Tous les chapitres de : Chapitre 11 - Chapitre 16

16

祈りの矢

その日は、小さな村に向かう途中の谷で野営していた。食料は底をつき、保存していた干し肉も、ぺガスの鞍袋で粉のようになっていた。ファドの尻尾が、くぅとしおれた。「……お腹、鳴った……」ロホは、無言で弓を取った。矢筒を背に、ぺガスを休ませ、草を踏まず、音を立てずに森の奥へと入っていく。森の空気は冷たく、静かだった。ロホは木々の間に身を潜め、足跡と風の匂いをたどる。やがて見つけたのは、小さな群れから外れた一頭の鹿だった。角の欠けた若い雄。傷を負っている。いずれ群れには戻れまい。ロホは、弓を引いた。けれど、その矢を放つ前に――鹿と、目が合った。一瞬。そのまなざしに、ロホは息を飲んだ。恐れではない。憎しみでもない。ただ、「知っている」という目。生きることと、死ぬことと。それを、この鹿は受け入れている。ロホは、矢を放った。心臓を外さず、苦しませることなく、静かに、確実に命を奪う。鹿は、音も立てずに崩れ落ちた。ロホは、近づき、地に膝をついた。そして――目を閉じて、祈った。「いただきます。あなたの命で、私たちはまた歩けます。」「この命、無駄にはしません。」やがて、ファドとぺガスがやってきた。ファドは、鹿の姿を見て、黙って座った。ロホは手早く解体し、必要な肉を切り出すと、骨のいくつかは丁寧に包んだ。その夜、焚火の上で鹿肉が香ばしく焼けていた。ファドは夢中で頬張り、ぺガスも耳をぴくりと動かしていた。ロホは、焼きあがった最後の一切れを手にし、それを火にかざした。そして、ぽつりと呟いた。「……あなたのこと、忘れません。」翌朝、ロホは残った骨を、小さな石の祠に埋めた。その上に、一輪の野花を添える。旅人には通じぬ儀式。でも、それがロホのやり方だった。ファドが聞いた。「ロホ、あの鹿に話しかけたの?」ロホは、空を見上げて答えた。「……話しかけたんじゃない。聞かせたの。」「ありがとう、って。」命を奪うたびに、彼女は生きることの重さを抱え直す。それが、歩き続ける者の“狩り”。生きるために殺し、殺すことで、生きることを、ますます大切にする――ロホの狩りは、いつも祈りに似ていた。
last updateDernière mise à jour : 2025-05-17
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旅のひととき

ロホは、足元の地面に静かに耳をあてた。草の匂い。土のぬくもり。遠くの小鳥の羽音。……だが、人の気配は、ない。ゆっくりと立ち上がると、ぺガスに小さく目配せし、ファドには高い木の枝を指さした。「頼んだ。」「まかせろー!」ファドは元気よく飛び上がり、ぺガスは鼻先を鳴らして周囲に目を光らせた。ロホは、銀の髪をほどき、そっと水に入った。冷たく、だが心地よい流れが、肌を洗っていく。少しだけ、目を細めて、空を仰いだ。そこには、雲一つない、澄みきった空が広がっていた。ロホが水浴びを終えて着替えていると巨大な牛のモンスターが襲い掛かってきた、ロホは軽くいなして急所に一突きでモンスターは絶命する。ぺガスの背には、毛皮も爪もついたままの、巨大な牛型モンスターの死骸が載っていた。ロホは、特に急ぐでもなく、特に誇示するでもなく、ただそれを引き連れて、宿屋の前まで来た。宿の親父は、目を丸くした。「……それ、まさか、あの“荒れ牛”か?」ロホは、小さく頷くだけだった。「肉はいる? 皮も、角も。」親父は一瞬戸惑ったが、すぐに目を輝かせて手を打った。「ああ、ああ! 買うとも! ちょうど塩漬けの樽が足りなかったところだ!」交渉はあっけなかった。「……風呂付きの部屋を。」宿屋の主に、ロホは簡潔に頼んだ。値段は、少し高かった。だが、迷いはなかった。それに、たっぷりの食事と、余った金貨がひと袋。ロホは、それを懐にしまいながら、何も言わずぺガスのたてがみを一撫でしてやった。宿の厨房では、すでに肉の大鍋がぐつぐつと煮えはじめている。ファドは、椅子の上でしっぽを振りながら、待ちきれない様子だった。「ねえロホ、今日のご飯、絶対おいしいよね!?」ロホは、ほんのすこしだけ、目尻を和らげた。「……まあ、期待していい。」広間には、湯気と、脂の甘い香りが立ちこめる。 出来上がった料理は厚切りのステーキにビーフシチュー。ロホは迷わず葡萄酒を注文した。ファドがステーキに夢中になってかぶりつく。旅の途中、ほんのひとときの、ささやかな贅沢。ロホは、空になった鞄を椅子に掛けると、何も言わず、テーブルに手をついた。静かに、しかし確かに、今日という一日を生き延びたことを、かみしめるために。ファドは、宿屋のロビーでくるくると回っている。「ロホ~!早くあったかいお
last updateDernière mise à jour : 2025-05-17
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焚火のそばで、静かな商談

夜の風が草を揺らし、焚火の赤が、そっと揺れる。ロホとファドは、夕食を囲んでいた。葉の上には、ささやかな炊き込みご飯。ぺガスは、すこし離れた場所で草を噛んでいる。ファドが、口いっぱいにごはんをほおばりながら言う。「ロホって、旅の途中でいろんな人に会ってきたんだよね?」ロホは、木の匙をゆっくりと置いて、少しだけ夜空を見上げる。「ええ。 ──たとえば、ある商人の話があるわ」「その人は、食堂で家族と食事をしていたの。自分の跡を誰に継がせるか悩んでいたのよ」「子供たちは、それぞれ大量に注文して、食べきれずに残していった。」「でもね、末の子だけは、 “自分が食べられる分だけ”を注文して、きれいに全部食べきったの。」ファドがご飯を止めて、きょとんとする。「それで? その子が跡継ぎになったの?」「ええ。商人は言ったのよ──“自分のお腹の容量もはかれない者が、大きなお金を動かす資格はない”って。」ファドは、じっと葉皿を見つめる。「……じゃあ、オレもいつか、“食べきれるだけ”にしないとね」ロホは、穏やかに微笑んだ。「それができたら、もう“立派な跡継ぎ”よ」「何のかは……分からないけれど」焚火がぱち、と弾けた。その音を聞きながら、ファドがにんまり笑う。「じゃあ、オレの跡継ぎは……ロホね」「え? 私が?」「だって、ロホってなんでもちゃんと残さず食べるし、火も扱えるし、言葉も知ってるし──“旅人代表”って感じ!」ロホは吹き出しそうになってから、ゆっくりと笑った。「……ありがとう。でも、私はもう十分に“跡”よ。ファド、あなたは“未来”になりなさい。」夜空の星が瞬いていた。ロホは最後のひと粒をすくい取り、葉をきれいに拭った。そして、火に手をかざしながら、静かに言った。「ちゃんと食べる。それだけで、人は“守るべきもの”を持てるようになるのよ」
last updateDernière mise à jour : 2025-05-17
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忘れられた森にて

私がその人に出会ったのは、その町に入って三日のことです。そこは、かつて“森の民”と呼ばれたエルフたちが暮らしていた地方だった。かつて――その森は、声があった。風が葉を撫でれば歌い、枝が揺れれば物語を語った。けれど今、森は伐られ、町は広がり、エルフの若者たちは色鮮やかな服をまとい、商談に忙しそうに笑っていた。ロホは、ぺガスのたてがみに手を添え、街角で立ち止まった。そして、ぽつりと呟いた。「……葉擦れの音を、もう聞かないのかしら。」「あの枝に宿っていた“声”を、もう思い出せないのかしら。」誰も彼女の言葉には気づかない。ファドは、少し不思議そうな顔をしたが、何も言わず、ロホの肩で耳をぴくりと動かした。町のはずれ、伐採場となった森の名残に、ロホはひとりで足を運んだ。草は少なく、切り株が無数に並ぶ。かつて聖域と呼ばれた一角には、今や朽ちかけた木の祠がひとつ、静かに立っているだけだった。ロホは、その祠の前に膝をついた。何も語らず、何も問わず、ただそっと、最後に残った一本の立ち枯れた木に手を添えた。樹皮は乾き、命の気配はすでに薄れていた。それでも、確かにそこには“記憶”が残っていた。かつての森の声。エルフの笑い。子の誕生を祝う歌。風が運んだ祈り。すべてが、この一本の木の中に、まだ――生きていた。ロホは、誰にも聞こえない声で、そっと語りかけた。「……ごめんなさい。あなたたちの声は、私が覚えている。」「たとえ、誰も思い出さなくても。」風が吹いた。それはまるで、木が最後の呼吸をしたかのような、静かな風だった。ファドがそっと近づき、ロホの足元に丸くなった。ロホは、目を閉じた。「生きるために変わること」を、責めはしない。でも、この世界に“忘れられたもの”があるなら、自分だけは、それを覚えていたい――それがロホの選んだ“歩き続ける者”の生き方だった。翌日、ロホたちは再び旅立った。街は何も変わらず、若きエルフたちは今日も華やかに笑っていた。ただ一人、商人の娘がふと立ち止まり、なぜか涙が浮かびそうになるのを、不思議に思った。何か大切なことを、思い出しそうな気がした。それは、ロホが町を離れてから、しばらく経ったある日。あのエルフたちの町では、誰にとってもさして重要ではない、ちょっとした噂が流れていた。「町外れの伐採場
last updateDernière mise à jour : 2025-05-17
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風のシンフォニー

日中の陽射しは鋭く、大地に突き刺さるようだった。乾いた空気に汗は乾かず、ファドは舌を出しっぱなしでぐったりしていた。「ロホ~、溶けそうだよぉ……」ロホはぺガスのたてがみに手を添え、汗を袖でぬぐった。「……もう少し歩くと、風の匂いが変わるはず。」その言葉の通り、しばらく進むと風の温度が変わり、やがて鬱蒼とした木々に包まれた、深い森へと足を踏み入れた。森は、涼しかった。頭上から射す僅かな木漏れ日は、斑に地面を照らし、あれほどまとわりついていた汗が、少しずつ引いていくのが分かる。ぺガスは鼻を鳴らし、ファドは「生き返る~」と枝にぶら下がった。ロホは、静かに息を吸い込む。「……この森、生きてるわね。」森の奥へ進むと、開けた広場に出た。陽光がふわりと差し込み、風がゆるやかに草を揺らす場所。その中央に、ひとりの老人が腰を下ろしていた。背をまっすぐにし、長い杖を脇に立てた姿は、まるで一本の古木のようだった。ロホが近づいて、軽く頭を下げる。「ごきげんよう。ここで、何を?」老人は目を細め、しわの深い顔に、微かに笑みを浮かべた。「もうすぐ、シンフォニーが始まる。」ファドが小声で囁いた。「……音楽会? どこで?」ロホは、黙って腰を下ろした。ぺガスも広場の端に佇み、静かに草を踏んでいた。やがて、空気の流れが変わった。一陣の風が、森を駆け抜けたのだ。その風は木々の間を通り、節の中をくぐり抜け、葉を震わせ、枝を叩き、地面の石と草と共鳴し――音が、生まれた。低い管のような、幹のうねり。高い笛のような、葉の擦れ。風に揺れる木の枝が弦となり、洞の中で鳴る虫たちがリズムを刻む。それは――人の手では決して奏でられない、この森そのものの“音楽”だった。ロホは目を閉じた。音が、染み込んでくる。この森に宿る命が、風と共に歌っているようだった。音楽は、やがて静かに終わった。風が去り、森が再び深い呼吸に戻る。ロホは、そっと立ち上がり、深く礼をした。「……素晴らしい“演奏”でした。」老人は、何も言わず頷いた。そして、ロホがぺガスに乗り、歩き出したとき。老人は、誰にともなく、ぽつりと呟いた。「……はぁ~……神が地上を歩くようになるとは、世も末だのぉ。」その声は、ロホの耳には届かなかった。けれど、森の奥の木々は、またひとつ、微かに葉を
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星を忘れた者たち

私がその人に出会ったのは、その町に入って七日のことです。そこは、かつて“夜明けの森”と呼ばれた場所だった。星を読み、風を詠み、森と共に千年を生きる者たち――エルフの都。けれど今では、街灯が星明かりを消し、石畳が根を覆い、高層の石造りの建物が、かつての大樹に取って代わっていた。ロホは、そんな都市の酒場の片隅に、ひとり佇んでいた。店内では、耳の長い青年たちが、香草の効いた肉料理を囲み、赤いワインを高く掲げていた。笑い声。陽気な音楽。どこかに、“生きることの喜び”が溢れているはずなのに――ロホは、窓際の影に身を置いたまま、目を伏せていた。ファドがぽつりと尋ねる。「ねぇロホ……あの人たちも、エルフなんだよね?」ロホは答えない。ただ、静かに呟いた。「……かつて、星と話せた者たちよ。」「今のあなたたちは、どこまでが“エルフ”なのかしら。」翌日。ロホは都市を離れ、森の名残を求めて歩いた。そこにいたのは、一本の木の根元で何かを聞こうとしている、若いエルフの少年だった。彼は名をトウエルと言った。「昔、この木はね、風と話せたって言うんだ。」「……ほんとうは、まだ聞こえるんじゃないかって思って。」ロホは目を細め、近くに腰を下ろした。「聞こえるのなら、それは、あなたがまだ忘れていない証拠。」「この世界が“本当はどうだったか”を、まだどこかで覚えているから。」トウエルは、小さく微笑んだ。「たまにね……木が、笑ってる気がするんだ。」ロホは、その夜、一枚の布に、“風の形”を刺繍し、森の入り口にそっと結びつけた。何も語らず、何も遺さず、ただ、それが“願い”となることを信じて。「……星を忘れてもいい。でも、思い出せる誰かが、この世界に一人だけでもいれば、それでいい。」ロホは旅立った。トウエルは、その後も森に通い、いつしか小さな子供たちに“木の声の聴き方”を教える者になったという。誰もそれが、かつてロホと出会った少年だとは知らなかった。でも彼の語る物語には、どこか風の香りがして、星明かりに似た静けさが宿っていた。私がその森にもう一度足を踏み入れたのは、幾星霜を越えた後のことです。季節は、静かに巡っていた。あのとき、枝を擦り合わせながら語っていた木々も、その多くが倒れ、苔に包まれ、けれど――根は、残っていた。ロホは、ぺガスのたてがみ
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