All Chapters of 【完結】あおい荘にようこそ: Chapter 181 - Chapter 190

204 Chapters

181 東海林つぐみ

  考えてみた。 自分の人生について。 これまでのこと。そしてこれからのことを。  * * * 私の人生には、物心ついた時からずっと直希がいた。 初めて会った時のことは覚えていない。でも気が付けば、直希はいつも私の隣にいた。 その頃直希のことを、私はどう思っていたんだろう。 優しい子? 一緒にいて楽しいおともだち? よく分からない。 でもあの日。 私のことを「べっぴんさん」と言ってくれたあの日から、私の中で直希という存在は大きくなっていった。 直希のことを考えると、胸がドキドキした。顔が熱くなった。 直希が私の手を握り、「大好き」と言ってくれた時のことを思い出すと、体中がむずがゆくなった。 そして。 私は直希と結婚した。 二人で駆け落ちして、そこで生まれて初めてキスをした。 あの時のことはよく覚えてる。 私にとってあれは、早く大人になりたいという願望だったんだと思う。 大人がしていることは全部したい、そう思ってた。 そうすれば自分は大人になれるんだ、そう信じていた。 直希のことは好きだった。 男子にいじめられる私を、いつもかばってくれた。 喧嘩で傷だらけになっても、決して逃げなかった。 嬉しかった。 直希は大人ぶる私のことを、いつも褒めてくれた。 だから私は、直希の前ではいつも大人ぶっていた。何でも知ってる振りをした。 そうすればもっと私を好きになってくれる、そう信じていた。 そんな自分勝手な理由で、直希に迷惑をかけてしまった。 直希を泣かせてしまった。 でもあの時。二人で雨宿りをしていた時に感じた安息感は本当だ。 だから私は、直希とキスをした。 直希と結婚すれば、キスすれば、この気持ちはもっと大きくなる。そう思った。 そして、それは本当になった。 私は直希に恋をした。
last updateLast Updated : 2025-11-11
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182 技術と気持ち

 「ただいま」 あおい荘に戻って来たつぐみが時計を見ると、14時を少しまわっていた。 昼食とおやつの間のこの時間は、あおい荘にとって一番静かな時間帯でもあった。「今日の入浴当番は……菜乃花だったわね」 そうつぶやき食堂に入ろうとしたつぐみの目に、二人の人影が映った。 つぐみが咄嗟に身を隠し、中をうかがう。 直希とあおいだった。「……」 隠れる必要なんてない。分かっていた。でも、体が自然に動いてしまった。 そんな自分がおかしくて、自嘲気味に笑った。  食堂では直希が椅子に座り、あおいが前に立っていた。「じゃあ次ね」「は、はいです! よろしくお願いしますです!」 よく見ると、直希は仕事中にしては珍しく、ワイシャツを着ていた。 そしてあおいの緊張した顔。 二人は何をしているのだろうか。つぐみが興味深そうに二人を見つめた。「次は、半身麻痺の利用者さんの更衣介助。右麻痺と仮定しよう」 そう言って直希が右手を曲げ、拳を胸元あたりにやった。「じゃああおいちゃん、まずは僕のシャツ、脱がしてくれるかな」「わ、分かりましたです! では新藤さん、お着換えのお手伝い、させていただきますです!」 直希は苦笑し、「そんなに緊張しないで。いつも通りでいいから」そう優しく言った。 ボタンを外そうとするが、うまく外すことが出来ない。「あおいちゃん、落ち着いて。試験じゃないんだから。それともう少し、近付いた方がいいと思うよ」「そ、そうですね、すいませんです。では直希さん、失礼しますです」 額の汗を拭いながら、あおいが直希との距離を詰めた。 息がかかるほどの距離で、あおいがボタンを外していく。「出来ましたです、直希さん」「よし、それじゃあ服、脱がしてみようか」「は、はいです!」
last updateLast Updated : 2025-11-12
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183 決意

  夕食を終えた直希は、庭の喫煙ブースにいた。 花壇の花を見つめ、手に持つコーヒーに口を付け、白い息を吐く。「……」 無意識の内にポケットから煙草を取り出し、口にくわえる。そして火をつけようとした時、背後から声が聞こえた。「煙草はやめなさいって言ってるでしょ」「わたったったっ」 その言葉にライターを落とし、慌てて振り返る。 そこにいたのは、意地悪そうな笑みを浮かべている菜乃花だった。「なんだ、菜乃花ちゃんか……つぐみだと思ったよ」「ふふっ、驚きました?」 菜乃花がそう言って笑い、ライターを拾い上げた。「直希さん、寒いのが苦手だって言ってるのに、煙草の為だったら我慢出来るんですね」「ああいや、それは……ははっ、面目ない」「そんなに震えながらでも吸いたいなんて、私にはよく分かりません」 直希の隣に腰を下ろすと、慣れない手つきでライターに火を灯す。直希は苦笑しながら、「ありがとう」そう言って煙草に火をつけた。「直希さん、本当に変わりましたね」「俺が? いや、どうだろう……自分ではよく分からないんだけど、そうなのかな」「はい、そう思います。私はその……あの時、あおいさんとの間に何かがあった、そう感じました。ですからその、あんなことを言ってしまって」「菜乃花ちゃん、その話はもう」「でも、それからの直希さんを見てて……何て言ったらいいのかな、それだけじゃない、何かが直希さんの中で変わった、そんな風に思ってました」「そうなんだ」「何より直希さん、よく笑うようになりました」「そう……かな」「はい。直希さんはその、いつも優しくて穏やかで、私や他の人に対しても笑顔で接してくれていました。でもその笑顔は、私たち
last updateLast Updated : 2025-11-13
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184 私の役目

 「……うん、分かった」 数日後。 つぐみは喫茶店で、須藤と会っていた。この前の告白、そしてドイツ行きの話を断る為だった。「ごめんね、お兄ちゃん」「いや……正直言うとね、僕も駄目だって分かってたんだ。でもまあ何て言うか、それでもちゃんと伝えておきたいって思ったから」「お兄ちゃんが私のこと、そんな風に想ってくれてたなんて……ちょっとびっくりした」「ははっ、そうだよね」「それに、その……ドイツ行きの話も、ありがとう。嬉しかった」「つぐみちゃんに言ったこと、あれは本当だよ。君は立派な医者になれる」「ありがとう」「それにつぐみちゃん、君は君が思っている以上に魅力的な女性だよ。それは誇っていいと思う。今だから言うけど、初めて会った時からそう思ってた」「そうなの? お兄ちゃん、あの頃からそんな風に想ってくれてたの?」「だけど流石にね、ははっ、大学生が中学生の女の子に告白する訳にもいかないし、ずっと隠してた。意識もしないようにしてた」「そうだったんだ……ごめんなさいお兄ちゃん。気付かなかったとはいえ、お兄ちゃんのことをいっぱい傷つけていたと思う」「いやいや、それはいいんだよ。と言うか、そうでなかったら困るよ。だってあの時気持ちを抑えてなかったら、僕は先生の娘さんに手を出した、恩知らずなロリコン野郎になってたんだから」「ロリコンって……馬鹿」「ははっ……それでなんだけど、つぐみちゃん。僕の誘いを断る理由、聞いてもいいかな。自分の中でけじめをつける為にも、ちゃんと聞いておきたいんだ」「それは……」「直希くんのこと、かな」「……」「あの頃もそうだったけどつぐみちゃん、本当に直希くん一筋なんだね」
last updateLast Updated : 2025-11-14
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185 デート

  直希からの突然の誘いに、あおいは動揺していた。 入浴を済ませて部屋に戻ると、何を着ていこうかドレッサーと向き合い、気が付くと一時間が過ぎていた。「駄目です駄目です、今日は早く寝ないといけないんです。明日は早起きして、ちゃんと準備しないといけないんです」 今回の直希の誘いは、告白の返事をする為だと分かっていた。心の準備が出来てなかったあおいは混乱し、赤面して枕に顔を埋めた。「直希さんもきっと……私が告白した時、こんな感じだったのですね」 人から好意を向けられる。伝える側は心の準備をし、決意し、覚悟を決めることが出来る。しかし伝えられる側は、こんなにも狼狽してしまうんだと改めて思った。 告白する側も大変だ。決意するまで、ずっと悩み続けなくてはいけないのだから。 きっと自分に伝えるまで、直希も思い悩んだに違いない。そう思うとますます胸の鼓動が早まった。 その時着信音が響き、あおいは慌てて携帯を手に取った。 しおりからだった。「姉様、こんばんはです」「こんな時間になっちゃってごめんなさいね。中々仕事が片付かなくて」「いえいえ、私の方こそメールしてすいませんです」「何言ってるのかしら、この子猫ちゃんは。あなたから連絡をもらえるなんて、私にとってはご褒美以外の何物でもないんですよ」「ありがとうございますです、姉様」「それで? どうかしたの?」「はいです、その……実は明日、直希さんと出かけることになりましたです」「それってまさか……デートってことなの!」「いえいえ姉様、落ち着いてくださいです。告白の返事じゃないかと思ってますです」 声を聞いただけで、あおいの不安な気持ちが伝わってくる。しおりは苦笑し、優しく言葉をかけた。「しっかりやりなさい、あおい」「はいです……でも……」「不
last updateLast Updated : 2025-11-15
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186 あおい荘

  海岸線を走り続ける車の中で、二人の会話は途切れることがなかった。 あおい荘の出来事、あの日しおりと交わした会話。これからのあおい荘について。 旅館で語り合ったあの時のように、二人は笑顔で言葉を紡いでいた。「それで直希さん。私の実務者研修のことなんですが」 あおいが少し真面目な顔で言った。 実務者研修とは、あおいの持つ初任者研修の次にある資格のことで、昔でいうところのヘルパー1級に当たる。これを取得しないと、あおいの最終目標である介護福祉士を受けることが出来ない。「うん、手続きの方はしておいたよ」「ありがとうございますです。しばらくの間、あおい荘に迷惑をかけますが」「気にしないで。それに迷惑だなんて思う必要もないんだ。あおいちゃんがスキルアップすることは、あおい荘にとっても大切なことなんだから」「でも私、直希さんに色々教えてもらってますけど、初任者研修で学んだこともほとんど忘れてしまってて」「前にも言ったよね、こういうのは実戦で鍛えられないと身につかないものなんだって。自転車の運転と一緒だよ。ずっと続けていれば、いつの間にか出来るようになってるものだから」「はいです」「それに俺は、あおいちゃんが自分の意志で、自分の道を歩もうとしている。それが嬉しいんだ」「私は……姉様の施設を見学して、自分がどれだけ無力なのかを知りましたです。あおい荘で働くようになって半年、少しは働けるようになって、満足している自分がいました。でも姉様の施設で、学んだことなのに何も出来ない自分を知りましたです。 それに……あおい荘しか知らないのに、ヘルパーとしてこの世界のことを分かってるような、傲慢な気持ちになってましたです。そのことに気付いた時、本当に恥ずかしくなりましたです」「あおいちゃん。そういう風に考えること、決して悪くはないと思う。自分を戒め、次のステージに上ろうとする。それは素晴らしいことだと思う。でもね、あおいちゃんは決して無力なんかじゃない。あおいちゃんがいたからこそ、今
last updateLast Updated : 2025-11-16
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187 抱擁

 「俺は今まで、ずっと幸せから目を背けてきた」 直希の言葉を何一つ聞き漏らすまいと、あおいが直希を見つめる。「そのせいでこれまで、たくさんの人を傷つけてきた。じいちゃんばあちゃんは勿論、入居者さんたちも、そしてあおいちゃんやつぐみたちにも、迷惑をかけてきた。でもそれでも、こういう生き方しか出来ないんだって思ってた。 それがあの日、あおいちゃんに懺悔して、背負っていた十字架が消えていくのを感じた。心が、体が軽くなっていくのを感じた」 あおいが微笑み、小さくうなずく。「そしてあおいちゃんから罰をもらった。幸せになるという罰を。正直言って、あの時は意味がよく分からなかった。言葉通りにしか受け止めることが出来なかった。 あおい荘に戻ってからこの一か月、その言葉の意味をずっと考えていた。そして気付いたんだ。 俺には幸せになる資格がない、ずっとそう思ってきた。でもそうじゃないんだって。実は俺は、不幸に依存していたんだって。 菜乃花ちゃんに告白された時に思った。いつもなら、俺にはその資格がない、そう言って断ることが出来た。でも、あおいちゃんに罰を与えられた俺は、幸せにならないといけなくなった。そう思ったら……急に菜乃花ちゃんの告白が怖くなった。人から好意を向けられることの怖さ、他人でなく自分の為に行動しなくてはいけないことの大変さが、肩にのしかかってきた。だからうろたえた、怯えた。俺は不幸に依存していたんだ、そう思ったんだ」「昔の方がよかったですか?」「うん、正直……前の方が楽だったと思った。自分のことは置いておいて、ただただ人のことを考え、動きたい。その方が自分にとって、ずっと楽な生き方だったんだって思った」「ふふっ。直希さんは本当、面白い人です」「俺もそう思うよ。改めて自分が、いかに面倒くさい人間か思い知った気がした」「でも私は、そんな直希さんだから好きになったんだと思います」「俺は……あおいちゃんやつぐみ、明日香さんや菜乃花ちゃん、みんなの想いに守られてき
last updateLast Updated : 2025-11-17
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188 意外な来訪者

 「誰か来てるのかな……って、まさかとは思うけど」 あおい荘に戻って来た直希とあおいの目に、正門前に止まっている黒塗りの高級車が映った。 車から降りた直希は反対側に回り、扉を開けてあおいの手を取った。「すいませんです……まだちょっと、膝が震えてまして……」「気にしなくていいよ。ほら、肩を貸すから。しっかりつかまって」 あおいの手を肩に回し、ゆっくりと歩いていく。「ただいま」 玄関で声を上げると、菜乃花が慌てて姿を現した。「おかえりなさい、直希さん、あおいさん……って、大丈夫ですかあおいさん」「あ、あははははっ、大丈夫です菜乃花さん。ちょっとだけ膝が笑ってまして」 あおいの力ない笑みに、菜乃花は何があったのか聞くのをやめた。  ――あの時の私と同じだ。そう思った。 「それで菜乃花ちゃん、前に止まってる車なんだけど」「そうでした直希さん。実はその」「やっと戻ってきましたね、新藤直希さん」 聞き覚えのある声が聞こえる。直希が緊張気味に顔を上げると、食堂からスーツ姿のしおりが現れた。「ね、姉様?」「姉様、じゃありませんよ、全く……いつまで経っても帰って来ないから、今夜はもう会えないかと思いましたよ」 しおりの姿に、あおいは慌てて直希の肩から手を離した。しかし膝の震えは止まらず、その場にしゃがみ込んでしまった。「……」 あおいの姿に状況を理解したしおりは、やれやれと言った顔であおいに近付き、手を差し出した。「しっかりしなさい。ほら立って」「……申し訳ありませんです、姉様」 あおいが恐縮してその手を握ると、しおりは力任せに腕を引っ張りあおいを立た
last updateLast Updated : 2025-11-18
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189 私の大切な場所

 「……」 後部座席に並んで座った、しおりとあおい。 あおいはうつむいたまま動かず、そんなあおいを見て、しおりはため息をついた。「だからあの時、動くべきだったんです」 車を走らせてしばらくして、しおりが口を開いた。「そんなに泣いて……目も腫らしちゃって」 頭を優しく撫でると、あおいは肩をビクリとさせた。「こんなあなた、見たくなかった。だから言ったのよ」「でも……」「でも、何かしら」「これでよかったんだと思いますです」「そうなの?」「はいです……私は直希さんのことが大好きです。振られてしまった今でも、想いは変わってませんです。私は直希さんと出会って、直希さんに恋をして……本当に幸せだったです」「……」「直希さん、ずっとつぐみさんのことが好きだったんです。つぐみさんも勿論、直希さんのことを想い続けていて……でも直希さん、そのことから目を背けてきました。自分にはその資格がないって」「つぐみさん、ね……少しだけ会ったけど、あの子が新藤直希の想い人なのね」「はいです。お二人はずっと……同じ時間を過ごしてきました。それはきっと、お二人にとってかけがえのない時間だったと思いますです。楽しいこと、嬉しいこと。苦しいこと、辛いこと」「……」「私に勝ち目なんて、初めからなかったんです。私が入り込める場所なんてなかったんです……例えあの時、私が直希さんに迫っていたとしても、きっと直希さんは受け入れてくれなかったと思います。直希さんは、その……勢いだけでそういうことが出来る人じゃないですから」「でも後悔、してるわよね」
last updateLast Updated : 2025-11-19
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190 二人だけの思い出

 「あなたのことが好きだった」 涙を拭き、つぐみが言葉を続ける。「あの日、あなたと駆け落ちしてここに来て、あなたと二人だけで結婚式を挙げて……確かにあの時は、そういうことに憧れている気持ちの方が強かった。映画の影響もあったと思う。 でも、でもあの時……助けに来てくれた生田さんに叱られて、私は本当に怖かった。もし足が動くのなら、あなたを見捨ててでも逃げ出したい、そんなことまで思ってた。でも怖くて、足も動かなくて……なのにあなた……ナオちゃんは違った。ひょっとしたら、私よりも震えていたかもしれない。怖かったと思う。だってあの時、生田さんが誰かなんて知らなかったんだから。本当に怖かった。なのにナオちゃんは……私を守ろうとしてくれた」「……」「震える足で私の前に立っていた。生田さんに、私をいじめないでって言ってくれた。その背中を見て、私は……怖くて仕方がないのに、胸に温かいものが込み上がっていった。 今すぐあなたを抱き締めたい、あなたに抱き締められたい……この人の傍にずっといたい、そう思った」「俺は……父さんから言われてたんだ。女の子は守らなくちゃいけないって。今考えたら、何だよそれって感じなんだけどな。でも俺はあの時、思ったんだ。 頭がよくて性格がちょっときつい、誰に対しても怯〈ひる〉まないお前が、あんなに怯〈おび〉えていた。そしてそれが、自分たちのしたことが原因なんだって思うと、俺は……お前を守らないといけないって思った。だって俺は、この子のことが大好きなんだからって」「……」「人を好きってこと、俺もよく分からなかった。でも俺はあの時、お前のことが好きなんだって思った。 俺にとって大切な人。じいちゃんばあちゃん、そして父さん母さん。そこにもう一人名前を載せるなら、お前しかいない。
last updateLast Updated : 2025-11-20
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