All Chapters of 蒼き山に縛られし骨と沈む月: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

「こんにちは、葛城晴人さんですか?こちら、朝倉紗夜さんからの宅配便です!」 玄関先の配達員が荷物を手に、晴人の情報をしっかり確認した。 晴人の眉が思わず二度ぴくりと動き、自分の耳を疑った。 「今、誰って言った?……朝倉紗夜?」 配達員はもう一度送り状を見て、はっきりと答える。 「はい、朝倉紗夜さんからです。こちらにサインお願いします」 晴人はぼんやりとしたままペンを受け取り、自分の名前を書いて荷物を受け取る。顔には深い困惑が浮かんでいた。 亡くなる前の紗夜が、自分に送ってきた荷物だった。 でも、一体何を送ってきたのだろう? 部屋に戻るなり、晴人は我慢できずに荷物を開けた。 中には一本のUSBメモリが入っていた。 眉をひそめ、USBをパソコンに差し込む。 それは、紗夜の叔父が調べ上げた夏穂の死の真相だった。 あの日―― 夏穂がビルから落ちた午後、ダンス教室にいたのは紗夜と夏穂だけじゃなかった。 もう一人、不意の訪問者がいた。 それが夕凪だった。 夕凪はダンス教室の監視カメラを避け、裏口から忍び込んでいた。 だが、その日の別の出口のカメラには、夕凪の車がしっかり映っていた。 しかも、行きと帰りで夕凪が着ている服が違っていた。 極めつけは――夏穂が転落した後、慌ててダンス教室から出ていく夕凪を目撃した人がいたこと。 当時、井芹家は一億円を使って目撃者の口を封じていたため、夏穂の死は未解決のままだった。 その後も、夕凪は繰り返し晴人に「姉さんを殺したのは紗夜だ」と吹き込んだ。 姉にそっくりな顔だったから、晴人は全く疑わず、言葉を信じきっていた。 だが今、目の前に積み上げられた証拠を見て、晴人の唇は真っ白になった。 こめかみが勝手にピクピクと震え、耳の奥では「ドクドク」と血管が暴れているような音が鳴り響く。 拳を強く握りしめ、胸の奥から怒りが爆発しそうになる。 何年もの間、自分はまるで猿回しの猿のように、夕凪に操られていた。 あんなに無邪気そうな顔の裏に、こんな邪悪な本性があったとは――! 晴人は絶対に夕凪を許さない。 紗夜が味わった苦しみを、そっくりそのまま、いやそれ以上に味あわせてやると心に誓った。 三日間があっという間に過ぎ、大きなビルのドアが開か
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第12話

夜―― 夕凪は手に保温のお弁当箱を持って、晴人の家のドアが開くのを待っていた。 晴人がドアを開けると、夕凪は微笑みながら心配そうに声をかけた。 「晴人、寝てたの?どうしてそんなに時間かかったの?」 晴人は何も言わなかったが、ドアを開けて夕凪を中に入れた。 「これは、私が特別に作ったスープだよ。最近すごく痩せたみたいで、見てると心配になっちゃって」 夕凪はスープをテーブルに置き、お椀によそって差し出す。 晴人はちらっと見るだけで、冷たく言った。 「そこに置いておいて。後で飲む」 「うん」 空気は冷え切っていて、晴人はどこか無気力な様子で、話す気配すらなかった。 夕凪は心の中で何度も紗夜を罵りながら、顔には絶えず優しい笑顔を浮かべていた。 彼女は立ち上がり、テーブルの上のポットを取って言う。 「晴人、水を入れてあげるね」 けれど、次の瞬間――夕凪は手元が狂い、カップの水が服にこぼれてしまった。 もともと薄着だった夕凪の服はびしょ濡れになり、体のラインがはっきりと浮かび上がる。 肌が透けるほどの状態だった。 夕凪は慌てたふりをしてティッシュを取りに行き、わざと手が晴人の首や耳元を掠める。 身体の半分を彼に預けるように近づく。 だが、晴人の目は冷え切っていて、手は膝の上。 ついに我慢できず、大きな声で怒鳴った。 「どけ!」 夕凪は驚き、やや怒った顔をしたが、すぐに表情を引き締めて、おとなしく離れてソファに座った。 いくら誘惑しても、この男には全く通じない。 これまで何年もありとあらゆる手を使ってきたが、一度も成功したことがない―― 彼をその気にさせるには、他の手段を使うしかない! 「晴人、牛乳飲む?寝つきにいいって言うから、キッチンで用意してくるね!」 晴人はじっと彼女を見つめる。何を仕掛けてくるのか察しているようだったが、あっさりと答えた。 「うん」 夕凪はあらかじめ準備していた薬をこっそり牛乳のカップに入れ、丁寧にかき混ぜた。それを持ってきて、晴人の前に差し出す。 「晴人、この数日全然眠れてないでしょ?牛乳をいっぱい飲むとよく眠れるんだよ」 夕凪の顔には期待に満ちた笑みが浮かんでいた。 晴人は軽く微笑むだけで、何も言わなかった。 夕凪は何度
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第13話

晴人は夕凪を一瞥しただけで、すぐに嫌悪の表情で立ち上がり、バルコニーに出て電話をかけた。 まもなく五分も経たないうちに、肌が黒くて体格のいい五人のボディーガードが部屋に入ってきた。 晴人は冷たい顔で、薬で苦しむ夕凪を指さし、冷たい声で言った。 「こいつだ。あとはお前たちで好きにしろ」 「分かりました、葛城さん」 「晴人、何をするの?あなたたち、何するつもりなの?」 夕凪はぶるぶる震えながら、必死に拒絶しようとする。 だが今の彼女は薬のせいで体がまったく言うことをきかず、抵抗する力も残っていなかった。 五人の男たちは手をこすり合わせながら下品な笑いを浮かべて夕凪に近づく。 夕凪の身体は自然と熱を帯び、彼らを受け入れようと反応してしまう。 「遊ぶのが好きなんだろ?思う存分相手してもらえ」 そう言い放ち、晴人は上着を持って部屋を出て行った。 こんな汚らしい場面に興味はない。 彼の頭の中は紗夜でいっぱいだった。紗夜に会いに行きたい、それだけだった。 さっき、夕凪がトイレに行っている間に、晴人は牛乳を全部吐き出していた。 夕凪はたまたまそのグラスを自分で使ったので、薬が効いたのだった。 夜は静まり返り、冷たい風が木の葉を揺らしていた。 特に墓地は、一切の音もなく、しんと静まり返っている。 紗夜の墓前には、晴人が数日前に供えた花がまだ咲いている。 花は枯れていなかった。まるで紗夜が生前見せてくれた笑顔のように、明るく美しかった。 晴人はただ静かにその場に立ち、墓石に刻まれた紗夜の写真を見つめる。 そこには、愛に満ちて幸福そうに笑う紗夜がいた。 この写真を撮ったとき、彼女はまだ彼との恋に夢中で、何もかも幸せだった。 けれど今はすべてが変わってしまった。 紗夜が焼け死んだあの日から、晴人の心には大きな穴が空いたまま、血が止めどなく流れ続けているようだった。 どれだけ時が流れても、どれだけ年月が経っても、その傷は一向に癒えることはなかった。 「紗夜、ごめん。本当に俺が悪かった。 お前は、ずっと前から俺が騙していたことに気づいていたんだよね?だから夏穂の死を調べようとしたんだ。 だけど、どうして何も言ってくれなかった?喧嘩しても、別れることになっても、お前が死ぬなんて……それ
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第14話

そうだ。晴人は紗夜と結婚するつもりだった。 たとえ紗夜がもうこの世にいなくても―― たとえ骨壷だけを抱いてでも、彼女と結婚する。 土は晴人の爪の中にまで入り込み、ズキズキと痛む。 それでも、彼はまるで痛みを感じていないかのように、ひたすら手で土を掘り続けた。 突然、空が轟音を響かせ、雷鳴がとどろく。 豆粒ほどの雨がザーッと降り出し、滝のような豪雨が晴人の全身を濡らす。 すぐに服はびしょ濡れになった。 けれど、そんなことは何ひとつ晴人の行動を止めることはできなかった。 夜が明けるころ、ついに晴人は紗夜の墓を掘り当てた。 彼は中へ飛び込み、そっと棺を開ける。 そして、大切に紗夜の骨壷を抱きしめる。 その瞳には確かな決意が宿っていた。 「紗夜、結婚しよう。俺は誓うよ。この人生で、紗夜以外の誰も娶らない」 泥だらけで骨壷を抱え帰宅すると、夕凪は震えながら床に散らばった衣服の破片を必死に体に巻きつけ、肌を隠そうとしていた。 その体中には、昨夜の痕跡がいくつも残っている。 「晴人、帰ってきたのね!」 夕凪は這いつくばるように晴人の前に駆け寄り、涙でぐしゃぐしゃになった目で晴人を見上げた。 だが、晴人の顔は氷のように冷たい。 「晴人、お願い、聞いて!昨夜の薬、私だって無理矢理やらされたの。両親がすごくプレッシャーかけてきて、早く晴人と結婚しろって……私は本当に頑張ってきたけど、あなたは全然私のことを見てくれなかった。それで……あんなことをしたの」 彼女の計略がばれたから、晴人が怒って男たちを呼んだのだと、夕凪は思っている。 夕凪は泣きじゃくり、アイラインは涙で溶け、まるで地獄から這い上がってきた亡霊のような有様だった。 「晴人、でも、でも、どうしてそんなことするの?私、もう初めてを失った。これからどうすればいいの……?」 初めてを失った? では、あの二つの命はどうなる? 晴人は低く呻くと、ふと計画が閃いた。 彼はソファに腰掛け、鋭い眼差しで冷たく言った。 「じゃあ、両親に伝えろ。俺たち、結婚する」 「えっ?」 夕凪は一瞬何が起きたのか分からず、信じられないという表情を浮かべる。 「本当に?」 晴人の長い指が、紗夜の骨壷をゆっくり撫でる。 しばらくしてうな
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第15話

ようやく、長年の執念が報われる。 この日、晴人と結婚できる。 ずっと耐えてきた。晴人と紗夜が仲睦まじくしている姿を横で見続けてきた日々――本当は何度も爆発しそうだった。 けれど、晴人が本当に愛しているのは、紗夜じゃなくて夏穂。自分のこの顔だけ。 それでもいい、ついにこの時が来た。 「井芹さん、そろそろお願いします。まもなく式が始まります」 「はい」 浮かれる気持ちが全身にあふれ、夕凪はふわふわとした足取りで控室を出た。 会場には人が集まり、司会者の声が響く。 「本日は葛城晴人さんと井芹夕凪さんのご結婚式にご列席いただき、誠にありがとうございます。式が始まる前に、葛城さんからのリクエストでお二人の思い出をまとめた動画を上映いたします」 まさか―― 夕凪は思わず口を両手で覆った。 晴人がこんなサプライズを用意してくれていたなんて。 もしかして、自分のことを本気で大切にしてくれていたのかも―― そんな期待が胸を満たした。 スクリーンが明るくなり、全員が視線を向ける。 しかし、次の瞬間、映し出されたのはあの夜――夕凪と五人の男たちがベッドで絡み合う映像だった。 あまりにも生々しい映像に、場内は凍りつき、誰もが目を丸くする。 素早くスマホで撮影を始める人まで現れた。 夕凪は呆然となり、錯乱したように叫び声をあげた。 「やめて!今すぐ消して!違うの!みんな間違ってるの、絶対に間違いだってば!」 走り寄って晴人のもとにすがりつき、必死に衣服の端をつかみながら甘えた声を出す。 「晴人、お願い、早く止めさせて。誰がこのビデオを持ち込んだの?まさかこの街で生きていけなくするつもり?」 だが、夕凪の想像を超えた行動が晴人から返ってきた。 彼は無言で手を振り上げ、強烈な平手打ちを夕凪の顔に叩き込んだ。 その力はあまりに強く、夕凪は何度もよろめいて後ずさる。 信じられない思いで、熱く痛む頬を押さえ、晴人を見つめる。 晴人は参列者の前で、怒りを込めて声を荒げる。 「夕凪、俺はお前を見誤っていた。まさかお前がこんな女だったとはな!裏でここまで恥知らずなことをしていたなんて!」 会場の空気は一気にざわめく。 夕凪は焦って弁明しようとする。 「晴人、あの夜のことは――」 晴
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第16話

晴人は真剣な表情で目の前の骨壷を見つめ、それから全ての参列者に向かって深く頭を下げた。 「本日は、私の結婚式にお越しいただきありがとうございます。式はこのまま続けます。ただし新婦は井芹夕凪ではなく、朝倉紗夜です」 「え?どういうこと?新婦なんてどこにもいないじゃないか」 「私、目が悪くなったのかな?誰か、新婦がどこにいるか教えてよ!」 「昼間から怖いこと言わないでくれよ!それに晴人の隣にある小さな箱、骨壷じゃない?やだ、背筋がゾッとしたんだけど……これ、何の冗談?」 晴人はゆっくりと紗夜の骨壷を抱き上げ、皆の前でそっとキスをした。 唇の端には微かな笑みが浮かび、顔には満足そうな、甘やかな表情が浮かぶ。 「皆さんの想像通りです。私の妻はすでに亡くなりました。この中には、彼女の遺骨が入っています。私は彼女と結婚する、と約束した。たとえ彼女がこの世にいなくても、その約束を守ります。司会者さん、式を始めてください」 「……」 結婚行進曲が流れる。 「葛城晴人様、あなたは今後、どんな時も――」 「はい、誓います」 晴人が亡くなった紗夜の骨壷と結婚式を挙げたという噂は、あっという間に雲城中の笑い話になった。 遠く海城にいる紗夜の耳にも、その話が届いた。 いや、今はもう朝倉紗夜ではない。新しい名前、「水鳥朝(みずとり あさ)」になった。 母の姓を名乗り、「朝」という字には明るい未来への願いが込められている。 この一か月、紗夜は少しずつ家業を引き継ぎ始めていた。 叔父もよくしてくれている。 母親にそっくりだということもあって、叔父は特に優しい。 「紗夜、お見合いの話、考えてくれたか?今回は条件もいい。若くして会社を立ち上げ、もう上場してる。海外にも事業を広げてるし、なかなかの男前だぞ。きっと気に入ると思う」 帰ってからというもの、叔父は毎日のように結婚の話を持ちかけてきた。 紗夜はさすがに耳にタコができそうだった。 「叔父さんが心配してくれてるのは分かってるよ。でも私は一人でも大丈夫だから」 紗夜は苦笑いしながら答える。「分かった、じゃあお見合いする。でも土曜の夜だけね。平日は忙しいから」 「よし、それならさっそく準備するぞ」 叔父は嬉しそうに立ち去った。 土曜日の夜。 紗夜
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第17話

紗夜は一瞬きょとんとしたが、また席に座るしかなかった。 彼は遅刻してきたわけではなく、ちょうど時間ぴったりに現れただけだった。 食事の間、ふたりはとても静かだった。 烈はもともと口数の少ない男で、紗夜も心配ごとが多く、ほとんど会話はなかった。 もし相手が烈だと分かっていたら、絶対にこのお見合いには来なかった。 何しろ烈は曇市の人間。自分がまだ生きているとバレたら、曇市の情勢が大きく変わってしまうかもしれない。 なにより、晴人は骨壷と結婚するなんて常識外れのことまでした人間なのだ。 食事が終わると、紗夜はあっさりと切り出した。 「氷川さん、あなたも感じていると思いますけど、私たち、合わないと思います。ご家族に無理やりお見合いさせられたのでしょうけど、もう食事も終わったし、これでお互いの役目は果たしましたよね。私は先に失礼します」 「待って」 烈がすぐに呼び止めたので、紗夜は眉をひそめ、訳が分からず彼を見つめた。 「水鳥さん、それは違うよ。俺は、けっこう合うと思っている」 「……?」 「水鳥さん、俺は君にとても満足している。これからもっと関係を深めたいと思ってる」 紗夜はしばらく呆然とし、やっとのことで笑いがこみ上げてきた。 「氷川さん、でも私は、私たち合わないと思うんです。お見合いも恋愛も、二人で進めるものですよね?じゃあ、これで失礼します」 紗夜はバッグを手に取って立ち上がろうとした。 烈はすかさず手で行く手を塞いだ。 「二億円の契約、アフターサービスもなしってわけじゃないでしょう?」 紗夜は少しだけ眉を上げ、この男から危険な気配を感じ取った。 「何の目的?」 烈はスマホを差し出しながら答えた。 「連絡先、交換しよう」 少し迷ったが、紗夜は自分のIDを入力した。 追加が終わると、烈は無表情で手を振り、「もう用はない」といったそぶりを見せる。 紗夜はすぐに席を立ち、足早にレストランをあとにした。 この男は危険だ。晴人よりも、もっと。 このまま関わり続ければ、きっと何か制御できないことが起きる――そんな予感がした。 帰宅後、すぐに烈からメッセージが届いた。 「もし君も結婚を急かされているなら、俺を検討してほしい。結婚パートナーとして、互いの自由も生活も干渉
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第18話

「俺に何の関係がある?」 晴人は全く興味なさそうな顔でそう言った。 「……」 夕凪は怒りで胸がいっぱいだったが、あまり強く出られず、また夏穂の名前を持ち出すしかなかった。 「姉さんがもし、自分の仇を取るためにあなたが私をこんな風に辱めているって知ったら、絶対に許してくれないよ」 その時、晴人は突然顔を上げ、鋭い視線で夕凪を射抜いた。 なぜか、その瞳は真っ赤に充血して、恐ろしいほどの殺気が漂っていた。 夕凪は思わず怯え、二歩ほど後ずさった。 「な、なに……私、何か間違ったこと言った?」 「お前の姉を殺したのは、彼女なのか?」 晴人は一語一語、噛みしめるように言った。 夕凪の心臓は激しく脈打った。 目の前の男を警戒しながらも、どこかで異変を感じていた。 この男は今まで一度も夏穂の死を疑ったことはなかった。 どうして突然、こんなことを聞くの? まさか、何か掴んだの? そんなはずはない。あの日のことは、完璧に処理したはずなのに。 「晴人、どういう意味?あの日、ダンススタジオにいたのは二人だけで、監視カメラにも誰も映ってなかった。殺したのが紗夜じゃなかったら、他に誰がいるの?」 夕凪は無理やり平静を装って言った。 「お前だ!」 晴人は鋭く叫んだ。 夕凪は思わず二歩後ろへ下がり、足元がふらついて倒れそうになった。 「晴人、私、何のことか分からないよ……」 「もう全部知ってるんだ、夕凪。お前が自分の姉を殺したんだ。しかも俺の手元には証拠もある」 夕凪の表情は恐怖でいっぱいになった。 本当なのか、罠なのか、見極められず固まってしまった。 しばらくして、喉からやっと声が漏れた。 「そんなはずない……」 晴人は突然一歩踏み出し、そのまま夕凪の首を掴んだ。 夕凪の顔は一気に赤くなり、息も苦しくなってきた。 もう、まともに呼吸ができない。 「それに紗夜だって、お前が罠にはめたせいで死んだ。紗夜を殺したのもお前だ!夕凪、お前はなんて酷い女なんだ!本当なら、お前こそ死ぬべきだ!」 そう叫びながら、晴人の手にどんどん力がこもっていく。 夕凪は必死にもがきながら、声を絞り出した。 「ごめんなさい、晴人、お願いだから放して!頼むから、私にできることなら何でもするから
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第19話

紗夜は眉をひそめながらも、そっとうなずいた。 ただ、式をどこで挙げるかが悩みどころだった。 烈は生粋の曇市の人で、親戚や親もみんな曇市にいる。 紗夜はある事情から、曇市に行くのはどうしても避けたい気持ちがあった。 「大丈夫だ、海市で式を挙げても問題ない。みんな俺が連れてくるから」 烈が自分から提案してくれた。 紗夜はその顔に一切の無理がないことを感じ取った。 「結婚した後も、ずっと海市に住もう。君が戻りたくないなら、二度と曇市には戻らない」 烈は淡々と続けた。 紗夜は返事をしなかった。 他人には分からなくても、二人だけはよく分かっていた。 自分たちはただの「結婚パートナー」―― 結婚という形だけの関係で、それ以外は特別に親しいわけではない。 烈がなぜここまで譲歩するのか分からなかったが、ここまで言われて断る理由もない。 結婚式は十二月の初めに決まった。 その日は海市で雪が降ると聞いていた。 今年最初の雪―― 曇市ではほとんど雪が降らないから、紗夜にはそれがとても新鮮で、少し楽しみにもなっていた。 結婚式当日。 晴人は出張で海市を訪れており、整形で紗夜そっくりになった夕凪も一緒だった。 整形してからというもの、晴人はどこへ行くにも夕凪を連れて歩いていた。 けれど、どれだけ一緒にいても、彼は夕凪に一度も手を出したことがない。 ただ、従順なペットのように扱い、最大の役目は晴人自身のためでなく、紗夜の骨壷の世話をすることだった。 朝晩きちんと磨き、定期的に日に当てる。 夜になると、晴人は骨壷を抱いて寝て、夕凪はベッドの脇で骨壷を見守るだけ。 そんな日々が何ヶ月も続き、夕凪はもう骨と皮だけの姿になっていた。 「晴人、今夜は少しだけ外出したいんだけど」 ホテルに着くとすぐ、夕凪がそっと切り出した。 晴人はじっと夕凪の顔を見つめる。 もう、外見は紗夜そのものだった。 でも、どうしても紗夜じゃなかった。 本当の紗夜は、どれだけ辛いことがあっても明るくて、よく笑い、晴人の腕に抱きついて甘えてきた。 夕凪は顔が紗夜そっくりでも、中身まで変わることはなかった。 「外出して何をするつもり?」 晴人は気だるげに聞く。 「ちょっと私用があって」 「いい
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第20話

烈は彼女の横顔を見つめ、その美しさに思わず口元に微かな笑みを浮かべた。 本当に「ただの契約結婚」なのだろうか? そのとき、清掃服を着たひとりの女の子が突然近くからぶつかってきた。 烈は咄嗟に身をかわそうとしたが、女の子はそのまま彼にぶつかってしまった。 「すみません、わざとじゃないんです」 顔を上げたのは夕凪だった。 烈の表情が一変する。 目の前のこの女の子は、紗夜と瓜二つの顔をしていた。 「お前は誰だ?」 烈は冷たい声で問いかける。 「私……」 夕凪は少し恥ずかしそうにうつむき、烈がこんなに動揺しているのを見て、もう自分が誰か気づかれているのだと悟った。 やはり、紗夜という死人にはまだ価値があるらしい。 夕凪はわざと髪をかき上げ、小さな声で媚びるように言った。 「ここでアルバイトしてるんです。前に一度、氷川さんとお会いしたことがあって……覚えてますか?」 そう言いながら顔を上げた夕凪だったが、今度は自分が驚く番だった。 突然、目の前に紗夜が現れて、自分と同じ顔で真っ直ぐこちらを見つめている。 まるで幽霊でも見たかのように、夕凪は口元を手で覆い、目を見開いたまま固まった。 全身の毛が逆立ち、しばらく動けなかった。 「あんた……紗夜なの?死んでなかったの?」 紗夜はまっすぐ夕凪を見据える。 この女は自分を知っている。つまり雲城の人間だ。 でも、なぜ自分とここまでそっくりなのか―― 紗夜はまだ答えが見つからなかった。 そのとき、少し離れた場所から、聞き覚えのある声が響いた。 「紗夜!」 晴人だった。 彼もここにいたのだ。 晴人は叫ぶなり、狂ったように駆け寄ってくる。 紗夜は咄嗟に烈のそばに身を寄せた。 烈は紗夜の緊張と不安にすぐ気づき、彼女を自分の後ろにかばい、圧倒的な存在感で晴人を遮った。 晴人の目は真っ赤に充血し、やせ細ったせいで頬骨が浮き出ていた。 今、彼の視界には紗夜以外何も入っていない。 「紗夜、お前は生きてたんだ!本当に生きてた!どれだけお前に会いたかったか、どれだけお前を想ってきたか分かるか!紗夜!」 必死の叫びに、場の空気が一気に張りつめた。 紗夜は眉をひそめ、さらに烈の後ろに身を隠す。 彼女は落ち着いた表情で、
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