南條航(なんじょう わたる)の初恋、林さやか(はやし さやか)が帰国した。彼は何気なくココアを注ぎ、私に差し出した。「さやかは末期の癌で、余命は一ヶ月だ。最後の時間を一緒に過ごしたいと言っている」彼の表情には、動揺の色はなかった。私は戸惑いながら尋ねた。「こんな時は、家族に頼るんじゃないの?どうしてあなたに?」さやかは彼の幼なじみだった。彼は以前、たとえ別れたとしても家族のようなものだと言っていた。私は何度もさやかに嫉妬した。それでも、私たちはもうすぐ結婚する。航は目を伏せて言った。「叔父さんと叔母さんが事故で亡くなって、彼女は一人ぼっちになった」「同情してるんだね」私は彼の心の内を敏感に感じ取った。「いや、ただ気の毒に思っているだけだ」彼は肩をすくめ、軽く私の鼻をつついて話題を変えた。「緊張してる?もうすぐ僕の嫁になるんだ」「ふん」私は軽く目をそらした。「まだだよ」「もうすぐだ」彼は微笑みながら、真剣な眼差しで言った。「君だけが、僕の妻だ。ずっと愛してる」航は普段、控えめで感情をあまり表に出さない人だった。告白の時も、脳波をハート型にして気持ちを伝えたくらいだ。それなのに今、彼は突然、永遠の愛を誓った。私は彼の胸にそっと寄り添い、結婚式の写真を一緒に選ぼうと誘った。彼は腕をきつく回しながら言った。「選んでくれ。もうすぐ結婚式だ。僕は研究室に戻って、仕事を引き継がなきゃ」航は着替えに立ち去った。彼は常に身だしなみに気を配っていて、私はそんな彼にいつも夢中だった。だが、さっき彼が出て行く時、シャツは無造作にズボンに押し込み、靴下も左右違っていた。私は口元を引き結び、何も言わなかった。階下で車を呼び、遠くから彼の後をそっと追った。航は研究室の前を通り過ぎ、立ち寄らずに病院へ向かった。私は追わなかった。きっと幼なじみのさやかに会いに行ったのだろう。
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