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戻らぬ愛〜夫に求められない妻の決断〜

戻らぬ愛〜夫に求められない妻の決断〜

By:  鳳小安Completed
Language: Japanese
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これは、朝霧玲子が九条蓮を誘惑しようと試みた、通算九十九回目の夜だった。 だが、九条蓮は容赦なく彼女を突き放した。 「夜は冷える。風邪をひくぞ」 その冷たい一言を聞いた瞬間、玲子の胸の奥で何かが軋む音がした。 玲子は衝動のままベッドの枕を掴み、蓮へ向かって投げつけた。 「九条蓮!私ってそんなに魅力がないの?それとも女が嫌いなの!?」 ――そして玲子は、偶然にも蓮の書斎の片隅にある隠れ部屋を見つけてしまう。 そこには、壁一面に貼られた義妹・九条すみれの写真、乱れたシーツ、床に転がる湿ったティッシュの数々があった。 その瞬間、玲子は悟った。 彼は女を嫌っていたわけではなく、自分のことを拒絶していたのだと。 絶望の夜、玲子は祖父・朝霧宗一郎へ電話をかけた。 「おじい様、私、九条蓮と離婚するわ。 三日後、江城の一番大きなホテルで、自分自身をオークションにかける。 九条蓮よりも権力のある男と、結婚してみせるわ!」 そしてオークション当日―― 噂を聞きつけ、会場に現れたのは、御神木財閥の跡取り・御神木猛だった。 彼が札を上げた瞬間、九条蓮の中で何かが壊れた。 その日を境に、蓮は冷徹な仮面を脱ぎ捨て、狂気へと堕ちていくのだった――

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Chapter 1

第1話

「平野さん、当時約束した期間は十年でしたよね。もう期限になったし、音夢(ねむ)を連れてこの家から出ていきたいのです。

知ってるはずです。彼はずっとあの子のこと、気に入らなくて」

茶房で、時光美波(ときみつ みなみ)は苦笑いを浮かべながら、話していた。

十年も平野冬雪(ひらの ふゆき)のそばにい続けてきたのに、彼の心は尚氷のように冷たかった。

十年前、冬雪の初恋は彼を振って、海外に行ってしまった。それから、ショックを受けた冬雪は毎日酒を浴びて、退廃した日々を過ごしてきた。

見ていられなくなった冬雪の母は、二億円で美波を渡し、十年間冬雪のそばにいてあげることを頼んだ。

学生時代から冬雪を慕っていた美波はそう頼まれて、思わず二つ返事をした。

それから、冬雪に振り向いてほしくて、彼女は色々頑張ってきた。

冬雪の機嫌が斜めの時、一生懸命笑わせようとしていた。

冬雪の体調が優れない時、世話をしてあげるために一夜休まず、病院で駆け回っていた。

冬雪の胃が弱いと知った時、わざわざ料理の作り方を学んで、自ら彼の食生活を支えてきた。

彼女は冬雪を失恋の沼から引っ張り上げ、ずっとそばにいてあげてきたのに、所詮彼の中では何者にもなれず、単なる片思いでしかなかった。

彼の友達が雑談の時に、「あの人は一体何者なんだ?」と彼に聞くのが、美波の耳に入ってきた。

その時、冬雪はただ微笑みながら、何も言わなかった。

しかしあの日、酔っ払った冬雪は彼女をベッドに押し倒し、情欲にかけられ、あの子ができてしまった。

その後、美波は屋敷をもらい、音夢を産む許可ももらったが、冬雪は未だ恋人がいることを公表していないから、唯一の条件として、音夢が彼のことを「パパ」と呼ぶことは許されなかった。

「一生お前と結婚したりしないから、諦めろ。

子育て費用は俺が払う。ただし、こいつが自分の娘だなんて認めると思うなよ。俺に娘なんていない」

「音夢が彼のことを『パパ』と呼ぶことは許されない」というのは本気で、冬雪は心を鬼にした。

音夢が三歳の時に、うっかり彼のことを「パパ」と呼んでしまったことで、彼に丸一日中足留めを食わされて、喉を枯らしてまで泣いていた。

四歳の時に、彼の手を繋いでしまったことで、力強く押しのけられて、階段の下まで転んでしまって、骨折するところだった。

しかし昨日、冬雪は嬉しそうに帰ってきて、音夢にプレゼントを持ってきただけでなく、彼女の誕生日を祝ってあげると約束した。

音夢は狂ってしまうほど嬉しかった。

「パパはちょっとだけ自分のことが気に入ってくれたのかな」と問い続けていた。

けれど美波は誰よりもわかっていた。冬雪が嬉しそうにしているのは、彼の初恋が帰国したからだった。

彼があの女を誰よりも優しく可愛がって、あの女の子供を抱き上げながら、「パパと呼んで」と親しく言い続けている光景が、美波の目に映った。

その瞬間から、美波の心は死んだのだ。

冬雪の母がそれを聞いて、深くため息をついた。

「まあいい。もう決意したんなら、無理強いはしない」

家に帰ってきたら、美波は荷物を片付け始めた。

五歳の音夢はドアの外から入ってきて、少し腫れた瞼で問いかけた。

「ママ、わたしたち、ほんとにパパから離れるの?」

娘を見た瞬間、美波は動揺していた。

「パパの好きな人が帰ってきたからね。これ以上ここにいるのはよくないわ」

冬雪は彼女のことも、音夢のことも愛していなかった。

その彼の本気で愛している人が帰ってきた以上、彼女たちはもうこの家にいられない。

美波はしゃがんで、音夢に言い続けた。

「ママと一緒にここを離れて、海外で暮らそう、ね?」

音夢はませた子供なので、この話の意味がわかっていた。

彼女は頭を下げて、涙を堪えながら言った。

「パパは約束してくれたの。誕生日を祝ってくれるって。遊園地に連れてくれるって。

まだ一度もパパと遊園地に行ったことがないのに……」

彼女がどれほど父からの愛を欲しているか、美波にはわかっていた。

一度も父に見向きされたことのない子供が、いきなり一緒に遊ぶ約束をされたら、例え無謀だとしてもやってみたいのであろう。

音夢はまた瞼を濡らした。

「どうしてもパパに誕生日を祝ってほしかったの。最後に三回だけチャンスをあげてみない?

やっぱりパパに嫌われてるなら、ここを離れよう」

音夢の涙目を見て、美波は心を痛めて、この子を抱きしめた。

結局、音夢の涙には勝てなかった。

「わかった。そうするわ。最後にパパに三回だけチャンスを与えよう」

三日後は音夢の誕生日だ。

彼女は最後に冬雪に三回だけチャンスを与えることにした。

結局、彼は音夢と自分をがっかりさせてしまうのなら、音夢を連れて彼の目の前から跡も残らず消える!
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第1話
これは、朝霧玲子(あさぎりれいこ)が九条蓮(くじょうれん)を誘惑しようと試みた、通算九十九回目の夜だった。黒いレースのネグリジェをまとい、裸足のまま、玲子は少しずつ蓮の胸元へと身を預けていったが、彼に容赦なく突き放された。「夜は冷える。風邪をひくぞ」その冷たい一言を聞いた瞬間、玲子の胸の奥で何かが軋む音がした。玲子は衝動のままベッドの枕を掴み、蓮へ向かって投げつけた。「蓮!私ってそんなに魅力がないの?それとも女が嫌いなの!?」蓮は無表情のまま身をかわし、枕が床に落ちる音だけが部屋に響いた。「早く寝ろ。書斎でまだ仕事が残っている」それだけを告げると、蓮は部屋を出て行った。残された玲子は、感情を爆発させるように泣き叫んだ。けれど怒りが収まった後、玲子は牛乳を一杯用意し、書斎へと運んだ。初めて蓮に会ったとき、黒のスーツに身を包んだ彼は、仏間に置かれた寒玉の像のように清冽で凛としていた。その姿に、玲子は一目で心を奪われ、一生を誤った。家に戻るなり祖父・朝霧宗一郎(あさぎり そういちろう)に縁談を願い出て、蓮以外の男とは結婚しないと訴えた。朝霧家にとって玲子は政略結婚の駒であり、九条家との縁談は何より価値があったため、宗一郎はあっさりと承知して縁談を申し入れた。思いがけないことに、蓮はその縁談を受け入れた。それから三年。玲子が誘惑に失敗するたびに、蓮のそばに他の女の影がないことを理由にして、自分を慰めてきた。玲子は書斎のドアをノックしたが蓮の姿はなく、代わりに部屋の片隅にある扉が目に入った。「蓮……いるの?」その扉を開けた瞬間、玲子の心は音を立てて地獄へ堕ちていった。壁一面に貼られていたのは、蓮の義妹――九条すみれ(くじょうすみれ)の写真だった。笑顔を浮かべ、弓なりの眉に愛らしいえくぼを湛えた少女の写真が、部屋中を覆い尽くしていた。視線の先、ベッド脇には乱雑に転がるアダルトグッズ、乱れた寝具、湿ったティッシュ――玲子の唇が震え、虚ろな笑みが浮んだ。「……そういうこと、だったのね」どれだけ下着を変え、どれだけ身体を投げ出しても、蓮が動じなかった理由がようやくわかった。玲子が誘惑に失敗し、泣き叫ぶたびに、蓮はいつも淡々と言った。「俺は仏道に帰依しているから、女色に興味はない
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第2話
玲子は、すみれの部屋の前を通りかかったとき、苛立ちに駆られて立ち止まった。その視線は虚ろなまま、部屋の中でプレゼントを整理するすみれを見つめていた。誕生日が近いこともあり、すみれの周囲にはプレゼントが山のように積まれている。すみれが新しいプレゼントを棚に置いた拍子に、棚が揺れ、写真立てが床に落ちた。写真に写る見慣れた人物に、玲子は思わず一歩踏み出した。「お義姉さん、私の部屋の前で何してるの?お兄ちゃんからのプレゼントがそんなに気になるの?」すみれは勝ち誇ったように微笑んだ。いつもならすぐに言い返す玲子だったが、このときばかりは応じず、落ちた写真に目を凝らしていた。その玲子の視線に気づき、すみれは慌てて玲子を突き飛ばし、写真を拾い上げて背中に隠した。だが、もう遅かった。そこに写っていたのは、眠る蓮に口づけするすみれ自身の姿だった。その瞬間、玲子はすべてを悟った。道理で、玲子と蓮が外出するたびに、すみれは転んだだの、具合が悪いだのと理由をつけて蓮を呼び戻していたのだ。兄は妹を愛し、妹も兄を愛していた。そして、自分だけが余計な存在だった。ならば、いっそ成就させてやろう。「な、何を見たのよ……!」すみれが言いかけた瞬間、悲鳴を上げて尻もちをついた。「ごめんなさい、お義姉さん!わざとじゃないの!怒らないで!」そのとき、背後から温かいミルクのグラスを手にした蓮の声が響いた。「玲子、何をしている!なぜすみれを突き飛ばした!?」すぐにすみれの前に立ち、守るように腕を広げる蓮の姿に、玲子は自嘲めいた笑みを浮かべた。「どこをどう見たら、私が彼女を突き飛ばしたように見えるの?私はそんな卑劣で暇じゃないわ。でも忠告しておくわ。今度また私を怒らせたら、殺人だってやりかねないから」蓮は玲子の背中を見つめ、後ろで怯えるすみれを振り返った。「大丈夫か、怪我はないか?」「大丈夫だよ、お兄ちゃん……お義姉さんはわざとじゃないの。ねぇ、少しここで休んでいって?」部屋の扉が閉まる音がした。玲子が振り返ると、口元の笑みはより一層、苦く滲んでいた。──翌朝。九条家は、パーティーの準備で慌ただしい空気に包まれていた。すみれは養女でありながら、実の娘同然に扱われている。その誕生日パーティーは
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第3話
「これは、一体……」「九条家の養女が兄に好意を抱いてるって噂は聞いてたけど……まさか本当だったなんてな」「これって近親相姦でしょ?兄を好きになるなんて正気じゃないわよ。恥知らずにも程があるわ」「清楚な顔して、やっぱりロクな女じゃなかったな。兄はもう結婚してるってのに、こそこそ想いを寄せてたんだろ?結局養女じゃなくて、九条家の奥様になりたかったんじゃないか?」「九条家で、まさかこんなスキャンダルが起きるなんてね……」大広間に渦巻く声が、無数の矢のように飛び交った。九条夫妻は顔面を蒼白にし、今にも気を失いそうになっていた。スクリーンに次々と映し出される写真を前に、すみれは泣き崩れた。「お義姉さん……どうしてこんなことするの……! この写真は……そ、そんな意味じゃなくて……ただ、お兄ちゃんに憧れてただけなの……だから……」震える声は空しく、映し出され続ける現実の前でかき消された。「やめろ!今すぐ止めろ!」蓮がテーブルの花瓶を掴むと、スクリーンめがけて力任せに叩きつけた。ガラスの破片が飛び散り、割れる音が広間に響く。血走った目で振り返った蓮は、玲子を鋭く睨みつけた。「……お前、正気か?自分が何をしたか分かってるのか!?こんなことをして、すみれがどれだけ傷つくと思ってるんだ!お前は彼女を破滅させたいのか!?昨日、すみれがお前に説明しただろ。その時は黙っていたくせに、今さらこんな場で……玲子、お前は最低だ!」玲子は乾いた笑みを浮かべながら、冷たく答えた。「最低?むしろ感謝してほしいくらいよ。ねぇ九条蓮……あなたの妹は、あなたを愛してるわ。そして……あなたも彼女を愛してるんでしょ?」言葉を吐くたびに、玲子の胸はずきずきと痛んだ。互いに想い合っているなら――その愛を成就させてあげればいい。そうでなければ、自分は一生この家で笑われるだけのピエロだ。「お前は……!人間のクズだな!」蓮の目に浮かぶ憎悪は、今にも玲子を殺しそうなほど鋭かった。「蓮……正直に答えなさい!」九条夫妻も顔を青ざめながら問い詰める。「まさか、お前……すみれを……」蓮は拳を握りしめ、喉の奥で声を絞り出した。「違う……父さん、母さん。俺はすみれを妹としか思っていない。すみれは……俺にとって汚すことなどできない、純
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第4話
目を覚ますと、江城市はすでに別世界になっていた。耳元で友人たちの焦燥した声が響く。「玲子!お願い、起きて!ねぇ玲子、早く起きてってば!」目を開けると、周りには友人たちが取り囲み、スマホのバイブがけたたましく鳴り続けていた。画面を見ると、祖父から十数件の不在着信が入っており、その間にもニュース速報が次々と通知されていた。『名門・朝霧家の令嬢、九条家への復讐のためイケメンホストと一夜を共に!?』『衝撃!朝霧玲子氏と九条蓮氏、それぞれ別の相手と関係を持つ!?三年前のセレブ婚が崩壊の危機に!』無意識に記事をタップすると、画面いっぱいに昨夜のホストと自分がベッドで並んでいる写真が無数に表示された。服を着ているものもあれば、裸で抱き合う写真もあった。一夜にして九条すみれの炎上はかき消え、自分がスキャンダルの渦中の主役へと変わっていた。玲子は震える手でスマホを握りしめ、そのまま床へ叩きつけた。「上等じゃない……九条蓮。……見事ね」すみれを守るために、結婚三年の妻を陥れるなんて――自分で撒いた種は、自分で刈らせるってことか。実に、立派な兄だこと。車は曲がりくねった山道を登り続け、やがて山頂の朝霧家の本邸へと入った。玄関を開けると、リビングには朝霧家の親族が全員集まり、無言で玲子を見つめていた。祖父・宗一郎の顔色は険しく、浮き上がった血管が額を走り、眼光は刃のように玲子を射抜いた。「跪け!」玲子はためらわず、音を立てて床に膝をついた。その瞬間、背中に鋭い痛みが走った。鞭が振り下ろされ、皮膚が裂ける音が部屋に響く。だが、玲子は眉をひそめただけで、声を一切上げなかった。「自分が何をしたかわかっているか?」宗一郎の問いかけに、玲子はうつむいたまま答えた。「……朝霧の名を、汚しました」宗一郎が最も重んじるのは、朝霧家の名誉だった。母は不倫の末、父に殺され、その父も後を追うように自ら命を絶った――世間には、両親は事故で亡くなったことになっている。叔父たちは玲子が失脚する日を待ちわびていた。そして今、その日が訪れたのだ。もし九条家との縁がなければ、朝霧家はとっくに潰れていただろう。玲子には、最初から選択肢などなかった。「……過ちを認めます」流出した写真がすべてを物語
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第5話
部屋へ戻ると、玲子はスマートフォンを開いた。一番上に表示されていたのは、すみれの投稿だった。『二十二歳の誕生日の願い事:レーサーの彼氏が欲しいな』「いいね」が無数に並ぶ中で、一番最初に目に飛び込んできたのは――蓮の「いいね」だった。玲子は無言でスマホを放り投げ、見たくもないとばかりに顔を背けた。一睡もできない夜を過ごし、夜が明けた。離婚を決めた以上、迷っている時間はなかった。夜明けと同時に、玲子は弁護士事務所へ向かった。彼が持つものは、自分もすべて持っている。だが、本来自分のものであるものだけは絶対に取り戻すつもりだった。ほどなくして弁護士から離婚協議書を受け取り、玲子は九条家へ戻った。だが、蓮とすみれの姿はなかった。玄関先で、九条夫妻が慌ただしく外出の支度をしている。「玲子さん!帰ってきてくれてよかった!蓮がね……事故に遭ったの!レーサーの大会に行ったらしくて、事故を起こして今病院なの。一緒に来てくれない?」玲子の口元が、冷たく歪んだ。――あの投稿を見て、本当にレーシングに行ったんだ。江城の人間なら誰もが知っている。蓮はスリルを好むような男ではなく、何事も慎重で冷静な男だった。あの投稿さえなければ、彼がそんなことをするはずがない。――それが、よりによってすみれの誕生日の願い事だなんて。玲子は小さく息を吐くと、淡々と口を開いた。「お義父様、お義母様。今日は離婚の件で参りました。これが離婚協議書です。ご確認ください」「……離婚!?蓮と離婚するつもりなの!?すみれのことで?もう説明したでしょう、蓮のことは兄として慕っているだけだって……私たちもきつく言ったし、あの子はあくまでも九条家の娘よ……」玲子は冷たい瞳で二人を見据えた。「――もし、『娘』じゃなかったら?」その言葉に、空気が張り詰めた。「いっそ記者会見でも開いたらどうですか?『すみれさんは最初から養女ではなく、九条家の嫁として育てられてきた』――そう発表すれば、二人は堂々と一緒になれます。娘から嫁になるだけです。ご両親にとっても、悪い話ではないでしょう?」あまりの冷淡さに、九条夫妻は言葉を失った。玲子は二人を促し、これまで立ち入ることさえ許されなかった奥の隠れ部屋へと案内した。そこには壁いっぱいに写真が貼
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第6話
「お義姉さん、お兄ちゃんを責めないで。お兄ちゃんがレースに出たのは、別に深い意味なんてなくて……ただ、私の将来の彼氏を見極めたいってだけなの……」すみれは玲子を見るなり、慌てて蓮の胸元から身を起こした。玲子は微笑むと、肩を軽くすくめる。「あら、気にしないで。続きをどうぞ」そう言って背を向けて歩き出す。だが数歩進んだところで、ふと何かを思い出したように立ち止まり、手首にはめていたバングルを外した。それは、九条家の嫁にだけ代々受け継がれる家宝だった。それを玲子は、すみれの手首にはめた。「二人が結ばれるといいわね」「お義姉さん、何言ってるの……これ、私なんかがもらえるわけないよ……だってこれ、お義姉さんが結婚式の日にママから受け取った大切なものじゃない……」すみれが慌てて外そうとしたとき、蓮の声が冷たく響いた。「あいつが渡したんだ。お前が着けろ。お前の方が、そのバングルに相応しい」彼の視線も声も、いつもと変わらず冷たかった。玲子は悟った。――この男は、一度だって私に心を動かしたことなどなかったのだと。だがかつては、彼が自分を想ってくれていると信じていた。一緒に本を読んでいる最中に眠ってしまった自分へ、そっと毛布を掛けてくれたこと。墨を磨き続けて指にできたマメを見て、新しいハンドマスクを贈ってくれたこと。階段を登って水ぶくれができたとき、足湯を用意し、履き心地の良いフラットシューズを揃えてくれたこと。あの文鎮でさえ、渡した翌日からずっと使ってくれていたことも。そのひとつひとつが、彼の愛情の証だと信じて疑わなかった。――だが、それはすべて勘違いだったのだ。「そうね。持っておきなさい。私はもう、九条家の嫁じゃないから」その言葉は、蓮には届かなかった。病院を出ると、玲子はすぐに親友の葉月しずく(はづき しずく)へ電話をかけた。「しずく、私……離婚したの。自由になったわ!お願い、三日後――九条蓮と結婚して三周年の日に、婚活パーティーを開いて。招待状には『朝霧玲子、自分をオークションにかけます!』って書いて。今度は、あの男より金も権力もある男と結婚してやるんだから!」電話口でしずくの笑い声が弾ける。「任せて、すぐ会場を押さえるわ」玲子が一眠りして目を覚ます頃には、全ての準備が整
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第7話
オークション会場へ向かう車内で、玲子は無言のまま頭を窓に預け、外のネオンが滲む夜景をぼんやりと見つめていた。隣のしずくが、不安げに玲子の手を握りしめる。「玲子……今夜、誰があんたを落札すると思う?内緒だけど、招待した中にはデブでハゲで、見るのもキツイおっさんもいるんだよ?そいつらに抱かれるとか想像しただけで吐きそう……」玲子はゆっくりとしずくに顔を向け、ふっと笑った。「私でさえ恐れてないのに、心配しないで」「嘘でしょ……本当に怖くないの?」玲子は目を伏せず、静かに答えた。「怖くないわ」その言葉に嘘はなかった。両親が死んでから二十年、朝霧家で玲子はたった一人で生き延びてきた。祖父以外の親族は皆、笑顔の裏で虎視眈々と遺産を狙い、あらゆる手段で彼女を追い詰めてきた。祖父でさえ、遺産に興味はなくとも、玲子を使って家の地位を守り続けていた。両親が亡くなってからの年月、自分がどう生きてきたのかも、もう覚えていない。――怖いものなど、何もなかった。ただ、愛に飢えていただけ。だからこそ、蓮を愛し、彼の愛を渇望していた。彼がほんの少し笑顔を見せるだけで、全てを捧げたくなった。だが――結局、選ぶ相手を間違えたのだ。ホテルへ到着すると、玲子はマイバッハから静かに降り立った。数歩歩いたところで、人々の嬌声が夜の空気を震わせる。「キャーッ!九条蓮様よ!カッコいい!」「隣にいるのって九条すみれだよね?蓮様が女性にあんなに気遣うの見たことない!」「ほんとだよ、スカートの裾まで直してあげて……私も彼の妹だったらなぁ!」玲子が振り返ると、ライトの下で蓮とすみれが並んで立っていた。絵に描いたような、美しい二人だった。玲子に気づいたすみれは、すぐに蓮の腕から手を放した。「お義姉さんも、オークションに来てたの?誤解しないで。私は、あのダイヤの指輪が欲しくて来ただけなの。ちゃんと、自分のお金で買うつもりだから……」怯えたように視線を落とすすみれを見て、蓮の眉間にしわが寄る。「どこで情報を嗅ぎつけたのか知らないが、俺が今夜ここに来ると知ってついてきたんだろ?だが言っておく、今夜の同伴はすみれだ。お前じゃない」蓮の声が冷たく空気を裂いた。「それに、すみれが欲しい物は全部、俺が落札する。いくら金
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第8話
オークションはすでに始まっていた。蓮はすみれの手を引き、会場の最前列に腰を下ろす。一方その頃、別のホールでも、もう一つのオークションが幕を開けていた。玲子は舞台の中央に立ち、これから自分自身が競りにかけられる瞬間を、静かに待っていた。視線の先に広がるのは、人で埋め尽くされた客席。ざわめきと熱気が渦を巻き、湿度を含んだ空気が肌に張り付く。壇上でマイクを握ったのはしずくだった。「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。今宵、皆様に競っていただくのは――朝霧家の令嬢、朝霧玲子さんです!」その頃、蓮のいるホールでも司会の声が響く。「今夜の一品目はローゼン氏特製の婚約指輪!モロディコ産最高級ルビーをあしらった逸品、開始価格は一億円から!」「お兄ちゃん、始まったよ!」すみれが目を輝かせて蓮の手を握り、蓮は競り札を上げようとした――その瞬間。客席の誰かが立ち上がり、続くように人々がざわざわと立ち上がり、外へと駆け出していく。「お、おい、何だ!?」「聞いたか?隣のホールで女が自分を競りにかけてるらしいぞ!しかも、あの御神木家の御曹司まで来てるって話だ!」「マジか!?誰だよ、そんな真似をするのは?」「朝霧玲子だよ!江城一の魔性の女だ!」「は?あいつは九条蓮の嫁だったろ?」「離婚したんだとよ。今夜、自分の初夜を競りにかけるらしいぜ!結婚三年で未経験とか、九条蓮も大したことねえな!」「ハッ、こりゃ見物だな!」下卑た笑いと嘲りが飛び交う中で、蓮の全身が灼けつくように熱くなる。ドン、と椅子が弾けるような音を立てて蓮は立ち上がった。「お兄ちゃん、どこ行くの!?指輪は……!」すみれが慌てて蓮の袖を掴む。「すぐ戻る……!」普段なら決して取り乱さない蓮の声が掠れていた。足元がもつれ、転びそうになりながらも、群衆を押し分けて走り出す。すみれは慌ててその後を追うしかなかった。会場前は押し寄せる見物客でごった返し、蓮は苛立ちを隠せない。「どけッ!」九条家の当主の気迫に道は割れるが、ホールの扉前で黒服の警備員が無言で立ちはだかる。「九条様、申し訳ありません。招待状のない方は入場できません」「俺が誰だかわかっているのか!?九条蓮だ!あいつは俺の妻だぞ!どけッ!」警備員は表情一つ
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第9話
宙からひらひらと舞い落ちる無数の写真。それはすみれが映った数々の写真、そして十年以上隠されてきた蓮の隠れ部屋の内部写真だった。乱れた寝具、散らばったティッシュ、湿ったシーツのしわ。玲子はその全てを写真に収め、現像し、この場でばら撒いたのだ。――本当は、こんなことまでしたくなかった。だが、蓮が彼女のオークションを踏みにじった瞬間、玲子の最後の理性は崩れ落ちた。「おい、九条蓮って、ずいぶん派手な遊びしてるじゃねぇか!」「そりゃあ、あれだけの美女を妻にしておきながら、指一本触れないわけだ。妹に欲情してたんだな!」「前からおかしいと思ってたんだ、あの兄妹。やっぱり噂は本当だったのか」「朝霧玲子さんも気の毒に。三年間、どんな地獄を生きてきたんだ……」観客席に響くざわめきと冷笑の渦の中で、蓮は舞台の上に立つ玲子を見つめたまま、声一つ発することができなかった。蓮の背後に隠れるように立つすみれが、涙で濡れた瞳を伏せながら囁く。「ごめんなさい……わ、私のせいで……私さえいなければ、九条家がこんな笑い者になることもなかったのに……」涙がすみれの頬を伝い落ちる。「でも知らなかったの。お兄ちゃんがずっと私を……好きだったなんて…私もずっとお兄ちゃんのことを……」泣きじゃくるすみれを、蓮はただ抱きしめた。「お前のせいじゃない……全部、俺が悪いんだ」二人の歪んだ絆を見て、玲子は思わず冷笑を浮かべた。「イチャつくなら外でやってくれない?ここは私のオークション会場よ、邪魔しないで」「お義姉さん、自分を売るなんて……女として、どうかしてるわ」すみれは蓮の袖を引いた。「お兄ちゃん、お義姉さんはお金に困ってるだけなのよ。助けてあげて?」蓮は玲子を見据え、冷たい声を落とした。「いいだろう。今の最高額はいくらだ?六千億なら一兆円出す。だから俺と帰るんだ。ここで恥を晒す必要はない。あいつらは不純な動機でこのオークションに参加してるんだ、わかってるだろ?」その言葉に玲子は紅い唇を吊り上げ、艶やかな笑みを浮かべた。「弄ばれるだけマシじゃない?あなたは弄ぶことすらしなかったくせに」蓮の眉がぴくりと動いた。「……わざと俺を苛立たせているのか?いいから戻れ。全部なかったことにしてやる。あの離婚届だって、入院書類だ
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第10話
御神木猛は、刀剣のように鋭利な骨格を持ち、眉は山並みの稜線のような起伏を描いている。そして、情熱を宿した切れ長の瞳で玲子を見つめた。「御神木様、かっこよすぎる……!」「もし九条蓮が江城一のイケメンなら、御神木様は世界一だわ!」「彼が私を落札してくれるなら、死んでもいい!」女たちの悲鳴交じりの囁きが波紋のように広がる中、猛はゆっくりと玲子へ向かって歩み寄った。蓮の前で足を止め、顔を一瞥すると、蓮の股間を見下ろした。「――九条さんって、使えない男だな」「てめぇ……!」蓮の顔が怒りで赤く染まった。「御神木猛!御神木家がどれだけ金持ちでも、こんなことにつぎ込んでいいのか!玲子を落札する理由は何だ!?」猛はわずかに口元を歪めると、玲子の前で立ち止まり、低く言い放った。「理由?もちろん――彼女を抱くためだよ」そして玲子の耳元でそっと囁いた。「玲子さん、抱かせてくれるか?」「……は?」玲子は目を見開き、頬を赤く染めた。まさに罪な男だ。彼が隣に立つだけで肌が熱を帯び、鼓動が乱れ、息が浅くなる。蓮ですら与えられなかった感覚を、この男は当たり前のように引き起こす。玲子は唇を噛み、視線を逸らさず猛を見返した。「喜んで抱かれるわ。御神木様が大金をはたいて私を抱くと言うなら、私には光栄なことよ」彼女の恐れなき瞳に、猛は満足げに頷いた。「フッ……いい目をしてる。顔も体も完璧で、頭も切れる。気に入ったよ」そして玲子の腰に大きな手を回し、ぐっと引き寄せた。「それと、俺には妻が必要だ。玲子さん、興味はあるか?」玲子は呆然とし、信じられぬ様子で猛を見つめた。――妻?御神木猛と結婚など、玲子は考えたこともなかった。抱かれる覚悟はあったが、結婚だけは想定外だった。「俺じゃ、不服か?」彼は微笑みながら続けた。「君は三年間、禁欲生活を続けてきたと聞いた。だが、俺と結婚したら――毎日、ベッドから起き上がれなくしてやる」玲子の顔が一瞬で紅潮した。夜の世界に身を置くことが多かった彼女でも、この男には対抗しきれなかった。「……それは楽しみね」玲子は優しく微笑み、静かに告げた。「御神木様が私のようなバツイチ女を貰ってくれるなら、私には願ってもないことよ」そのとき、蓮が声を荒
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