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第2話

Author: 80
深夜、ついに航が帰ってきた。

暗闇の中、私はソファに身を沈め、じっと彼を見つめていた。

彼が灯りをつけ、私の姿を見て一瞬驚いたようだったが、ゆっくりと歩み寄ってきた。

「知ってしまったんだな」

彼は喉を鳴らし、少し緊張した声で言った。

私は小さく頷いた。

五年、朝も夜も共に過ごしてきた私たちは、お互いのことをよく知っている。

突然の誓い、乱れた服装ーーどれも彼の動揺と焦燥を物語っていた。

航の目に映る私は、いつも無邪気で無防備なはずだ。こんな深夜に静かに座っているなんて、私らしくない。

私たちはお互いに、それが異常だとわかっていた。

彼は私に寄りかかるようにして、ゆっくりと腰を下ろした。そして、薬の入った小さな試験管を取り出し、私の前にそっと置いた。

「彼女は、本当に哀れだ。病室で管に繋がれ、動けずに横たわっている姿を見てきた」

航は誠実な表情で言った。

「彼女の父親に、最後まで面倒を見ると約束したんだ」

その言葉が、冷たい刃のように私の胸を貫いた。手足が震え、声が震えた。

「つまり、彼女の最後の一ヶ月、そばにいるってこと?」

「そうだ」

部屋は一瞬、静寂に包まれた。

しばらくして、航は躊躇いがちに手を伸ばし、目の前の試験管に触れた。

「これは……何?」

私は彼の瞳をじっと見つめ、声を震わせた。

彼は目を逸らし、柔らかく言った。

「さやかはこの一ヶ月、僕の全部の時間が必要なんだ。でも君は、僕がそばに行くのを許さないだろう?」

「だから、その間だけ、僕のことを忘れてほしい」

「で、戻ったらまた君の花婿になる。結婚式もそのままにするから」

私はようやく理解した。それは航が新たに開発した『忘却薬』だった。

「私に、あなたのことを忘れてほしいっていうの?」呆然としながら声を出した。

愛する人が、別の女性に全てを捧げようとしている。

「違う、紗奈(さな)。永遠にじゃなくて、一ヶ月だけだ」

航の声は変わらず優しい。だが、その言葉はあまりにも非現実的だった。

「一ヶ月後、絶対戻ってくる」

私はぼんやりと座り込み、目の端に涙がにじんだ。五年という時間が、胸の奥で痛みとなって響いた。

私は苦笑いを浮かべて、少し皮肉っぽく言った。

「それって新薬でしょ?まだ試験も終わってないはずだよ。もし失敗したら?一ヶ月以上忘れちゃったら?体に害があったら?」

航は試験管の蓋を開ける手を一瞬止めたが、すぐに決意を固めて続けた。

「薬に問題はない。僕は全国一の脳科学者なんだから」そう言って、彼は試験管を私の口元に差し出した。

「一ヶ月後、必ず戻ってくる。僕たちは結婚して、最高に幸せな夫婦になるんだ」

私は顔を背けた。

「なんで私が、ゴミ捨て場みたいに何でも受け入れなきゃいけないの?」

「それって浮気だよ。行ったらもう戻ってくんな!」

「浮気なんかじゃない!」航は突然感情を爆発させた。

「彼女は本当に可哀想なんだ。なんでそんな言い方するんだよ!」

私が日夜愛してきた男は、知らず知らずのうちに別の女性のために線を越えていた。

航は深く息を吸い、試験管を掲げた。

「紗奈、一ヶ月後には全部良くなる」

突然立ち上がり、私をソファに押し倒した。

顎を強く掴み、頬の肉を歯に押し付ける。

冷たいガラスの試験管を無理やり口に押し込み、苦い薬液が口の中に流れ込んだ。

激しい動きの中、薬が気管に入ってしまい、激しく咳き込んだ。

だが航は手を緩めず、さらに強く私を押さえつけた。

必死に抵抗し、足で彼の腹を蹴った。

航は痛みに呻き、一瞬手が緩んだ。その隙に私は顔を背けて薬を吐き出そうとしたが、彼はすぐに髪を掴み引き戻し、さらに薬を押し込んだ。舌が試験管で切れ、口の中は苦く、そして生臭い味が広がった。

痛い。

涙が止まらず、ぼんやりと彼の表情を見ようとしたが、涙で霞んで見えなかった。

薬が空になると、航は私を放した。私はすぐに指を喉に突っ込み、吐き出そうとしたが、胃酸が逆流しても吐けず、息苦しさだけが残った。

「はあ、はあ」

震えながら頭を抱え、激しい痛みが何度も脳を襲った。まるで何かがこめかみから噴き出そうなほどだった。

やがて、痛みの中で意識が遠のき、四肢は力なく床に崩れ落ちた。視界はぼやけ、かすかに航の優しい声が聞こえた。

「紗奈、僕は本当に君を愛している。でもさやかはもう長くない。どんなことがあっても、最後まで彼女のそばにいなきゃいけない。だから、僕のことは忘れてくれ」

「航を……忘れて」

彼の声は次第に遠くなり、かすれていった。

私はよろめきながらソファに倒れ込み、頭の中で最後に響いた言葉は――航。

航とは、一体誰なのだろう?

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