All Chapters of ロホ ~歩き続ける者~: Chapter 11 - Chapter 20

33 Chapters

祈りの矢

その日は、小さな村に向かう途中の谷で野営していた。食料は底をつき、保存していた干し肉も、ぺガスの鞍袋で粉のようになっていた。ファドの尻尾が、くぅとしおれた。「……お腹、鳴った……」ロホは、無言で弓を取った。矢筒を背に、ぺガスを休ませ、草を踏まず、音を立てずに森の奥へと入っていく。森の空気は冷たく、静かだった。ロホは木々の間に身を潜め、足跡と風の匂いをたどる。やがて見つけたのは、小さな群れから外れた一頭の鹿だった。角の欠けた若い雄。傷を負っている。いずれ群れには戻れまい。ロホは、弓を引いた。けれど、その矢を放つ前に――鹿と、目が合った。一瞬。そのまなざしに、ロホは息を飲んだ。恐れではない。憎しみでもない。ただ、「知っている」という目。生きることと、死ぬことと。それを、この鹿は受け入れている。ロホは、矢を放った。心臓を外さず、苦しませることなく、静かに、確実に命を奪う。鹿は、音も立てずに崩れ落ちた。ロホは、近づき、地に膝をついた。そして――目を閉じて、祈った。「いただきます。あなたの命で、私たちはまた歩けます。」「この命、無駄にはしません。」やがて、ファドとぺガスがやってきた。ファドは、鹿の姿を見て、黙って座った。ロホは手早く解体し、必要な肉を切り出すと、骨のいくつかは丁寧に包んだ。その夜、焚火の上で鹿肉が香ばしく焼けていた。ファドは夢中で頬張り、ぺガスも耳をぴくりと動かしていた。ロホは、焼きあがった最後の一切れを手にし、それを火にかざした。そして、ぽつりと呟いた。「……あなたのこと、忘れません。」翌朝、ロホは残った骨を、小さな石の祠に埋めた。その上に、一輪の野花を添える。旅人には通じぬ儀式。でも、それがロホのやり方だった。ファドが聞いた。「ロホ、あの鹿に話しかけたの?」ロホは、空を見上げて答えた。「……話しかけたんじゃない。聞かせたの。」「ありがとう、って。」命を奪うたびに、彼女は生きることの重さを抱え直す。それが、歩き続ける者の“狩り”。生きるために殺し、殺すことで、生きることを、ますます大切にする――ロホの狩りは、いつも祈りに似ていた。
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more

旅のひととき

ロホは、足元の地面に静かに耳をあてた。草の匂い。土のぬくもり。遠くの小鳥の羽音。……だが、人の気配は、ない。ゆっくりと立ち上がると、ぺガスに小さく目配せし、ファドには高い木の枝を指さした。「頼んだ。」「まかせろー!」ファドは元気よく飛び上がり、ぺガスは鼻先を鳴らして周囲に目を光らせた。ロホは、銀の髪をほどき、そっと水に入った。冷たく、だが心地よい流れが、肌を洗っていく。少しだけ、目を細めて、空を仰いだ。そこには、雲一つない、澄みきった空が広がっていた。ロホが水浴びを終えて着替えていると巨大な牛のモンスターが襲い掛かってきた、ロホは軽くいなして急所に一突きでモンスターは絶命する。ぺガスの背には、毛皮も爪もついたままの、巨大な牛型モンスターの死骸が載っていた。ロホは、特に急ぐでもなく、特に誇示するでもなく、ただそれを引き連れて、宿屋の前まで来た。宿の親父は、目を丸くした。「……それ、まさか、あの“荒れ牛”か?」ロホは、小さく頷くだけだった。「肉はいる? 皮も、角も。」親父は一瞬戸惑ったが、すぐに目を輝かせて手を打った。「ああ、ああ! 買うとも! ちょうど塩漬けの樽が足りなかったところだ!」交渉はあっけなかった。「……風呂付きの部屋を。」宿屋の主に、ロホは簡潔に頼んだ。値段は、少し高かった。だが、迷いはなかった。それに、たっぷりの食事と、余った金貨がひと袋。ロホは、それを懐にしまいながら、何も言わずぺガスのたてがみを一撫でしてやった。宿の厨房では、すでに肉の大鍋がぐつぐつと煮えはじめている。ファドは、椅子の上でしっぽを振りながら、待ちきれない様子だった。「ねえロホ、今日のご飯、絶対おいしいよね!?」ロホは、ほんのすこしだけ、目尻を和らげた。「……まあ、期待していい。」広間には、湯気と、脂の甘い香りが立ちこめる。 出来上がった料理は厚切りのステーキにビーフシチュー。ロホは迷わず葡萄酒を注文した。ファドがステーキに夢中になってかぶりつく。旅の途中、ほんのひとときの、ささやかな贅沢。ロホは、空になった鞄を椅子に掛けると、何も言わず、テーブルに手をついた。静かに、しかし確かに、今日という一日を生き延びたことを、かみしめるために。ファドは、宿屋のロビーでくるくると回っている。「ロホ~!早くあったかいお
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more

焚火のそばで、静かな商談

夜の風が草を揺らし、焚火の赤が、そっと揺れる。ロホとファドは、夕食を囲んでいた。葉の上には、ささやかな炊き込みご飯。ぺガスは、すこし離れた場所で草を噛んでいる。ファドが、口いっぱいにごはんをほおばりながら言う。「ロホって、旅の途中でいろんな人に会ってきたんだよね?」ロホは、木の匙をゆっくりと置いて、少しだけ夜空を見上げる。「ええ。 ──たとえば、ある商人の話があるわ」「その人は、食堂で家族と食事をしていたの。自分の跡を誰に継がせるか悩んでいたのよ」「子供たちは、それぞれ大量に注文して、食べきれずに残していった。」「でもね、末の子だけは、 “自分が食べられる分だけ”を注文して、きれいに全部食べきったの。」ファドがご飯を止めて、きょとんとする。「それで? その子が跡継ぎになったの?」「ええ。商人は言ったのよ──“自分のお腹の容量もはかれない者が、大きなお金を動かす資格はない”って。」ファドは、じっと葉皿を見つめる。「……じゃあ、オレもいつか、“食べきれるだけ”にしないとね」ロホは、穏やかに微笑んだ。「それができたら、もう“立派な跡継ぎ”よ」「何のかは……分からないけれど」焚火がぱち、と弾けた。その音を聞きながら、ファドがにんまり笑う。「じゃあ、オレの跡継ぎは……ロホね」「え? 私が?」「だって、ロホってなんでもちゃんと残さず食べるし、火も扱えるし、言葉も知ってるし──“旅人代表”って感じ!」ロホは吹き出しそうになってから、ゆっくりと笑った。「……ありがとう。でも、私はもう十分に“跡”よ。ファド、あなたは“未来”になりなさい。」夜空の星が瞬いていた。ロホは最後のひと粒をすくい取り、葉をきれいに拭った。そして、火に手をかざしながら、静かに言った。「ちゃんと食べる。それだけで、人は“守るべきもの”を持てるようになるのよ」
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more

忘れられた森にて

私がその人に出会ったのは、その町に入って三日のことです。そこは、かつて“森の民”と呼ばれたエルフたちが暮らしていた地方だった。かつて――その森は、声があった。風が葉を撫でれば歌い、枝が揺れれば物語を語った。けれど今、森は伐られ、町は広がり、エルフの若者たちは色鮮やかな服をまとい、商談に忙しそうに笑っていた。ロホは、ぺガスのたてがみに手を添え、街角で立ち止まった。そして、ぽつりと呟いた。「……葉擦れの音を、もう聞かないのかしら。」「あの枝に宿っていた“声”を、もう思い出せないのかしら。」誰も彼女の言葉には気づかない。ファドは、少し不思議そうな顔をしたが、何も言わず、ロホの肩で耳をぴくりと動かした。町のはずれ、伐採場となった森の名残に、ロホはひとりで足を運んだ。草は少なく、切り株が無数に並ぶ。かつて聖域と呼ばれた一角には、今や朽ちかけた木の祠がひとつ、静かに立っているだけだった。ロホは、その祠の前に膝をついた。何も語らず、何も問わず、ただそっと、最後に残った一本の立ち枯れた木に手を添えた。樹皮は乾き、命の気配はすでに薄れていた。それでも、確かにそこには“記憶”が残っていた。かつての森の声。エルフの笑い。子の誕生を祝う歌。風が運んだ祈り。すべてが、この一本の木の中に、まだ――生きていた。ロホは、誰にも聞こえない声で、そっと語りかけた。「……ごめんなさい。あなたたちの声は、私が覚えている。」「たとえ、誰も思い出さなくても。」風が吹いた。それはまるで、木が最後の呼吸をしたかのような、静かな風だった。ファドがそっと近づき、ロホの足元に丸くなった。ロホは、目を閉じた。「生きるために変わること」を、責めはしない。でも、この世界に“忘れられたもの”があるなら、自分だけは、それを覚えていたい――それがロホの選んだ“歩き続ける者”の生き方だった。翌日、ロホたちは再び旅立った。街は何も変わらず、若きエルフたちは今日も華やかに笑っていた。ただ一人、商人の娘がふと立ち止まり、なぜか涙が浮かびそうになるのを、不思議に思った。何か大切なことを、思い出しそうな気がした。それは、ロホが町を離れてから、しばらく経ったある日。あのエルフたちの町では、誰にとってもさして重要ではない、ちょっとした噂が流れていた。「町外れの伐採場
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more

風のシンフォニー

日中の陽射しは鋭く、大地に突き刺さるようだった。乾いた空気に汗は乾かず、ファドは舌を出しっぱなしでぐったりしていた。「ロホ~、溶けそうだよぉ……」ロホはぺガスのたてがみに手を添え、汗を袖でぬぐった。「……もう少し歩くと、風の匂いが変わるはず。」その言葉の通り、しばらく進むと風の温度が変わり、やがて鬱蒼とした木々に包まれた、深い森へと足を踏み入れた。森は、涼しかった。頭上から射す僅かな木漏れ日は、斑に地面を照らし、あれほどまとわりついていた汗が、少しずつ引いていくのが分かる。ぺガスは鼻を鳴らし、ファドは「生き返る~」と枝にぶら下がった。ロホは、静かに息を吸い込む。「……この森、生きてるわね。」森の奥へ進むと、開けた広場に出た。陽光がふわりと差し込み、風がゆるやかに草を揺らす場所。その中央に、ひとりの老人が腰を下ろしていた。背をまっすぐにし、長い杖を脇に立てた姿は、まるで一本の古木のようだった。ロホが近づいて、軽く頭を下げる。「ごきげんよう。ここで、何を?」老人は目を細め、しわの深い顔に、微かに笑みを浮かべた。「もうすぐ、シンフォニーが始まる。」ファドが小声で囁いた。「……音楽会? どこで?」ロホは、黙って腰を下ろした。ぺガスも広場の端に佇み、静かに草を踏んでいた。やがて、空気の流れが変わった。一陣の風が、森を駆け抜けたのだ。その風は木々の間を通り、節の中をくぐり抜け、葉を震わせ、枝を叩き、地面の石と草と共鳴し――音が、生まれた。低い管のような、幹のうねり。高い笛のような、葉の擦れ。風に揺れる木の枝が弦となり、洞の中で鳴る虫たちがリズムを刻む。それは――人の手では決して奏でられない、この森そのものの“音楽”だった。ロホは目を閉じた。音が、染み込んでくる。この森に宿る命が、風と共に歌っているようだった。音楽は、やがて静かに終わった。風が去り、森が再び深い呼吸に戻る。ロホは、そっと立ち上がり、深く礼をした。「……素晴らしい“演奏”でした。」老人は、何も言わず頷いた。そして、ロホがぺガスに乗り、歩き出したとき。老人は、誰にともなく、ぽつりと呟いた。「……はぁ~……神が地上を歩くようになるとは、世も末だのぉ。」その声は、ロホの耳には届かなかった。けれど、森の奥の木々は、またひとつ、微かに葉を
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more

星を忘れた者たち

私がその人に出会ったのは、その町に入って七日のことです。そこは、かつて“夜明けの森”と呼ばれた場所だった。星を読み、風を詠み、森と共に千年を生きる者たち――エルフの都。けれど今では、街灯が星明かりを消し、石畳が根を覆い、高層の石造りの建物が、かつての大樹に取って代わっていた。ロホは、そんな都市の酒場の片隅に、ひとり佇んでいた。店内では、耳の長い青年たちが、香草の効いた肉料理を囲み、赤いワインを高く掲げていた。笑い声。陽気な音楽。どこかに、“生きることの喜び”が溢れているはずなのに――ロホは、窓際の影に身を置いたまま、目を伏せていた。ファドがぽつりと尋ねる。「ねぇロホ……あの人たちも、エルフなんだよね?」ロホは答えない。ただ、静かに呟いた。「……かつて、星と話せた者たちよ。」「今のあなたたちは、どこまでが“エルフ”なのかしら。」翌日。ロホは都市を離れ、森の名残を求めて歩いた。そこにいたのは、一本の木の根元で何かを聞こうとしている、若いエルフの少年だった。彼は名をトウエルと言った。「昔、この木はね、風と話せたって言うんだ。」「……ほんとうは、まだ聞こえるんじゃないかって思って。」ロホは目を細め、近くに腰を下ろした。「聞こえるのなら、それは、あなたがまだ忘れていない証拠。」「この世界が“本当はどうだったか”を、まだどこかで覚えているから。」トウエルは、小さく微笑んだ。「たまにね……木が、笑ってる気がするんだ。」ロホは、その夜、一枚の布に、“風の形”を刺繍し、森の入り口にそっと結びつけた。何も語らず、何も遺さず、ただ、それが“願い”となることを信じて。「……星を忘れてもいい。でも、思い出せる誰かが、この世界に一人だけでもいれば、それでいい。」ロホは旅立った。トウエルは、その後も森に通い、いつしか小さな子供たちに“木の声の聴き方”を教える者になったという。誰もそれが、かつてロホと出会った少年だとは知らなかった。でも彼の語る物語には、どこか風の香りがして、星明かりに似た静けさが宿っていた。私がその森にもう一度足を踏み入れたのは、幾星霜を越えた後のことです。季節は、静かに巡っていた。あのとき、枝を擦り合わせながら語っていた木々も、その多くが倒れ、苔に包まれ、けれど――根は、残っていた。ロホは、ぺガスのたてがみ
last updateLast Updated : 2025-05-17
Read more

海を知らなかった日

私がその人に出会ったのは、海の見える町にたどり着いた日のことです。乾いた大地を越え、風に塩の匂いが混じる頃――ロホとファドとぺガスは、青く果てしない水の広がりを、生まれて初めて目にした。「わっ……水が、空より大きい……!」ファドは肩の上でぴょんと跳ねて、海へ駆け出していった。足元まで寄せてくる波に向かって、無邪気に叫ぶ。「わーい! おっきな湖だー!」ロホが微笑みながら言う。「それは“海”というのよ。」ファドがぺろりと舐めた海水に、びくっと跳ねる。「……うえっ!? しょっぱいっ!なんでしょっぱいの!?」港では、地元の漁師たちが帰港の準備をしていた。網にかかった魚たちが光り、火の起こされた釜では、野菜と貝、魚の切り身がぐつぐつと煮込まれていた。ロホたちを見つけた老漁師が、声をかける。「旅の人かい? ちょうどいい、あったまってきな。」差し出されたのは、香り高い海鮮汁。塩の効いた出汁に、浜の野菜と魚の旨みが溶け込んでいた。ファドはひと口すすると、目をきらきらと輝かせた。「……海ってすごい……!食べられるんだ!」漁師たちは笑いながら教えてくれる。「取りすぎない。食べる分だけ。それが海の掟さ。」その間、ファドは海辺で、波打ち際に打ち上げられたヤドカリと何やら話していた。「ねえねえ、君、なんでそんなおっきい貝の中にいるの?」ヤドカリ(※イメージボイス:渋い)「おまえさんも、角のあるのに住んでるようなもんだろ?」「う、うん……そうかも……」漁師の子どもたちはそれを見て、「あの子、海の言葉がわかるのか」と感心しきり。夕暮れが近づく。空は、金から朱へ、そして紫へと溶けていった。水平線の彼方に、ゆっくりと太陽が沈もうとしている。ロホは、海辺の岩に腰をかけ、しばらく、何も言わずにその光景を見つめていた。「……こんなにも、静かで、広くて……それでも、どこか懐かしいのは、なぜかしら。」ファドが聞く。「ロホ、この水の向こうには、なにがあるの?」ロホは目を細めて、答えた。「……まだ知らない誰かが、この空の続きに立っているかもしれない。」「私が、まだ出会っていない“誰か”が。」漁村の人々は、ロホを「先生」とも「旅人」とも呼ばず、ただ気さくに接した。何も尋ねず、何も期待せず、温かく、自然と接してくれた。それが、ロホには―
last updateLast Updated : 2025-07-01
Read more

銀の髪に眠る牙

私がその戦いに巻き込まれたのは、国境の宿場町を越えて二日のことです。乾いた峡谷に突然現れたのは、隊商を襲う山賊――ではなく、“軍籍なき傭兵部隊”。誰かに雇われ、意図的に町を封鎖し、物資と情報を止めていた。ロホは、すでにそれを察していた。ファドは空へ。『行って。上から見える限りを伝えて。』『了解!……うわっ、十人……いや二十人!崖の影にもいる!』ロホは、懐から短剣を抜きながら、地形の図を頭に描いていく。『こっち、進んだら囲まれる!──でも、一か所だけ抜け道あり!』『そこの上、今から一人移動するよ!背後取れる!』『……分かった。そこに、風を送って。』『風……了解、空から風起こすっ!』ファドの小さな身体が風を乱し、砂を巻き上げる。そのわずかな混乱の隙に、ロホは斜面を駆け上がり――剣を左、刃を右に持ち替え、二撃で相手を沈めた。その後も、念話による連携は一瞬も途切れなかった。位置、数、武器、動きの癖、呼吸の乱れ。ファドの目とロホの刃は、まるで一つの意志で動いていた。敵が気づいたときには、すでに半数が倒れていた。「……あれは、人じゃない……」傭兵たちは口々にそう漏らした。だが、油断は──ほんの一瞬だった。ファドが戻ってくる途中、背後から落石の罠に引っかかり、拘束具付きの網に絡め取られてしまう。「ほう……あの小さな竜が“目”だったか」傭兵の首領格が言った。「武器を捨てろ。でなければ、この竜を潰す」ロホは、無言で手を挙げた。次々と剣、小剣、短剣、ナイフ――腰から、袖から、懐から、そして最後に、足のベルトを外してナイフを投げ捨てた。全ての武器が地に落ちる音が、静寂に響く。ロホは、腕を後ろで組むようにして立った。「……さぁ、どうぞ。」敵がにやりと笑って近づく。「素直でよろしい」その瞬間だった。ロホの銀の髪がわずかに揺れたかと思うと──キィン鋭い音とともに、手裏剣が光を弾き、相手の喉元をかすめて――宙に落とした小瓶を割った。中からは目眩と咳を誘う香煙。「っぐ……ごほっ……な、なに──」その隙にロホは駆け、手刀一閃。敵の首筋に圧をかけて気絶させた。ファドがごそごそと網から抜け出して駆け寄る。「も、もしかして……髪の中にまで武器を……!?」ロホは、髪を編み直しながら答えた。「“油断”こそ、最大の隙。そし
last updateLast Updated : 2025-07-01
Read more

名もなき灯火に祈りを

私がその霊に出会ったのは、山裾の小さな峠を越えた、寂れた集落の廃屋にて。夜の帳が降りる頃。ロホたちは雨宿りのために、今は誰も住んでいないその屋敷に足を踏み入れた。だが、ファドがその場に入るなり、身を震わせた。「ロホ……ここ、いる。いるよ、まだ。」空気は湿り気を帯び、窓のない部屋の奥に、まるで影のように“何か”がうずくまっていた。ロホは、剣にも手をかけず、静かに一歩踏み出した。「……ここで、何があったの?」その影が、わずかに揺れる。やがて、か細い、女の声が響いた。『……子どもが……まだ、帰ってこないの……』『だから……わたし、待たなきゃ……ずっと……』ロホは膝をつき、その霊のいた場所に、そっと小さな灯火をともした。「……あなたの子どもは、もう、遠い場所へと旅立ちました。」「でもあなたの声は、確かに、誰かの中に残っています。」霊は静かに嗚咽を漏らし、やがて光に包まれるように、静かに姿を消した。ファドがそっとつぶやく。「……あの人、さみしかったんだね。」ロホは頷く。「ええ。でも、“さみしさ”は悪ではない。ただ、残された灯火なの。」その夜は、静かな眠りがロホたちを包んだ。だが翌朝、廃屋の裏手で、もう一つの“声”が響いた。『――邪魔を、したな。』地に刻まれた魔の刻印、そこに巣食っていたのは、“悪意だけを抱いた霊魂”だった。すでに人の姿すら留めず、他者の絶望にしか興味を示さぬ“黒い影”。ロホは、剣ではなく、祈りの言葉を紡いだ。「……あなたに、救いはない。」影が笑う。『なら、共に――』その瞬間、ロホの眼が細く光る。「帰りなさい。おまえが帰るべき“無”の向こうへ。」彼女の指先が、そっと地をなぞると、光と共に紋が浮かび上がる。影が叫ぶ前に――祓いの印が閃き、闇は一瞬で消え去った。後に残ったのは、静けさと、薄明かりの中に揺れる草の音だけ。ファドが、静かに聞いた。「ロホ……悲しみは救うのに、怒りは救わないの?」ロホは、しばし考え、こう答えた。「悲しみは、誰かの中に“帰る場所”がある。でも怒りだけになった者には……もう、帰る場所がないのよ。」「それでも――せめて“静けさ”だけは、与えてあげたい。」そしてロホは、風に小さく祈るように言った。「さようなら、名もなき者たち。あなたたちの声は、もう、風が持っていっ
last updateLast Updated : 2025-07-01
Read more

誰にも知られぬ夢の中で

それは、ある峠道を越えた晩だった。久々にぺガスも疲れた様子を見せ、ロホたちは古い祠の近くで焚火を起こし、草の上に寝床を整えた。星は雲に隠れ、風もない夜。あまりにも静かで、ファドの寝息さえ心地よい調べに思えた。ロホは、火の明滅を眺めながら、ゆっくりと目を閉じた。──そして、夢の中。そこには、白い霧が広がっていた。音のない世界。だが、その霧の中から――ぽつり、ぽつりと、人影が現れた。母子の霊、かつて坑道に残っていた男の記憶、戦場で逝った若者、森で忘れられたエルフの影、名もなき旅人、倒された悪霊の“かつて”の姿。どれも、ロホがかつて“見送った”者たちだった。誰も語らない。誰も泣かない。ただ、皆、ゆっくりと頭を下げた。そして――「ありがとう」たった一言。でもそれは、何百の魂が、同時に告げた“言葉”だった。ロホは、驚かなかった。けれど、返す言葉もなかった。ただ、胸に宿った静かな温かさが、この旅で初めて“自分が受け取った”と実感できるものだった。霧が薄れ、最後に現れたのは、幼い少女の霊だった。かつて、どこかの村でロホが見送った子。その子が、そっとロホの手を取って言った。「ロホさん、もう、ひとりじゃないよ。」その言葉に、ロホは思わず目を伏せた。そして、夢の中でもう一度目を閉じた。朝。小鳥のさえずりで目を覚ましたロホは、淡く霧のかかった森の匂いを吸い込み、そっと頬に触れた。……涙が、ほんの少しだけ、乾いていた。ファドが欠伸しながら近づく。「おはよう、ロホ。変な夢でも見た?」ロホは、小さく笑った。「ええ。……でも、いい夢だった。」ぺガスが静かに鼻を鳴らし、朝の道が、また始まった。
last updateLast Updated : 2025-07-01
Read more
PREV
1234
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status