Semua Bab 彼女しか救わなかったから、息子が死んでも泣かないで: Bab 41 - Bab 50

言い終えるやいなや、悠真は顔を上げ結衣を見つめた。案の定、彼女の手には擦り傷ができていた。きっと、さっき転んだときにできたのだろう。傷は深くないが、砂埃が絡んでいるのがはっきりとわかる。結衣は小さく首を振り、不安げな表情で言った。「私は大丈夫よ。それより、星乃の様子を先に見てあげて」すると、花音がすかさず口を挟んだ。「星乃は演技してるだけよ。わざわざ見る価値なんてないわ」「それに、結衣さん、あなたは今後もピアノを弾くんでしょう？後遺症でも残ったら大変だわ」その言葉を聞いて、悠真はもう何も言わず、結衣の手をそっと取った。「とにかく、先に戻ろう。ちゃんと手当てしないと」星乃が本当に演技だったのかなんて、どうでもよかった。今の彼にとって一番大切なのは結衣の手だった。しかも、結衣が怪我をしたのは、星乃に突き飛ばされたからだった。ちょっと痛みを覚えれば、少しは懲りるだろう。星乃には、彼らの会話はもう届いていなかった。先ほどの鋭い痛みのせいで、五感が一瞬にして閉ざされた。耳に届く音も、まるで海の底から響いてくるような、重たく粘ついたものに変わっていた。やがて痛みが少し和らぎ、意識が戻ったときには、目の前にはもう誰もいなかった。闇がいっそう濃くなった気がした。広い庭にたった一人、まるで置き去りにされたかのように、星乃は立ち尽くしていた。背後の別荘からは、まだ楽しげな笑い声が漏れていた。彼女はそっと後ろを振り返り、深く息を吐くと、痛みで感覚が鈍くなった足を引きずりながら、よろよろと駐車場へと向かった。「ほら、言ったでしょ？やっぱりあの人、なんともないじゃん。さっきのは完全に演技だよ」別荘の二階の大きな窓辺に立つ花音は、やがて遠ざかっていく星乃の後ろ姿を見やり、軽蔑交じりに悠真に言った。悠真は何も答えなかった。ただ、その足を引きずる小さな影をじっと見つめていた。胸の奥に、説明しがたいざわめきが渦巻くのを感じた。理由はわからない。ただ、何かが妙に引っかかっていた。そして、そんな兄の視線に、どこか哀しげな色が浮かんでいるのを見て、花音は思わずため息をついた。――やっぱり、お兄ちゃんって鈍感すぎる。女の子の複雑な駆け引きなんて、まるで理解してないんだから。花音はさらに説明を続けた。「さっきの

遥生はすらりとした長身を活かし、数歩歩いただけで付き添いの助手を簡単に置き去りにしてしまう。慌てた助手は小走りで追いかけ、ようやく隣に並ぶと口を開いた。「遥生さん、どうしても納得できません。ようやく海外で足場を固めたばかりなのに、どうして急に本社を瑞原市に戻すんですか？」それだけではなかった。海外の投資先ともトラブルが起き、資本側の幹部から強く反発されていた。最終的に遥生は彼らと業績連動契約まで交わしてしまったのだ。もし瑞原市での売上が海外を下回れば、遥生はCEOの座を投資側の人間に譲らなければならない――そんなリスクの高い契約である。この疑問は、飛行機に乗る前からずっと彼が問い続けていたことだった。遥生も、そろそろ答えなければ延々と問い詰められるのだと察していた。数秒考えたのち、遥生は彼のほうを向き、真剣な口調で言った。「僕は瑞原市で生まれ育った。海外で身につけた技術は、やっぱり故郷に還元すべきだと思ったからだ」その言葉に助手の目が一瞬きらめいた。だがすぐに首をかしげる。「でも、今じゃなくてもよかった気がします。せめて契約が満了してからでも……」遥生は薄く笑って言った。「UMEの株価は右肩上がりだ。このままいけば、あと二年であの連中は俺たちを手放すと思うか？」「それにしても……」助手はまだ釈然としない様子だった。何か言いかけたところで、遥生が彼の肩に手を置いて言葉を遮った。「もうやめとけ。来てしまった以上、腹を括るしかない。今さら後悔しても遅いよ」助手は口をつぐんだ。……いや、なんだろう。今の遥生は妙に楽しそうに見える。さらに言おうとした瞬間、遥生はスマホを覗き込みながら大股で歩き出していた。節のしっかりした指でキャリーケースのハンドルを握り、機嫌の良さを隠すようにときおりくるりと回す。そのスーツケースが地面を一回優雅に回転した後、きれいに彼の手の中に戻った。――謎が解けた。遥生は明らかに上機嫌だったのだ。助手も小走りで追いかけようとしたその時、遥生がふと足を止め、何気なく二歩後ろに下がって体を壁の陰に隠した。助手はきょとんとした顔で、壁の陰からそっと頭を出してみる。すると、出迎えに来た人々の群れが目に入った。彼らは手にUMEが発売した小型ロボットを片手に、もう一方の手には

「もしかして、私たちが旅行に行くって聞いて、わざとついてきたの？」美優はそれ以外に、納得いく理由が思い浮かばなかった。ここ数年、星乃は冬川家という名の「籠」の中で暮らす鳥のように、友達もおらず、仕事もしていない。仮にどうしても海外に行く事情があったとしても、冬川家には専用のプライベートジェットがあるのだ。空港に来る理由なんて、ないはずだ。星乃は彼らが誤解していることにすぐ気づいたが、何も言わないうちに、正隆が険しい顔で口を開いた。「星乃、おまえって子は……どうしてそう、分別がないんだ？ 来る前に、一言くらい言えなかったのか？」正隆にとっては、美優の言い分にも一理あった。というのも、以前にも似たようなことがあったのだ。旅行の予定を立てた際、星乃は同行の話が出ていなかったにもかかわらず、誰にも知らせずに車のトランクに隠れていた。空港のセキュリティチェックで見つかり、そのとき正隆は仕方なく急いでチケットを追加した。正直、あの旅は気分のいいものではなかった。今思い出しても、胸の奥がざらつく。その横で、綾子が穏やかな笑みを浮かべ、取りなすように言った。「まあ、もう来ちゃったんだし、チケットを一枚追加するだけで済む話よ。でも……私が気になるのは、星乃が出かけるなら、悠真にひと言、知らせておかなくていいのかしら？ もう結婚してるんだし、今は冬川家の一員ってことになるんでしょう？」綾子は、あえて最後の一言を強調するように口にした。その言葉に正隆の表情がさらに険しくなる。少し前、星乃が篠宮家への協力の件をはっきりと断ったことが、頭をよぎったのだ。正隆が何かを言いかけたそのとき、美優が声を荒げた。「お父さん、お母さん、絶対に彼女を連れていかないで！」「今回の旅行は、冬川家との協力を祝うためのものよ？ 星乃は何の貢献もしていないどころか、むしろ足を引っ張りかけた。そんな人に、どんな権利があって一緒に行けるっていうの？」綾子は唇を軽く持ち上げ、落ち着いた声で言った。「美優、前にも言ったでしょう？ 他人がどうであれ、私たちは心の広い人間でなきゃならないの」「それに、星乃はあなたのお姉さんなんだから」その言葉に、星乃は皮肉っぽく笑みを浮かべた。幼い頃、彼女は綾子の言葉を純粋に信じていた。綾子は自分のことを思ってくれているのだと

星乃は心臓がドクンと跳ね、思わず周囲を見回した。空港を行き交う人々はみな忙しそうに歩いており、こちらの様子に気づく者はいない。仮に気づいたとしても、恋人同士のじゃれ合い程度にしか見えないのか、一瞥しただけで目を逸らしていった。それでも、星乃の顔は赤くなる。「遥生、ちょっと……なにしてるの、降ろしてよ！」彼女の足元に滲んだ赤い痕を見下ろしながら、遥生は冷静に言った。「降ろしたって、歩けるのか？」その口調は静かだったが、彼は星乃の性格を誰よりも知っている。弱音を吐くことが嫌いで、どれだけ痛くても、本人の口から出てくるのはせいぜい三割程度の本音だ。足が痛いなんて言うのなら、それはもう本当に歩けないほどに限界なのだ。星乃は「大丈夫」と言いかけたが、遥生の黒く澄んだ瞳と視線がぶつかり、その言葉は喉元で止まった。不思議と抵抗する力さえ失せて、彼の腕の中で大人しくなった。けれど――やはり恥ずかしさは拭えなかった。「でも、こんなことまでしなくても……」「昔だって、何度も抱きかかえただろ」遥生は淡々と答える。UMEを立ち上げたばかりの頃、資金調達や他社との提携のためにビジネス担当が必要だった。けれど、人材は次々に辞めていき、最終的に前に出るのは自分か星乃しかいなかった。人付き合いが苦手な遥生の代わりに、星乃が自ら申し出て、営業の場に立った。宴席ではお酒がつきもので、しかも女性というだけで無理に飲まされることも多かった。ある夜、遥生は研究室の仕事を切り上げて、会場まで迎えに行った。そこで見たのは、酔いつぶれて壁にもたれたままうずくまる星乃と、彼女のまわりに立つ数人の男たちだった。遥生は彼らを追い払い、彼女を背負って病院へ連れて行こうとした。けれど、星乃は酔って身体のバランスを保てず、背中から何度もずり落ちてしまう。仕方なく、遥生は彼女を抱きかかえて運んだ。星乃はひどく酔っていたため、その時のことをほとんど覚えていない。でも、二人は幼い頃からの知り合いで、性別を意識する前から、遥生は彼女を何度も抱き上げていた。唇を引き結びながら、星乃は小声でつぶやく。「でも、今はもう子どもじゃないし……誰かに写真でも撮られたら」遥生はわずかに眉をひそめる。「悠真に見られるのが怖いのか？それとも冬川家？」星乃はぴたりと口をつぐんだ。

写真には、遥生がロングコート姿で、ある女性を抱きかかえて車に乗せている様子が映っていた。撮影アングルは、おそらくカメラマンが限界まで工夫したものだったが、それでも捉えられていたのは、彼の端正な横顔と高く通った鼻筋だけだった。女性の顔は、彼の身体にすっかり隠れて見えなかった。病院内――怜司はその写真を一瞥しただけで、すぐに次のページへ指を滑らせた。しかし、なぜか今回は普段ならあらゆるゴシップで賑わう院内の掲示板が、この写真一色に埋め尽くされていた。さらに投稿の下には丁寧な解説まで添えられており、それを読んだ怜司は、あの男の名前が遥生であること、そして彼の基本的なプロフィールまで把握することになった。正直、退屈だった。とはいえ、もう慣れてしまっているようだった。看護師の多くは女性で、日々の仕事は忙しく雑多。そのうえストレスも溜まりやすい。そこにちょっとした目の保養があれば、盛り上がるのも無理はない。思い返せば、自分がこの病院に来たばかりの頃も、イケメン枠として内線ネットに写真を貼られて話題になったものだった。廊下を歩いていると、小さな果物を手に照れながら差し出す看護師や、一緒に映画を見に行こうと誘ってくる看護師がいた。そんなことを思い出しながら、怜司はスマホを取り出した。反射した画面に映る自分の顔を見て、改めて確認する。……うん、なかなかのイケメンだ。写真の彼より、自分のほうがずっと格好いい。どうせあの男に騒いでいる彼女たちも、すぐに熱が冷めてまた自分を持ち上げるに決まっている。そう思ったその時だった。二人の女性が目を輝かせながら、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。内心の自信を隠しつつ、怜司は短く刈った髪をさりげなく整え、ポケットに両手を入れてクールな表情を作りながら、ゆっくりと近づいていった。女性たちも興奮気味にこちらへ近づいてくる。距離が縮まったところで、怜司は声をかけられる準備を整えた。こういう時、たいてい女性たちは病院のことや患者の話題を何気なく振ってくる。そして少し話したあと、相手はそれでもよくわからないと言いながら連絡先を聞いたり、場所を尋ねたりして、会話を少しでも長く続けようとする――そのパターンはもう、完全に読み切っていた。怜司は口元に余裕の笑みを浮かべた。