に、そして挑発的に笑ってみせた。その笑みは雄弁に物語る。あなたがどれだけ私を憎み、死を願おうと、それが何だというの?破滅するのは私じゃない。あなたの方よ、と。一葉のあからさまな挑発は、優花の憎悪の炎に激しく油を注いだ。今この瞬間ほど、目の前の女の死を願ったことはない。だが、どれだけ殺したいと念じようと、もはや無意味だった。今の自分が、もはや一葉の相手にすらならないことを、優花自身が痛いほど理解している。彼女はもう、かつて自分が好きなように踏みつけてきた、無力な泥人形ではないのだ。この裁判を無事に乗り切れるだけでも、僥倖と言わねばならなかった。万が一があってはならない――そう強く自制し、優花は一葉から視線を逸らす。しかし、胸の内で渦を巻く憎しみは、どうしても抑えようがなかった。憎い!本当に、憎くてたまらない!すべての始まりは、初めて青山家へ足を踏み入れた、あの日。優花は、初対面の時から一葉のことが嫌いだった。彼女があまりにも美しすぎたからだ。幼い頃から容姿を褒めそやされて育ったこの自分ですら、思わず劣等感を抱いてしまうほどに。一葉がいるだけで、人々の視線は無意識に彼女へと吸い寄せられる。誰も、自分のことなど見向きもしない。その屈辱が、優花にある願望を植え付けた。この女を徹底的に足蹴にし、身動き一つ取れないようにして、泥濘の中に永遠に閉じ込めてやりたい。それが彼女の生涯を懸けた願いとなった。そしてこれまで、その願いは実にうまく成就してきたのだ。一葉が愛した人間は、誰もが皆、優花を愛した。彼女がただ涙を流すだけで、理由もなく一葉が悪者にされた。実の父に、母に、兄に、そして最愛の夫に、叱責され、虐げられてきた。一葉との関係において、自分は常に絶対的な勝者であり続けた。それなのに。どうして、最後にはこんなことになってしまったのだろう。優花には、それがどうしても分からなかった。……罪証は確固たるもので、間違いはないはずだった。藤堂弁護士の腕をもってすれば、優花は十数年の実刑判決を免れないだろうと、一葉は確信していた。ところが―
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第225話

だが、一葉は。彼らを完全に無視した。もはや、父が何を叫び、母が何を喚こうと、今の彼女の耳には何も届かなかった。審理が終わり、一葉たちが新たな突破口を探し、そして証人に再び優花を告発させるだけでなく、言吾が司法を妨害したことまで証言させる方法を模索している、まさにその矢先だった。拘置所から、突然の報せが届いた。優花が死んだ、と。もともと病弱な上に、何不自由ない生活に慣れきっていた優花にとって、拘置所の環境は耐え難いものだったらしい。入所以降、頻繁に体調を崩し、昨日もまた病に伏せたという。所内の医師では対応できず、彼女は治療のため拘置所から最も近い病院へと、保釈扱いで移送された。そして昨夜、原因は不明だが、その病院でガス管の爆発事故が発生した。爆心地は、あろうことか優花が入院していた病室だった。爆発による火災で、優花は黒焦げの遺体となって発見された。その報せを受けた瞬間、一葉は全身が凍りついたように動けなくなった。しばらくの間、思考が停止する。やがて我に返ると、本能的な不信感が湧き上がってきた。優花が、こんなにあっけなく死ぬなんて。そんなはずはない。これはきっと、死を偽装しているに違いない。一葉はすぐさま藤堂弁護士と数名の専門家を伴い、優花が事故に遭った病院の霊安室へと急行した。到着した時、そこにはすでに両親と兄の哲也、そして言吾の姿があった。両親の取り乱しように、もとより彼らが優花を助け出すほどの能力はないと思っていた一葉は、その考えを一層強くした。「この人でなしッ!あんたのせいよ!あんたのせいで!」一葉の姿を認めるやいなや、今日子が獣のような叫び声を上げて襲いかかってきた。「どうして死んだのがあんたじゃないの!あんたが死ねばよかったのに!」その顔は凄まじい怒りに歪み、振りかざされる腕には、一葉を引き裂かんばかりの力が込められていた。もし彼女のそばに誰もいなければ、その勢いで突き殺されていたかもしれない。だが、残念なことに。一葉の周りには人がいた。今日子がどれだけ怒り狂おうと、彼女の体に指一本触れることはできない。殴りかかることすら叶わないと悟ると、今日子はさらに激昂し、ただ「死ね」と金切り声を上げ続けた。国雄も、それに同調するように「死ね」と罵声を浴びせる。そのあ
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第226話

一葉もまた、言吾に視線を送った。どう考えても、目の前に横たわるこの炭化した遺体が、優花本人だとは思えなかった。優花は死を偽装しているに違いない。そして、その偽装死を手伝ったのは、言吾だ。そう確信していた。だからこそ、赤く充血した言吾の目を見た時、一葉は、鼻でフッと冷たく笑った。なかなか、真に迫った演技じゃないと。その冷笑に、言吾は何かに気づいたようだった。だが、警察官たちのいる前で、彼は迂闊なことを口にできない。言吾は一葉に何も言わず、代わりに彼女の両親の方を向いた。「お義父さん、お義母さん、やめてください。一葉のせいじゃありません。これは、ただの事故なんです……」「事故」という言葉を口にした言吾の目は、さらに赤みを増したように見えた。「事故ですって!そんなわけない!絶対に事故なんかじゃないわ!」「あの子が優花を殺したのよ!あいつが……」そこまで叫んだ今日子は、何かに思い当たったように、そばにいた警察官の腕を掴み、一葉を指差した。「そうよ、あの子よ……!優花が憎くて憎くてたまらないから、刑務所に入れただけじゃ飽き足らず、保釈で病院に来たこの機会を狙って、火をつけて優花を殺したのよ!お巡りさん、あの子を捕まえてください!殺人犯よ!この子は殺人犯なんです!この人でなしは優花を心底憎んでるの!殺人の動機は十分よ!お願いだから、この子を捕まえて!早く!」警察が口を挟むより早く、哲也が母の手を掴んだ。「母さん、もうやめてくれ。優花が死んで悲しいのは分かるけど、だからって一葉をそんな風に貶めちゃダメだ」「私は……」今日子がなおも何か言い募ろうとするのを、哲也はさらに強い口調で遮った。「もういいって言ってるだろ、母さん!」あれほど優花を溺愛し、その突然の死に狂乱していた今日子だったが、最愛の息子に強く咎められては、さすがにそれ以上騒ぎ立てることはできなかった。もはや、犯人は一葉だと叫ぶことはせず、ただ射殺さんばかりの憎しみを込めて、実の娘を睨みつける。哲也は、どうしようもないといった表情で一葉に向き直った。「一葉、悪かったな。母さんも、あまりにショックで……どうかしてるんだ。気にするな」一葉は何も答えなかった。ただ、冷ややかな視線で目の前の遺体を見つめ、そばに控える藤堂弁護士と専門家た
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第227話

千陽は言う。誰かを極度に憎むことと、誰かを極度に愛することは、感情の方向こそ真逆だが、その感覚はよく似ているのだと。誰かを深く愛している時、人は相手が幸せになるためなら全てを捧げる。そんな相手が突然死んでしまったら、到底受け止めきれず、どうしてこんな形で死ななければならなかったのかと、その死を認められない。そして、誰かを深く憎んでいる時、人は相手が不幸になるためなら全てを厭わない。そんな相手が突然死んでしまったら、復讐という心の拠り所を失い、やはり同じように、どうしてこんな形で死んでしまったのかと、その死を認められなくなるのだ、と。一葉が、優花はこんな死に方をするはずがないと感じているのは、きっとそういう心理状態からくるものだろう、と千陽は分析した。一葉「……」千陽の言葉は、たしかに一理あった。だが一葉は、自分の感情が優花への憎しみにそこまで支配されているとは思えなかった。ただ、自分でもうまく説明できない何かが……「まあまあ、もうあの子のことは忘れなって!さ、行くわよ、勝負服を買いに!せっかく離婚も成立したんだから、南の島に行くのに、とびっきりの服で金髪碧眼のイケメンモデルでも捕まえて楽しまなきゃ、一年頑張った自分にご褒美あげなきゃ損でしょ!」考古学を専攻する千陽は、普段は土と墓に囲まれた静寂の世界で生きている。その反動か、仕事から離れると、酒を飲み、格好のいい男の子を捕まえるのが何よりの楽しみだった。気の向くまま、自由奔放に生きるのが彼女の信条だ。彼女は休暇に入ったら南の島へ行こうと、ずいぶん前から一葉と約束していた。その千陽が、勝負服を買いに行こうと一葉の腕を引く。警察が本人だと断定した以上、自分がこれ以上何かを考えても意味がない。そう思い至り、一葉は思考を振り切って、千陽と共に買い物へ出かけることにした。二人がドアを開けた、まさにその時、向かいの部屋のドアも開いた。姿を現したのは、向かいに住む旭だった。旭は二人を見ると、すぐにぱっと笑顔を向けた。その笑顔は、まるで春風が吹き抜けて、世界中の花が一斉に咲き誇るかのようだった。見る者の心臓が、思わず一拍、時を刻むのを忘れてしまう。毎日見慣れているはずの顔だというのに、と一葉は思う。それでも、この青年が笑うと、やはり息を呑むほどに見惚れてしまい、自分が何
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第228話

一葉はシートの背にもたれかかり、笑って答えた。「まさか」一つの地獄から抜け出したばかりだというのに、自ら別の地獄に飛び込むつもりなど毛頭ない。恋愛など、ここ数年は全く考慮に入れていなかった。旭がそれに安堵し、何かを言おうと口を開きかけた、その時。一葉は言葉を続けた。「でも、遊びなら、いいかな」新しい恋を始める気はなくとも、素敵な男性と遊ぶことまで否定するつもりはない。人生はかくも苦しいのだから、楽しむべき時は楽しまなければ。この世に、美しい男性を見て心が躍らない女性などいるはずがないのだから。「……」旭は、言葉を失った。ちょうどその時、車が滑るように停車した。車から降り際、一葉のスマートフォンが鳴った。大学の研究室からの電話だった。まだ正式な大学院生ではないものの、彼女はすでに研究室に通い始め、助手として雑用をこなしている。来年の春、正式に入学した暁には、すぐに研究の一員として加わる手はずになっていた。一葉は電話で話しながら、そのまま前へと歩き始めた。千陽が彼女の腕に自分の腕を絡ませ、ショッピングモールの華やかなショーウィンドウに目を輝かせる。二人の意識はすっかりそちらに向いており、旭のことなど気にも留めていなかった。だから、彼の瞳からふっと光が消え、深い昏さを湛えたことにも、誰も気づかなかった。年末のデパートは、一年で最も人でごった返す季節だ。普段は閑散としている高級ブランドフロアでさえ、今は多くの客でひしめき合っている。まるで、そこに並ぶ商品が全て無料であるかのように。すれ違う人々が、有名ブランドのショッパーをいくつも抱えているのを見て、千陽はちろりと舌打ちした。「世の中ってお金持ちだらけなのね!いつの日か、その仲間入りができるのかしら、私も!」千陽の収入は決して低くはない。むしろ、高級な場所に気兼ねなく出入りできるほどには、自由で気ままな生活を送っている。だが、その自由にも限界がある。本当に欲しい高級バッグがあれば何とか手に入れられる、という程度で、目の前の人々のように、まるで白菜でも買うかのような感覚で高級品を買い漁ることなど、到底できはしない。その言葉を聞いた一葉は、ふふっと笑うと、千陽の体をぐっと抱き寄せた。そしてまるで少女漫画のワンシーンのように、どこからか取り出したブ
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第229話

ましてや、値段を気にせず、欲しいものを欲しいだけ手に入れられるとなれば、その抵抗力は無に等しい。もともと、一葉と千陽がここへ来たのは、リゾート旅行に必要なものを揃えるためだった。ところが、一度火がついてしまえばもう止まらない。頭のてっぺんから爪先まで、ゴールドからダイヤモンドまで、内側から外側まで。食べるもの、飲むもの、着るもの、使うもの、飾るもの――ありとあらゆるものを、文字通り買い漁った。「何もいらない」と固辞していた旭にまで、二人はあれこれと理由をつけては、たくさんの物を買い与えた。特に服は、相当な数を買い込んだ。というのも、旭の容姿はあまりにもずば抜けており、まさに生まれながらにして服に着られるのではなく服を着こなす才能の持ち主なのだ。どんな服を纏っても、はっと息を呑むほど様になり、その姿を見ていると、試着したものを片っ端から包んでもらいたいという衝動に駆られてしまう。そうして二人が、またしても旭に新しい服をあてがおうと夢中になっていた、その時だった。「青山一葉ッ!この泥棒猫!よくも言吾兄さんのお金で若い男を囲っていられるわねッ」金切り声を上げながら、志麻沙耶香が一葉に向かって突進してくる。だが、彼女が一葉に触れるよりも早く、その体は屈強な腕に阻まれた。「一葉ッ!この……ッ!よくも……よくもそんなことができるわねッ」沙耶香という人間は、救いようのないほど単純な思考しかできないのだ、と一葉は内心で冷たく吐き捨てた。今この場にいる自分を、未だに彼女が踏みつけにできた、かつての無力な青山一葉だと思い込んでいる。愚かな人間に言葉を費やすだけ、自分の時間が無駄になる。だから、一葉はそんな彼女を意にも介さなかった。千陽と旭を伴って、静かにその場を後にする。口を開けば汚物を撒き散らすような人間に、せっかくの楽しい一日を台無しにされたくはなかった。立ち去ろうとする一葉の背中を見て、沙耶香は本能的に後を追おうとした。しかし、その行く手は再び遮られる。その事実に、沙耶香の堪忍袋の緒がぷつりと切れた。かつては自分の意のままに踏みつけにできた相手が、今や踏みつけるどころか、言葉を交わす資格すら自分にはない。思いもよらない屈辱に、体中の血が逆流するようだった。込み上げる怒りを抑えきれず、彼女は甲高い悲鳴を
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第230話

言吾の手元にある、小山のように積み上がった書類の山に目をやり、隼人は鼻で笑った。「へぇ、言吾さんよぉ。あんたは若いツバメに、自分が必死で稼いだ金をくれてやるだけじゃねぇんだな。これからは、そいつら一家を養うために、馬車馬のように働き続けるってわけか」「いつからそんなおめでたい聖人君子になったんだ、あんたは」言吾は、スマートフォンの画面に映る写真たちを凝視したまま、何も言わない。だが、ペンを握るその右手には、今にも握り折ってしまいそうなほどの力が込められていた。言吾の誇り高く、誰にも屈しない性分が、このような状況を許せるはずがない。ただ、今の彼には、どうすることもできない。資格も、権利もないのだ。一葉の記憶が戻るまでは。今はただ、耐えるしかない。「言吾さん、あんたが一葉に重傷を負わせたことで負い目を感じて、埋め合わせをしたい気持ちは分かる。けど、本気でこんな形の埋め合わせを望んでるのか?彼女が他の男と幸せそうに睦み合ってるのを指を咥えて見てるだけじゃない。その相手の男も、二人の間にできた子供も、全部あんたが必死で稼いだ金で養っていくって言うのかよ」それでも言吾は黙ったままだった。ただ、彼の手の中で、ペンがパキリと音を立てて砕け散った。「分かってるさ。今の一葉の決意は固い。あんたが何をしようと、彼女の心を取り戻すのは無理だろう。取り戻せない、だけど手放すこともできない。だったら言吾さん、あんたは彼女に自由に飛び立つための金を渡すべきじゃなかったんだ。翼をへし折ってでも、自分のそばから離れられないように縛り付けておくべきだったんだよ!時間が何よりの薬なんだ。今はあんたを許せなくても、ずっとそばにいれば、いつか雪解けの日が来るかもしれない。彼女の心が、あんたの元へ戻ってくる日が。だけど、一葉を自由に飛ばして、他の男と一緒になったら?……あんたが彼女に許される日は、もう永遠に来なくなるんだぞ!よく考えてみろよ、言吾さん。将来、一葉があんたじゃない男と結ばれて、結婚して、子供を産んで……他の男が一葉さんをその腕で抱くのを、あんたは本当に耐えられるのか?」隼人の言葉は、一つ一つが鮮明な映像を伴っていた。そしてそれは、いずれも言吾が最も恐れ、到底受け入れることのできない、断じてあってはならない光景……デスク
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