これは、朝霧玲子(あさぎりれいこ)が九条蓮(くじょうれん)を誘惑しようと試みた、通算九十九回目の夜だった。黒いレースのネグリジェをまとい、裸足のまま、玲子は少しずつ蓮の胸元へと身を預けていったが、彼に容赦なく突き放された。「夜は冷える。風邪をひくぞ」その冷たい一言を聞いた瞬間、玲子の胸の奥で何かが軋む音がした。玲子は衝動のままベッドの枕を掴み、蓮へ向かって投げつけた。「蓮!私ってそんなに魅力がないの?それとも女が嫌いなの!?」蓮は無表情のまま身をかわし、枕が床に落ちる音だけが部屋に響いた。「早く寝ろ。書斎でまだ仕事が残っている」それだけを告げると、蓮は部屋を出て行った。残された玲子は、感情を爆発させるように泣き叫んだ。けれど怒りが収まった後、玲子は牛乳を一杯用意し、書斎へと運んだ。初めて蓮に会ったとき、黒のスーツに身を包んだ彼は、仏間に置かれた寒玉の像のように清冽で凛としていた。その姿に、玲子は一目で心を奪われ、一生を誤った。家に戻るなり祖父・朝霧宗一郎(あさぎり そういちろう)に縁談を願い出て、蓮以外の男とは結婚しないと訴えた。朝霧家にとって玲子は政略結婚の駒であり、九条家との縁談は何より価値があったため、宗一郎はあっさりと承知して縁談を申し入れた。思いがけないことに、蓮はその縁談を受け入れた。それから三年。玲子が誘惑に失敗するたびに、蓮のそばに他の女の影がないことを理由にして、自分を慰めてきた。玲子は書斎のドアをノックしたが蓮の姿はなく、代わりに部屋の片隅にある扉が目に入った。「蓮……いるの?」その扉を開けた瞬間、玲子の心は音を立てて地獄へ堕ちていった。壁一面に貼られていたのは、蓮の義妹――九条すみれ(くじょうすみれ)の写真だった。笑顔を浮かべ、弓なりの眉に愛らしいえくぼを湛えた少女の写真が、部屋中を覆い尽くしていた。視線の先、ベッド脇には乱雑に転がるアダルトグッズ、乱れた寝具、湿ったティッシュ――玲子の唇が震え、虚ろな笑みが浮んだ。「……そういうこと、だったのね」どれだけ下着を変え、どれだけ身体を投げ出しても、蓮が動じなかった理由がようやくわかった。玲子が誘惑に失敗し、泣き叫ぶたびに、蓮はいつも淡々と言った。「俺は仏道に帰依しているから、女色に興味はない
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